荒木大輔氏が語るトミー・ジョン手術と大谷翔平

ジョーブ博士の診断

 日本のプロ野球選手で最初にジョーブ博士の手術を受けたのはロッテの三井雅晴投手。その後、「マサカリ投法」で知られたチームメートの村田投手が同じ手術を経て復活した。

 パ・リーグを代表する右腕の村田投手はリハビリ後の85年に17勝し、カムバック賞を受賞。日曜日に登板する「サンデー兆治」とも呼ばれていた。荒木投手も同博士に診断してもらう機会を得て、88年夏に渡米。このシーズンは7月6日の救援登板が最後となった。

 「ロサンゼルスでジョーブ博士に右肘を診てもらうと、『けんが(切れて)ない』と言われました。僕の肘はグニャッとしていて支えがないような状態。博士が『野球をやめますか? それとも手術をしますか?』と問いかけてきたので、迷わず『手術を受けます』と即答しました」

 数日後に手術。左手首のけんを右肘に移植した。

 「その際、後々に患部の周りに脂肪が付いて手がしびれる症状になるかもしれない、とも言われました。約1カ月後、実際にそうなり、脂肪を取り除く手術を受けました。ただ、それによってリハビリが後退することはない、とのことでした」

 ジョーブ博士から一定のメニューをもらい、日本でのリハビリ生活が始まった。当時、周囲に専門的な知識を持つ人はおらず、荒木投手はほとんど独学でリハビリに取り組んだ。

 「博士からは、メニューに沿ってやっていて『痛くなったらそこでやめておくように』とのアドバイスを頂いていました。でも、例えばダンベル1キロを10回、というのがあり、それはかなり軽いし、痛みもありません。だから試しに、もう少し重くしてみました。肘が痛くなることもなかったので」

 早く体力を付けたいと、はやる気持ちもあって、与えられたメニュー以上のトレーニングを続けた。順調にリハビリが進み、翌年、そろそろブルペンに入ろうか、という段階になった頃、肘痛が再発してしまった。

 「再び渡米して、ジョーブ博士を訪ねました。それはもう、カンカンでしたね。顔を赤らめていた博士をよく覚えています。散々怒られましたから。すぐに再手術です。今度は自分の右手首のけんを移植しました」

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