雲の上の存在 ということ
天才、という概念は曖昧なものでしかない。人々は「よくわからないけど能力が高く、自分にはとても再現できなさそう」な人の事を天才と呼んで逃げる傾向にある。その方が楽だからだ。
つまり、昼間まで惰眠に明け暮れて、ようやく起きたかと思えばイカ臭い部屋に引きこもって液晶に張り付く生活をしている、今までのその時間を全て有効に使っていたとしても果たして彼に届くのか、その距離はどれくらいなのか、それを想像することさえままならないという事実に向き合いたくないからだ。
人は優秀な人間を天才に仕立て上げ、彼を自らの属するフィールドから追い出す事で自己の尊厳を保っている。
人は底が見えない物に惹かれ、それに一種の神性を与えるが、前述したようにそれは各個人が惰性で逃げた結果、を、人類が集合として神秘で覆い隠しているに過ぎないのではないだろうか。
逆に、天才として仕立て上げられたければ、所謂凡人との距離を測らせられないようにすればいい事になる。
自分を深みのある高尚な人間であるように見せたければ、自らの全てをさらけ出さない様にして、底を見せなければいい。
たとえ腰の高さよりも低い沼であっても、底が見えなければ人々は恐れ慄いて誰も入ろうとしないものである。
天才を天才たらしめるものは、彼をとりまく雲でしかない


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