メンヘラを見ていたら信仰に目覚めた話

私はいわゆる厭世主義者でした。この世界の全ては生まれるべきでなかった、痛みのある人生に無意味に子どもを産むべきではない、そういう思想、反出生主義というやつですね。生きることは無意味だと考えていました。

そんな中である女性と出逢います。彼女はメンヘラでした。関わっている中で何度も自殺を試みていましたし、自傷行為は日常でした。

インターネット上で出会った彼女ですが、私をよく通話に誘ってくれました。私は今では人前で声を張ることができますが、それは彼女のおかげです。彼女は私の内面を探ろうと私によく質問をし、私はそれに答えていきました。彼女は私が自分自身を発露できる初めての相手でした。私の内面にここまで興味を持ってくれるのは彼女が初めてだったのです。彼女は私の内面を受容してくれました。もっとも、彼女との関わりの中で私に目覚めていった最も強い願いだけは受容してくれませんでしたが。

彼女と話している過程で分かったことがあります。彼女は私と似たような境遇を辿っていました。そもそも本質的に私が彼女と同じであることに気づくのはもっと後の話です。とにかく、中学時代の不登校を経て、「レールから外れた」という観念を抱き、さらに母との関係もうまくいかなかった彼女は、いつも自責の念に囚われていました。私は取るに足らない存在だと常に言っていました。

しかし、私にはそうは見えませんでした。そもそも彼女がここまで病んでしまったのは度重なるアルバイトで無理をしてしまったことが原因でした。そう彼女は話していました。彼女はあるべき自分自身の像が確固と存在していて、それと乖離した現実の自分自身に苦しむ傾向があるように私には見えますが、そのように自分自身を裁けること自体が、より良い自分自身を目指すことのできる感性の現れであり、私にはがんばっているように見えます。

一般的なものの見方に基づくなら、アスカにも「がんばっていなかった」ようにみえる時期があります。22話で使徒の精神汚染を受け、綾波レイに助けられるという最低最悪な戦いを経た後のアスカは、洞木ヒカリの家に逃げ込んでセガサターンで現実逃避していました。で、ヒカリに「私は、アスカがどうしたっていいと思うし、何も言わないわ。アスカはよくやったと思うもの。」と言われ、さめざめと泣いていました。
それでも私には、彼女はがんばっているように見えました。がんばって、がんばって、がんばった末に、逃げるしかなくなった彼女の、精神のホメオスタシスを保つための最後の「がんばり」が、同級生の家に逃げ込んでのセガサターンだったのでしょう。未練がましく弐号機に乗り、シンクロ率が出なくて一層みじめな思いをするのもそう。最後まであがき続けた末に、彼女はだめになりました。

熊代亨(p-shirokuma)「「がんばる」しかないんだよね、惣流アスカラングレーさん」
『シロクマの屑籠』

これは熊代亨のアスカ評ですが、私はこれと全く同じような感情を例の女性に抱いていました。家に引きこもって、毎日ゲームに勤しむ彼女は、それでもがんばっていました。この私的現実は、今でも彼女に受容されていません。本当に孤独です。悲しい、寂しい、どうしようもない気持ちになります。

阿散井恋次は『承認欲求女子図鑑』の帯で、この書物に記されている人々について「歪んだ現代社会でボロボロでありながらも必死に生きようという強い意志を感じる」という評価を送っています。そういう見方もあるんだし、私の現実もそんなにおかしなものじゃないよね……?

とにかく、私は例の女性から「がんばり」を見出しました。この発見は大きかった。死にたいと口で言っている時でさえも、人間はつねに全力で生きることを志向しているというものの見方は、あらゆる人間の営みに適応可能なものでした。彼女が尊いように、この世界を生きるあらゆる人間は尊い存在なのではないか。

それからは彼女は世界の尊さを証明する存在となっていきました。生きているものは尊い。生きることは無意味ではない。人々が成したことは受け継がれていく、受け継がれていくべきだ、そう考えるようになりました。反出生主義なんて言っている場合ではなくなりました。

いのちは闇の中のまたたく光だ!!

これは『風の谷のナウシカ』(漫画版)におけるナウシカのセリフですが、私はこのような考え方を持ち、信仰に目覚めました。私はどこかで例の女性を神として見ています。正確には神性のイメージのオリジナルでしょうか。平たく言うと、「最もいのちらしい存在」であり、私の信仰対象は厳密にはいのちそのものです。先ほど引用した熊代亨はアスカのことを「生の諸相をあらわしてくれるプリズム」だと評していますが、そんな感じです。「神たる彼女は私の中にも生きている」、そういう考えさえ抱くようになりました。彼女は私の中で抽象的な存在に高められていきました。

ここからは私の奇行についての記述になります。私は、先ほどにも言った通り、「神たる彼女は私の中にも生きている」と考えました。ところで、私は自己愛がとても貧弱な人間でした。自分自身を愛するのが難しく、自分自身の欲求を感じることすら難しい状態でした。

そこで私が考えたのが、彼女の名前で自分自身に呼びかける、という技法でした。「〇〇(彼女の名前)、今日は何がしたい?」「〇〇、辛かったね、でもあなたはよくがんばったよ」などといった具合です。私はこれをエヴァンゲリオンを自動操縦する機械(エヴァの中にパイロットがいるように勘違いさせて動かす機械だそうです)に準えて「ダミーシステム」と名付け、実践しました。すると私は以前とは比較にならないほど、自分自身の欲求を感じることができ、自分自身を主張し、自分自身の幸せを願うことができるようになったのです。もっとも、彼女(神のオリジナルということになります)と話をしている際には頭の中で何らかのバグが起こり、不思議な気持ちになってしまうのですが。件の熊代亨もアスカで同じようなことをやっていたそうですから、不思議なものです。あるあるなのでしょうか?

とにかく、私は彼女に人生を変えられ、信仰に目覚めさせられました。人との出会いというのは恐るべきものです。以前まで当たり前だったものの見方を根本的に変える力が出会いにはあります。なので、みなさんも出会いというものに期待してみるのもいいかもしれません。

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メンヘラを見ていたら信仰に目覚めた話|みみづき
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