因縁
5‐1
シャリ、シャリ、となにかを削るような音がして、奏真はゆっくりと目を開けた。ゾークがナイフでも砥いでいるのか、冗談抜きでそう思った。
「目が覚めたかな?」
ゾークと戦っていた記憶しかなく、奏真は混乱しつつガバッと上体を持ち上げる。
「あいつは!?」
「もう始祖はいないよ。ここは東海支部だ」
白い天井。汚れのない壁。簡易的なベッド。奏真のスーツには汚れもしわもなく、新品同然だ。特に機材に接続されているわけではないから、ひとまずは安心か。
隣では、スツールに腰掛けたリリアがリンゴを剥いていた。カットされたものがサイドテールの上の皿に載っている。
爪楊枝が刺さった一つを手に取り、口に入れた。甘みが口に広がり、荒れた心が少しは穏やかになる。
「瑠奈は?」
「一時間前に目覚めて、出ていった。君のことを心配していたぞ」
時計を見る。午後四時。陽はもうじき沈みそうだった。
「……なにも、できなかった」
「ゾークを相手にか?」
「ああ。面白いようにやられて……いけると思ったときには逃げられて……そういえば最後」
「うん、君は部分的にだがブラッドラースを行使したようだね。さっき戦闘データを見たよ」
あの鎧みたいなのがブラッドラースか、と奏真は他人事のように思った。
「一番最初にブラッドラースを発現した空閑朔夜も発動には二年かかった。君はダンピール適合から僅か三週間で、完全ではないとはいえ能力を解放した……驚異的な速さだね」
「自分でもよくわからない……あのときは必死で……」
「もしかしたらそれこそが発動条件なのかもしれんな、ブラッドラースの」
「それ?」
「なにかに必死になること。我を忘れるほどの怒りと、それと同等かなにかの想いの丈。それらがブラッドラース発動の引き金となるのかもしれん。あのとき、君はなにを思っていた?」
言われて、思い出そうとする。
ゾークと戦い、死にかけ、怒りを感じた。自分の弱さへの、ヴァンパイアやゾークへの怒りを。そして――
「瑠奈……」
あの少女への小さな思慕。
「なにかを想うこと、か」
リリアはそう解釈したようだ。
「魂が最も強くなるとき。それは人を、なにかを強く想うときなのかもしれんな。朔夜もブラッドラース発動時は命の危機にあったという」
「それが、発動理由?」
「恐らく自分の命への想いが発動の引き金となったのかもしれんな」
それだけではない気がする。朔夜――という人物も、自己保身だけではないなにかに突き動かされていたのかもしれない。
奏真はリンゴの半分を食べたところで満腹感を覚え、残りはリリアに食べてもらうことにした。特権階級とはいえ食べ物を粗末にしていい道理はない。
奏真たちは他者の上に立ちいい暮らしをしているが、それはヴァンパイア狩りに貢献するためだ。とはいえその立場にふんぞり返って物資を無駄に消費するのは許されない。
ベッドから降りた奏真は底が悪路走破用に頑丈に加工された靴を履き、立ち上がって軽くストレッチした。
「瑠奈がどこに行ったか、わかるか?」
「気分転換と言っていたから、屋上じゃないかな」
「わかった。少し、会ってくる。無茶して突っ込んだこと、謝らなきゃいけないし」
「そうか。じゃ、私はラボに戻るかね」
二人で廊下に出て、奏真はエレベーターに向かった。地上二百五十メートル、五十階建ての地上フロアの屋上へのボタンを押す。ちなみにジオフロントは地下十二階まである。
現在、東海支部では一般人でも自衛のために使える、人工血装の開発が行われている。
実用はまだまだ遥か遠く未来のことだが、これが実現し、銃器型の人工血装がある程度配備できれば昔みたいに軍隊を組織することが可能となるかもしれない、と期待されている。裏では本部辺りが実用実験を行っているらしいが、詳細は知らない。
ほかにもヴァンパイアの物理的環境侵食の能力を応用し、様々な果実を実らせる果樹園もジオフロントでは運用されている。
さっき食べたリンゴも、ジオフロントの工場産だ。今は完全天然の果物や野菜はない。
唯一肉や魚ばかりはどうすることもできないから、ジオフロントの広大な土地で家畜を飼育し、魚も食べられるものを限定に養殖されているのが現状だ。
その数は充分とは言い難く、今ではこうした『普通の食べ物』を食べられるのは特権階級の者か、一部の職と金を持っている外部居住区の者だけだ。
もっとも外部居住区住みの場合、食べられるのは年に数回がいいところだが。それ以外の日は、あの食べられる消しゴムみたいなものを食べなければならない。
昔は、肉や魚が食卓に出るのが当たり前だったんだよな、と奏真は思い、今の時代がどれだけ荒んでいるかを実感する。
いつの時代も年寄りは『昔の方がよかった』と言うらしいが、今の時代に限ってはそれも同感だ。ヴァンパイアのいない、昔の方がよかったに決まっている。
なぜ、どこからヴァンパイアが現れたのか。
それは議論の種だ。
昔から潜んでいたのだ、とか、実は宇宙からやってきた侵略者なのだとか、色々と話題が出るが結論に至ったものはない。
異世界から渡ってきただの、パンデミック映画の見過ぎではないかというほどの陰謀論めいた、某国の生物兵器が撒き散らされたのだとかいう話まである。
だがまあ、奏真には正直どうでもいいことだった。そんな原因が分かったところでどうすることもできないことは、これまでの史実が証明している。
様々な支部がヴァンパイアと化した生物を元の生物に戻そうとするワクチンを開発した。
だがそのどれもが失敗に終わったことは、奏真の情報解読キーでも閲覧できるデータベースに記載されていた。
もっとも、元の生物が人間や動物であったヴァンパイアとはいえど、彼らは輸血行為以外にも数を増やす手段を持っている。
通常の生物のように有性、無性生殖して子供を作るのだ。そうした第二世代、第三世代のヴァンパイアは最早元がヴァンパイアなわけだ。
なので例えヴァンパイア化を治すワクチンが出来ても、この地球上を闊歩する全てのヴァンパイアを消し去ることはできない。
どれほど世代を重ねているのかは知れないが、元が普通の生物だったヴァンパイアは少ないだろう。
途中でエレベーターが止まることはなく、奏真は考え事をしているうちに屋上に出た。
ヘリポートも兼ねた屋上だからとにかく広い。超大型の輸送用八発ティルトローター機が三機停まっても余裕がある大きさである。
地下の兵器庫から直接続く大型搬入用エレベーターはここには止まっておらず、落下防止柵が立っている。
兵員輸送に使うのは主に誰もが普通に想像する通常のシングルローター式のヘリコプターなのだが、作戦によってはティルトローター機を用いる。
大規模な探索遠征や海外に渡る際には四発や八発ティルトローター機を使うこともあるという。
護衛機にカナードローター/ウィング機というヘリとジェット機を足したハイブリッドな攻撃ヘリが運用されることもあった。
機銃やミサイルはヴァンパイアを殺すには至らないが――小型の、いわゆる雑魚なら殺せるかもしれないが――驚かせて進路を開いたりすることは可能だ。或いは特殊な音波や匂いを発する弾を使えば追い払うこともできる。
巨大な滑走路が必要な飛行機はもう骨董品だ。動画の中でしか見ない。
メインローターを駆動させるのに必要な莫大な電力を保存できるフライホイールの開発でヘリの航続距離は限界まで伸びたので、そもそも飛行機がいらないのだ。
限られた狭い空間で垂直離着陸が可能なヘリは、土地が限られた現代においては最高の移動手段だ。
屋上にはまばらに人がいた。八時間三交代制だから、今が休憩時間という者もいるのだろうか、同僚と煙草やコーヒー片手に駄弁っている者もいる。
奏真はその中に見知った――瑠奈の顔がないか探した。
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