第28話 スカウトと依頼
送迎に送ってもらった先の料亭は
蛾王と暁人、焜は奥の松の座に入れられ、和服姿の女性が日本酒を注ぐ。
「大吟醸きつねごろしだ。ふふ、あてつけじゃないよ」
蛾王はお猪口の大吟醸を一口で呷り、ふぅと息をつく。暁人は小口に一口飲み、その濃厚な辛味の中にある芳醇な香りを、鼻から吐き出した。隣の焜は一口で呷り返し、妙な対抗心を見せている。六座相手にも物怖じしないのは流石だ。
蛾王は唐突に言った。
「僕は君たちをスカウトしたい」
「「いいですよ。断る前提で話聞きます」」
暁人と焜の声が揃い、蛾王は大笑いした。
「気持ちがいいくらいの断りっぷりだね。じゃあせめて、おじさんのお話を聞いてくれるかい。君たちもそろそろ知識としては入れておくべきだと思うんだ」
「わかりました。謹んで、お聞きします」
すでに注文は済ませていたのだろう。次々刺身や揚げ魚、握り、肝吸いが並ぶ。
「食べながらでいいよ。僕は別に変な礼儀なんて気にしないからさ」
「じゃあ遠慮なく。いただきます」
焜は鯨の握りを頬張った。本当に遠慮しねえのな、と暁人は思いつつ、醤油にわずかワサビを溶かし、甘エビを食べる。尻尾ごと。
「若い子が空きっ腹を抱える社会というものを僕は許せなくてね。島が解禁された当初、あちこちで飢えた子供が体を売り、飢えを凌いでいた。時に人の肉を犬の肉と偽って売ることも、知ってなお食うこともあった。食事中にすべき話ではないだろうが、やはり、陰陽師として……妖怪として生きるなら知っておくべきことだ」
蛾王は肝吸いを啜り、ウナギの肝を吸い込んだ。
「座卓は妖怪寄りの組織だ。人間——特に、ならず者筋には冷淡を通り越して無関心でね。それは今も昔も変わっていない。彼らは妖怪と陰陽師こそが支配者たるべきと考える。とはいえ、別に世界征服の野望があるわけではない。この限られた楽園を守れればそれでいいんだ」
面積七万九六五〇平方キロメートル、人口は約五六〇〇万人。北海道より少しだけ小さい、陰陽師と妖怪の楽園、溟月島自治区。ゆくゆくは国連に独立国として認めさせる腹積りが座卓にはあると、蛾王は語った。
この島自体が座長・霊天の〈半庭場〉化状態であり、許可のない侵入者は自動で弾き出される。だが、結界術の足しひきの要領で出る分には何ら制限はない。脱走自体は、容易なのだ。無論機密の持ち出しなどは御法度であり、それは罰則の対象だが。
「とはいえ現在、正確には六〇年ほど前からその状況が変わっている。冷戦時代だね。まあうちにはそこまで影響はなくて、重要なのはその時代に人々が核戦争の恐怖に怯え、膨大な穢れが沸いたことにあるんだ。君たちが祓った一角が生まれたのも、その時代だ」
「影法師……」
「そう。もう少し早くデタントが進んでいれば影法師発生は抑制できていただろう。だが奴らは生まれ堕ち、人間の淘汰を目的として活動している。一九九九年から二〇〇四年の間に起きた
暁人は大トロの握りを食べる。甘い脂が口の中で溶け、酢飯と混ざる。ワサビの爽やかな辛味が、脂のくどさを和らげる。
「四人祓ったそうですね」
「ああ、羅剛から聞いたのかな。そう。八部衆のうち半数を祓葬し、敵はこの四年沈黙を貫いていた。だが再び行動を再開したんだ。新たな火種が世界に生まれ、その穢れによって凝集した八部衆……情報によれば九部衆が、発足された。中には呪術師も与しているらしい」
「よその国の戦争には、興味ありません。それはその国の人間が解決することであって、俺たちの生活をすり減らし、意味もなくすり寄って挙句侵害させたり侵略させる理由にはならない」
「いかにも座卓的な思考だよ。自罰的、自己責任論。極めて日本人的だ」
「ノブリス・オブリージュはヨーロッパ人にでも任せておけばいい。俺は日本人ですらない。溟月人だ。腐れたデブガキが飢えた犬にバーガーのピクルスを投げ与えて悦に浸る性癖は持ち合わせていない」
あまりにもひどい言い様に、焜はかすかに、暁人が怒っていると感じた。
陰陽師も妖怪もマイノリティだ。基本的に特別であるが故に虐げられ、下に見られ、体よくおだてられ利用されてきた過去がある。
それを今更他者の不幸に寄り添え、他者の不幸を分かち合って共に不幸になれ、世界のために己の幸福も富も投げ与えてやれというのはあまりにも彼らを軽視し、侮辱している。
場合によっては選民的な思想にも思える、陰陽師や妖怪の特異な思考回路は常人にはなかなか理解されない。故にマイノリティは加速する。彼らはただ、甘い汁を啜るだけの弱者が嫌いなだけだ。戦う前から諦める負け犬が嫌いなのだ。本気で戦い、立ち向かう相手には誰よりも寄り添うし、応援する。そこに、妖怪や陰陽師は血やら肌の色、目の色、性別の違いなんて持ち込んだりしない。
不幸だから、なにもしない。それは彼らにとっては絶望に浸って、戦いを放棄した負け犬と捉えられる行為である。
陰陽師は徹底した実力主義。実力さえあれば、暁人や焜のような若造でも座卓に直に祭典に呼ばれるし、実力がなければどれだけ老いても尊敬など集められない。
そこは年功序列を重んじる日本人とは決定的に異なる溟月的な思考であり、根本的な思想体系である。
そして、最も、暁人たちのような純粋な溟月世代にとっては、日本人的という包括的なカテゴライズすら、侮辱である。
蛾王は「君は生粋の溟月人だね」と言い、「君たちが新時代を築くんだろうな」と嬉しそうに呟いた。
「視野が狭いというお説教をされるのかと思いました」
「十六に六十七の若輩者が青く視野が狭いのは当然だろう。それに君たちくらいの時分は、少し青すぎるくらいでちょうどいい。それを刈るのは僕の役目じゃないし、それに刈り取るにはいささか青すぎる。もう少し褪せるまで、無造作に生やしておくべきだ。最近の大人はせっかちでいけないよ。子供に早熟を求める割に、自分が青いことに気づいていない」
蛾王はエビフライにタルタルソースを絡めて頬張った。
暁人は鯨の握りを頬張り、焜は肝吸いを啜る。
「座卓は現在、二位の座を新たな家に譲るべきか臥龍家に委ねるべきかで意見が割れている。一位の桜花様と五位の房次郎様、そして僕は臥龍家に継がせるべきだと思っているし、房次郎様に至っては臥龍家ではなく臥龍暁人個人を六座に招こうとすら言っている」
「…………」
「とはいえ三位の嶺慈様と四位のトリーナイト様は新たな家を招くべきだとお考えだ。六座に空白が空くことはそのまま座卓の組織運営上の問題でもある。遅くとも半年以内に六座の繰り上げと、新たな六位の座が決まるだろう」
「俺は六座に加わる気はありません」
暁人はきっぱりと断言した。
だろうね、と蛾王は言って、「わかってた答えだよ。でも改めて聞けて良かった」と頷いた。
「その上で僕は、君たちと個人的な交友を持ちたい。蛾王家当主としてではなく、
「叔父のペンネームと俺たちをよく結びつけられましたね」
「僕は妖術書を
「本人が本名を伏せてるんなら、俺からは何も言いません」
溟泳社とは健一郎が本を出している会社だ。週刊少年ダイビングという少年誌や、ダイブボンボンという青年誌、ダイバーズハイという男性ファッション誌、小説や技法書なども出す出版社である。
暁人は蛾王の真意を探ろうとしたが、彼に、それ以上のものはなかった。彼は本気で暁人たちと個人的な交友を持ちたいと思っているだけで、下心がない。
「友人ですか。俺は友人が少ないので、ありがたいです。焜は?」
「友達になりましょうって言ってなるより、きづいたら友達って感じでしょ。まあきっかけづくりは大事だけど」
「了承、と受け取らせてもらうよ」
大吟醸を蛾王にお猪口に注いでもらい、暁人はぐいっと呷る。お返しに一杯、並々と注いでやると、蛾王もそれを一気に呷る。
焜は大吟醸がよほど効くのか、最初の一杯以来飲んでいない。
外の鹿威しが甲高く鳴り、蛾王が続けた。
「話を戻すと、座卓が現在直面している問題は二つある。一つは言わずもがな影法師。彼らの中には特等級が現状未登録の個体含め四人いて、最低等級でも一等級であること。現状最弱といえる九崩ですら一等級ポテンシャルがあると見られている。
次に、黒塚商会。影法師の陰陽師狩りに呼応する形で奴らの活動が活発化している。非合法な暴力組織……ありていに言えばギャングやヤクザが呪術師を雇うケースが増え始めている。元々溟月島の治安はいい方ではなかったが、ここ五年、悪化の一途を辿っているんだ。
座卓はこれらの早期解決を求められ、
忌動隊——。
焜が反応する。
「三等級以上の陰陽師と補助術師で編成された特殊な陰陽武装警察ね。有事の際に座卓の号令で各区の座卓所属陰陽師の中から選抜された陰陽師と、補助術師で発足される、およそ五万からなる組織……」
「いかにも。正確には三等級相当の術師だから、陰陽師登録されていない妖怪なんかも志願して鑑定に通ればここに組み込まれる。五六〇〇万人からなる溟月島ではあまりにも頭数が少ないが、いないよりはずっといい」
「俺たちにそこに入れってことですか?」
「いや? ただ、今後陰陽師事務所には忌動隊からの依頼も増えるだろうって話さ。その際にはなるべく蹴らずに受けた方がいいという話をしている。あらぬ疑いはかけられたくないだろう?」
脅し、とも取れる一言に暁人は閉口したが、逆の立場なら暁人も謀反を疑うかもしれない。
急に友人の付き合いが悪くなれば何かあったのかと勘繰るのは当然だし、それが社会組織ともなれば尚更だろう。
「君たちが悪を殺せる術師ということはわかっている。だが今後はその場面も密度も増えるから覚悟をしておいてほしい」
「呪術師もそれを使うやつもクズですよ。どう言い訳したって、たとえ猫に餌をやる良心を見せようが、その裏で大勢の無関係な命を奪うことを肯定しているんですから」
「私は別に、明日の飯と寝床のためならやれるけどね。崇高な目的がなくて申し訳ないんだけどさ」
座卓が置かれている状況は予想以上に危険らしい。
影法師の暗躍による、呪術師組織の隆盛。この二つは切っても切り離せない。黒塚商会が勢いづいて治安がさらに悪化し穢れが集まれば、溟人はさらに力を増すだろうし、溟人が力を増せば黒塚商会はさらに需要を高めていく。仮にも黒塚商会は術師の集団であり、汚い連中の自衛のために雇われるケースもあるのだ。
そこに加え六座が欠け万全ではない座卓は、内部で言い争いまで起きている始末。蛾王が状況を危惧するのも仕方ない。
だが、だからといって暁人は自分の鉄則を変えるつもりはなかった。
天城に拾ってもらった恩、禮子に育ててもらった恩がある。それを無碍にしたら、新たな友である八岐に叱られる。
——と。
「美味そうなもん食ってんな、暁人」
暁人の左の肩甲骨の辺りから、青黒い小さな龍が現れた。半実体、半霊体のそいつは五つの目を持ち、角は八つある。
大きさはせいぜい、全長にして九十センチ。腕より少し長い程度。胸から下は半分霊体で、蛾王が驚いていた。
「それは?」
「ヤマタノオロチです。頭一個ですが、確かに八岐です」
「おう、現代の妖怪にしちゃあなかなか凪いだ妖気してるじゃねえか。でも俺に食わしてくれないのはあんまりだぜ」
「誰もお前がいるなんて思わないし、どうせ寝てたんだからいいだろ。ほら」
暁人は箸で掴んだ大トロを八岐に食わせてやった。小さな龍神は「うめえ」と言いながら咀嚼し、飲み込む。半分幽霊の体のどこに吸収されているのかといえば、食物や水分は食べたそばから龍気妖力に変換されているのだ。
八岐は両腕で大吟醸の瓶を掴むと、ラッパ飲み。
「あっこら」
「やっぱ酒がなきゃダメだよな〜」
「すみません蛾王様、あとでキツく言っておきます」
「あ、ああ……いや。ヤマタノオロチがこんなにも奔放というか、自由な方だとは思わなかったな……」
酒をひとしきりラッパした八岐はゲフッと酒臭いゲップをすると、「んで」と言葉を紡ぐ。
「蛾王はいつまで四方山を続ける気なんだ? さっさと本題に入っていいんじゃないか?」
「さすがは龍神様、お見通しですか。そう、僕には君たちに、個人的に依頼したいことがあってここに呼んだんだ」
箸で摘んだイカの刺身を八岐に食わせながら、暁人は聞く。
「依頼ですか?」
焜が「事務所を通さずに?」と付け加える。
「天城社長にはすでに話は通している。実際の面談で受けるかどうかを決めさせると言ってね。呼んでくれ」
仲居さんが奥に引っ込み、しばらくしてから、白い着物を着た少年を連れてきた。
人間換算で十歳、妖怪換算で二十歳前後の少年である。その子が蛾王の血筋であることは見た目からして明らかだった。
「自己紹介なさい」
「はい、父上。僕は
第一印象は、生意気そうなガキだな、というものだった。
「僕たちの家は女が力を持つ家系でね。男は政略結婚の道具に終始する定めにある。白奈もじき精通を迎え、強引にでも婚姻させられるだろう。そうなる前に束の間、自由というものを満喫させてほしい。君たちは今冬休みだろう? どうかな」
暁人と焜は顔を見合わせた。
焜が、「それはつまり護衛ってこと?」と聞くと、蛾王は「そうなるね」と頷く。
「冬休みギリギリまで受けてくれたら、報酬は一人頭一万
働貨、とは、今年から新たに制定された通貨である。一働貨百日本円の価値に相当し、一万働貨は百万日本円に相当する。
一働貨百日本円、一働銭一日本円に相当するそれは、通貨に応じた妖力や資材が込められた「物品」であり、基礎的な原理は物々交換であるという考えのもと今年から広まったものである。
もうずっと前から公布されていた制度で、二〇二七年元旦から施行されたのだ。
「マジで言ってんですか」
「大マジだよ。どうかな。息子のために、依頼を受けてもらえないかな」
蛾王はそう言って、白奈の頭を撫でながら微笑んだ。
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