表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Re:ゼロから始める異世界生活  作者: 鼠色猫/長月達平
第八章 『ヴィンセント・ヴォラキア』
644/709

第八章28 『帝国の兄妹』



 沸々とした予感はあった。

『星詠み』のウビルクが、帝国を救うための光になると彼女を指名したとき、ない頭を懸命にひねって考えに考えた。

 いったい、彼女の何を以てして蘇った死者たちの天敵となり得るのかと。


 彼女の、いったい何が他の人間と違うのか。

 優しい子であること。一生懸命であること。誰かのために踏ん張れること。その全部が素晴らしいけれど、その条件なら当てはまるものは他にもいる。

 そうではない、彼女だけが有する他の人が持たないスペシャリティ――。


「――『暴食』の権能」


 大罪司教であった過去と離別したくても、その十字架は彼女を決して逃がさない。

 その十字架から逃がさないことを、スバルは彼女に誓った。

 その十字架から逃げ出さないことを、彼女はスバルに誓った。


 ――故に、希望はそこにある。


「俺には、『怠惰』と『強欲』の権能がある」


 憎むべき魔女教、唾棄すべき大罪司教。

 ペテルギウス・ロマネコンティとレグルス・コルニアス、彼らが持ち得た権能は今、巡り巡ってスバルの内の内にある。

 何故、そうなったのか。まるで奴らからバトンを託されたみたいでおぞましくて、スバルはそこに深く向き合ってこなかった。しかし、それはもうできない。

 彼女のためにも、彼女を選んだスバルのためにも、向き合わなくてはならない。

 そして――、


「――お前がルイ・アルネブじゃなく、スピカって生き方を選ぶなら、俺がやってるみたいに、権能の使い方だって変えられるはずだ」


 物事は何でも表裏一体、どんな道具も使い方次第。――否、道具だけじゃない。

 その人間が善になれるか、悪に染まるか。最後の一線は、己で引くのだ。そうできない環境がある。でも、そうできる機会を与えられたのだから。


 ――『美食』のライ・バテンカイトス。

 ――『悪食』のロイ・アルファルド。

 ――『飽食』のルイ・アルネブ。


 与えられた力を振るい、世界に許されざる大罪人となったものたち。

 彼らと同じ力を持ちながら、世界に償いを続ける道を往く贖罪者。


「――『星食』」


 悪しき前例を作った、切り離せない兄弟姉妹。

 それらの前例を、星の名前を有した大罪人たちの行いを、贖罪者として喰らい直す。

 生まれたての、星を喰らう娘、『星食』のスピカ。


「――いああいあう」


 その『記憶』を虫に封じられ、土で作られた器で蘇ったモノの『名前』を呼び、真珠星の名を与えられた娘の『星食』が、伸ばした手、触れた指先で発動する。


 白い、何もかもが意味を持たない、空っぽな場所を知っている。

 全ての魂の、美しいものも汚いものもこそぎ落とされ、新しく生まれ直す場所を。


 その場所から引きずり下ろされたものたちの、役割を喰らう。

 二度と、その魂が誰かの食い物にされないように、その因果を喰らう。


 ――星の名を冠する大罪司教の行いを喰らう、『星食』が実現する。


「――おいおうああえいあ」



                △▼△▼△▼△



 瞬間、ラミアたちがまとめて風を浴び、動きが止まった。

 全身に焼ける傷口を晒したゴズ・ラルフォンは、その一瞬を見逃さなかった。


「――掴んだ」


 戦いの最中、四方八方から押し寄せる『陽剣』の脅威を浴びせられ、しかし、ゴズは炎に呑まれる具足を脱ぎ捨てて耐え抜いた。

 じっと攻撃を捌きながら、戦意の衰えないゴズは目を閉じ、音に身を委ねる。

『風除けの加護』のおかげで、相対するラミアの音に集中できる。二十人以上もいるラミア、その全ての音が同一で、ゴズは本当に恐るべき相手と対峙していると解する。

 だが、全てが同一のラミアにとって、ゴズとの相性は最悪だった。


 如何なる理由かは不明だが、ラミアたち全員がいっぺんに体勢を崩している。

 おそらくはヴィンセントに違いない。ゴズが忠誠を誓うヴォラキアの皇帝は、これほどの事態でも打開の一手を用意したのだ。感涙にむせび泣きたくなる。

 それを堪え、ゴズは手にした鎚矛を振り上げると、長柄の持ち手の中間をひねってそれを分解、打突部位と柄の二個に分け、柄で打突部位を強く打ち付けた。


 刹那、広がった音の衝撃波が、姿勢の崩れたラミアたちにだけぶち当たる。


「――――」


 ゴズの振り回す黄金の鎚矛は、槍のような長い柄の先端に球状の打突部位を組み合わせた代物で、ゴズ専用に鍛造された逸品だ。

 一振りで人間十人分も重さのあるそれは、ゴズの剛力と特別な耳と合わさることで、他者にはできない技――生命がそれぞれ持つ固有の振動に、同じ振動を音としてぶつける『遠吠え』を実現させるに至った。


 ゴズ・ラルフォンはその豪快豪胆な外見と裏腹に、風の音色さえ聞き分ける耳と、あらゆる楽器を繊細に演奏する天才の技量の持ち主。

 その必殺の『遠吠え』こそが、ゴズが『獅子騎士』と呼ばれる所以である。


 そのゴズの『遠吠え』が、戦いの中で固有の振動を掴んだラミアへ――否、ラミアたちへと襲いかかり、増えていた全員のひび割れが拡大、屍人の姫君たちが砕け散る。



 ――同じことは、ゴズの戦場とは別の車両でもそれぞれ起こった。


『陽剣』相手に炎では分が悪いと判断し、風の刃と土の雪崩でラミアと『剪定部隊』を相手していたロズワールも。

 獣化した剛力でラミアも『剪定部隊』も、そして竜車も区別なく、その獣爪で猛然と引き千切っていたガーフィールも。

 次々と壊される竜車を凍らせて補強し、作り上げた『剪定部隊』の氷像の群れを掻い潜ってラミアたちと戦っていたエミリアも。


 連環竜車に乗った全員が予期せぬ形で作られた一瞬を、見逃さなかった。

 誰が作るかはわからなくても、誰かが作ると信じた一瞬を、見逃さなかった。


 光り輝く『陽剣』を手にした、ラミア・ゴドウィンたちが、次々と砕かれ――、



                △▼△▼△▼△



「――っ」


「あううっ!」


 奥歯を噛み、身を回したラミアの長い足が、自分の背に触れた少女――スピカへと叩き付けられる。そのラミアの蹴りを受け、スピカの体が激しく吹っ飛んだ。スピカと手を繋ぐスバルとベアトリスも、一緒に、過剰なほど飛んでいく。

 理由はラミアの脚力以外にある。ベアトリスの『ムラク』で、スバルたちにかかる重力が極限まで減らされ、ピンポン玉のように軽くなっていたからだ。


「いけえ!」

「ゆく!」


 その、飛ばされるスバルたちの下を潜って、ユリウスがラミアへと踏み込む。

 彼は斬り倒した『剪定部隊』の塵を破り、虹を宿した騎士剣の刺突をラミアへと放った。極光を宿したユリウスの剣撃は、強兵の大鋏すらもプリンのように切り裂く。

 しかし、ラミアの手にする『陽剣』もまた、虹の輝きを宿したユリウスの剣以上の光と熱を放って、その刺突を真っ向から受け止めた。


 打ち合わせた剣と剣の間で光の爆発が起こり、ユリウスとラミアが互いに弾かれる。双方、即座に切り返して、次なる剣戟が――始まらなかった。


「……『選帝の儀』でも、一度も自分では手を下さなかったんでしょぉ?」


「――ああ、そうだ」


 唇を緩め、吐息のようにこぼしたラミアの言葉。それに応じたのは、彼女のすぐ後ろに立っているアベルだった。

 そのアベルの手には、刀身を半ばで溶かされた蛮刀が握られており、短くなった切れ味の悪い刃が、それでもラミアの体を背中から貫いていた。


「ようやく、血を分けた兄妹を手にかける気になったのねぇ」


 屍人の急所は心臓でも、頭部でもない。

 ベアトリスたちが見つけ出した、土の器の中で活動している核虫。それが壊されない限り、屍人の活動は停止しない。

 しかし、ゆらりと、その赤い刀身を床に向けた『陽剣』が落ちる。落ちた『陽剣』はその先端を床に突き刺す前に、空間に呑まれるようにして消えた。

 そしてラミアがそれを取り落としたのは、彼女の指先が崩れ、剣を握っていられなくなったからだった。


「――――」


 身をひねり、ラミアがその体に蛮刀を刺したまま、アベルの手を振り切った。

 そのまま、ふらふらと歩む彼女は死に体で、誰かが武器を取って、ほんの一突きするだけで粉々になってしまいそうだった。実際、ジャマルが溶けた双剣で斬りかかる素振りを見せたが、それは腕を伸ばしたアベルによって制される。

 そして、息も絶え絶えのラミアがアベルを振り返ると、


「お父様や、バルトロイ兄様はいらっしゃらないわぁ。二人は、満足しているから」


「――ラミア」


 一言、ラミアが残した言葉にアベルの黒瞳が揺れた。

 その、たった一つの反応を見て、ラミアは青白くひび割れた顔で、生気のない黄金の瞳を細めて笑った。――悪戯っぽく笑った。


「――テメグリフ一将!」


 直後、ラミアの表情が変わり、鋭い声で誰かの名前を呼んだ。

 それは、スバルには与り知らぬ名前だったが、この場に居合わせた複数の人間にとっては大きな意味を持つ名前だった。

 もちろんそれは、名を呼ばれた当人にとっても同じだ。


「アルクラウゼリア!」


 とっさの反応、俊敏に虹の極光を描いたのはユリウスだった。

 構えた剣の先を躍らせ、ユリウスが精霊たちの力を借りた極光の壁を作り出す。そのユリウスの判断が、車両内の全員の命を救った。

 だが同時に、守るために張られた極光が行動を阻んだことで、次の一手は遅れる。


 ラミアの声に呼応し、連環竜車の横合いから車両をぶち抜いたのは光の弾丸だった。

 散弾のようなそれが竜車の壁を吹き飛ばし、中の人間を撃ち抜くのを極光が防ぐ。しかし、防ぎ切れなかった光弾は屋根を剥ぎ、車両の中が丸見えになった。

 その丸見えになった車両へと滑空して迫るのは、『剪定部隊』を次々と投げ込んだ群れ成す屍飛竜――否、それらと比べ物にならない曲芸飛行をこなす一頭だ。


 その黒い一頭の屍飛竜が竜車へ飛び込み、猛然と風を巻いて、ラミアをさらう。

 すでに『陽剣』を落とした腕が肩までなくなったラミアが空にさらわれ、それをしたのは屍飛竜に跨った一人の屍人――、


「――バルロイ殿!?」

「バルロイ……」

「バルロイ!?」


 その思いがけない姿に、驚愕の声が複数上がった。

 だが、その中で最も驚きが強く、同時に最も悲痛であったものは。


「バル兄ぃ?」


 青い目を丸く見開いたミディアムの呟き、それに呼ばれた屍人は答えない。

 ただ、跨った屍飛竜の手綱を引いて、かっさらったラミアを抱えたまま一気に上昇。そのまま屍人を乗せた屍飛竜は竜車の後方へ首を向け、反対へ飛んでいく。

 連環竜車の走る分だけ、屍飛竜の飛行の分だけ、両者の距離が開いていく。


「バル兄ぃ! バル兄ぃ――!!」


 無我夢中で手を伸ばし、ミディアムがすぐに見えなくなる影を追おうとする。

 その妹の暴走を、後ろからフロップが飛びついて止めた。まだ、連環竜車の中には『剪定部隊』が残っている。


「おお、おおおぉぉぉぉ――!!」


 黒い甲冑で顔を覆ったものたちが低い唸り声を上げ、猛然と大鋏を振り上げる。

 それはまるで、主の逃亡を果たさせんとする意思。

 かつて『選帝の儀』で主を討たれた際、彼らが『青き雷光』に敗れたがために果たせなかったそれを、屍人と化した今、果たさんとする遺志だった。


「全員、最後まで気ぃ抜かんと!」


 アナスタシアの号令が飛び、その意気込みを最初に受けるユリウスが走る。

 戦えるものたちが武器を取り、気勢を上げる『剪定部隊』と真っ向から激突した。そして今度の激突は、その最後の一兵までを撃滅する。


 ――だが、それは正しく、彼らの主が逃げ切るまでの時間を稼がせ、『剪定部隊』の此度の襲撃の最期の一花をしかと咲かせたのだった。



                △▼△▼△▼△



 ――バルロイ・テメグリフがラミア・ゴドウィンをさらい、飛び去った同刻。


 遠く遠く、走っていく連環竜車の轍の上に倒れ込んで、老人は顔を手で覆っていた。

 全身が軋むように痛み、焼け爛れた足は図々しくも泣き喚いている。だが、その痛みも爛れた傷も、全ては老人が望んだものではなかった。

 痛みや傷など、どうでもよかった。――何故、また死ねなかったのか。


「機会を、いただいたんですのよ」


 仰向けに地べたに横たわり、みっともない己を呪い続ける老人に、彼女は言った。

 彼女は人の姿をしていなかった。ただ、そのしなやかで強靭な獣の姿は、ヴォラキア帝国の人間が優れていると、美しいと評するそれで完成していた。


 竜車の後方に残した部隊と行動し、伝令のために連環竜車を追って走った彼女は、まさしく『ミーティア』の炎と共に外へ飛び出した老人の姿を目撃したと。

 そして、老人が地面に叩き付けられるその寸前で、彼を死から拾い上げたのだ。


「機会、とは……」


「あなたが竜車から放り出されたとき、わたくしの足では間に合いませんでした。でも、一緒に飛び出した死者が、あなたを突き飛ばしたんです」


「――――」


「その少しの時間で、わたくしの足が間に合いました。わたくしから言えるのは、それだけですわ」


 ゆるゆると首を横に振り、美しい黄金の毛並みの豹が老人に告げる。

 それが意味するところも、彼女が言いたいこともわかる。しかし、真実はわからない。

 あの方はただ、飛びついてくる老人を煩わしいと突き飛ばしただけかもしれない。その真意なんて、欠片もわからない人だったから。

 そして、何を考えているのかわからないのは、ヴォラキア皇族全員がそうだ。


『――あなた、そんな悔しそうな顔ができたのねぇ』


「――っ」


 そう口にした彼女の意外そうな顔が思い出され、老人の喉が何かで詰まった。

 それが何なのか、老人にもわからない。ただ、ただ、思う。


「妹御を……ラミア閣下を殺してまで手に入れた帝国なら、責任を持て……! 皇帝の務めを果たせ……っ!」


 剣狼のふりをして、自分の毛色さえ偽った羊か山羊か。いずれかであり、いずれかでもない老人は、絞り出すように声をこぼした。

 それが自分自身の、糸のように細めた瞳の奥にあった本心だったのだと。


 老人――帝国宰相、ベルステツ・フォンダルフォンは生き恥を噛みしめ、絞り出した。



                △▼△▼△▼△



 ――世界有数の美しい城と、そう評された水晶宮は在り方を大きく変えていた。


 城内には屍人が闊歩し、先だっての帝都を中心とした争乱の傷は微塵も癒えず、そこには死と破壊のみが残り、それと対になる生と再生が存在しなかった。

 それ故に、水晶宮は本来の美しさを喪失し、おぞましきが蔓延する苦界と化した。

 しかし――、


「――――」


 静かに、その紅の瞳を収めた瞼を開いたのは、苦界の中でも美しさを失わない存在。

 橙色の長い髪はほどけてほつれ、その血色の豪奢なドレスのあちこちが引き裂かれ、雪のように白い肌には土埃の汚れがあるが、それらは一切彼女を汚せない。

 真に美しいものとは、その見てくれの包装など必要としないものがある。

 もっとも――、


「ほつれた髪も破れた衣も、今の貴様と比べれば黄金の如く上等に見えようよ」


「……言ってくれるものだわぁ、プリスカ」


 甘ったるい声音に古い名を呼ばれ、プリシラ・バーリエルは目を細めた。

 上がった両腕は特別な鎖で拘束され、無理やりに立たされた姿は虜囚のそれ。にも拘わらず、プリシラの瞳にも態度にも、弱々しさは微塵もなかった。

 どこに立たされ繋がれようと、己を曲げる理由になど何一つならないからだ。


 帝都ルプガナの水晶宮、その地下牢に入れられたプリシラは、わざわざここまで会いにきた相手――屍人となったラミア・ゴドウィンの姿を訝しむ。

 九年前、死したときのままの年齢の彼女は、屍人特有の肌と瞳を持ちながら、それでも『毒姫』と称された蠱惑的な存在感は健在だった。

 それが、ボロボロのドレスと崩れた半身の今は見る影もない。


 屍人であれば、壊れた部位は修復ができる。そうでなくても、新しい土の器に入れ替えればいい。屍人を観察し、そう推測していたプリシラはそこで理解する。

 無様さや見苦しさを極端に嫌うラミアが、そんな姿で自分の前に立った理由を。


「なんじゃ、また死ぬのか、ラミア」


「まぁ、姉になんて言い方するのかしらぁ。でも、そうねぇ。虚ろの箱との繋がりを切られた……ううん、繋がりを食べられたみたいだからぁ」


「――――」


「そうそう、聞いて、プリスカ。ヴィンセント兄様の手にかけられちゃったぁ。これは、大事にされてたあなたじゃしてもらえないことでしょぉ?」


 崩れていない方の、今にも崩れそうな手を口元に当ててラミアが嗤う。

 それが自慢に値するのかは個々の価値観だが、プリシラは静かに鼻を鳴らした。その反応にラミアは黄金の瞳を細め、


「ホント、つまんなかったわぁ。あなたとヴィンセント兄様くらいしか、私とまともに話せる相手がいないんだものぉ」


「妾と貴様とが、真っ当に話したことなど数えるほどであったろうが」


「回数の問題じゃないのよぉ。お馬鹿な妹」


 呟いたラミア、その口に当てていた手が崩れて消えた。

 ゆっくりと、その形を喪失していくラミア。目の前に立っているが故に、否応なくその姿はプリシラの目に飛び込んでくる。

 しかし、プリシラは瞼を閉じなかった。その紅の双眸で、ラミアを見据える。

 見据えながら、


「役目を終えたなら、疾く退場せよ、ラミア。――また、妾が看取ってやる」


 そのプリシラの言葉に、ラミアが微かに眉を上げた。

 それから彼女は甘い甘い毒のように嗤い、


「可愛げのない妹だわぁ」


 プリシラの記憶にある限り、それは生前の彼女の最期と全く同じ言葉と笑顔だった。



                △▼△▼△▼△



「姉妹同士の最期の会話が、あれでよかったんですかい?」


 ラミアの最期を見届けたプリシラに、どこか軽妙な男の声がかかる。

 微かな靴音の方に顔を向ければ、地下牢の階段を下りた精悍な顔つきの屍人と目が合う。黒に黄金を浮かべた、屍人で共通した瞳の持ち主。

 しかし、その佇まいはラミア同様、出来の悪い屍人とは一線を画している。


「貴様か。ラミアを城まで連れ帰ったのは」


「気丈な方でやしたねえ。あのお体で、地下までは一人でお降りになった。さすがは気高きヴォラキアの姫君……帝国民の一人として、誇らしく思いまさぁ」


「皇帝に牙を向けた謀反者が、白々しくもよく言ったものよ」


「それを言われちゃ立つ瀬がありやせんが……帝国にとっての不届き者って意味じゃぁ、あっしも奥方もそうそう大差はありやせんでしょう」


 その言いようと、暗がりから進み出てくる立ち姿。

 はっきりと相手の姿かたちを視界に収め、プリシラは声音だけで判断していた推測を確定とする。この屍人の名はバルロイ・テメグリフ、帝国の元『九神将』だ。

 そしてプリシラはかつて、帝国にいた頃に彼と面識があった。プリシラが帝国の中級伯であった男、最初の夫の妻だったときに。

 とはいえ、生者と死者で当時の旧交を温め合うというでもないだろう。


「何用じゃ? まさか、先のくだらぬ問いが理由ではあるまい」


「もちろん、ラミア閣下の最期を見届けるのも仕事の内ですが……奥方のために、お食事をお持ちいたしやした」


 言いながら、バルロイが持ち上げてみせたのは後ろ手に隠していた銀の盆だ。

 同じく銀の蓋を乗せられたそれは、料理店で出されるような格式ばったものだが、プリシラは紅の瞳を細め、


「いらぬ」


「まあまあ、そう仰らずに。なにせ、あっしらみんな死んでいやしょう? 食事の必要もないもんで、奥方みたいな生きた人間に食事がいるって発想がない。あっしが持ち込まなきゃ、せっかくの美人が台無しになりまさぁ」


 生気のない肌の色で笑い、バルロイがその食事の蓋を開ける。

 と、温かな湯気と香りが広がり、料理を目の当たりにしたプリシラは片目をつむった。

 屍人が作ったにしては、真っ当な料理に見えるもので。


「生憎、味を感じないもんで味見はしちゃいやせんが、作り慣れてるんでマズくはないと思いやすぜ。おっと、庶民料理をお出しするのは許してくだせえ」


「――――」


 無言のプリシラに、バルロイは盆の上のフォークを取ると、それで料理を突き刺し、こちらの口元に持ってきた。

 プリシラの腕は天井に繋がれている。そうするしかないのはわかるが。


「貴様の首は手ずから刎ねる」


 そう静かに告げて、プリシラは差し出された料理を口に入れた。

 マズくはない。だが、安い。城の中にあった材料を使っても、料理人の腕と発想が安ければ、仕上がったものも上等とは言えない。

 そのプリシラの無言の圧力に、バルロイは屍人の面で苦笑する。その苦笑の中に、プリシラに向けた以外のものが垣間見えて、


「いえね、そう言えば昔もこんな風に、悪さしたお仕置きで閉じ込められてる娘っ子に飯を差し入れてたことがあったなぁと思いやして」


 空気の変化を察し、バルロイが苦笑の真意をそう明かす。

 その答えに不愉快さを覚えながら、プリシラは「拭け」と彼に口元を拭わせると、


「貴様らは何ゆえに帝国を滅ぼす。蘇り、何を望む」


「――前者はあっしの答えるところじゃありやせん。ただ、後者は簡単でやしょう」


 問いに、直前までの苦笑も、軽々とした空気も消して、バルロイが応じる。

 そうしたバルロイの纏う空気の変化に、プリシラもまた敏感に察した。彼の中に――否、ラミアにもあった確かな怒りを。

 そのプリシラの印象を裏切らないままに――、


「屍人の望みってのはいつの世だって、恨みつらみを晴らすことに決まってまさぁ」


 そう、屍人の本懐を明かし、バルロイ・テメグリフは生気のない笑い声をこぼした。



                △▼△▼△▼△



「や……って、られるかぁ、クソったれぇ!」


 バシャバシャと濡れた路面を蹴り、目の前の角を勢いよく曲がる。途端、すぐ目の前にあった木箱に腰をぶつけて、「うおっ」と悲鳴を上げて盛大に転がった。

 濡れた石畳に打ち付けた兜の中、額に痛みが走って視界を火花が散る。が、頭の上にくるくるとヒヨコを回し、伸びていていい状況ではない。


 右手を地べたについて、急いで立ち上がらなくてはならない。

 そうしなくては、奴がくる。――『腑分け』のヴィヴァと呼ばれる、黒衣の観察者が。


「じゃねぇと、また内臓ぶちまけられて……」


「もうきているのダゾ」


「――っ」


 ヒュッと、肺が冷たくなる感覚を味わい、瞬時の腰の裏の青龍刀を抜いた。そのまま型も技もなく、強引な横薙ぎで相手がどこにいても当たるように振り回す。

 しかし、どこにいても当たるはずの青龍刀は空振り、代わりに灼熱の痛みが脇の下を通り抜け、その手から青龍刀をすっぽ抜けさせた。


「がぁ……っ」


「抵抗は無意味ダゾ。ただでさえ、お前は他のモノと条件が違うのダゾ。無意味に血を流して、皇帝の望みに適わなくなれば価値はないのダゾ」


 血を噴く脇を締め、少しでも失血が収まるように悪足掻き。できれば反対の手を傷口に添えたいが、その希望に応えるには腕をおさらばしてから長すぎる。

 苦鳴をこぼしたこちらの背後、手にした刃の湾曲したナイフを両手に握り、その口元を黒い布で覆った青髪の屍人が振り返った。


 睨め付けてくる金色の双眸は、じっくりと血を流すこちらの姿を観察している。

 じわじわとなぶり殺しにする趣味がある、わけではない。奴のこれまでの、数十回の言い分を信じる限り、相手の狙いは実験だ。

 生きた人間の体を使い、確かめたいことがあるらしい。おそらくは、生きていた頃からそれを繰り返していたから、付いた異名が『腑分け』なのだ。


「やり合ってもダメ、逃げてもダメか……次にかけたいんで、一思いにやっちゃくれねぇか」


「一思いというのは筋が通らないのダゾ。私はお前を苦しめたいわけではなく、確かめたいことがあるだけなのダゾ」


「ですよねー……然らば」


 話しても無駄な相手と見切りをつけて、ちらと視線を落とした青龍刀へ。幸い、そう遠くに転がっていないので、飛びつくぐらいはできそうだ。

 問題は、うまく自分の首に当てられるかどうか。しくじって、苦しみを長引かせていては世話がない。――てこずっている場合ではないのだ。


「――っ!」


 判断に一秒、決意に一秒、行動に移すのには一秒もいらない。『腑分け』が凶行を始める前に、前触れなく一気に青龍刀へと倒れるようにして飛び込む。

 その行動にヴィヴァの動きが一手遅れ、その隙に青龍刀の刃を自分の首に――、


「いえいえ来世にかけるというのはいささか今生への見切りが早すぎるのでは?」


「あ!?」


 滑らせようとした青龍刀、地面に転がったその刀身が真上から押さえられる。見れば、それをしたのは小さな足、続いているのは細い腰と、イカれた笑顔。

 青龍刀に片足一本で立った、ワソー姿の子どもの暴挙だった。


「子どもとは、これもまた私の望む条件ではないのダゾ」


 その子どもの登場に、ヴィヴァは一切の躊躇なく、両手のナイフを回転させ、こちらの脇を抉ったのと同じ攻撃を子どもの急所に叩き込もうとする。

 手と足を使い物にならなくして、それから内臓のチェックに入る最悪のルーティンだ。

 その刃が自分に迫るのを見ながら、その子どもは眉を上げ、


「ほうほう! 突然の見栄えする闖入者をものともしない姿勢はお見事! ですが」


「――っ!?」


 次の瞬間、目を見開いたヴィヴァの首が、胴と離れて吹っ飛んだ。

 ヴィヴァが振るおうとしたナイフ、それを握る手を子どもが蹴りつけ、その腕をへし折りながら、逆にヴィヴァ自身の首を己のナイフで切断させたのだ。

 さらに子どもは身軽に青龍刀の上で足を入れ替え、次の蹴りで残ったヴィヴァの胴体を貫通し、『腑分け』不要な屍人の体を粉々にした。


「生憎とあなたのような趣味の悪い悪漢は共演NGです!」


 しでかした殺陣と対照的に、軽々しい声で子どもが言い放つ。

 その発言の向こう側で、胴体を砕かれたヴィヴァの頭部が、驚愕の表情を浮かべながら塵と化し、帝都の風に呑まれていくのが見えた。

 そのやらかしを、地べたに倒れたまま呆然と見ているしかなかったこちらに、片足を上げたままくるりと子どもが振り返り、


「あなたの剣の上から失礼します。ほら、地べたが濡れてるでしょう? 僕の履物はゾーリなので濡れるとすごく不愉快なんですよ。だからこんな調子でして!」


「あー、そりゃ別に構わねぇんだが……」


 片足を上げたままのトンチキな格好の子どもを見上げ、寝転がっていた体を起こしてどっかりと胡坐を掻く。子どもの言う通り、尻が濡れて気持ち悪いが、もう何をしても手遅れ状態だ。


「それよりも、手遅れじゃねぇ方に手を借りてぇんだ。手当て、頼めね?」


「ああ、確かに片腕では不自由するでしょうね。そのなかなか奇抜なお姿は僕的には好感度が非常に高いのでここでお別れはもったいない! いいでしょう!」


 そうあっけらかんと笑った子どもは、「ただし!」と勢いよく付け加えると、すぐ傍の建物の屋根の方を指差し、


「お伝えした通り、僕はゾーリを濡らしたくないのです! なので高台に移動してからにしましょう。それまで失血されないよう注意してください、兜の御方!」


「……オレはアルってもんだよ、やんちゃボーイ」


「はははは! ヤンチャボーイ! なんだかボスみたいな喋り方しますねえ!」


 そう高笑いする子どもに、脇を締めたまま男――アルは長く息を吐いた。

 只者ではない子どもだが、飛び出してきた発言の数々に知っている誰かさんの影響をひしひしと感じる。

 この出会いが吉と出るか凶と出るか、それはいずれにせよ――、


「待ってろ、プリシラ……オレが必ず、お前を救ってみせる」



                △▼△▼△▼△



 三本の首が力を失い、ついにぐったりとその巨体が大地に横たわる。

 翼は破られ、胴体にはいくつもの忍具が突き刺さり、およそ生命の経絡と言えそうな部分のほとんど全部を突いて狂わせてみても、どれが致命打かわかりかねる。

 唯一、言えることがあるとすれば――、


「あかん、僕、めっちゃ人間やない『ゾンビ』と相性悪いわ」


 ひらひらと袖を振り、端から塵と化していく『三つ首』の龍を眺めてハリベルが呟く。

 分け身で増やした三体も消して、消耗に長々と息を吐いた。さすがに龍ぐらいの相手とやり合うのは骨が折れる。

 できれば、もう怪物退治はこれっきりにしてもらいたいが。


「せやけど、アナ坊たちがおんなじのんがゾンビになる的なこと言うてたんよなぁ」


 それが事実なら、今しがた倒した『三つ首』の再出現も十分ありえる。

 おそらく、次もハリベルなら勝てるだろうが、今回のように周りを巻き込まずにおける環境か怪しい。それにその間、自分の手が塞がるのが雇われの身としては気が気でないところだ。アナスタシアの傍にいるユリウスは腕利きだが――、


「僕ほどやないやろしねえ」


 首の骨を鳴らし、戦闘中は吸えなかった煙管に火を落として煙を味わう。

 それから、ハリベルは『三つ首』の体が消えてなくなったのを見届けて振り向き、はるかはるか遠くまで、自分を置き去りに走っていった連環竜車を探す。

 そして――、


「なんや、頑張った僕の方が飴ちゃん欲しいわ。……あ、僕、飴ちゃん食べたら死んでしまうんやった」


 などとこぼしながら、彼方へ続く竜車の轍を追って走り始めたのだった。



ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
いいねをするにはログインしてください。
ポイントを入れて作者を応援しましょう!
評価をするにはログインしてください。
感想を書く場合はログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
作品の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。

↑ページトップへ