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Re:ゼロから始める異世界生活  作者: 鼠色猫/長月達平
第八章 『ヴィンセント・ヴォラキア』
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第八章27 『ベルステツ・フォンダルフォン』




「ベルステツ、この場は任せたわぁ。死んでも、踏みとどまりなさい」


「は。閣下も、どうかご無事で」



 ――それが、交わした最後の会話だった。


 事務的な主従関係で、いわゆる強い結び付きだったかと問われれば否と答える。

 その才気と姿勢に大器を感じ、老いるに従って身に着けた見識を役立て、彼女の道を均し、皇帝が座るべき玉座へと導かんとした。

 そこに、彼女自身に向けた忠誠心や情熱がなくとも、成立する主従だった。


 一から十まで指示されなくとも、一を知れば百を知り、百一を生み出す人物だった。

 能力相応の役目、立場相応の義務、それを自他に律することのできる人物だった。


 武威に恵まれず、帝国の剣狼に焦がれながらも届かない立場。

 他者から尊ばれることなく、蔑まれるばかりの生き方しかできなかった自分を、彼女が有用だと評した事実は、感謝に値するものだったのだろう。


 だから、最後に交わした言葉にも、嘘偽りは微塵もなかった。


『選帝の儀』の最中、命を賭しても踏みとどまれと厳命され、その覚悟があった。

 己を剣狼などと嘯くこともできず、ただただ老いさらばえていた男の最後の奉公。

 情熱のない主従にあっても、その役目に殉じる決意があったのだ。


 にも拘らず、ベルステツは生き残った。

 そして、無事を祈った主は命を落とした。


 今もなお、ベルステツ・フォンダルフォンは生き恥を晒し続けている。

 務めを果たさず、帝国を衰退へ導かんとする皇帝の地位を追い、その己の画策の裏で進行した『大災』の暗躍に気付けず、剣狼を名乗るのもおこがましい恥晒しとして。


 与えられた命令の履行も、何一つ果たせぬまにまにに、生き恥を晒し続けている。



                △▼△▼△▼△



「ラルフォン一将、どうしたのぉ?」

「ヴォラキア皇族好きのあなたらしくないんじゃなぁい?」

「それともぉ、『選帝の儀』に敗退した私なんて好みじゃなかったかしらぁ?」


 同じ声が違う口から発されて、数え切れないほどの金色の双眸に見据えられる。

 その瞳と同じ色の、黄金の鎧を纏ったゴズ・ラルフォンは、自分の眼が映している現実のおぞましさに、顔中の傷を歪ませて、奥歯を軋らせた。


 渾身の力を込めて、鎚矛の一撃を叩き込んだ。

 ゴズの内を流れる、帝国の剣狼の血。それが悲鳴を上げるのに耐え、ゴズは敬うべき皇族の一人であるラミアを、打ち倒すべき敵として討ったのだ。

 魂の引き裂かれるような痛みを味わい、その結果にゴズは真の意味で理解する。


 ――『大災』が紛れもなく、ヴォラキア帝国を滅亡させんとする脅威なのだと。


「何ゆえに……!」


 歯軋りするゴズ、その眼前でラミア――否、ラミアたちが首を傾げる。

 さらさらと、細い肩の上を橙色の髪が流れ落ちるのを見て、ゴズの腹の内が燃える。


「何ゆえに、かような真似を御許しになられますか!! このような! このような冒涜はない! ラミア閣下の御命を愚弄している!!」


 込み上げてくる怒りを声に乗せ、同時に込み上げてくる涙を熱い血潮で焼き尽くし、ゴズはその体を無数に複製されたラミアへと訴えかける。

 しかし、そのゴズの腹の底からの訴えに、ラミアたちは揃って手の甲を唇に当てた。そうして楽しげに声を弾ませ、


「勘違いしないでねぇ、ラルフォン一将。これは誰かにやらされてるんじゃなくて、私が自分でやったことだからぁ」


「……なに、を」


「あの魔女は頭が固いのよぉ。砕けた端から蘇れるなら、別に砕ける前にだって蘇らせることはできる。容れ物はいくらでも作れるんだから、あとは源を薄めて満たせばいい。それが感覚的にわかればぁ――こういう、夢みたいなこともできるでしょぉ?」


 嫣然と、青白い顔に血色の笑みを浮かべ、ラミア・ゴドウィンが悪魔的な聡明さは生前のままに、増えた自分の存在を広げた両手で誇示する。


「――――」


 夢みたいと、そう語ったラミアにゴズも心中で同意せざるを得ない。

 限りなく数を増やし、自らの意思で自らの存在を冒涜するラミア。そのラミア全員が、帝国の象徴である『陽剣』を手にしている。

 これがラミアの言う通り、夢――悪夢でなくて、なんだというのか。


「ねぇ、ラルフォン一将、現実じゃ夢は打ち壊せないわぁ。それを認めて……あなたも、私たちの側へきたらどうかしらぁ?」


「――。いったい、どういう意味でしょうか」


「難しい話じゃないわぁ。あなたも死んでしまえば、私や他の子たちと立場は同じだものぉ。どうせなら、早いうちに勝つ側についておいたらぁ?」


 剣を握る手を胸の前で合わせ、小首を傾げるラミアがゴズをそう誘う。

 戦いの中で命を落とせば、そのものは屍人としてラミアたちの軍勢に仲間入りする。戦場ではすでに起こっている事態だが、実際に想像すると精神の負荷は計り知れない。


 強く強く、帝国兵の忠誠心を抱き続けるゴズも、同じ思いでいたはずの将兵たちも、倒れれば帝国を滅ぼす側へ与し、それを疑問にも思わなくなる。

 この帝国の女帝の座に指をかけていた、ラミア・ゴドウィンがそうであるように。

 そこで完成するのは、屍人の帝国だ。――剣狼の国の、見る影もなく。


「身に余る御言葉ですが、ラミア閣下!」


 ぎゅっと目をつむったあと、ゴズは己の顔を上げ、ラミアへと向き直った。

 そのゴズの気迫を前に、ラミアは形のいい眉を顰めると、


「断られそうな雰囲気ねぇ」


「ラミア閣下の寛大な御慈悲ですが! このゴズ・ラルフォン! 御断りさせていただく所存に御座います!!」


「案の定、断られたわねぇ」


 黄金の瞳を細めるラミアに、ゴズは先ほどの瞑目の中に見た幻影を思う。

 命潰えたゴズが、ラミアたちと同じ屍人となり、青白い顔に黄金の瞳を宿して、この帝国を滅ぼすために鎚矛を振るう姿――その幻影を、粉々にぶち壊した。

 ぶち壊し、まとわりつく幻影を振り切りながら、吠える。


「先ほどの発言を訂正いたします! 『九神将』はいずれも皇帝閣下の思い通りにならぬものと言いましたが! 私は閣下の忠実なる手駒! 他のものがどうあろうと! 私だけは! そうでありたいと望むのです!!」


 死して滅亡の尖兵となり果てることを拒み、皇帝閣下の生きた駒であることを望む。

 それがゴズ・ラルフォンの、帝国の剣狼としての在り方であり、望んだ道。

 深遠な思考も理想の創造も、あらゆることは統治者であるヴィンセントに任せ、ゴズは望まれた役目を果たそう。

 すなわち――、


「私はヴィンセント・ヴォラキア皇帝閣下が選びし『九神将』の『伍』! ゴズ・ラルフォンである!!」


 黄金の鎚矛を振り上げ、無数のラミア相手に一歩も引かぬことを宣言する。

 次の瞬間、そう大口を開けて豪語したゴズに、ラミアたちが『陽剣』を振りかざして踊りかかった。一太刀触れれば、その魂まで焼き尽くされるヴォラキアの赫炎。

 それが己の身に届く前に、ゴズの筋肉が躍動し、鎚矛が薙ぎ払われる。


「――ッ」


 迷いの消えたゴズの一振りが、飛びかかったラミアを横殴りに、空中で一緒くたに五人もまとめて打ち据え、陶器の如く柔い体を粉々の塵に変える。

 その一発を目の当たりにして、残ったラミアたちは軽く目を見張り、表情を変えた。

 呆れるほど愚直な剣狼を見据え、残酷に微笑んだのだ。


「どんなに勇ましく吠え猛っても、死んでしまえば私の奴隷よぉ?」


「それが抗い難きことならば! 我が命尽きるその前に石にでもなりましょうぞ! 死なぬことで、皇帝閣下への最期の忠勇とさせていただくのみ!!」


 鎚矛を頭上で大きく回し、先頭車両に集まったラミアたちを逃がさぬ構え。

『陽剣』を手にしたラミアが連環竜車の各所に散れば、その陽光がヴィンセントの目を焼くことがあるかもしれない。それを阻止する。


 そのために、『獅子騎士』の巨体はあるのだと、ゴズ・ラルフォンは猛りに猛った。



                △▼△▼△▼△



「――なんて、ずいぶん勇ましい覚悟を決めてるみたいだけどぉ、残念ねぇ」


 連環竜車の先頭車両、目的地へと向かうその竜車の足を奪われまいと、自らの存在意義をかけて吠え猛るゴズ・ラルフォン。

 その意気込みは大したものだが、肝心の望みは果たされない。


 屍人と化したラミアを余所へゆかせまいと決死のゴズには残念なことに、すでにラミアの姿は連環竜車の他の車両に到達していた。

 当然だろう。増えるにしても、同じ場所で増える必要などないのだ。そういった制限も設けられてはいない。ゴズの奮戦は無意味とは言わないが、貢献度は低い。


 そして、帝国の生者の中で重要な役割を担うものばかりが乗っている竜車で、ゴズ・ラルフォンという強者の手を塞ぐ重要性は語るまでもなかった。


「残念だけど、あなたが私を押さえてるんじゃないわぁ、ラルフォン一将。私が、あなたを押さえているのよぉ」


『陽剣』を相手に孤軍奮闘するゴズ、その意気込みに水を差しながら、中央の車両を目指して歩くラミアは遠くを見やる。

 遠方の空、そこで黒雲の如く強大な邪龍と激突する、狼人の姿がある。


「バルグレンが使えないのは計算外だけどぉ、あれの手を塞いだのは上出来ねぇ」


 黄金の双眸を細めるラミアの目にも、バルグレンと見える狼人は別格だ。

 帝国の九人の一将の一人であるゴズも、間違いなく世界有数の強者。そのゴズすらも超越したそれは、世界最強の生命体とすら渡り合っている。


 ――否、むしろ、邪龍の方が押されていた。

 押し切られていないのは、攻撃を浴びる邪龍の回復力がそれを上回るから。砕かれても砕かれても、復元する邪龍をシノビは殺し切れない。

 殺されないだけで、十分以上におかしな光景だったが。


「でも、あの狼人が死んでも使い物にならないから残念だわぁ」


「――そいつァ、聞き捨てッならねェなァ」


 小さな靴音が聞こえて、その荒々しい声にラミアはゆっくりと振り返る。

 ラミアと同じ方角、邪龍と狼人の戦いを横目にしながら、そこに立つのは金髪の男――否、少年だった。

 ラミアは小さく鼻を鳴らし、その少年に微笑みかける。


「ケダモノ臭いと思ったら、あなた、半獣でしょぉ?」


「……土臭ェ女に言われッたくねェなァ。んや、それッだけじゃァねェ」


「――?」


「おんなじ面ァいくつも並べた女ってなァ、婆ちゃんだけで十分なんだよォ!」


 ガン、と強く胸の前で拳を合わせた半獣の少年、その啖呵にラミアと、それから他のラミアたちは目を細める。

 少年の訴えの意味はわからない。ただ、今のラミアと同じように、同じ姿かたちの存在が群れるところを、少年は以前にも体験しているということだけ。

 それと――、


「俺様ァ、あの金ぴかのオッサンと仲良しこよしってんじゃァねェが、あのオッサンの声はでッけェんでな……きてる奴の中でてめェが一番手強ェのはわかってんだよォ!」


「――――」


 そう、少年が牙を見せて吠えた直後、ラミアは空気の変化を感じ取った。

 それは連環竜車の各車両――車列の全体を五分割したとしたら、ラミアが少年と対峙しているのは三両目。一両目で抗うゴズとは別の、二両目と四両目での変化だ。


 二両目の屋根が炎に包まれ、四両目は逆に凍てつく風に氷結する。

 いずれも、このラミアとは別のラミアと、『剪定部隊』が乗り込んでいる車両だった。

 その事実を肌で感じ取り、ラミアが手の甲を口元に当てて笑う。


「そーぉ。王国人って往生際が悪いのねぇ」


「……なんで、俺様ッたちがルグニカからきたって知ってッやがる」


「今知ったわぁ。帝国人らしくないから、聞いてみただけよぉ。可愛いわねぇ」


「いいやァ、違ェなァ。俺様をおちょくるッためだけじゃァねェ」


 嘲弄するラミアの笑みを見ながら、少年が首を横に振った。

 負け惜しみ、とは違う。かといって、洞察力でもない。強いて言うなら、少年の直感。本能的な、真偽を嗅ぎ分ける嗅覚の賜物。

 その自分の嗅覚と、先のラミアの言葉とを少年は頭で結び付ける。


「『礼賛者』は使えねェって話と、俺様がどこの奴かってガッカリと噛ませッと……」


「――お喋りは十分だわぁ」


 見るからに、頭を使うのが得意でないくせに頭を使う少年。

 不向きなことに懸命な人間を見るのは、とてもとても気分が悪い。


 ラミアが細い肩をすくめると、それに呼応して別のラミアが少年に斬りかかる。

 少年は身を低くして赤い切っ先を躱すと、そのラミアの腹部を裏拳で打った。が、吹き飛ばしたラミアの体を別のラミアが斬撃、二つに割られるラミアの体が発火し、燃える炎の幕の向こうから致命の刺突が少年を狙った。


 短く吠えて、少年が屋根を蹴り、宙へ跳び上がる。

 そこに滑空しながら屍飛竜が迫り、空中に逃れた少年が死した竜の口に噛みつかれた。そのまま少年をくわえた屍飛竜が空へ上がり、そこに他の屍飛竜の群がっていく。


「ラルフォン一将もだけど、近付かなきゃいけない子は『陽剣』と相性が悪いわよぉ」


 振るわなかった『陽剣』を握り直し、屍飛竜に群がられる少年にラミアがこぼす。

 一太刀浴びれば、魂を焼き尽くすまで燃え上がる『陽剣』の焔。手にしたことで身体能力の向上する魔剣の効果は、環境に甘えたヴォラキア皇族さえ一流へ変える。

 ましてや、剣技に時間を費やしたものであれば、その恩恵は言うまでもない。


「さぁて、ケダモノ臭い子はどけた。あとは兄様の居場所を……」


 ゆっくりと、散策するように踏み出そうとしたラミアの頭上、不意の轟音が響く。

 見れば、群がりすぎて丸い球体のようになっていた屍飛竜の群れが、空中で十数体がまとめて粉々に爆散していた。その爆散の中央から姿を見せたのは、先ほどの細くしなやかな少年と似ても似つかない、強大な大虎。


 何本もの丸太をより合わせたような巨腕を振るい、屍飛竜の群れを吹き飛ばした大虎が一気に急降下。連環竜車の屋根をその重量で軋ませ、刹那、ラミアへ迫る。


「――――」


 振り向くラミアが『陽剣』を下段から斬り上げる。

 一瞬の驚きはあった。しかし、獣化したことで的は大きくなった。掠めるだけでも勝利を得られる『陽剣』の使い手を相手に、それは悪手だった。

 前のめりに飛び込んでくる大虎、その胸下から『陽剣』が一気に掻っ捌く――、


「――ッッ!!」

「――あらぁ」


『陽剣』の切っ先が鋼を擦れる音がして、ラミアは金色の目を見開いた。

 突っ込んでくる大虎、それが太い腕をラミアへ叩き付けるのではなく、ラミアの半歩前の屋根に爪を突き立て、強引にそれを引き剥がし、盾にした。

 ラミアの剣撃はその上を滑り、そして旋回する大虎の反対の腕が彼女を打ち据える。


 衝撃がラミアの上半身をもぎ取り、砕かれる体が車外へ叩き落とされた。

 大虎はラミアの予想を上回った。だが、ゴズと同じで、無駄なことだ。


「この私が死んじゃってもぉ」


 バラバラと、地面に激突する前に塵になっていくラミアの唇がそれを紡ぐ。

 たとえこの体が死んだとしても、他の自分と同じように復元されるだけ。しかも、この復元の利点は、死んでも終わりにならないだけではない。


 次に蘇るラミアは、このラミアの体験を全て持ち越せるのだ。

 すなわち――、


「――――」


 落ちるラミア、他のラミアや『剪定部隊』が大虎へ飛びかかる気配を感じながら、砕けていく視界が、自分を置き去りにする連環竜車の車内を見た。

 その車内で、窓の外を凝視する相手と目が合った。その探し人がどの車両にいたのか、それを確認した上で、次のラミアへ持ち越せる。


「――ヴィンセント兄様、みぃつけた」



                △▼△▼△▼△



「――閣下」


 車窓から見えた光景に、常の糸目をわずかに開いてベルステツは声をこぼした。

 今しがた、屋根の上から振り落とされて大地に砕かれたのは、紛れもなく、屍人として蘇ったラミア・ゴドウィンだった。


 すでに、その事実を他ならぬ自分の目でベルステツは確かめていた。

 この連環竜車への熾烈な襲撃に参加しているのが、自分もよく知る『剪定部隊』であった時点で、それを率いるのがラミアであることも十分承知だった。

 それでも、ラミアの姿が砕かれ、塵と化す光景はベルステツを揺るがした。


「一度目にかかりたいと思ってはいたが、こんな形とはな」


「ドラクロイ上級伯……」


「そんな顔をするな、宰相殿。私と同じものを見ただろう? ラミア閣下がああして砕かれたなら、あの方の私兵である『剪定部隊』が止まるかもしれんぞ? もっとも」


「――――」


「期待はできそうにないがな」


 車窓の外で最期を迎えた屍人のラミアに、笑みを浮かべたセリーナが肩をすくめる。

 期待薄とした彼女の発言通り、忠誠を捧げたラミアが討たれようと、『剪定部隊』の猛攻には一欠片の陰りもなかった。


 先の軍議でのやり取りを踏まえれば、屍人にとって死とは終わりではない。

『大災』の主犯格であろうスピンクスは、死さえ利用して帝国の滅亡を狙った。魔女にできたことならば、『毒姫』にできないことがあろうか。

 戦意の衰えない『剪定部隊』を見ずとも、ラミアの終わりが先なのは確実だ。


「アナスタシア様、お下がりください!」


 凛とした声を上げ、ワソーの青年が流麗な剣を扱う。

 虹色の軌跡を描いた斬撃は、『剪定部隊』が纏った強固な黒の甲冑を、まるで熱した鋼で氷を斬るかの如く容易く切り刻んでいく。

 武威に恵まれなかったベルステツの目にも、青年――ユリウスの力量が、帝国の勇士に劣らぬものであると理解できた。


「でも、うちのユリウスでも永遠には戦えん。状況を動かさんとやけど」


 ユリウスの奮戦に守られながら、首に巻いた襟巻きを撫でるアナスタシアの呟き。

 車両内に押し寄せる敵はユリウスが、屋根の上はガーフィールがそれぞれ応戦しているが、先の転落するラミアと合わせ、内外はいずれも激戦となっている。

 それこそ、戦える人員は警護の兵も含めて全員が戦っている状況だ。


「そーれにしても、ちょっと過剰に狙われてる気がしませんか?」


「たぶんやけど、あんたさんがいるからやと違う? その痛がってた胸のところ、がっつり印が付けられて見えるわ」


「印……? あーれれ、本当だ!」


 監禁部屋から連れ出されたウビルクが、自分の緩い胸元を覗き込んで声を上げる。

 アナスタシアの言う通り、ちらと見えた彼の白い肌には赤いミミズ腫れの痕跡があり、襲撃と同時に生じたのであれば――、


「標的の居所を掴む魔眼……まさか、パラディオ・マネスク閣下が?」


「これはこれは、『選帝の儀』の参加者が勢揃いとなるか? それなら、私が父から家督を奪った際、花を贈っていただいたバルトロイ閣下と思い出話がしたいところだ」


 魔眼族の血を継ぐヴォラキア皇子、パラディオ・マネスクの魔眼が標的を捉え、それがひっきりなしに『剪定部隊』がここに攻撃を集める理由か。

 そう推察するベルステツの傍ら、自身も剣で敵を牽制するセリーナが唇を舐め、


「この場から動くにせよ、前と後ろの二択を選び間違えて死ぬのは御免被りたいところだ。我々が討たれれば、帝国は頭どころか腰から上を失うも同然だからな。そうなった生き物に死ぬ以外の道があるのか、興味深くはあるが……」


「……不謹慎なことを仰られては困ります。私奴のような老躯はいざ知らず、閣下やあなたに替えなど利かないのですから」


「誰であれ、替わりの利かない人間などいないよ、宰相殿。畏れ多くも、あなたが皇帝閣下の代理を用立てたように。ともあれ――」


 どんな状況でも辛辣な余裕を失わないセリーナ、彼女が帝都でのベルステツの所業をチクリと刺したところで、事態が動いた。

 前後、どちらへ動くべきかという選択肢の、選択肢の方から現れたのだ。


「よしいた! ここで踏ん張っててくれたか!」


「ナツキくん!」


 後部車両と通じている扉、すでに『剪定部隊』の攻勢で破られてしまったそれを踏み越えて、ベルステツたちのいる客車に小さな影が雪崩れ込んでくる。

 その先頭の黒髪の少年の姿に、アナスタシアが声を高くして合流を歓迎した。


 どたどたと慌ただしくやってきたのは、ナツキ・スバルという少年と、彼と手を繋いでいるドレスの少女。付き従うのは鹿人の少女と金髪の少女に、桃髪と青髪をした瓜二つの顔立ちをした娘たち――。


「スバル! エミリア様はどうされた?」


「エミリアたんは最後尾で奮闘中! 敵が入ってこられないように車両を凍らせて強化してるけど、残ってたら俺たちまで氷漬けになっちまう!」


「強引やなぁ。……でも、最善手やなぁ」


 車窓を突き破る屍人を正面から突き倒し、そう問うたユリウスにスバルが答える。顔をしかめた少年の答えに、アナスタシアが片目をつむって呟いたあと、その浅葱色の視線を少年の背後――金髪の少女に向けた。


「ああう……」


「その分やと、話し合いは中断?」


「――いいや、俺の結論は出した。それをみんなに伝えるチャンスが中断だ。アベルの野郎は!? あいつにも、俺と同じ印が出てねぇか?」


 金髪の少女の隣に並び、そう言ったスバルが自分の服の胸元を見せる。すると、そこには『星詠み』のウビルクと同じミミズ腫れが浮かび上がっていた。

 途端、それを目にしたウビルクが「あーっ!」と大声を出し、


「ほーら、やっぱり! あなたにも印が浮かんでる! 僕たちは『星詠み』のお仲間ってことじゃーないですか!」


「違うって言ってんだろ! 俺だけじゃなく、可愛いベア子にも同じのが出てて可哀想だよ! 共通点は!?」


「――それはおそらく、『大災』にとっての排除すべき障害でしょう」


 その声は、今度はスバルたちが乗り込んできたのとは反対の扉、前方車両へと続く通路の方から客車に飛び込んできた。

 並んで姿を見せたのは、軍議でも存在感の高かった王国の軍師であるオットーと、将兵の治癒に積極的に参加していた少女だった。

 その二人の登場に、振り向いたスバルが目を丸くして、


「オットー! ペトラ! 無事だったか! さっきはごめん!」


「そのやり取りは後回しにしましょう。今は大事な情報の共有を」


「スバルとベアトリスちゃんに出てるって話してた印、旦那様にも出てたのっ! 今、旦那様は前の竜車でゾンビを引き付けてるけど……」


「ロズワール様にも印が……」


 ペトラと呼ばれた少女の報告に、レムの血縁者だろう桃髪の娘が目を伏せる。

 しかし、ウビルクとスバル、ベアトリスという少女に加えて、王国の宮廷魔導師にも印が浮かび上がったとすれば、刻印の条件もおぼろげながら見えてくる。

 それは――、


「――平野で直接、スピンクスと顔を合わせたメイザース辺境伯と、ベアトリスちゃん。それに竜車への奇襲を止めたナツキくんと、『星詠み』さんやったっけ」


「ここでは確かめようがありませんが、外で黒い龍と戦っているハリベルさんにも、同じように印が刻まれている可能性がありますね」


「それと、我らが皇帝閣下か。十分に可能性はあるな。名前の挙がったものはいずれも、その働きでは替えの利かないものたちだ」


 ちらと、セリーナが先のベルステツの発言を揶揄しつつ、識者たちの会話に同意する。

 アナスタシアたちの始めた話に、ベルステツも同じ意見だ。そして、パラディオの魔眼の効果が続く限り、標的とされたものの下には延々と刺客が送り込まれる。

 しかし――、


「待ってください。もしも、その想像が正しいとしたら、この子に……スピカちゃんに、同じ印が浮かび上がっていない理由がわかりません」


 そう声を上げたのは、小さな少女の肩を後ろから抱いたレムだった。

 彼女がスピカと呼んだ少女、その重要性の詳細は聞かされていないが、彼女がウビルクの予言に名前の挙がった一人であることは聞いている。

 その点で、ヴォラキア帝国のために重要な人材には間違いないが――、


「スピカ、ですか」


 そのレムの訴えに、ベルステツたちとは違う感慨がありげにオットーが呟く。

 彼の呟きを聞きつけたスバルが、オットーを見据え、真剣な顔になり、


「俺の立つ瀬は決めた。証明は、ここからの生き方でやる」


「――。奇遇ですね。ちょうど僕も、同じく立つ瀬を決めたんですよ」


 静かなやり取り、そこにどれほど複雑な感情が交えられているのか、外野には察しようがない。加えて、この襲撃の最中にあってはそれは後回しすべき事情だ。

 今、最優先すべきなのは――、


「頭の上で吠えてるガーフが、焼き虎になる前に動くべきね」


「焼き鳥みたいな言い方するなよ……。でも、さっきのレムの話にも一理ある」


 桃髪の娘の言葉に頷いたスバルが振り向くと、皆の視線がスピカという少女に集まる。その視線の集中に少女が喉を唸らせ、困惑した顔で周りを見た。


「『星詠み』とやらの話を信じるなら、その娘……スピカは『大災』の天敵なのよ。それなのに、どうして見逃されているかしら?」


「――? それ、そんなに変なこと? だって、わたしたちもその男の人がそう話してくれなかったら知らないことでしょ? だったら、相手もそうってだけなんじゃない?」


「……それはつまり、屍人側には『星詠み』はいないってことか?」


 少女たちの疑問の交換に、スバルがハッとした顔で呟いた。

 その発言に振り向かれたウビルクは、しかし頼りない顔でゆるゆる首を横に振り、


「いーやぁ、すみません。天命と関わりないことは僕も知らなくて」


「でしたら、せめてスピカちゃんの何があなたの言う光明なのか、そのぐらいは教えてくれませんか? 指名だけして、いくら何でも無責任でしょう」


「無責任ですみませーん」


 開き直ったようなウビルクに、レムの表情が険悪な色に染まる。が、ウビルクの答えは望ましくないが、レムの傾けた話題は検討に値するかもしれない。


「現時点の材料では、印を付けられたものを守りながら、空中分解を起こしかねない連環竜車で城塞都市へ雪崩れ込むしかない。あの都市もまだ修復中のはずだがな」


「そないに悠長な時間が残されてるとは思えんねえ」


 こうして語らう間にも、『剪定部隊』の攻撃に晒される竜車はじりじりとその原型を失い続けている。移動の足が止まれば壊滅が必至なのは、すでに検討した通り。

 この戦闘を止めるには、敵勢を率いているだろう指揮官――ラミアに対処しなければならないのだ。


「――――」


 目下、対処療法以上の手段が求められる中、ベルステツはその細い糸目の視界に、ひどく葛藤する表情のスバルがいることに気付く。その表情を占めている懊悩は、何かに気付き、そしてその何かを口にすることを躊躇っているが故のものだ。

 この状況において、少年が口に出すことを躊躇する発言。発言に吟味の足りないセリーナとは違う彼の葛藤、その内容は――、


「――バルス」

「ナツキさん」


 同時に、二人の人物がスバルの方に呼びかけた。

 ベルステツと同じで、少年の表情変化に気付いたのだろう二人だ。そして、ベルステツよりも少年について詳しい二人は、その悩みの中身までわかったらしい。

 二人の視線の意図に目をつむり、スバルは大きく深呼吸し、表情を引き締めると、


「――スピカの権能が、状況を打破する可能性がある」



                △▼△▼△▼△



「おりゃあああ~!!」


 両手に握った蛮刀を振るい、ミディアムは正面に迫る屍人を強引に切り払う。

 その大振りが理由で背中側ががら空きになり、そこに別の屍人の大鋏が叩き付けられそうになった。しかし、その軌道に細身の長剣が割って入る。


「気軽に手ぇ出してくれてんじゃねえぞ、デカブツ共がぁ!!」


 そう荒々しく吠えて、声だけでなく斬撃さえも荒ぶらせるのはジャマルと名乗った隻眼の帝国兵だ。

 このジャマルと協力し、ミディアムはひっきりなしに攻撃を仕掛けてくる屍人から、兄のフロップとジャマルの妹のカチュア、そして勝手なアベルを守るべく奮闘している。

 今も、ミディアムはその前蹴りで敵の足を止め、蛮刀で首を薙ぎ払い、屍人を塵に変えた。ジャマルもその双剣で敵の膝を断ち、胸を串刺しにして撃破する。


「皇妃様! ここはオレに任せて下がっててくれ!」


「だ~か~ら~! あたしはまだうんって言ってないの!」


「皇妃候補様! 下がっててくれ!」


「も~っ!!」


 恭しく扱われ、そうした待遇に慣れていないミディアムは困惑を隠せない。

 それ以前の、フロップとアベルの話し合いのときからそうだ。アベルに注意されたが、ミディアムはフロップの考えを何も聞かずに兄に協力した。

 今思えばアベルの言う通り、ちょっとは先に話を聞いておけばよかった。


「そしたら、あんなに驚かないで済んだのに……!」


「妹よ! くよくよ悩むのはお前には似合わないぞう!」


「誰のせいだと思ってるの、あんちゃん!」


 怒りを蛮刀に込めて、突き出される大鋏と鍔迫り合いをしながら足に力を込める。力負けしないよう踏ん張って押し返すミディアム。そのミディアムの脇下から刃が突き込まれて、後ろに回ったジャマルが敵の胸を貫いてやっつける。

 それをしたジャマルは双剣を宙でこすり合わせながら、


「カチュア! 首伸ばすんじゃねえぞ! お前には誰も近付けさせねえ!」


「や、やめてよ……別に、もう、どうでもいいから……。どうせ、どうせ生きてたって、いいことなんて、何にもないんだから……っ」


「馬鹿言ってんじゃねえ! お前が死んだらトッドが浮かばれねえだろ!」


「――っ、に、兄さんの馬鹿……! 言う? い、言わないでしょ、普通。死ね! 兄さんなんか、し、死ね……!」


 車椅子に座ったカチュアが、ミディアムの知らない名前を出されてポロポロ泣き始める。今のミディアムには、そのカチュアがとても不憫に見える。こんな状況でなければ、同じ、兄に振り回される妹同士として、話を聞いてあげたい気分だ。

 だけど、そんな余裕はどこにもない。

 何故なら――、


「――皇妃なんて、聞き捨てならないわねぇ」


「――っ」


「あなたに、剣狼の中の剣狼と共に往ける資格があるのかしらぁ?」


 そう首を傾けるのは、押し寄せる黒い甲冑の屍人たちと一線を画した、ミディアムの目から見てもとても綺麗な屍人だった。

 青白い肌と不気味な金色の目でなければ、きっと見惚れるくらいの美人だったろう。


 その迫力が死んでからのものなのか、生きていた頃からのものなのかわからないが、彼女の言葉はとても、ミディアムが言い返せる威圧感ではなかった。


「その娘が如何なる答えを返そうと、すでに死した貴様には無用の代物であろう」


 だから、そう言い返したのはミディアムではなく、アベルだった。

 客車の手前と一番奥、間にミディアムたちと屍人の兵たちを挟んで、アベルとその綺麗な屍人とが睨み合う。――違う、見つめ合った。


「はぁい、ヴィンセント兄様。相変わらず、凛々しくいらっしゃるのねぇ。……でも、ちょっとだけ痩せたかしらぁ?」


「兄弟姉妹に煩わされなくなったと思えば、貴様やパラディオが迷って出る始末だ。俺の頬が多少なりこけようと必然であろうが」


「ふふっ、迷って出たくもなるわよぉ。――プリスカは助けたんでしょぉ、お兄様」


「――――」


「『選帝の儀』の前提を崩したお兄様に、私やパラディオ兄様を罰する資格があるかしらぁ? 事実を知ったら、誰も皇帝なんて認めてくれないんじゃなぁい?」


 くすくすと、口元に手を当てて屍人のお姫様が嗤う。

 その一言に、アベルの黒瞳がわずかに揺れた。その瞳のまま、アベルは彼女に何かを言い返そうとして――、


「誰もなんてことないよ! あたしは、アベルちんが皇帝だって思ってるから!」


「オレもです、皇帝閣下! 死人の言うことに耳を貸す必要なんざねえ!」


 我慢できなくなったミディアムと、それに便乗したジャマルの声が客車を揺さぶった。

 その二人の発言にアベルがさっきよりも大きく目を丸くし、お姫様が目を細める。彼女は屍人特有の黄金の瞳で、ミディアムとジャマルを見ると、


「言ってくれるわねぇ。そっちの兵士は、私が誰なのかわかってるのかしらぁ?」


「あぁ? 見たとこヴォラキアの皇族だろうが、死んでる時点で関係あるか! 死んだ奴は負け犬で、生きてる奴が剣狼だ! それが! 帝国流だろうが!」


 世界一わかりやすい理屈で叫んで、ジャマルが敵兵との乱戦を再開する。

 その勢いの良さに、ミディアムは目をぱちくりとさせたあとで笑った。笑い、ミディアムもジャマルと同じで、戦いを再開する。


「アベルちんよりカッコいいよ、ジャマルちん!」


「畏れ多いぜ、皇妃様!」


 ミディアムの称賛に野性味のある笑みを浮かべ、ジャマルの双剣が荒れ狂った。

 その戦いを間に挟みながら、アベルとお姫様の対峙は続く。その、少しだけ不愉快そうになったお姫様の様子に、アベルは黒瞳を細め、


「――『陽剣』の気配を多く感じる。一人ではないな、ラミア」


「だとしたらぁ? 可愛い妹が増えて嬉しいかしらぁ? それとも、プリスカじゃないからヴィンセント兄様は興味がない?」


「もしも、貴様が屍人の仕組みを利用して理外の事象を引き起こしているなら、何ゆえに俺の前に数を出さない」


 嘲弄するようなお姫様――ラミアの態度に、アベルは取りつく島もなかった。ただ、何も答えないラミアの無言の中に、アベルは勝手に手掛かりを見つけてしまう。

 アベルは細めた黒瞳の中、変わり果ててしまっただろう妹を見ながら、


「数に限りがあるな。加えて、その大半を足止めされている。――ゴズか」


「平然と仰るのねぇ、お兄様。それが本当なら、ラルフォン一将の働きは勲章ものでしょぉ? 可哀想に、自分は手駒でいいなんて言って――」


「――故に、選んだ」


 静かな声音で、アベルがラミアの言葉を遮った。

 アベルは自然とその場で腕を組み、真っ向からラミアの視線と言葉を受け止め、


「あれは、俺が選んだ『将』の一人だ。その程度の働き、当然であろう」


 そう堂々と述べた上で、続けてアベルは「ラミア」と彼女の名前を呼んだ。

 そして、わずかに目を見張るラミアに、言った。


「俺は貴様を、取るに足らぬ存在などと思ったことはない」


「――――」


 投げかけられた一言に、ラミアの表情が大きく変化した。

 それまでは蠱惑的で、とても嗜虐的で、そうでなければ不満げで、そんな表情ばかりを浮かべていた彼女が、そのアベルの一言に違う顔をした。

 黄金の瞳を見開いて、唇を噛んだのだ。


「――ヴィンセント・ヴォラキアぁぁぁッ!!」


 次の瞬間、ミディアムの見た表情は嘘のように掻き消え、違う顔が表出した。

 彼女はその血の通わない顔に確かな激情を宿し、黄金の瞳を激発させながら、空中に伸ばした手で赤々と輝く宝剣を抜き放つ。

 煌々と光り輝いた宝剣を手に、ラミアが自ら踏み込み、床を蹴り、壁を蹴り、屍人たちの隙間を抜けて、アベルへと飛びかかった。


 まるで炎か光そのものを振り下ろすような眩さが、屍人に覆い尽くされた車内を明るく照らし出し、アベルを頭から消滅させようとする。

 それを真っ向から見据えるアベル、その鼻先に宝剣が振り下ろされる。


「アベルちん!!」


 屍人を蹴って飛びずさり、ミディアムが蛮刀で宝剣を受け止める。一瞬の停滞、ミディアムの蛮刀が溶けて、宝剣の軌道がそのまま流れた。


「皇帝閣下ぁ!」


 刹那遅れ、ミディアムと同じようにジャマルの双剣が宝剣を打ち払いにいく。これも、宝剣の光に呑まれ、一瞬で刀身が消えてなくなった。


 ミディアムとジャマルの妨害を突破し、ラミアの剣撃がアベルへ届く。

 そのまま、アベルの全部が赤い光に呑まれると、ミディアムが悲鳴を上げかけた。

 そのときだ。


「――――」


 何が起きたのか、誰にもわからない。

 仁王立ちするアベルの後ろにいたフロップとカチュアが、二人がかりでアベルの上着を引っ張ってその場に尻餅をつかせたことも、アベルが死ぬと思ったらとんでもなく胸が痛くなったミディアムも、もうダメだと絶望した顔のジャマルも、違う。


 ――ただその場で、まるで風に打たれたように、ラミアの体勢が崩れていた。



                △▼△▼△▼△



「まだ生きてたなんてしぶといわぁ、ベルステツ。――ねぇ、『選帝の儀』はどっちが勝ったのぉ? ヴィンセント兄様? それともプリスカかしら?」



 ――それが、再会をして最初に投げかけられた言葉だった。


 変わり果てた姿になった主との再会。

 九年の時を経ても、瞼の裏には昨日のことのように生前の姿が思い出される。人間は老いると、えてして昨日のことよりもひと昔前のことの方が鮮明になるものだ。


 だから、一目で主の異変はわかった。

 ひび割れた青白い肌と、光を望まなくなった黄金の瞳は、命を忘れた死者のそれだ。

 最初の問いかけからもわかる。彼女の時は、止まっていた。それが正しい。そうあるべきではないか。生者と死者とは、隔たれなくてはならないのだ。

 故に――、


「――剪定、やめええ!!」


 渇いた喉が張り裂けんばかりに声を張り、そう号令を飛ばした。

『風除けの加護』の恩恵に与り、吹き付けるはずの強い風も、本来凄絶なはずの竜車の揺れもなく、その声は遠く遠く高く、響き渡った。


 そしてその号令が聞こえた途端、大鋏を手にした屍人たちの動きが止まった。

 とっさに動かなくなる『剪定部隊』、その事実をどう思えばいいのかわからない。嘆くべきなのか、誇らしく思うべきなのか。

 心を『毒姫』に預け、冷たい血の流れる恐怖の象徴と、そう彼らを作り変えてしまったのは自分だ。彼らはその目的に沿い、期待に応えた。


 そして、死後もベルステツ・フォンダルフォンの号令に、体が反応してしまった。


「屍人の時は止まっている。ならば、彼らにとってあの『選帝の儀』の戦いは、ほんの昨日の出来事……体に染みついたものは薄れ得ない」


 たとえ、死しても主に付き従う在り方を、彼らは身を以て証明したのだ。


「――それでぇ? 私のケダモノたちを封じれるのは一瞬でしょぉ?」


「……ええ。ですが、これであなたはこちらへいらした」


 背後から届いた声に振り返り、ベルステツは一人、彼女のことを出迎えた。

 屋根が、壁が壊され、元の荘厳さの見る影もなくなった竜車。それでもなお、帝国の希望を乗せて走る連環の竜車の一台で、ベルステツとラミアは対峙した。

 ラミアの黄金の瞳、そこに自分が映っているのを確かめ、ベルステツは息を吐く。


「お待ちしておりました、ラミア閣下」


「ええ、そうみたいねぇ。でも、なんで一人で残ってるのかしらぁ?」


 小首を傾げたラミアが、その両手を広げて誰もいない竜車に視線を巡らせる。

 ベルステツ以外の、セリーナや王国の面々はここにはいない。ラミアと『剪定部隊』の足止めをする秘策があると、ベルステツが一人で残ったのだ。


 事実、『剪定部隊』の一瞬の足止めは果たした。

 もう二度と、ベルステツの号令が効果を発揮することはないだろうが、作られた数秒の隙をこの竜車に乗り合わせたものたちならうまく使っただろう。

 それで、ベルステツは先へいったものたちとの約束を守った。


「もう、守れない宣言をする歳ではありませんので」


「そう卑下することもないわよぉ。あれから九年も経ってるのに、あなたはちっとも変わらないわぁ。私が死んでしまったときとおんなじ」


「――閣下の、仰る通りでしょう」


 からかうようなラミアの言葉に、ベルステツは低い、しゃがれた声で答えた。

 それを聞いて、眉根を寄せたラミア。彼女の前でベルステツは骨の浮いた拳を握り、奇跡的に全部揃っている歯を強く噛みしめた。

 九年過ぎても変わっていない。ラミアの言うことは正しい。


「あのとき以来、私奴の時間もまた、止まっているのですよ、ラミア閣下」


 そう呟いて、ベルステツが一歩、前に踏み出した。

 大きく、決意を込めて一歩。それを踏み出したら、次の一歩。老いた体を動かして、ベルステツは前に、前に、踏み出した。


「――――」


 呆れたように、ラミアの黄金の瞳が細められる。

 ゆっくり、時間の流れがゆっくり、緩慢に感じる。感じるだけではなく、実際に遅い。直前まで、ベルステツたちを守るために戦っていたユリウスやガーフィールと比べたら、比べることさえおこがましいほど、弱々しかった。


 狼の群れで、自分の体を黒く塗った羊だった。老獪な山羊となった。角を大きく見せることで、狼の群れの中にも役割はあるのだと必死で誇示して。


「――『陽剣』」


 空に手を伸ばしたラミアの手の中に、その赤い宝剣の柄が生まれる。

 ぎゅっと細い指がそれをしっかり掴み、引き出されるヴォラキアの象徴たる宝剣。その赤々と、煌々と、赫炎を閉じ込めた剣がベルステツの目を焼いた。


 目を、細めていてよかった。おかげで、瞼を焼かれても眼球を守れる。

 そんなつまらない、益体のない思いを抱きながら、ベルステツは拳を振り上げた。その拳には指輪が嵌まっている。ヴォラキア帝国の、宰相の証。

 火のマナの力が込められた、『ミーティア』だ。


「それ、見たわよぉ」


 すでに帝都、すでに水晶宮、すでに玉座の間で一度目にしたものであると、ラミアの冷めた眼差しの色が変わらない。

 遅速に過ぎるベルステツの進み、すでに一度破られた切り札、相手が所有するのは世界最高峰の力を持った十の魔剣の一振り――、


「――閣下」


 ほんの一秒とかからず、斬り捨てられ、灰燼と帰すとわかっていた。

 それでも、七十年近い人生で最も長い一秒を、ベルステツは目一杯使った。

 そして、一度主にした進言を、今一度、告げる。


「我々は、敗れました……!」


 言いながら、ベルステツは上げた拳を振り下ろし、指輪を床へ向けた。

 そこで『ミーティア』を出力、膨れ上がる炎がベルステツの足下で炸裂し、遅すぎる老人の前進に炎の勢いを足した。


 猛然と、体ごとベルステツがラミアへと突っ込んでいく。

 その飛び込んでくる老躯を目の前に、ラミアはその黄金の瞳を見開いていた。見開いた黄金の瞳に、ベルステツ・フォンダルフォンが映り込んでいた。

 映り込んだその顔を見ながら、ラミアは『陽剣』を振り上げたまま、


「――あなた、そんな悔しそうな顔ができたのねぇ」


 長く仕え、深くは付き合わず、お互いの内心を語り合ったこともない主従。

 その皺だらけの顔で、瞳を見せない細い糸目で、何を考えているのかわからない従者の初めて見せる表情に、泣きそうな老人の姿に、ラミアの手が止まった。


 ――正面から、ベルステツとラミアの体がぶつかる。


 爆発の衝撃を和らげられないまま、揉み合う二人の体が客車の壁へ。『剪定部隊』の突入で破られた壁へ向かい、そのまま外へ投げ出される。

 ぎゅっと、枯れ木のような老人の指が、美しい少女のドレスを掴んで離さない。


 離れないまま、両者の体は連環竜車の外へと大きく弾き出され――、



                △▼△▼△▼△



 ――その瞬間、連環竜車へと現れた無数のラミア・ゴドウィン全員を衝撃が襲った。


「――――」


 ゴズ・ラルフォンと戦うラミアたちが、ガーフィール・ティンゼルと戦うラミアたちが、ロズワール・L・メイザースと戦うラミアたちが、エミリアと戦うラミアたちが、竜車のいずれの場所にいたラミアたちが、一斉に衝撃に揉まれた。


『加護』とは、この世界に生まれ落ちた命が授かることのある祝福であり、その全貌はいまだに解明されたことがなく、多くが謎に包まれている。


 ただ一点、多くのものが加護に対して感覚的に持っている確信が一つある。

 それは、加護とは授かったものの、対象としたものの、魂に影響するというものだ。

 それが事実か否か、証明されたことはない。ただ、これだけは言える。


 ――ベルステツ・フォンダルフォンが、ラミア・ゴドウィンの一人と竜車の外へ投げ出され、二人が『風除けの加護』の対象外になったのと、それは同時だったと。


 そしてそれは、ヴィンセント・ヴォラキアへとラミア・ゴドウィンの一人が斬りかかり、ミディアム・オコーネルとジャマル・オーレリーが防ぎ切れず、フロップ・オコーネルとカチュア・オーレリーの前で、悲劇が起こる瞬間でもあった。


「――っ」


 風に打たれたように、『陽剣』を構えていたラミアの体が後ろへと引かれる。

 このとき、何が起こったのかラミアにも、ミディアムたちにもわからなかった。ただ、引き倒されたヴィンセントが足を伸ばし、ラミアを後ろへ蹴り出したのが事実。

 そうして、蹴り出されたラミアの背後、隣の車両と通じる扉が破られ――、


「――――」


 虹色の輝きが躍り、扉の前に立っていた『剪定部隊』が斬り倒される。

 その虹の光を掻い潜り、小さな影が三つ、車内に転がり込んできた。


 その内の一つが手をかざすと、淡い光が三つの影を取り巻いて、その転がり込む速度が上がった。それをした影と手を繋ぐ、三つの影の真ん中が声を上げる。


「――ラミア・ゴドウィン!」


 張り上げた声、両手を左右の少女と繋いだ黒髪の少年の叫び。

 ドレスの少女が光を生み出し、黒髪の少年が名前を呼んで、そして飛び込んできた最後の一人が、少年を繋いだのと反対の手を伸ばし――、


「――いああいあう」


 ――飛んでくる背中に触れた手を振り切り、『毒姫』の名前を剥ぎ取った。



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