メディア・アーティスト中島興【最後の講義】
大学時代の恩師が入院中とのことで、お見舞いへ。恩師とはメディア・アーティストの中島興先生のこと。
昭和から平成にかけて、ビデオアートの礎を築いた方だ。私は2000年代前半に武蔵野美術大学でメディア・アートの授業を受けていた。中島先生の入学して初っぱな1時間目の第一声は忘れられない。
「君たちは精神異常者です」
今だったら問題になるのだろうか。発言の趣旨としては、まともな精神状態の人は美大になんか行きたいと思わない、美大に来たからには頑張りなさいというモノだった。
それから、沖縄・名護市での中島先生主導のワークショップに参加したり、なぜか先生の娘さんの結婚式のビデオ撮影をした。他には先生が呼ばれる立食パーティーに付いていき、話もせずに腹一杯たべさせてもらっていた。映像制作のための業務用ビデオカメラを60万円で購入していたので、当時は食費を限界まで切り詰め55kgでガリガリの苦学生まるだしだったのだ。1番美味しかった立食パーティーは「建築家・安藤忠雄」主催のもの。オシャレな空間にボロ切れで紛れていた。
卒業後も私が結婚したり、子どもが生まれたり、秋田へ引っ越した後も、弟の結婚式や資格試験を受けるために東京へ来る度、会って話していた。そんな先生は他にいない。
中島先生は元教え子のことを皆「友達」と呼んでいた。先生と生徒の関係は大学時代だけで、卒業後は友達になるということ。そして、卒業後も定期的に電話をくれるのは中島先生だけだった。「最近どうだ?奥さんとは仲良くやってるか?」たわいもない会話。
2021年に私の父親が死んだときも、中島先生の作品「My Life」のオマージュ(真似)をして写真を撮った。
2画面で娘が産まれる瞬間と
親が死ぬ瞬間を対比させて上映
中島先生は自身の父親が死んだ時に写真やビデオを撮っていたが親戚から「ヤメロ撮るな!」と言われたそうだ。その時は「僕はビデオアーティストだから撮らなきゃいけない」と言って闘ったそうだ。
その話を聞いていたからか、私は親戚の集まりでも常にビデオカメラを回していたので、父親の葬式の時には、逆に皆から撮って撮ってと言われた。死に顔と一緒に笑顔で映っている写真だ。こういう幸せな状況を作れたのも、中島先生のご指導があったおかげだとも言える。
最後に私が中島先生を撮影した映像を紹介したい。2010年に武蔵野美術大学を定年退職する際に行われた最終講義のようすだ。
そういえば、私の卒業制作(一般大学でいうと卒論のようなもの)はメディアアートを作ろうとしたものの、机上の空論すぎて行き詰まり、最後は中島先生がインドで撮った映像を再編集させてもらって何とか提出したのだった。辛い思い出すぎて今思い出した…。
中島先生は、実に生徒想いの先生だった。
15年前の映像だが、ぜひ一度講義を受けたつもりで見てもらえたら幸いだ。
私や妻も出演している。
“My Life”の中にハメ込む粋な演出
中島先生の、人柄が良く出ていると思う。
生徒を愛し、生徒から最も愛された先生。
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