DJになる夢に破れ、Webデザイナーなどを経てパンで商売をすることにした平田はる香さん。移動販売から実績を積み、「人々が健康になる社会へ」をビジョンに掲げる会社「わざわざ」を、年商3億円超の企業に育てあげた。「わざわざ」が売るのは、パンと約2500種類の日用品。「挫折を繰り返してきた私に唯一できたことが、パン屋だったんです」と語る平田さんに、山の上に店を開いたいきさつや、店を急成長させた秘訣を聞いた。

 八ヶ岳や北アルプスなどに囲まれた、長野県東御市(とうみし)の山の上に建つ「わざわざ」。良質な素材を使って焼かれた2種のパンと、2500アイテムもの日用品を販売するこの店には、交通の便の悪さをものともせず来店客がひっきりなしにやってくる。平田はる香さん(47歳)は、「わざわざ」を年商3億円超の企業に育てあげた創業者。「生きる中でぶつかったさまざまな違和感に向き合い、それを解消するための道を探り、つくり上げてきた居場所が『わざわざ』です」と語る平田さん。キャリアのスタート地点はDJだった。

「食べるだけなら、パンよりも実はごはんの方が好き」と平田さん。「発酵という過程を経るパン製造はより化学的で、単に炊くだけのごはんより面白い。もともと調べたり、突き詰めて考えたりするのが好きな私には、パン作りは実験のように興味深く、楽しいものでした」
「食べるだけなら、パンよりも実はごはんの方が好き」と平田さん。「発酵という過程を経るパン製造はより化学的で、単に炊くだけのごはんより面白い。もともと調べたり、突き詰めて考えたりするのが好きな私には、パン作りは実験のように興味深く、楽しいものでした」

DJを目指すも、挫折…何もかもが嫌になり、長野へ

 「融通が利かない性格で周囲になじめず、夢中になれることもない子どもでした」と話す平田さん。地元の高校を卒業後、「とりあえず東京に出たい」と通ったのは、スタイリスト専門学校。卒業後、人生で初めて「これをやりたい」と心を奪われたのがDJだった。「六本木のクラブでDJを見て衝撃を受け、『自分がかける音楽で人を楽しませながら生活ができたらうれしい。DJを目指そう』と決めました」

 「『対等でない関係』を受け入れられず」、周囲にいた多くのDJ見習いのように、“上の人”に弟子入りする道を選べなかった。出版社のアルバイトで稼いだお金でレコードを買ってDJの練習に励み、クラブを借りて音楽イベントを企画。DJ活動について発信したいと、独学でWeb制作のスキルも体得した。

 だが実力次第だと思っていたDJの世界にも、違和感の種はあふれていた。クラブのオーナーからは「もっと女を武器にして」と、女性らしいメイクや服装を求められた。大手レコード会社からCDリリースの誘いも受けたが断った。「周囲には『もったいない』とあきれられましたが、違和感をのみ込んでまで、のし上がろうとは思えなかった。気持ちがふさいで何もかもが嫌になり、長野県に移住しました

「やりたいことを探す」より「できることを掛け合わせる」

 「ふつうと言われる生き方」をしてみようと、28歳で長野県内のシステム会社に就職し、Webデザイナーに。仕事は楽しかったが、頑張って働いても残業代が出ない状況に疑問を感じた。改善を求めても受け流され、「目をつむることはできない」と、3年勤めた後に会社を辞めた。

 なぜ人生がうまくいかないのか。たどり着いたのは「やりたいことを探し、その道で生きるという考え方が根本的に間違っていた」、との答えだった。「小さいときから『将来、何になりたい?』と聞かれ、『好きなことを追求するのが人生』と刷り込まれてきたけれど、やりたいことで成功できる人はまれ。自分の欲を追求し、『やりたいこと』に挑むのはもうやめよう。これからは『できること』を掛け合わせ、人の役に立てることを仕事にする、と決めました」

2023年にオープンしたコンビニ型店舗「わざマート」と体験型施設「よき生活研究所」の外観。製麺工場として使われていた東御市内の建物を17年からオンラインショップの物流倉庫として借りた後に買い取り、現在の形にリノベーションした
2023年にオープンしたコンビニ型店舗「わざマート」と体験型施設「よき生活研究所」の外観。製麺工場として使われていた東御市内の建物を17年からオンラインショップの物流倉庫として借りた後に買い取り、現在の形にリノベーションした