ロッテ・佐々木朗希が9月14日の日本ハム戦(ZOZOマリン)に先発し、5回4安打1失点で今季9勝目(4敗)を挙げた。ロッテで高卒3年目以内の投手が9勝以上を挙げたのは、1975年の三井雅晴以来47年ぶりだった。
三井は73年に愛知・半田商高からドラフト2位で入団し、2年目の74年に頭角を現す。金田正一監督は「(三井が先発で)出てくれば木樽(正明)をリリーフに回せる」と先発構想を掲げ、プロ4試合目の6月4日の南海戦(大阪)で初先発させた。一回に門田博光にソロ本塁打を浴びたが、直球と大きなカーブを武器に五回を終えて1失点。雨脚が強まり、六回表を終えて降雨コールドゲームとなり、プロ初勝利を挙げた。金田監督を「三井は完全にローテーションに入った」と喜ばせた。
その後、先発、救援とフル回転し、この年は31試合に登板して6勝5敗4セーブ、防御率3・24。新人王を受賞した。翌75年6月3日の南海戦(大阪)でプロ初の完封勝利をマークし、後期に6連勝するなどシーズンを通して10勝8敗4セーブ、防御率3・50。同年まで日本ハムの監督として対戦した中西太は「将来、パ・リーグを背負って立つ投手になる器だよ」と評し、同僚の村田兆治も「すごいスレートを投げる」と絶賛した。
この活躍にキラリと目を光らせた人物がいる。75年に球団史上初の最下位に沈んだ巨人・長嶋茂雄監督は同年オフに金田監督と極秘会談を行い、三井の譲渡を申し入れた。金田監督は三井は重要な戦力としながらも、①交換相手は高橋一三プラス野手②三井は巨人に貸すのではなく〝長嶋監督に貸す〟。退任するときは返してほしい、と条件をつけた。
一時は合意に至った移籍話は巨人の富田勝と高橋、日本ハム・張本勲のトレードが成立し、白紙となった。12月の契約更改の席で三井は「こんなに買ってくれるのかと初めて知り、何か自信がついた。来年は15勝を挙げます」と頼もしい数字を宣言し、第2の村田兆治誕生を期待させた。
だが慢性化した右肘痛に悩まされ、79年10月に渡米しフランク・ジョーブ博士による右肘軟骨除去手術を受けた。再起を期した右投手はしかし、復活を遂げることなく82年に現役を引退した。(記録担当・小川真幸)