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Re:ゼロから始める異世界生活  作者: 鼠色猫/長月達平
第八章 『ヴィンセント・ヴォラキア』
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第八章24 『光の歩き方』



「――スピカ、ね」


 泣きじゃくる二人、レムと、それまでルイだった少女を眺め、呟かれる声。

 涙目を手の甲で拭い、振り向いたスバルは声を発した相手、ラムを見る。彼女は常の落ち着いた面持ちでテーブルに頬杖をつき、長い足を組んでいた。

 彼女は小首を傾げると、薄紅の瞳を細めてスバルを見やり、


「由来は?」


「……星の名前だ。俺の地元での、だけど」


「そう。バルスらしくもなく詩人ね。でも、わかっているの?」


 瞳を細めたまま、ラムの視線が抱き合う二人の方に向く。

 それだけで、ラムが何を言っているのかはスバルにも伝わった。

 それは当然ながら、この客室にやってくるまでの間にも散々交わされた議論。


「大きな目的のためとはいえ、大罪司教を利用するということがどんなことなのか、ちゃんとわかっているの?」


「――。もちろん、考えた。わかってるなんて偉そうに言えないけど……」


「なら、やめなさい」


「――っ」


 冷たく、硬い言葉をぶつけられ、スバルの喉が小さく呻いた。

 しかし、スバルの感じた痛みに忖度しない目で、ラムは今一度重ねる。


「ちゃんと、わかっていないならやめなさい。――この目と、向き合うことの意味を」


 そう言いながら、ラムは頬杖をついていた手を伸ばし、傍らの細い肩に触れた。

 それはラムの隣で、スバルたちのやり取りを一緒に見ていたタンザだ。立会人となることを求められ、この場に居合わせたタンザ。

 彼女はスバルの視線に黒目がちの瞳を揺らし、


「シュバルツ様のお気持ちは、重々承知しています。ギヌンハイブでも、その後の道程でも多くの無理を通してこられましたから。ですが……」


「タンザ」


「ですが、セシルス様ですらお連れしたシュバルツ様でも、大罪司教をお連れになることはすべきではないと、私は思ってしまいます」


 毅然と、途中まで揺れていた瞳の光を正し、タンザはスバルを見つめて言った。

 耳心地のいい言葉を選ぶような媚び方をせず、正直な自分の考えを主張する。幼くも実直なタンザの意見は、だからこそスバルの胸にも染み渡った。


「……そうだな、俺が馬鹿だった」


 タンザの言葉を受け、改めてラムの言葉の真理を痛感する。

 そしてそれが、ナツキ・スバルが選ぼうと決めたことの、間違った重みなのだ。


「ちゃんとわかってる。散々言われたことだから、全部背負う」


「そう。言っておくけれど、バルスやレムがなんと言おうと、ラムは許さないわ」


「……っ、姉様」


「ダメよ、レム。あなたの優しさは姉として誇りに思うけど、それとこれとは別」


 ぎゅっとスピカを抱いたまま、涙ぐんだ目でレムがラムを見る。が、その妹の眼差しに首を横に振り、ラムは自分の立ち位置をしかと表明する。

 当然だろう。ラムもまた、自分の半身であるレムを奪われた『暴食』の被害者だ。

 その立場はスバルと同じなんて、おこがましいことは言おうとも思えない。

 だから――、


「許されたいなんて、そんな願いの入口にもまだ立っていないわ。ラムが今もその娘……スピカを八つ裂きにしていないのは、『記憶』の問題、それだけよ」


「……『記憶』の戻し方がわからない今、スピカに何かあったら」


「万一にも、レムの『記憶』が戻らないなんてあってはいけない。レムは戻らなくてもいいと言ったけれど、ラムは御免よ。レム自身にもラムのことを、そしてラムもレムをどれだけ愛していたのかを思い出させてもらうわ」


 ぴしゃりと愛を取り戻すと宣言するラム、その結論は以前のそれと同じだ。

 プレアデス監視塔の戦いが決着し、ライ・バテンカイトスが死亡して、ロイ・アルファルドの身柄の確保に成功したとき、ロイは『暴食』の権能の被害者を救済する手段の可能性として、その命を奪われずに済んだ。

 ただし――、


「違っているのは、あの大罪司教と比べれば協力的という点ぐらいね」


「ラム……」


「その顔をやめなさい。いい? 許されたいなら、償いが先よ。それが道理というものでしょう。どうせ、これも言われたあとでしょうけど」


「――。だな」


 ラムの言葉に頷いて、スバルは小さな拳を自分の胸に押し当てた。

 まさしく彼女の言う通り、今、スピカに許されているのは寛大な保留だ。彼女に関わった人間がその行いと有用性を理由に、その刑罰の保留期間を延長している。

 スバルは生き直す決意の切っ掛けとしての名前と、より多くの人が保留期間の延長に同意してくれるよう手伝うという、それを与えてやるしかできない。


「差し当たってはスピカ……お前、権能の力でレムの『記憶』と『名前』をスパッと戻してやれたりできない?」


「うう、あう……」


「さすがに、それは虫がいいか……」


 抱き合ったレムの肩口で、スピカが申し訳なさそうに首を横に振る。

 彼女は自分の両手を開いたり閉じたりしてみるが、権能を自在に操り、『暴食』たちが集めたそれを自在に返還する、は容易くはないようだった。


「……本当に、ルイちゃん……いえ、スピカちゃんにできるんですか? 私や、他の人たちの消えてしまった『記憶』を戻すことが」


「少なくとも、一番可能性の高いのがスピカで、それができることが最低条件だ。それ自体はもう、『星詠み』の話とは別個」


 レムも不安がっているが、やれるようにならなくてはならない。

 それがスピカが『ルイ』の十字架を背負い、歩いていくために必要な前提なのだ。

 そのために、スピカには『暴食』の権能を使いこなして――、


「――――」


「――? あの?」


 一瞬の、刹那の不安が言葉を閉ざし、レムの瞳を揺らがせた。

 ラムが提示してくれた寛大さ、それを引き取るために必要な条件、そのためにクリアしなければならない手段とわかっていて、権能の存在は恐ろしい。


 許されざる大罪司教でなくなるために、大罪司教の用いる権能を使い続けることで、スピカという生き方が再び、『ルイ・アルネブ』に近付くことの恐ろしさだ。


 スピカを生かすということは、その恐怖と戦い続けることなのだ。

 それを、覚悟した上で――、


「――それをやってもらう。頼んだぞ、スピカ」


「う! あうあう!」


 青い瞳に確かな決意を宿し、スピカがスバルの言葉に勢いよく頷いた。

 そのスピカの姿と、悪辣な『ルイ・アルネブ』の姿とは、見た目は同じでも心根の部分で重ならない。それが、確かに信じられる希望だった。


「タンザ、お前の忠告を聞いてやれなくてごめん」


「――。いつものことですと、私が笑って許すとお思いですか?」


 レムとスピカから目を離し、それからスバルはタンザに振り返る。声の調子を落としたスバルに、タンザが感情の硬い声でそう応じた。

 その返答に、「いや」とスバルは肩をすくめて、


「思わないよ。だって、お前は滅多に笑ってくれないから」


「そういうことでは……」


「ちゃんとわかってる。でも、猶予をくれ」


「……そうさせたいのでしたら、取るべき手法はいくらでもおありのはずです。彼女の力がヴォラキア帝国のためで、ひいてはヨルナ様をお救いするためだと、そう言えばいいではありませんか」


 きゅっと唇を結んで、タンザがスバルにそう言い募る。

『星詠み』の予言の信憑性はともかく、この戦いにスピカの存在は欠かせないと、それを押し出されれば、ヨルナの命が懸かっているタンザは嫌とは言えない。

 でも、その方法はスバルが嫌だったのだ。


「そのズルいやり方でタンザを言いなりにはできるかもだけど、それは嫌なんだ。誰にもズルい方法なんて使いたくない。お前は特にそう思う一人だ」


「――。でしたら、シュバルツ様には無理ですね」


 タンザは自分の細い腕を抱きながら、ついにはスバルから目を逸らした。

 その仕草にも言葉にも、卑怯者と面と向かって罵られて、スバルは長く息を吐く。

 スバルのやりたいことはいつも、周りの、スバルを大切に思ってくれている人たちを傷付けてばかりの道だから。


「それで? ズルくて卑怯なバルスは外ではどううまく立ち回ったの?」


 そのラムの言いようにスバルは苦笑した。

 スバルの自嘲を、こうやって独りよがりにしないでくれるからラムは優しい。本当にラムの言う通り、うまく立ち回れたらよかったが。


「そんなちゃんとやれてないよ。ちゃんとやれるまで、やり直す手もあったけど……」


 例えば、剣奴孤島では躊躇なくスバルはそれができた。

 誤った道へ、望まぬ関係性へ進みかけたとき、それを挽回するための方法に再挑戦するという、トライ&エラーを繰り返すだけの積極性が。


「でも、みんなと再会した今はやりたくないんだ」


 言いながら、スバルは口の中で舌を滑らせ、ずいぶん長いこと仕込んであった、奥歯の裏の薬包――毒の包みの感触がないのを確かめ、目をつむる。

 またあの方法に頼ることがあったとしても、それは人間関係の過ちから目を逸らすために用いるのであってはならない。

 そう強く、心に決めているからこそ――、


「――オットーにも、あんだけ強くぶん殴られたんだから」


 自分の往く道が何に犠牲を強いるのか、それを繰り返してはならないのだと。



                △▼△▼△▼△



「オットー兄ィ、治してッやっから手ェ見せろや」


 そう言われ、オットーは自分の正面に立ったガーフィールの顔を見返した。

 この荒っぽい見た目の少年は、外見と裏腹にとても中身が繊細だ。気遣い屋な上に心根が優しく、実にエミリア陣営の一員という風情である。

 そんなガーフィールの申し出に、オットーは「いえ」と首を横に振り、


「そう気遣わなくて大丈夫ですよ。そこまで大げさにすることじゃ……」


「オットー兄ィ、らしくッねェぞ」


「――――」


「あれだ、俺様も考えッたり思ったりってしねェわけじゃァねェ。だから、オットー兄ィの気持ちもちったァわかるけどよォ」


 ガリガリと自分の頭を掻きながら、ガーフィールが片目をつむった。そして、顎をしゃくって彼が示してくるのが、その視線の向いているオットーの手だ。

 その拳が痛々しく、青黒く腫れている右手である。

 一瞬、体の向きを変えて視線から手を隠そうとしたが、腕利きの武官である弟分にそれをするのは無謀というものだったし、何より――、


「治してもねェ手ェぶら下げて、大事な戦いすんのが兄ィの望みッかよォ」


「……それを言われると、立つ瀬がありませんね」


 もっともな説得に苦笑して、オットーは諦めて右手を差し出した。

 青黒く腫れた拳はじくじくと痛みを発しており、オットーも二十年以上生きてきた感覚から、たぶん拳の骨が折れていると実感している。

 というより、そう思ったら余計に痛みが増してきた。折れてなくても折れている。


「『弱気なドムスの一番討ち死に』って感じだぜ」


「普段から弱気な人が戦場で張り切って、つまらない死に方をするって意味でしたか」


「まァ、オットー兄ィは弱気ってのと完全に無縁ッだけどなァ」


 言いながら、ガーフィールが優しく取った手に治癒魔法をかける。

 じんわりとお湯で温められるような感覚が淡い光にあり、ほんの十数秒でオットーの拳の痛みは和らいだ。


「繋がったばっかじゃッやわらッけェから、次殴んなら左手で頼まァ」


「両手骨折するなんて嫌ですよ。次はガーフィールにお願いします」


「俺様がッやったら大穴開いちまうじゃァねェか。オットー兄ィの力だから、あんなッもんで済んでんだぜ?」


 牙を噛み鳴らし、ガーフィールが首を巡らせ、客車の壁へと視線を送る。

 そこにはガーフィールの言う通り、わずかに凹み、亀裂の入った壁の跡があった。あれをしたのがオットーの拳であり、その拳の高さが――、


「――ちっこくなった大将の、頭の位置な」


「ナツキさんは小さくなっていて運がよかったですよ。あの状態のナツキさんをぶん殴ったら、どんな言い訳をしても僕が悪者っぽいですからね」


「そいつァ違ェねェ。大将がでかけりゃァ、兄ィの次に俺様も一発やってたかもなァ」


 喉を鳴らして笑い、ガーフィールがオットーの軽口に乗っかる。

 そのガーフィールの言動に口の端が緩み、オットーは「ああもう」と治してもらったばかりの右手で、自分の頭を掻き毟った。

 治りたての右手は、乱暴にするとまだまだ痛む。でも、痛みは助かる。


「それが安直でも、痛みは薬になりますから。……なんだ、やっぱり小さかろうとナツキさんを殴っておいたらよかったですかね」


「したら、今からッでも一緒に殴りにいくかァ?」


「嫌ですよ。今いったら、見たくないものを見ることになりますから」


 なるべく気休めになるようにしてくれているガーフィールが、そのオットーの答えに「がお……」と呻き、言葉に詰まった。

 そのつもりはなかったのに、八つ当たりのような形になったとオットーは自分の言動を反省する。――否、本当にそのつもりはなかったのだろうか。


 ガーフィールが、自分には決して噛みつかないと確信していて、気遣ってくれる彼に尖った言葉をぶつける打算がなかったと、言い切れるのだろうか。


「……嫌だな」


 そう呟いて、オットーはまたしても右手で、少し強めの自分の額を叩いた。

 叩かれた額も、叩いた右手も、どちらも骨が痛みを訴えた。


 ――現在、スバルはラムやレムが待機している客室に向かい、そこで『ルイ』と対峙して、話をしているはずだ。


 そこで交わされるだろう話は、オットーにとって心の底から不本意で、絶対に現場に居合わせたくないと声を大にして言える場面である。

 エミリアやベアトリスは話の流れそのものよりも、その話をするスバル自身が心配で彼についていった。客室の中に入るかどうかはわからないが、ハラハラと結論を待っている姿が目に浮かぶ。

 ただ、その条件のことを考えるなら――、


「――――」


 気まずげな顔で押し黙っているガーフィールは、オットーのことが心配だからこの場に残ったということになるだろう。

 エミリアたちとガーフィール、どちらもオットーの心を酸っぱくさせてくれる。


 ――『暴食』の大罪司教、ルイ・アルネブに対するオットーの意見は一貫して、なんとしても排除するべきの一言だ。


 そうするべきと考え、強い決心を固めているからこそ、オットーにはエミリアたちにあえて伝えていない事実があった。

 それは、城郭都市グァラルで合流して以来、幾度も接触する機会のあった『ルイ』という言葉を話せない少女――彼女から、一度も悪意を聞いたことがないという事実だ。


「――――」


 オットーの有する『言霊の加護』は、どんな生き物とでも意思疎通を可能とするというそれだけの単純な性能だ。地竜や虫と言葉を交わし、情報を得るのが最も多用する使い方だが、オットーはその気になれば赤子とでも話せる。

 行商人生活が苦しい時代、路銀を稼ぐのに土地の有力者の赤ん坊を世話する仕事をしていたこともあったほどだ。


 赤ん坊の声は言葉にならなくても、込められた意図は読み取れる。

 それと同じように、『ルイ』の発する言葉にならない声も、意図は読み取れていた。そしてそこには他者への悪意はなく、スバルやレムへの情が多分を占めていた。

 だからオットーは、その事実に蓋をして、絶対にエミリアたちに教えなかった。


 疑いがある間は、エミリアたちが過剰に『ルイ』と距離を詰めることを避けられる。

 その疑いが晴れれば、優しいエミリアたちが『ルイ』にどんな態度を示すか、どんな距離感で接しようとするか、語るまでもないことだった。

 それを――、


「――オットーくんとガーフくん、ちょっとええかな?」


「――――」


 コンコンと、軽く客室の扉を叩いて顔を覗かせたのは、キモノ姿のアナスタシアだ。

 その隣に同じくワソー姿のユリウスを帯同した彼女の出現に、オットーは頬を引き締めてから、「ええ」と頷いた。


「あっちの方はもうちょっとかかりそうやったから、あんまり大勢で待ってるのもなんかなぁて思うて戻ってきたわ。オットーくんの、手ぇも心配やったし……」


「あんたらに心配ッされなくても、兄ィの手ェなら俺様が治したぜ。それッより」


「うん?」


「あんたにガーフくんなんて呼ばれんのァ、落ち着かねェよ」


 鼻面に皺を寄せて、そう訴えたガーフィールにアナスタシアが目を丸くする。それから彼女は「ごめんごめん」と微笑み、


「ほら、ミミがガーフガーフてそないに呼んで話してばっかりおるから、ついついウチもガーフくんで頭に馴染んでしもたんよ。ガーフくんじゃ、あかん?」


「いけねェたァ言わねェが……」


「ガーフィール、気を使わなくても大丈夫ですよ」


 渋るような態度でアナスタシアに食い下がるガーフィール、その肩を叩いてオットーは首を横に振った。

 アナスタシアたちが入ってきて、ガーフィールはオットーを背後に回すように立ち位置を変えた。――正確には、アナスタシアが理由ではない。


「――――」


 アナスタシアのすぐ脇に控える、ユリウスの存在が理由だった。

 彼が客室に姿を見せて、オットーの空気が変わったのをガーフィールも察したのだ。だからこそのガーフィールの配慮に、オットーは頷いた。

 そして、弟分と肩を並べる位置に立つと、右手をアナスタシアたちに見せた。


「ガーフィールの言う通り、手ならもう治してもらったところです」


「そかそか。それならよかったわ。もしあれやったら、ユリウスに治させよて思うてたんやけど、お節介やったね」


 ペロッと舌を出し、いけしゃあしゃあとそう述べるアナスタシアが小憎たらしい。それをアナスタシアから提案されたら、こちらが断れないと思っているならお生憎だ。

 オットーとガーフィールが不在のアウグリア砂丘、その道行きで二人はスバルやエミリアたちと交友を深めたかもしれないが――、


「あの方たちと違って、僕はお二人が敵であることをちゃんと覚えています」


「――。やっぱりええね、オットーくん。もちろん、エミリアさんらのことは嫌いやないけど……そういう反応やないと、ウチも張り合いなくなってまうから」


 視線を鋭くしたオットーに、アナスタシアもはんなりと微笑みながら答える。その表情も声色も柔らかだが、浅葱色の瞳に宿った光は強固で、オットーも納得する。

 たとえ、わざわざ国境を跨いでまでヴォラキア帝国へ乗り込んできても、アナスタシアはきっちりと陣営の一線を引いている。だからこそ、カララギ都市国家を大きく巻き込んだ立場として、この連環竜車に合流したのだ。

 その点で言えば、問題なのはアナスタシアではなく、


「騎士ユリウス」


「先ほどは出過ぎた発言をした。その謝罪をさせてもらう」


「謝罪、ですか」


 我ながら硬い声で呼びかけた相手、ユリウスの返答に吐息が漏れる。

 出過ぎた発言というのは、先のこの場でのやり取りで、『暴食』の大罪司教の処遇を巡る中で彼が口にした一言だろう。


 自らの考えを述べるという意味で、ユリウスはその権利を行使したに過ぎない。

 それはあの場で、激昂したオットーにユリウス自身が発した言葉のはずだったが。


「考え直したと仰るんですか? やはり、自分は部外者だったと」


「いいや、『暴食』の大罪司教の権能……それにより、被害を被ったという意味では私は関係者だ。私自身も、その思い出を振り返れない弟がいる。その点から考えても、私は自分を部外者とは思わない」


「……それなら、何を以て出過ぎたと?」


 声を低くして、オットーは眉を顰めながら聞いた。

 謝罪を言い出してきたわりに、ユリウスはオットーの引っかかった部分に関しては意見を変えるつもりがないと言ってきた。

 他の部分で、ユリウスが謝罪したいと申し出る理由が思いつかないが。


 そう怪訝に思うオットーに、ユリウスは言った。

 その黄色い瞳に真摯な謝意と、ある種のこちらへの信頼を宿しながら、


「オットー殿、あなたの役目を奪ってしまったことを謝罪する」


「――――」


「あなたの反応でわかった。あの場で私が言い出さずとも、同じことはあなたの口からも語られたはずだ。にも拘わらず、私は自分が『暴食』の被害に遭った当事者である一点を理由に、陣営の識者であるあなたの役目を奪った。故に」


 そこで言葉を切り、ユリウスは深々と頭を下げた。

 そして、薄紫の髪の頭頂部をこちらに向けながら、


「心からお詫びする。申し訳なかった」


 そう、一部の隙もない謝意の表明を見せられ、オットーは頬の内側を強く噛んだ。

 その防衛反応が遅かったら、危うく相手の前で唇を噛んでしまうところだった。頭を下げたユリウスには見えなくても、アナスタシアには見られる。

 それは、絶対に避けなくてはならなかった。


「ユリウスが、どうしてもそのことで謝りたい言うてな? せやから、オットーくんの手ぇの治療がまだやったら、切り出しやすいなぁって思うてたんよ」


「……そォかよ。そりゃ、悪ィことしたな」


「ええよ。切っ掛けがなくても、ウチの騎士様はちゃんと謝れる子ぉやったから」


 当事者であるオットーとユリウスを余所に、アナスタシアとガーフィールがそんな言葉を交わしている。その間もユリウスは頭を下げたままで、オットーは遅れて、自分の言葉が待たれているのだと気付いた。

 オットーが何かを答えなくては、この謝罪は終わらないのだと。


「……顔を、上げてください」


 ゆっくりと時間をかけて、オットーはようようその言葉を相手にかける。

 それを受け、ユリウスもまたゆっくりと下げていた頭を上げた。ワソー姿の騎士、左目の下の傷が精悍さを際立てる面構えを見て、オットーは嘆息する。

 そして――、


「あなたの、あの発言に悪意がなく、ナツキさんへの協力する姿勢があったことは疑いません。ですが、あなたは敵だ。依然、変わりなく」


「オットー殿」


「僕は騎士ではありませんから、剣を交える機会はない。あなたは商人でも文官でもありませんから、言葉を交える機会はない。――それでも、剣でも言葉でもないものを交える立場として、あなたは僕の敵であり、僕はあなたの敵です」


 ぎゅっと、強く握れば痛む拳を強く握り、オットーはユリウスにそう宣言する。

 そのオットーの言葉を真っ向から受け、ユリウスは目を見張った。それは唖然や呆然といった、敵だと思っていない相手に対する驚きでなかったことが、少なくともこの状況でのオットーの矜持を救った。


「アナスタシア様、先にお伝えしておきますが……ナツキさんやエミリア様の意思がどうあれ、大罪司教を役立てる理由は帝国にある。大罪司教の存在を理由に誹られるなら、その責を負うべきは帝国です」


「――。ん、ウチもそれには異存なしや。そうやなくても、こないなことウチかて自分の手札にしよなんて思うてへんよ。やって、そうやろ?」


 振り向き、そう武装した理論を提示するオットーにアナスタシアが片目をつむる。

 彼女は自分の白い狐の襟巻きを撫でながら、視線を別の方角――おそらく、スバルたちがいるだろう客車の方に向けて、


「それがどないな計画でも、大罪司教が関わることを良しとした時点で、関係の深さ浅さに関係なく、周りに嫌な顔されるんは当然やもん。これは帝国だけやなくて、エミリアさんらだけでもなくて、ウチたちにとっても表に出せん話」


「――わかっていらっしゃるなら、結構です」


 アナスタシアの答えに頷いて、オットーはわずかに肩から力を抜いた。

 事に大罪司教が絡めば、それがどのような場面であっても肯定的に受け取られることはありえない。それがこの世界の枠組みであり、動かし難い真理だ。

 被害者であるユリウスが何を言い、心根の優しいエミリアが許すための道を示し、そして愚直で望みが高いスバルが何を願っても、そうなのだ。


 だから、突き付け合わなくてはならない。

 お互いの首筋にナイフを向け合い、互いにとっての致命傷を押さえているのだと。


「――。すみません、少しやらなくてはいけないことが。ここで失礼します」


 その共通認識を確認したところで、オットーは唐突にそう言った。

 それを聞いて、アナスタシアは「そう?」と首を傾げる。彼女の傍らではユリウスが、先のオットーからの宣言を咀嚼し、驚きの表情を引き締めていたが、そちらを長く見るのが耐え難く、素早く背を向けた。


「兄ィ! 俺様も……」


「ガーフィール」


「あァん?」


「一人で、大丈夫ですから」


 早足に、客室を離れようとしたオットー。その背に続こうとしたガーフィールを手で制して、オットーは噛み含めるようにそう伝えた。

 それは一人で大丈夫ではなく、一人にしてほしいという懇願だ。そして、気遣い屋の弟分は素直にそれを聞き入れ、頷いて見送ってくれる。


「――――」


 静かに客室の扉を閉めると、オットーは大股で歩き出し、そこを離れる。

 ガーフィールを、アナスタシアやユリウスと同じ部屋に取り残してしまった。残った彼がどんな話をするのか心配だが、その擁護に回る心の余裕がない。


 走りはしなかったが、走り出したいくらい、心中は穏やかではなかった。


「僕の役目を、奪った……?」


 謝罪したいと、そう頭を下げたユリウスの言葉が頭に反響し、奥歯を噛みしめる。

 謝ることができるなんて、ユリウスはさすが、アナスタシアの騎士らしく、誠実で真摯な人柄だ。なんて、そんなお気楽な感想は出てこない。

 ただただ、ユリウスの考え違いに対し、とても苦い感情があるだけだ。


 ユリウスは大きな勘違いをしている。

 オットーは、あの場でユリウスが言わなければ、スバルの袋小路に穴を開けるようなことは絶対に言わなかった。

 確かにユリウスの言う通り、彼と同じ考えが頭になかったと言えば嘘になるが、その上で断言できるのは、オットーはそれを死んでも口に出さなかったことだ。


 役割を奪われたから、ああして激昂したのではない。

 言うべきではないこと――否、言ってほしくないことを言われたから、オットーはあの場でユリウスに激昂した。それを、ユリウスはわかっていない。

 なのに、あんな勘違いをしているのは――、


「道理で、似た者同士なわけだ」


 根っこのところで、ユリウスもスバルと同じような理想主義者である証だ。

 人間の根幹が善なるものと信じている。でも、それはお気楽だからではない。現実を知らないからではない。現実を知っていてなお、ああ嘯ける。


 それはナツキ・スバルやエミリアと同じ、光の歩き方だった。


「――っ」


「――オットーくん、それはいけない」


 不意に、自分の腕を掴まれる感覚があり、オットーが現実に呼び戻される。

 何事かと見れば、オットーは気付かないうちに腕を振り上げていて、それを背後から伸びた誰かに引き止められていた。

 たぶん、オットーは感情的に腕を壁にぶつけようとしていたのだ。ガーフィールに治してもらったばかりの、その右腕を。


「この治り方はガーフィールの治癒魔法だろう? 治したばかりだろうに、またすぐに壊してしまっては君でも気まずくなるだろうに」


「……馬鹿なことをしたのは認めますので、離してくれませんか」


 無意識に低い声が出て、自分で少し驚いてしまう。が、相手は聞き慣れているとばかりに言及せず、オットーの手を離して解放した。

 そこに立っていたのは、いつでもあまり会いたくないロズワールだった。もっとも、いつでもあまり会いたくないが、今は特にそうだった。


「その顔、私と口も利きたくないという様子だーぁね?」


「それが見て取れて話しかけてくるんですから、辺境伯も筋金入りですね」


「君らしくもなく、嫌味に切れ味がない。思ったよりも応えているようじゃーぁないか」


「――――」


 当然だが、ロズワールも先ほどの客室での話し合いには参加していたのだ。

 オットーがあの場で怒り心頭だったことも、大罪司教の扱いに対して強硬的な意見を持っていたのも知っている。

 知っていてこの態度なのだから、その目的は明々白々、オットーを怒らせることだ。

 そうでなかったとしたら、他人との付き合い方が下手すぎる。


「辺境伯もおわかりかと思いますが、今の僕には余裕がありません。全身を僕が買収した鼠に齧られたくなければ、あまり逆撫でしないでください」


「もし今後、鼠に齧られるようなことがあれば下手人は君というわけだ。それは有益なことを聞かせてもらったが……君を案じているんだよ」


「……僕を?」


 怪訝に聞き返すと、ロズワールが頷いた。

 その反応に、オットーは彼が新たな角度から嫌がらせをしてきたと理解する。余裕がない状況でそれをされると、本当に胸が悪くなるのでますます憎たらしい。


「辺境伯は、どうお考えなんですか?」


「私かい? 私はもちろん、オットーくんと同じで帝国なんて滅んでも一向に構わないというスタンスでいるとーぉも」


「――――」


「おや、違ったかな? 大罪司教なんて薬になり得ない毒でしかないものだ。その活用法を考えるくらいなら、帝国なんて消えてしまってもいいだろう。君がスバルくんに提案した通り、見捨てて気が咎めるメンバーだけ連れ帰ればいい」


 名案だ、と言わんばかりに肩をすくめるロズワールの態度に、オットーはまざまざと自分の意見を見せつけられ、嫌な気分になる。

 寄り添うなどと白々しいことを言って、わざわざオットーに自分のやり方を跳ね返すのだから、ロズワールの性格の悪さは極まっていた。

 同時に、現実的とわかっていても、それを一番の案だと思う自分にも辟易とする。


 そんな、自己嫌悪もそこそこなオットーをロズワールは覗き込み、


「これだけは伝えておくけどね、君は十分にやっていると思うよ、オットーくん」


「……やっぱり化粧がないと、辺境伯の舌鋒も鈍るんですね。まるでちゃんと僕に寄り添おうとしているみたいに聞こえますよ」


「寄り添う才能はないので、そうしようとは思わないさ。いずれにせよ、君は十分にやっているとも。だが、どう足掻いてもという話でもある」


「――。どう、足掻いても?」


 妙に引っかかる物言いをされて、オットーはピクリと眉を震わせた。

 そのオットーの反芻に、ロズワールは深々と頷く。彼は自分の細い顎に手を添えて、化粧のない顔の中で青い瞳を残して目をつむると、


「今回のことがいい例だろう。大抵の場合、スバルくんやエミリア様が望んだことは通るんだよ。寄ってたかって筋道を整え、それが通るようになっている」


「……何を言ってるんですか?」


 唐突に、ロズワールがそんなことを言い出したものだから、オットーは眉を顰めた。

 スバルやエミリアの望んだことが叶うだなんて、馬鹿馬鹿しいにもほどがある。それが本当なら、エミリアはとっくに王様だし、ナツキ・エミリアになっている。

 そうなっていないということは、そうではないということだ。


「僕を馬鹿にしてるんですか? それとも、ナツキさんやエミリア様を馬鹿に?」


「どちらでもない。ただ、君を不憫に思っている。こうしてルグニカからヴォラキアへやってくるのに、君の生家の貢献もあった。その点、私は君に感謝もしているから、あえてこうした忠言をすることにしたんだ」


「――――」


「過度に入れ込み、スバルくんやエミリア様と意見を違えるのは君にとって毒だ。その毒が君を蝕み、やがて殺しはしないかと心配なんだよ。君は、得難い人材だからね」


 静かに、その声の調子を落ち着かせ、ロズワールが真っ向からそう語りかけてくる。

 いつしか、その口調からは道化めいたものが抜け、左右色違いの瞳に真摯なものを宿してオットー・スーウェンへと訴えかけていた。


 その態度と言葉に、オットーはしばらく、しばらく黙って、気付く。

 ロズワール・L・メイザースという人物の、狙いに。


「辺境伯、お話はわかりました。その上で、忠告は聞けません」


「ふむ……」


 目を細め、ロズワールが憂慮を秘めた風に吐息をこぼす。

 その先の、忠告を受け入れないという真意を聞こうとする彼に、オットーは言う。


「わかっています。――僕が邪魔なんでしょう。僕は辺境伯が仕組んだことを許していませんし、まだ何か企みがあると疑っていますから」


「……おや?」


「だから、僕に大きな不満が溜まったのを見計らって声をかけてきた。適当な理由をつけて、僕を取り除く絶好の機と思ったのかもしれませんが、大きな間違いです」


 確かに、ロズワールの見立ては正しい。

 先ほどのやり取りは、オットーがエミリア陣営に加わって以来、最も大きな怒りを覚えた瞬間と言っていい。陣営に加わる前なら、スバルを殴り飛ばすまで至った出来事があるのでそれが入ってくるが、それと並ぶほどの怒りだった。


「だけど、それで僕が何もかも投げ出すと思われるのは大間違いですよ」


「オットーくん……」


「大体、先ほどの世迷言はなんなんですか? ナツキさんとエミリア様が望んだことはまかり通る? 馬鹿なことを言わないでください。ちっともそうじゃないから、僕もガーフィールも、ベアトリスちゃんもラムさんもペトラちゃんもフレデリカさんもパトラッシュちゃんも、みんな必死にここまでやってきたんでしょうが」


 見当違いもいいところだと、オットーはロズワールに心から腹が立つ。

 先ほどのロズワールの言い分はこうだ。

 スバルとエミリアが望んだことは、周りが何とかして叶えてしまうのだから、余計な気を回してすり減る必要はない。いくら反対したところで意見を封殺され、存在する意味なんてなくなってしまうだろうと。

 しかし――、


「そんなの、真逆ですよ」


「――――」


「辺境伯の仰った、寄ってたかってという周囲がどれだけの範囲を示しているのかわかりませんが……少なくとも、仮に僕がナツキさんの意見の全部に味方をして、全部を肯定して、そうして全部が通るように筋道を整える。――そんな真似ができるほど、僕は自分で自分が有能だなんて思っていませんよ」


 ベアトリスやガーフィールのように、強い力が貸せるわけでもない。

 ラムやフレデリカ、ペトラのように、なくてはならない支えを遂げられるのでもない。

 望んだ万事を叶える力にもなれない、オットーがいる意味とは何なのか。


「それはできない。それは認められない。それは許せない。ナツキさんやエミリア様が何かを望んだとき、それを言わなくなったそのときが、僕の存在理由がなくなるときです」


「――――」


「生憎ですが、辺境伯、あなたの望んだ通りにはなりません」


 はっきりと、そう強くロズワールを見据えて、オットーは宣言した。

 こうも一息に、ロズワールに一方的に畳みかけたことは今までになかったことだろう。


 もちろん、口には出してこなかっただけで、オットーとロズワールの間には常にこうしたピリピリした緊張感が張り詰めていた。

 それ故にロズワールも、好機と見れば障害の排除のためにオットーに迫り、自分のやりやすいように盤面を整えようともしてくる。

 だが、オットーは屈さない。少なくとも、今日のようなふざけた理屈では。


「僕の立つ瀬は決めてある。僕は光の歩き方はできませんが、それでいい」


「――――」


「悪手でしたね、辺境伯。あなたは、僕に声をかけない方がよかった」


 それでも結論は変わらなかったと、そう言いたいところではある。

 しかし、少なくとも結論へ至るまでにはもっと時間をかけ、揺らいだはずだ。だが、ロズワールが望む結果を急いだことで、逆に彼の望まぬ結果になったのだ。


 と、味のある渋い顔をしているロズワールの前で、オットーが息を整えたときだ。


「あ、オットーさん! 見つけた!」


 パタパタと小さな足音がして、高い声に呼ばれたオットーが振り返る。

 すると、手を振りながら走ってくるペトラと目が合った。


「ペトラお嬢様……じゃなく、ペトラちゃん」


 とっさに潜入中の癖で呼びそうになり、オットーは口に手を当てて呼び直す。そのオットーの前に駆けてきたペトラは少し息を弾ませながら、


「オットーさん、手は大丈夫? 思いっきり壁を叩いたって聞いたけど……」


「それ、みんなに言われますね。幸い、ガーフィールが治してくれたので大丈夫ですよ。心配かけてすみません」


「ううん、大丈夫ならいいんです。……旦那様は何してるんですか」


 苦笑し、オットーは心配してくれたペトラに無事な手を見せる。それで安心した風なペトラは、すぐに表情を切り替えてロズワールを睨んだ。

 その視線にロズワールは「いや」と弱々しく首を横に振り、


「日頃の行いを噛みしめていたところだよ」


「旦那様が……? 反省なんてしないんだから、何の味もしないんじゃないですか?」


「うわぁ」


 オットーもかなり強くロズワールを追い詰めたつもりだったが、ペトラの一言の強烈さはその比ではなかった。

 事実、ロズワールも肩を落としているが、そんなロズワールをじと目で見ていたペトラが突然、「あっ」と思い出したように声を上げた。

 それから彼女はオットーに振り向くと、頭の上のリボンを揺らしながら、


「そう言えば、手だけじゃなくて、聞きました。少し前に、ルイちゃんのことで話し合ってたって、それで……」


「あ、ああ、そうですね。でしたら、それも心配をかけて――」


「それでわたし、オットーさんの代わりにスバルを引っ叩いておきましたからっ」


「――――」


 きゅっと、握り拳にした小さい手を突き出して、ペトラがそう言い切った。

 その突き出された拳と、意気込んだペトラの顔を交互に見て、オットーは目をぱちくりとさせる。

 そんなオットーの反応に、ペトラは少し鼻息を荒くすると、


「オットーさん、我慢したって聞きました。今のちっちゃいスバルをオットーさんが叩いたら可哀想だからって。だから、わたしがやっておきました」


 閉じていた拳を開いて、ペトラが掌を見せつける。その掌の裏側からこちらを覗き込んでくる彼女に、オットーはしばらく押し黙った。

 でも、無理だった。


「は、ははは、あっははは!」


 ユリウスに謝罪されたときの、居心地の悪さには耐えられた。

 ロズワールに攻勢を受けたときの、滅多打ちにされるやるせなさにも耐えられた。

 でも、今のペトラの小気味のいい言葉には、耐えられなかった。


 笑って、何かが済むわけじゃない。

 問題は残ったままで、オットーは相変わらず、スバルの考えに反対の立場だ。

 それでも、反対したまま、スバルが見つけた落とし所に対して、それではいけないと言い続けるのが自分の存在理由であるから、言い続ける。


 屈してなんて、たまるものか。


「ペトラちゃん」


「はい?」


「ありがとうございます」


 そう言って、オットーは少女が差し出している掌に、自分の掌を合わせた。

 パチンと軽い音が鳴ると、「どういたしまして」とペトラが笑った。



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