花守の丘   作:紙粘土

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右腕の蝶 の続話になります。さきにそちらをお読みいただくことを推奨しますが、未読でも多分大丈夫です。


1話

-1-

 

「あれは……」

 

雨上がりの日差しは濡れた森林を輝かせ、泥濘みを残す大地に二人の足跡が続いてく。こんなにも美しい緑と空に澄んだ海が広がる孤島に、惨たらしいそれを見つけたのは不運だろうか。

 

彼女は泣きそうな声で駆け寄り、荒らされた積荷や抉れた大岩、壊された荷車の車輪が散乱している浜辺へ走る。旅のキャラバンが襲われたのか、独特の龍炎に焼かれたような焦げ跡は、漠然とイビルジョーを連想させた。

 

 

「ひどい……」

腹を食い荒らされた亡骸は、遺体というより〝食べ残し〟のようだった。膝から下だけが無造作に放られて、あるいはどこの部位がわからない肉塊があるだけだ。流れた血が遺体の数に対して多すぎる。丸呑みにされた者がいるからだろう。

元々穏やかな性格の彼女には、あまりに刺激が強すぎる。彼はゆっくり息を吐き、涙を落とす目元を後ろからそうっと覆う。

 

 

「……見なくていいよ。大丈夫だから」

 

かつてハンターであった彼は知っている。〝人間の中味が臭い〟ということ。その断面があまりに惨たらしいということも。

 

「観測隊に報告するから、あっちの影で水でも飲みなよ。この辺りにもう竜の気配はないから、大丈夫」

 

「……待って、そこ、動いて……」

 

彼女が指差したのは、壊された荷車よりやや離れた水場であった。散らかった積荷の布地が散乱している。その中の、真っ赤な絨毯の下だった。弱々しくも蠢く膨らみがあったのだ。

 

「生存者かも……!」

 

彼女は躊躇なく駆け寄った。血生臭さを怖がらない指先が、絨毯をそっと退けたのだ。朧になった彼の視力でもわかるほど、瞬間彼女が嬉しそうに涙を落とす。目尻から落ちた一雫は、悲しみの中に希望を拾うような安堵があった。

 

 

 

「……生きてる」

 

小さい。……赤ん坊だ。

華奢な彼女が容易く胸に抱きかかえられてしまうくらい、そこにあるのは小さな命だ。無傷ではなかった。喉に傷を追っている。それで泣き声を上げることがなかったのだろう。それでも確かに、弱々しくとも胸は鼓動に上下していた。

 

 

「……まだ赤ん坊じゃないか」

 

「赤ちゃん……生きてます。助かるかも、手当てすれば……」

 

「捨て置け」と、彼は言うほど非情になれはしなかった。強いて言うならハネムーンの中止が惜しいくらいだが、潤んだ彼女の前にそれは些細なことだろう。

もしかしたら、かつて水没林で自分を助けようとした時も、彼女はこんな顔をしたのかもしれない。そんなことを考える。

 

彼女の胸で、小さな命が震えてた。裂けた喉で産声一つあげられない、それは生後何ヶ月程度の柔らかく脆い命であるのだ。彼女という人が、見捨てられようはずもない。

 

 

「わかった。連れてこうか。手当て、しよう」

 

新居は広いし人里からは離れた場所だ。彼は英雄扱いを堅っ苦しく感じるようで、自然と村から遠退いたのだ。買い物は不便になってしまったが、その代わりに家は広いし長閑であった。彼女も自然に囲まれた暮らしを気に入っている。

そこに、家族が増えようが差し合った問題も目下なさそうなのだ。少なくとも赤子のうちは。

 

「本当の家族が見つかったら返すよ」

 

「……!ええ、勿論……!ありがとうございます」

 

彼女の笑顔がぱあっと咲いた。きっと彼女は育てるつもりだ。彼は一抹の不安を抱きつつ、物騒な経緯から授かったハネムーン・ベイビーを見下ろしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

-2-

 

「じゃあ、これは?」

 

彼女は指を三本立てて、一メートル先の彼に問う。彼は淡い笑みを浮かべて、「三だ」と正解を口にした。

かつて黒い雷鳴に貫かれた古傷は、右腕を失くし視力までも奪われるというハンディを残した。炭のように黒焦げだ右腕は、数年経てども流石に生えてきたりはしない。だが視力は、僅かにだけど回復していた。彼はそれだけでも嬉しく思う。また、彼女の顔が見れるから。

 

 

「あ、ユピ、お腹空いたみたい」

 

彼女がくるりと振り返る。包んだ毛布がもごついて、シーツを何度か蹴ったのだ。喉の傷はやはり声帯を損傷しており、ユピテルと名付けた赤子が声を出すことは叶わなかった。だども彼女は何故か言いたいことがわかるらしくて、せかせかと嬉しそうに世話を焼く。

彼は何度か家族を探しに孤島を歩いてみたけれど、母親も父親も、それと思しき亡骸すらも見つからなかった。

 

「ミルクも?ちょっと待ってね、あっためてくるからね」

 

「……」

 

「……?どうかしました?」

 

「いや、母親みたいだな。本当の」

 

言えば、彼女は照れくさそうにはにかんだ。「母親」と比喩されること、どうやら満更でもないらしい。鼻歌まじりにキッチンへぱたぱた小走りをして、かと思えば「だったらあなたはお父さんですね」だなんていう。

彼は一度、粉ミルクをスプーンひと匙だけ飲んだことがあるけれど、味もないし大して美味いとも思わなかった。こんなもんで喜ぶのかと訝しげにしたものの、ユピはちびちびとよく飲んだ。そして腹一杯になったら眠るのだ。

……誰かが、赤子は天使だと言っていたのを聞いたことがある。確かに、天使と言いたがるのもわかるくらいに、ユピの寝顔は可愛らしいものだった。

 

 

 

 

………………

 

 

 

「……やっぱ、家族、見つからない。観測隊も見てないって。キャラバンの生存者にも確認したけど、心当たりまるでナシ」

 

夜に帰宅した彼は言った。

ユピはすっかり眠ってる。

 

「そう……ですか……」

 

「イビルジョーの腹の中、か……。あるいはーー」

 

言いかけた言葉を彼は噤んだ。彼女の眉が歪んだからだ。

 

「……本当の家族は、……〝いない〟んですね……」

 

〝いない〟

そんな遠回りな言葉を選び、細い指が眠る赤子の額をなぞる。両親の他界している彼女は、自分と赤子を重ねているのかもしれない。

 

「…………。なあ、育てたいの?想像もつかないほど大変なことだよ」

 

彼もまた毛布に包まり、寝息を立てる赤子を見下ろす。今はまだ小さいし、反抗らしい反抗もない。けど、育てるということは、重い責任を背負ってゆくということだ。ましてユピは声を一切出せない。

彼女は当然ながら子育ての経験など一度もないのだ。……それなのに、楽観視するわけもない性格のくせに、頷くのは直ぐだった。即答なのだ。

 

 

「……はぁ、……わかったよ。かなわないなぁ……」

 

だから彼が先に折れた。

本当の家族を探し出して、それまでのつもりの子育てだった。けど、彼女には敵いそうもないものだから。

 

 

「いいよ、育てて。なにかあったら、俺がなんとかする」

 

この手で何が出来るだろうか。欠けた右腕、残った左腕。それを交互に見下ろしながら、穏やかな寝息を彼は聞いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

-3-

 

ユピは聡明だった。知性豊かで、母親────つまりは彼女の指遊びを直ぐに憶え、よく歌う子守唄には、リズムに合わせて寝返りを打つこともある。一切の声が出せないことを除いたならば、傷など嘘のような回復だった。

 

やがてよちよちながらも歩けるようになってからは早かった。

子供の成長が早いって本当ですねと、彼女はキラキラと瞳を輝かせて彼に言う。花は新緑となり、やがて真っ赤な紅葉となり、散れば季節は冬になる。年間通して暖かな気候の孤島地方も、上着がなければ肌寒い風の吹く季節を迎えた。ユピ、寝ましょうね。そういってベッドの彼女の隣は、すっかりユピに占領されてる。……まあ、いいか。彼は後ろ髪をぽりぽりかいた。どうであれ、赤子というのは可愛いものだ。いやもう赤子でなく子供というべきかもわからないけど。

 

 

「この人はね、すごく勇敢な人だったのよ。水没林っていう場所があってね、私はその近くの村に住んでたのだけど、ある日すごい量のモンスターに襲われたの。その時にね……」

 

まるでおとぎ話を語るかのように、柔い声色で彼女は語る。小さな手を優しく握って、ユピの体温に微笑みながら。ゆっくりと頭を撫でてたり、背中をトントンと叩いたり、そうやって寝かしつけるのが上手いのだ。

 

 

「……わかんないでしょ、言葉とか」

 

「そんなことありませんよ」

 

気恥ずかしくなって彼は横槍を入れたけど、彼女は笑って否してしまう。きっと伝わりますよって、ユピの瞳に確信するのだ。なんの根拠もないくせに。

 

 

二人きりの生活は穏やかで静かなものだった。ユピが来てからは、それが成長と共に騒々しさを伴うようになる。時間の流れを速く感じた。彼女は以前より声をあげて笑うことが多くなった。元々読書をしてゆったりと過ごすことが好きだったのに、いつのまにかアウトドアになっている。ユピが走れるようになってからというものは、午後は決まって森を歩きまわっているようだ。綺麗な花や、美味しい木の実、雷光虫の飛び交う輝く河原を散策したりしてるらしい。時折、走り疲れてへとへとになることもあった。それなのに、遊び疲れて眠るユピの寝顔を眺めて、「明日もお散歩しましょうね」なんて言っている。

彼女は、本当の我が子のように愛を注ぎ続けていたのだ。

 

その頃にはもう、彼も彼とて、足音だけでユピとわかるようになっていたし、なんだかんだ一緒に水浴びすることもある。ユピは声を出すことが出来ないけれど、視線だけでなんとなく呼ばれてると察するようになってしまった。

「なに?」

そう彼が問い返せば、勝手に膝に乗ってくる。彼女に感化され過ぎたのか。彼もまた、ユピを家族と想い始めてしまってた。

 

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