見出し画像

6年勤めたLINEヤフーを退職します

2025年1月14日付でLINEヤフーを退職します。私は2018年に千葉大学の大学院を修了後、新卒でヤフーに入社し、そこから6年と9ヶ月間ソフトウェアエンジニアとして働いてきました。途中合計で9ヶ月程育休を取得したので、実際に仕事をしていた期間としては6年程になります。

1月6日に最終出社を終え、1週間程の休みを挟んで1月15日からはウーブン・バイ・トヨタ(Woven by Toyota)という会社で働きます。なお転職活動についての詳細は別途記事を書く予定です。

謝辞

まず始めに、LINEヤフーおよびPayPayでご一緒させていただいた皆様、この度は大変お世話になりました。素晴らしい方々に囲まれ、幸運な環境で働けたことを心より感謝しています。技術的にはインフラからフロントエンドまでフルスタックに幅広い経験を積むことができ、ビジネス面やデザイン周りでも多くの方と協業させていただき、大変貴重な経験になりました。本当にありがとうございました。

本記事の概要

私にとって今回の転職は人生の大きな転機となるため、このタイミングで自分のためにソフトウェアエンジニアとしてのキャリアを振り返り、今後についてじっくり考えておきたくなりました。また、私自身これまでたくさんの方の書かれた本やブログを読んで自分のキャリアの参考とさせていただいてきたので、私の経験も他の誰かの参考になることもあるかもしれないなと思い、きちんとまとめておくことにしました。以下のようなことを書いています。

  • ヤフー入社前にやってきたこと

  • LINEヤフー(PayPay)でやってきたこと

  • 私が思うLINEヤフーの素晴らしいところ

  • なぜ辞めるのか、転職活動に至った経緯


想定する読者

本記事は以下のような方の参考になればと考えています。

  • これからソフトウェアエンジニアを目指す方

  • まだソフトウェアエンジニアとしてのキャリアを始めたばかりの方

  • LINEヤフーやPayPayで働いた人の実体験に興味がある方


注意点

公開情報以外やその他会社の不利益となる内容は一切含めておらず、私自身の経験を抽象化してまとめています。全体を通して建設的でポジティブなトーンを心がけており、キャリアアップの参考となるように一部で昇級について触れる箇所もありますが、具体的な給与については触れていません。

文中に出てくる書籍のリンクはAmazonアソシエイトのリンクです。



ヤフーに新卒入社するまでの経緯

福岡から上京、大学生活の始まり

私は千葉大学工学部情報画像学科 (現在の「情報工学コース」)の出身です。地元は福岡ですが、地方民なら誰もが一度は思うだろう「日本の中心に近づきたい」という憧れが私にもあり、関東で進学先を探しました。ただ家計が厳しかったため、次の条件を満たす大学を探しました。

  • 国立大学であること

  • 大学寮に入れること

  • 奨学金と教育ローンで学費と生活費を賄えること

実は学費はほぼ全額免除でした。私が優秀であるわけでは決してなく、半年に一回「家が貧乏だから授業料を免除してください」という申請を出せば、よっぽど酷い成績でなければ通る感じでした。国公立大学であれば大体はこういう免除制度が用意されています。

なんでこんなことを書いているのかと言うと、私自身、高三の秋に地元の友達のお兄ちゃんが筑波大の近くに下宿してバイトを頑張ってなんとかやってる話を聞くまで遠方に進学するなんて到底無理だと思っていたからです。だから、この記事を見た家計が厳しい高校生の誰か一人でも「自分にもできるかもしれない」と感じてもらえたら嬉しいです。

大学生活

大学生あるあるだと思いますが、浮かれてばかりで1~2年生の頃は正直言って勤勉とは言い難い生活を送っていて、特にプログラミングは苦手な部類でした。当時1年生の必修のC言語の授業が全然楽しめず、後期の選択科目だったJavaの授業は選択すらしなかったことを覚えています。

しかし、大学3年生で研究室に配属されると、物事をロジカルに整理したり、何かしら具体的な問題を解決するための手段としてのプログラミングに少しずつ興味を持つようになりました。今後のキャリアについて真剣に考え始めた頃、どうしても海外留学したいという気持ちが強まりました。そのために英語学習に力を入れ、院試を受け、千葉大学院に進学。さらに「トビタテ留学Japan」の給付型奨学金を得て、フィンランドの東フィンランド大学に1年間交換留学をすることになりました。

ちなみに、英語学習についても近日中に別途記事を書く予定です。

フィンランドに交換留学

奨学金の条件で通常の授業に加え実地活動が必要だったため、現地の大学の教授の伝で現地でe-learningシステムを開発しているWeb開発企業を紹介してもらい、面接を受け、運良くインターンシップを行えることになりました。当時は英語もWeb開発も未熟だった私は、自分の未熟さを痛感する日々を送っていましたが、少しずつ英語とプログラミングの両方に成長を感じられるようになりました。

帰国後はRuby on Rails等で個人でWeb開発をするようにもなり、ハッキリとWeb開発に携わる企業に行きたい、一人でもサービスを作れるようなフルスタックエンジニアになりたいと思うようになりました。

日本でのインターンと就活

帰国後、日本でもインターンを経験したいと思い、リブセンスやリクルートでのインターンに参加しました。リクルートではデータサイエンティストの業務を体験しましたが、自分がやりたいのはどちらかと言えば研究ではなく開発で、特にWebサービスやアプリを通じて生活に直接関わる目の前の課題を解決したいという思いが強くなりました。

就活では、同期がよく受けていたSIerや通信、メーカー、ゲーム会社等は受けず、生活に関わるWebサービスやアプリ開発を行っている企業のみを受け、第一志望だったヤフーに内定をいただきました。当時私の技術力は未熟でしたが、ヤフーは当時「ポテンシャル採用」を掲げており、技術力以上に成長可能性を評価していただけたようです。

内定後〜大学院修了まで

内定後、入社までの約1年半は技術力を磨く期間と捉え、友人とWebサービスを開発・運用したり、プログラミング教室でアルバイトを始めたりしました。この間、応用情報技術者の資格も取得しましたが、競技プログラミングやSNSで活躍する他のエンジニアたちと比べて上には上がいるということばかりを意識させられていたので、なんとなく自分は技術だけで食っていくには心許なく、5年くらいソフトウェア開発をやったらマネジメントの方にシフトしていくんだろうなと思っていました。エンジニアが根本的に向いてなければ他のキャリアに方向転換する可能性もあると思ってました。この考え方は後に大きく変わることになります。

LINEヤフー(PayPay)在籍中の振り返り

新卒入社からの1年間 (2018年4月 ~ 2019年6月)
新卒で入社してから最初の3ヶ月間は、基本的な技術(LinuxやJavaなど)やグループ開発に関する研修でした。仲の良い同期もでき、非常に楽しい時間を過ごすことができました。その後決済関連のサービスに仮配属され、3ヶ月間のOJTが始まりました。「早く実際に業務として役に立つような開発をしたい」と強く感じていたため、積極的にアウトプットを出すように心掛けていました。

最初は右も左もわからない状況でしたが、基本的な運用業務から取り組み、まずは誰でもできるような仕事から積極的に手を挙げてやっていきました。即レスも心がけていました。また、PHPからJavaにメインの開発言語が移行し始めたタイミングだったので、ちょうどJavaでの開発研修を受けたばかりの私にとって、ガツガツコードを書くには絶好のタイミングでした。決済関連の部署ということもあり、チームとして変更しやすい設計や丁寧なテスト実装を意識していたため、この時期に「高品質なソフトウェアを開発する姿勢」が形成され、その後の仕事にも大きな影響を与えています。

新卒であっても「やりたいこと」を任せてもらえる環境があり、OJTの終了後はすぐに大きなリプレイス案件を担当しました。この時、単に指示通りにコードを書くのではなく、タスク分解、見積もり、設計、開発、テスト、リリース、そしてその後の運用まで、ソフトウェア開発に関わる全ての工程にオーナーシップを持って取り組みました。振り返ると、最初にこうした技術メンバー主導のリプレイス案件を任せてもらえたことは非常に幸運で、全体の開発工程を俯瞰する視野を早期に得ることができました。

あっという間に半年が経ちました。ネットにもゴロゴロ転がっている情報なので書いちゃいますが、今のLINEヤフーはG1~G6というグレードに分かれており、当時のヤフーも似たような形でY1~Y5というグレードに分かれていました。当時は学部卒はY1の何か、修士卒もY1の何か(学部卒よりは上のランク)で始まるような形でしたが、最初の評価でY2(現在のG2に相当)まで昇級することができました。

これは私の意見ですが、Y1は一般的にはジュニアレベルを指し、「サポートを得ながら小規模なタスクを遂行できる」くらいのレベル感かと思います。Y2はミドルレベルのエンジニアを指し、「独立して小規模なタスクを遂行できる」くらいのレベル感かと思います。

新卒の最初の評価でこのように一気に昇級するのは珍しいとのことでしたが、恐らく私の主体性や積極性が評価された結果かなと思います。この時期に周りからの評価が増え、「自分はソフトウェアエンジニアとして向いているのかも」と自信を持てるようになりました。ちなみに、給与に関する情報ですが、LINEヤフーの新卒採用の開始給与は現在504万~となっており、2018年当時よりも50~100万円程度上がっていると思われます。また、最近は若手の昇給にも積極的に取り組んでいるため、今後入社する方々は、より良いスタートダッシュを切れる機会が増えているのではないかと思います。

2年目にPayPayの全社公募に応募して出向(2019年7月 ~ 2020年6月)

ちょうど私が入社した2018年にPayPayが立ち上がり、私が配属された部署はかなりPayPayとの関わりが強い部署でもあったことから、何もかもがPayPay中心に回っている空気がありました。今となってはほぼPayPay一強に落ち着いていますが、当時はOrigami PayやLINE Pay、メルペイなど、競合が激しく、日本中で「◯◯Pay」が登場した時期でもありました。PayPayはインド最大の決済サービスであるPaytmと連携していたため、比較的国際的で英語でのコミュニケーションも求められる環境とのことだったので、これ以上面白い環境はないと思い、チャンスがあれば絶対に行ってやろうと新卒の配属直後から考えていました。

私が2年目に入った直後に全社公募があり、すぐに応募を決めて面接を受け、2019年の7月からの出向が決まりました。偶然にも最初の配属先が決済関連のサービスだったこと、また英語にある程度の自信があったことが、出向への道を開いてくれたと思います。今思えば、新卒の正式な配属からはまだ半年ちょっとしか経っていないのに全社公募に応募するなんてあまりに早過ぎるなと思いますし、伝統的な企業だと「もうちょっと経験を積んでから」と言われそうな気もします。こういった、積極的な挑戦を快く受け入れる風土があるのは本当に素晴らしいなと改めて思います。

PayPayでは本人確認や支払い方法の管理、銀行マスタやメンテナンスの管理といった機能の開発と運用を担いました。新しいシステムを0から作っていく流れはここで深く学びました。特に当時配属されたチームのテックリードが本当にめちゃめちゃ優秀な方で、設計開発はもちろん、他チームやビジネスサイドとの関わり方、ミーティングでの振る舞い方など、非常に多くのことを学びました。今でも私の目標の一人です。

ちなみに、ヤフーや現在のLINEヤフーでも「リーダー」といえば主に人やチームのマネジメントが中心となりますが、国際的なソフトウェア開発組織における「テックリード」は技術面で中心的な役割を担い、コーディングの機会は減るものの、チームとのコラボレーションやソフトウェア設計、コードレビューに深く関わります。このような役割は、特に「スタッフエンジニア」と呼ばれる役職の人が担うことが多く、この辺は「スタッフエンジニア マネジメントを超えるリーダーシップ - Will Larson」に詳しく書かれています。

出向後の4~5ヶ月間本当にガムシャラにソフトウェア開発に従事し、一区切りついたタイミングで今度は私がテックリードを任されました。テックリードといっても私はまだ2年目のペーペーで所謂ミドルレベルに昇級したばかりでしたし、私が未熟だったことは言わずもがなです。当時まだ立ち上げから1年ちょっとしか経っておらず組織の規模も小さかったので、そういったスタートアップ的な組織ならではの人事だったのだろうなと思います。当初は、私が唯一の日本人メンバーで英語でのコミュニケーションが大変でしたが、優秀なメンバーの支えもあり、なんとか業務を進めることができました。しばらくしてコロナによるパンデミックの影響でフルリモート勤務となり、まだルールの整備が追いついておらずコミュニケーションの頻度が減ったことでより難易度の高い状況になりました。

出向当初は半年間のプロジェクトとして応募したものの、テックリードを任せていただいたこともあり、出向期間を延長していました。しかし、出向から1年後には転籍かヤフーに戻るかを選択するタイミングが訪れました。まだヤフーで携わってみたいサービスがあったこと、ヤフーのメディアのWebフロントエンド領域の開発をやりたかったこと、当時結婚したばかりでもう少し私生活の方に時間を割きたかったこと、等他にも多くの理由からヤフーに戻る決断をしましたが、その後もPayPayに転籍していた場合のキャリアについて考えることはありました。それでも、結果的にはヤフーに戻って自分がやりたかったことは実現できたので、良い決断だったと思っています。PayPayで関わった皆様には、私の未熟さゆえにご迷惑をおかけしたこともあったかと思いますが、支えていただきありがとうございました。

ヤフーに戻ってからの2年弱 (2020年7月 ~ 2022年3月)

元いた決済関連のサービスにまた戻ることになり、再び主にリアーキテクチャ関連の開発に従事することになりました。またバックエンドの開発が多かったですが、やりたかったWebフロントエンドの開発にも携わることができました。

ここでもまた素晴らしい先輩に恵まれました。その方は育児の関係で1日6時間の時短勤務をされていたのですが、担当している開発業務に加え、後輩や業務委託の方々のレビューやサポートを超爆速でこなし、夕方16時には颯爽と退勤されていました。プライベートも大事にしつつ、個人だけでなくチーム、さらには部署横断的なビジネスの成果にも大きくコミットし、常に先を見据えた長期的な視点で日々の業務に取り組まれていました。業務効率が圧倒的で、残業どころか時短勤務をしながらも高い成果を上げているその姿に非常に感銘を受けました。この方も私の目標の一人です。

この時期に、私の理想とするシニアエンジニア像が固まってきました。入社前に考えていた「マネジメント」路線よりも、IC(Individual Contributor)としてソフトウェア開発に深く携わる道を選びたいという強い思いが芽生えました。

その後、メンバー構成が大きく変わり、転職や異動、新卒メンバーの加入などがありました。特に後輩や業務委託の方々が増えたことをきっかけに、素晴らしい先輩方を見習って、レビューやサポート業務にもさらに積極的に取り組むようになりました。この経験を通じて、チームや個人の成長を促す役割に魅力を感じるようになり、小規模プロジェクトをICとしてリードするような役割も増え、昇級も順調に進みました。この頃にはY3(現在のG3、シニアレベル)に昇級しました。

GAFAの面接を受けて惨敗

ヤフーに戻ってきて一年ほど経った頃、業務に少しマンネリ感を感じ、新たな挑戦をしたいという気持ちから、たまたま求人が出ていた二社のGAFAの転職面接を受けてみました。結果は惨敗に終わったのですが、この経験を通じて、自分に足りない部分を深く自覚する良い機会となりました。特に以下の点が足りなかったことを痛感しました。

  • 大規模案件で自分が主となって設計開発する経験

  • 英語力 (特にスピーキング力)

  • LeetCode力(問題を解くだけでなく、英語での解説力も含む)

一社はHiring ManagerのいわゆるBehavioral interview(振る舞いに関する面接)で落とされてしまいました。「あなたが担当したセキュリティ対策について説明して」や「テックリードの経験は分かったけど、最近はどのような開発をしてきたの?」という質問を受け、その後深掘りされる質問に自信を持って答えることができませんでした。これまで技術的に高い難易度のプロジェクトも経験してきたつもりでしたが、それを適切に伝えることができなかった自分に大きなショックを受けました。

また、直近の業務ではそのドメイン領域に特化した運用作業や他メンバーのサポート業務の割合がかなり大きくなっていて、いわゆるSTAR(Situation, Task, Action, Result)で語れるような経験をあまり積めていないことにも気づきました。

アルゴリズムとデータ構造の問題を解くこと自体は好きなものの、Webサービス・アプリ開発と比較するとそれほど得意ではなく、時間をかけてコツコツ勉強するしかないなと思いました。ただそれよりもまず、しっかり自分自身で設計してコードを書いて世にリリースする経験をもっともっと積むことが何よりも必要だと思いました。

そろそろ環境を変えるタイミングだなと思い、ジョブチェンという当時の社内異動希望制度を使うことにしました。ジョブチェンも全社公募と変わらず面接を受けて問題なければ異動といった感じでした。

メディアにジョブチェンしてから3年弱 (2022年4月 ~ 2024年12月)

国のシステムと連携して行政手続き情報をまとめたり、各地の自治体や県警と連携して災害や防犯関連の情報を配信するサービスを担当するチームに異動しました。この頃に妻が妊娠したり、在宅勤務が主になり郊外に引っ越したりしたこともあり、より身近に感じられるサービスに携わりたいと考えました。比較的新しいチーム(2019年設立)で開発が盛んであると思われたこと、またReactやNext.jsを使ったWebフロントエンド開発に携われる点にも魅力を感じました。

配属された時期は品質改善が急務で、これまで決済領域で培ってきた品質意識がすぐに役立ちました。以降2〜3年間、フロントエンドからバックエンドまで多くの設計・開発を担当し、優秀なリーダーやメンバーの皆様に恵まれ、多くのことを学びながら自分自身のソフトウェアエンジニアリング力を磨くことができました。特に2023~2024年は自己組織型のチームとしてかなり成熟していて、非常に多くのプロジェクトを高品質かつ爆速で仕上げることができました。中〜大規模プロジェクトのリード役を任されるようなことも増えました。異動前に既にシニアレベルに達していたのであまり昇級は期待していませんでしたが、その後も順調に昇級しG4になりました。

この期間に2人の子供が生まれ、合計で9ヶ月間の育児休業を取得しました。職場からネガティブな反応は一切なくとてもスムーズでした。こういったホワイトな組織作りをしてくださっている会社の方々はもちろん、日本の素晴らしい社会福祉制度にも非常に感謝しております。このおかげで、私は人生においてとても大きな財産となるような貴重な時間を家族と過ごすことができました。

しかしながら、長期間の育休を取るということはそれだけキャリアにブランクが発生することにもなります。誰かがそういった現実的なアドバイスをくれることはありませんが、現実としてはそうです。私もこの決断によって逃したチャンスもあると思います。そういった焦りはあったので、隙間時間に学習する習慣は常に維持するようにしていました。

LINEヤフーの素晴らしいところまとめ
ここまで長々と書いてきましたが、私が思うLINEヤフーの素晴らしいところを改めてまとめると以下の三点です。

  • 実力主義の評価

  • チャレンジを受け入れる雰囲気

  • 超ホワイト勤務

LINEヤフーは実力主義で、成果を出せば若手でもドンドン昇級します。年功序列といった雰囲気はなく、Pay for performanceを忠実に守ってくれている会社だと思います。振り返ってみると、次のレベルを満たすような成果をコンスタントに出せるようになった頃には昇級に反映いただけていたように思います。

また、異動や希望する案件に関しても柔軟に対応してくれるため、積極的に挑戦したい人には最適な環境だと思います。勤務も2025年1月現在ではフルリモート & フルフレックスで非常に柔軟でした。

フルリモート勤務について

LINEヤフーがフルリモートを廃止する件で少し炎上していたので、実際に私が経験してみた感想も書いておこうと思います。

フルリモート & フルフレックス の環境には、特に子供が産まれてからは非常に助けられていて、例えば午前中に病院に連れて行って午後から働くとか、夕方に中抜けして風呂飯寝かしつけを済ませてから戻るとか、状況に応じてかなり臨機応変に勤務させていただき、私だけでなく家族全員で感謝しておりました。これによりプライベートの時間を使ってサイドプロジェクトに取り組む時間も確保することができ、iOSアプリをリリースすることもできました。読書習慣も定着し、自己投資に使う時間が増えたことでより一層業務効率も上がるという、非常に良いサイクルを作ることができました。

私個人が個人の業務を進める上では何の支障も感じていないのですが、一方でフルリモートだと一緒に働く人たちと仲良くなり辛いことは、なんというかちょっと寂しく感じていました。なかなか感情が読み取れないし、複数人で同時に話すこともできない。1on1を重ねたメンバーとはそれなりには親しくなれるけども、他の多くのメンバーでオンラインだけの関係性の人と親しくなることはありませんでした。挨拶も雑談もほとんどないので当然と言えば当然です。もっとも、これは私が積極的にコミュニケーションを取っていけば解決できた問題かもしれませんし、それが難しいことこそが課題とも言えます。

例えば、毎日出社していた頃は業務では週に一回30分同じミーティングに参加するだけの関係性だけど、会えば立ち話をするような仲になった人がそれなりにいました。物理出社していると、こういう自分で計画していないコミュニケーションが突発的に発生することが多々あって、そういうちょっとしたコミュニケーションの積み重ねが仕事に活きて集団のパフォーマンスを上げることもあったと思いますし、何より人生をより豊かにするんじゃないかなと思うようになりました。

とはいえプログラマは一人でパソコンと向き合って過ごす時間もかなり長い職種ですし、やっぱり毎日出社するのは合理的じゃないので、週2〜3回のオフィス出社が個人とチーム双方にとってちょうど良いんじゃないかなと今は思っています。

なぜ辞めるのか、転職活動に至った経緯

私は、同じ環境に1年以上いると成長のペースが鈍化し、2〜3年を超えると新たな挑戦をしない限り成長が停滞してしまう傾向があると感じています。現在の職場では一定の成果を出しある程度やり切った感があり、新しい挑戦も中々見つけられなくなってきました。そんな中、以前から興味を持っていた企業のリクルーターさんからお声がけいただき、次のステップを考える良いタイミングだと思い、面接を受けることにしました。

「転職」という形をとる上で、個人のキャリア形成の観点では特に以下二点を重視していました。

  • 国際的な環境で英語を使って働き海外にもプロダクトを届けたい

  • IC(Indivisual Contributor)としてキャリアアップしより裁量を持って働きたい


国際的な環境で英語を使って働き海外にもプロダクトを届けたい

留学経験を経て、私はずっと国際的な環境で英語を使って働くことに強い憧れを持ってきました。特に、日本国内に留まらず、日本から海外市場にも影響を与えるプロダクトを手がけることが私の大きなキャリアの目標でした。また、英語学習に多くの時間を使ってきてそれなりには話せるようになったのに、日常的に英語を話さない環境で過ごすことがもったいないと感じることもありました。とはいえ新卒入社する頃は技術力に自信がなかったので、しばらくの間は技術力を磨くという点を最優先に考えていました。

現在の環境では、基本的には日本市場特化のサービスが主軸であり、私には英語を使う機会や海外市場への関与が限られていました。そのため、英語力を活かしながら成長し続けられる環境を求めていました。

IC(Indivisual Contributor)としてキャリアアップしより裁量を持って働きたい

現在、シニアレベルのエンジニアとして一定の成果を出しているものの、さらにキャリアアップするためには、「より大きなスケールでの活躍」や「社内外で通用するレベルの貢献」が求められます。こういった貢献について考える時、リーダーや部長といった管理職を目指すルートであれば比較的想像しやすくロールモデルもたくさんあるのですが、ICとしてのキャリアアップを考えると私の身の回りでは身近に感じられるロールモデルを見つけることが難しく、今後どう動いていけば良いのか分かりませんでした。もちろん社内にも社内外で素晴らしい活躍をされている方がいらっしゃることは存じ上げています。ただ、それぞれがオンリーワン的な存在であり、その成功モデルをそのまま参考にするのは私には難しいと感じました。

「スタッフエンジニアの道 ―優れた技術専門職になるためのガイド - Tanya Reilly」等の書籍から、国際的な比較的規模の大きい組織では「ジュニア→ミドル→シニア→スタッフ+」などICとしてのキャリアパスをより明確に用意し、ICとしての成長を支援する文化が根付いている印象を持ちました。私は、そうした環境の中でシニアやスタッフレベルのエンジニアに学びながら、自身の専門性をさらに磨き、貢献の幅を広げていきたいと考えています。


転職活動やその準備についての詳細はまた別記事を近い内に書きます。

最後に

LINEヤフーおよびPayPayでご一緒させていただいた皆様には、これまでの経験を通じて多くの学びを得る機会をいただき、本当に感謝しています。今後は一ユーザーとして、LINEヤフーのさらなる発展を楽しみにしています。

また最後に私個人からお知らせです。私は、特に学生の頃までは自分の将来のキャリアについてかなり長い期間悶々と思い悩んでいたので、同じような課題を抱える方を支援したいという思いがあります。そこで、プライベートの時間を活用して、サイドプロジェクトの一つとしてキャリア支援や学習支援に役立つ何かしらのプロジェクトを進めたいと考えています。今後は、Webやスマホアプリの形でサービスを提供することを目指していますが、まずは無料で相談に乗ることから始めたいと考えています。

もしこの記事を読んで、私に質問や相談したいことがあれば、ぜひ以下のGoogleフォームやSNSでお気軽にご連絡ください。今月から少し忙しくなるため即レスは難しいかもしれませんが、可能な限りお答えしたいと思います。


最後までお読みいただきありがとうございました。


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集

コメント

ログイン または 会員登録 するとコメントできます。
お年玉ポイントキャンペーン noteで記事を買うと 抽選で最大全額戻ってくる 1/9(木)まで 条件・上限あり
6年勤めたLINEヤフーを退職します|Toshimitsu Kugimoto
word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word

mmMwWLliI0fiflO&1
mmMwWLliI0fiflO&1
mmMwWLliI0fiflO&1
mmMwWLliI0fiflO&1
mmMwWLliI0fiflO&1
mmMwWLliI0fiflO&1
mmMwWLliI0fiflO&1