2021.06.29
# 戦争

若者を魅了する「三四三空」。率いた源田司令は「名参謀」か、それとも……。

「三四三空」の実像を追う・第1回前編
神立 尚紀 プロフィール

高高度性能とスピードを備えた「紫電改」

川西航空機が開発した紫電改を、航空技術廠飛行実験部部員(テストパイロット)として、実用化の域まで育て上げたのは、志賀淑雄(しが よしお)少佐である。志賀は支那事変で敵機6機を撃墜、太平洋戦争では空母「加賀」分隊長として、真珠湾攻撃に零戦隊を率いて参加したのをはじめ、アリューシャン作戦や南太平洋海戦にも参加した、実戦経験の豊富な戦闘機隊指揮官だった。

紫電改(N1K2-J)は、水上戦闘機強風をベースに陸上機とした紫電(N1K1-J)を改良した局地戦闘機(迎撃機)である。

川西航空機が開発した水上戦闘機「強風」(上)と、それをもとに陸上戦闘機とした「紫電」(下)

紫電が中翼のため脚が長く、引込脚の構造が、いったん縮めてから引込むという複雑な仕組みで故障が多かったのを、低翼にすることで改善、ほかの部分にも改良を重ねた。エンジンは中島製の「誉」で、零戦に採用された「栄」エンジンと同等の外寸ながら、出力は2倍近い2000馬力を狙った意欲作である。ただ、オイル漏れなどの故障が多く、その解決が急務だった。

志賀の回想――。

「紫電改に最初に乗った印象は、零戦が深窓の令嬢とするなら、紫電改は下町のおてんば娘。洗練された飛行機ではないが、20ミリ機銃4挺(ちょう)は有効だし、降着装置さえ良くなれば、あとはエンジンのトラブルだけだ。これは実戦に使える、と思いました。

アメリカのグラマンF6Fでもなんでも、牙をむいたイノシシみたいな飛行機でしょう。それに対抗するには令嬢じゃ駄目だ、おてんば娘でないと。実戦にほんとうに欲しかったのは、高高度性能とスピードなんですが、そういう意味で期待のもてる飛行機でしたね」

 

志賀は紫電改のテストを終えてほどなく肺浸潤を患い、横須賀海軍病院に入院。11月15日付で戦艦「大和」型三番艦を建造途中で設計変更した超大型空母「信濃」の飛行長に発令されるが、一度、工事中の艦を見学に行っただけで、「信濃」は11月29日、呉への回航中、米潜水艦の魚雷を受けあえなく撃沈される。

そして、退院直後の昭和19年12月25日、改めて第三四三海軍航空隊飛行長に発令され、翌昭和20年1月8日、着任した。

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