なぜ「日本兵2万人超」が玉砕したのか…米軍が硫黄島の「滑走路」奪取にこだわった事情

なぜ日本兵1万人が消えたままなのか、硫黄島で何が起きていたのか。

民間人の上陸が原則禁止された硫黄島に4度上陸し、日米の機密文書も徹底調査したノンフィクション『硫黄島上陸 友軍ハ地下ニ在リ』が13刷ベストセラーとなっている。

ふだん本を読まない人にも届き、「イッキ読みした」「熱意に胸打たれた」「泣いた」という読者の声も多く寄せられている。

硫黄島の滑走路と95%戦死の背景

硫黄島の戦い──それはすなわち“滑走路を巡る戦い”だった。

歴史に「もしも」はない。しかし、仮にこの島に滑走路がなければ、日米両軍が激突する地上戦は勃発しなかっただろう。戦時中、硫黄島に隣接する父島や母島にいた僕の祖父が生還できたのは、父島にも母島にも滑走路整備に適した平地がなかったからだと言える。

1944年夏。米軍は日本軍から奪取したサイパンに、日本本土爆撃の一大拠点を築いた。サイパンから本土までの直線距離は二千数百キロ。硫黄島はサイパン―東京間の直線上のちょうど中間にある。米軍が硫黄島の滑走路を奪う利点は大きかった。

利点の一つは爆撃機の護衛だ。護衛戦闘機を硫黄島に多数進出させ、サイパン発の爆撃機をここから護衛させれば、より低空からの本土空襲が可能になる。それに伴い、爆撃の精度を格段に向上させられるようになる。

二つ目の利点は、爆撃機や搭乗員の損失の抑制だ。本土爆撃の作戦の帰路、サイパンに辿り着けず、海に着水したり、墜落したりした機体は多かった。そのため、米軍は搭乗員と機体の損失を防ぐため、緊急着陸できる滑走路が必要だった。それに適していたのが硫黄島だった。

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