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Re:ゼロから始める異世界生活  作者: 鼠色猫/長月達平
第八章 『ヴィンセント・ヴォラキア』
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第八章22 『信じたい。許さない』



「――村長くん、ちょっといいかい?」


 そう背中から声をかけられ、ヴィンセント・ヴォラキアは足を止めた。

 振り向く前から、声の相手はわかっている。一度聞いた声や、目にした相手のことは忘れない。これもすぐ、金髪に青い目をした行商人――フロップ・オコーネルとわかった。


「生憎、今は帝国存亡の危機だ。貴様の雑話にかまけている時間はない」


 わかったが、わかった上でヴィンセントは取り合わない。

 今しがた受け取った『星詠み』ウビルクの託宣、その扱いについてベルステツやセリーナたちと協議しなくてはならない。

 敵への対抗策になると指名されたグルービーだが、死んでいる可能性が高い以上、それを当てにした計画を立てるなどと愚の骨頂だ。その点、指名されたもう一人の説得に向かったナツキ・スバルに期待する方が、まだマシな愚考と言えるだろう。


 そもそも、あの少女を説得できる目はヴィンセントにはない。

 彼女とはまともな意思疎通さえままならないのだ。ヴィンセントの持つ手札が少女に通用しない以上、二つの光の片方はスバルに掴み取らせるのが道理。

 故に、ヴィンセントにできるのは現実的な策の検討の積み重ねだけ――、


「おっとっと、雑話かどうかは話してみなくちゃわからないことじゃないかな! 僕がどんな話のタネを持っているか、いくら賢い村長くんでも水撒きする前からわかったりはしないだろうに!」


「貴様……」


 そう言って、歩みを再開しようとしたヴィンセントの肩を掴んで、フロップがこちらを引き止めてくる。暴挙と言わざるを得ない、浅慮の極みだ。

 場が場なら、即座にフロップの首が刎ねられるような蛮行である。


「今すぐ離せ。さもなくば、命がないぞ」


「もちろん、僕もすぐに話したいところだとも。ただ、ちゃんと話すのにそれなりの時間をもらいたい内容でね。手っ取り早くとはいかないんだ」


「語れと言ったのではなく、この手を離せと……」


「まあまあ、そう言わないでよ、アベルちん。あんちゃんの話に付き合ったげてって」


「――っ!?」


 首だけで振り向き、肩に手を置くフロップを睨みつけていると、今度は正面からの声と共に、両脇に手を入れて体を持ち上げられる暴挙が発生した。

 息を詰めれば、それをしたのは朗らかに破顔したミディアム・オコーネル――フロップとミディアムの兄妹が、ヴィンセントを前後から笑顔で挟んでいた。


「アベルちん、ずっとあんちゃんのこと無視してたんでしょ? あんちゃん、ケガしてボロボロで一秒でも長く寝っ転がってなきゃいけないんだから、意地悪してないで話聞いてあげてよ~」


「たわけたことを言うな。そもそも、いつまで気安い態度で俺と接し続ける。状況が変われば立場も変わる。もはや、シュドラクの集落や城郭都市にいたときとは違う」


「そりゃ、アベルちんは皇帝ぶってるかもしれないけど、それであたしたちを蔑ろにするのはちょっと違うと思う! あんちゃん!」


「おうさ、妹よ!」


 聞き分けのない兄妹は、ヴィンセントの言葉にまるで耳を貸さない。

 威勢のいい妹の呼びかけに、これまた威勢よく答えたフロップがすぐ横の客室の扉を開くと、ミディアムがヴィンセントを部屋に連れ込み、扉が閉められた。

 手早く皇帝を密室に監禁し、そこでようやくミディアムがヴィンセントを解放する。


「貴様ら、これが貴様らのみならず、一族郎党まで連座させられるほどの蛮行であるという自覚があるのか?」


「はははは、残念だったね、村長くん。僕たちの家族は僕たちの兄妹だけだ。なので、君の言い分をまるで脅しになっていないとも」


「あ、でも、あんちゃん、孤児院のみんなは? 血は繋がってなくても、逃げたみんなはあたしたちの家族だよ!」


「はははは、言われてみれば! 村長くん、どうしたら許してくれるかな!」


「――今すぐに俺を解放し、大人しくしていろ」


 状況が状況でも、その振る舞いがまるで変わらないオコーネル兄妹。

 伸び縮みしたミディアムと、負傷したらしいフロップだが、この様子を見ているとその両方が疑わしくなってくる。

 普通、自分の体が伸び縮みなんてすれば、精神に大きな負担がかかるものなのに、ミディアムの方は一度縮んで再び伸びたことの自覚が足りていなすぎる。

 フロップの方も、瀕死の重傷と聞いていたがピンピンしている。――否、一応、首筋は血の気が、顔色は化粧で誤魔化しているようだった。


「商人は、見栄えもなかなか大事だからね」


「――――」


「ただ、本来なら望みのものを売り買いするのが商いの鉄則なんだけど、今の村長くんの要望には応えてあげられない。これ以上、先延ばししたくないんだ」


「何を言って……」


「伝言を預かっていてね。――君の代わりに、皇帝を演じていた人物からの」


 また戯言が始まるものと、そう予想していたヴィンセントの目が微かに見開かれる。

 わざわざ、皇帝を無人の部屋に監禁してまで、オコーネル兄妹がヴィンセントに伝えようとしたこと。――その冠がつくものは、この世に一人しかいない。

 だから――、


「君は、彼の言葉を聞くべきだ、村長くん。――いいや、ヴィンセント・ヴォラキア皇帝閣下」


 と、初めて見せる真剣な表情のフロップに、ヴィンセントは遮るための言葉を選ばなかった。



                △▼△▼△▼△



 ――『暴食』の大罪司教、ルイ・アルネブ。


 それを改めて口にしたとき、スバルは自分の胸の内で大きく軋む音を聞いた。

 それは常に手の届くところにありながら、蓋を開くことを躊躇ってきた禁忌の箱。開けようとさえ思えば、いつでも開くことのできたパンドラの箱だった。


「――――」


 通路でするべき話ではないと場所を変え、スバルたちは大きな客室を借り切っている。

 必要ならば使えとしたアベルの配慮、それも実に珍しい人間の気持ちを思いやった気遣いだった。――この話の決着は、帝国にとっても重大事となりえるのだから、彼が配慮をするのも当然かもしれないが。

 その客室に集っているのはエミリアとベアトリス、オットーとガーフィールにロズワールといったエミリア陣営の面々、それに加えて――、


「『暴食』の大罪司教……ホント、やたら滅多に縁のあることやねえ」


 はんなりと頬に手を当てて、そう静かに呟くアナスタシアと、彼女の傍らで無言を守っているユリウス、この二人の参戦も欠かせなかった。

 それは、二人がはるばる国境を越えてスバルたちを助けにきてくれたからではなく、彼女たちもまた『暴食』の被害の当事者であるからだ。


「肝心のルイは、今はレムたちと一緒にいる。アナスタシアさんとユリウス以外は、もうルイのことは知ってるだろうけど……」


「もちのろんなのよ。……正直、最初はとんでもなく驚いたかしら」


「それは……俺もそうだった」


 驚いた、というベアトリスの表現はかなりマイルドにしてくれたものだろう。

 実際、スバルも最初にルイと飛ばされてきたと気付いたとき、レムを守りたい一心だったこともあってかなり強硬な態度を取ってしまった。当初はそれが原因で、レムからとにかく信用できない奴だと警戒されてしまったほどだ。

 エミリアたちがどんなシチュエーションでルイと出会ったのかはわからないが、そのファーストコンタクトが相当紛糾したのは想像に難くない。

 そこで、誰も極端な行動に出ないでくれたことに感謝したかった。


「よく堪えてくれたな。オットーとガーフィールなんか、すぐ噴火しそうなのに」


「事実、僕やガーフィールの意見は排除か拘束の二択でしたよ。彼女がそうならずに済んだのは、エミリア様が周りを説得なさったからです」


「エミリアたんが……」


 案の定、過激派の急先鋒だったらしいオットーだが、その意見は穏健派のエミリアが引っ込めさせてくれたらしい。

 彼女はスバルたちの視線に、「ええ」と短く頷いて、


「ミディアムちゃんが、一生懸命あの子……ルイを庇ってたの。そのぐらい、周りから大事にされてる子なら、あの場で何もかも決めちゃうのは怖いと思って」


「そっか、ミディアムさんが……」


 ミディアムがルイを庇ったと聞いて、スバルは微かな安堵感を覚える。

 元々、明るくて面倒見のいいミディアムにルイはずいぶん懐いていた。それでも、ルイの素性が大罪司教と明かしたことで、ミディアムも彼女を恐れていたのが、スバルが魔都カオスフレームで目にした二人の最後の接点だ。

 その後、彼女がルイを庇ってくれたなら、スバルの知らないところで気持ちの変化があったのだろう。それは、嬉しいことだった。


「私も経験があるもの。すごーく怖い存在だって、魔女だってみんなに思われて、周りの誰にも話もしてもらえなかったことが。だから……」


「エミリア様の場合は、ハーフエルフに対する偏見という理不尽です。しかし、彼女の場合は違う。他ならぬ、自分の行いによる厳然たる区別なんですから」


「オットーくん……」


 ミディアムの擁護に加え、自分がルイの味方をした理由を話すエミリアに、オットーはぴしゃりと厳しい発言。彼は自分がエミリアの味方であり、同時にルイの敵であるという立場をはっきりと告知するのを躊躇わなかった。

 あくまで、ここまでの同行は最終的な結論までの保留に過ぎないのだと。


「少しいいかい?」


 そのオットーの立場表明がピリつかせた空気に、どこか気安く手を上げたのはロズワールだった。スバルが視線で彼の発言を促すと、ロズワールは青い方の目をつむり、


「私やラム、それにアナスタシア様たちはあとから合流した組だーぁからね。究極、そのルイという少女の振る舞いを知らないが……怪しい点は? 当然、ガーフィールが目と耳と鼻を光らせていたんだろう?」


「そんなッあちこちピカピカしちゃいねェよ。ッけど、オットー兄ィと俺様ァ同意見だ。だァから、出くわしてッからでけェ戦いまでずっと見張っちゃいたが……」


「結果は空振りだったと。なーぁら、何を以て少女が危険な大罪司教だと断定を?」


「僕とベアトリスちゃんですよ。プリステラで『暴食』の、ルイ・アルネブを名乗る少女と接触しています。僕は足を抉られもしたので、忘れません」


 ルイとの接点が薄かった組の代表として発言したロズワールに、ガーフィールとオットーがそれぞれの見解を述べる。

 その際、自分の足を撫でたオットーは、しばらくの戦線離脱の原因がその負傷だ。

 オットーが特に強く、ルイを警戒するのはわかる話だった。


「辺境伯に続いて恐縮だが、私からもいいだろうか?」


 ロズワールの疑問が消化され、立て続けにユリウスが話題に参加する。

『暴食』についての話し合いということで、冒頭から難しい顔をしていた彼は、より渋い顔をしているスバルを横目にしながら、


「まず確認させてもらいたいのだが、この竜車に乗り合わせているルイという少女は、『暴食』の大罪司教であるルイ・アルネブと同一人物で間違いないのだろうか」


「――? それって、どういう意味?」


「エミリア様やラム女史もご存知でしょう。『暴食』は喰らった相手の能力を再現するために、自らの姿をその人物のものに変えることがあった。つまり……」


「『暴食』の大罪司教と、エミリアさんらが話してるルイって子はおんなじ人間やなくて、食べて食べられての間柄だった可能性があるってことやね?」


 ユリウスの立てた推測に、エミリアたちが「あ」と驚いた顔をする。

 確かに、『暴食』の特性を考えればありえない話ではない。食べた相手の姿かたちを再現するなら、食べられたオリジナルがいるのが道理だからだ。

 もしもそれが事実なら、あのルイと『暴食』との存在を切り分けて考えられる。

 しかし――、


「……いや、その線はない。ルイは、たぶん喰った相手の能力を再現してる。それは、『暴食』の権能が理由で間違いないはずだ」


「そう、か。惑わせるだけの発言ですまない」


 首を横に振ったスバルに、ユリウスが目をつむって謝罪する。

 彼が悪いわけではない。もしも彼の推測が合っていたなら、スバルもこうまで悩まずに済んだ。だが、その場しのぎの言い逃れではダメなのだ。

 必要なのは、真実を共有した上で導き出される答えでなくてはならない。


 スバルと共にヴォラキア帝国へ飛ばされ、スバルに邪険に扱われながらも、何度もスバルを助けるために奮闘し、傷を負い、命を危うくしたルイ。

 彼女が『暴食』の大罪司教のルイ・アルネブと同一人物でありながら、それでもこれからの戦いに必要な存在なのだと、みんなに認めさせることが。


「――。まず、順繰りに説明させてほしい。エミリアたんたちがルイと合流する前、俺がレムと飛ばされてきた帝国で、ルイとどんな風に過ごしてたのかを」


「――――」


 じっと、皆の視線が集中してくる。

 気心の知れた仲間たちの目、それなのにスバルは息苦しさを確かに味わった。ここから始まるのが、まるで採点か答え合わせのようにも思えて。

 ルイが本当の意味で、仲間たちにその存在を認められるための、答え合わせに。


「スバル、焦らなくていいからね」


 意気込むスバルに柔らかく、エミリアがそう声をかけてくれる。傍らではベアトリスも、スバルの手を優しく握り直しながら頷いてくれた。

 その思いやりに救われながら、スバルは息を吸い、話し始める。


「一番最初、俺たちが気付いたのはずっと東にある大きな森の傍で――」



                △▼△▼△▼△



 淡々と、できるだけ手短に事実が伝わるように言葉を選んだつもりだった。

 それでも、語るべきことは次から次へと湧き水みたいに溢れ出て、ほんの短い間の出来事だったにも拘らず、濃厚な日々だったのだと痛感する。


 そもそも、わずかな期間でとんでもないトラブルが起こりすぎなのだ。

 それも全部がスバルとレム、仲間たちの命を危うくするようなアクシデントばかりで、そこには当然ながらルイも巻き込まれる形になった。

 当然ながら。――そう、当然なのだ。

 だって、ルイはスバルたちとずっと一緒に行動して、レムに優しくされてはスバルのヘイトを集めながら、それでも自分を邪険にするスバルにめげずについてきた。

 だから――、



「――俺とルイはヨルナさんと協力して、オルバルトさんとの勝負に勝てたんだ。かくれんぼを鬼ごっこルールに変えるっていう、反則技込みでだったけど」


「――――」


「あのあと、カオスフレームでとんでもないことが起こったって、聞いてる。住んでる人たちは奇跡的に無事で、アベルたちの反乱軍と合流したって。俺はそこで意識をなくしてはぐれて……その先は、みんなの方がルイについては詳しいよな?」


「――。ええ。私たちがボロボロにされちゃったグァラルで、戻ってきたアベルたちを出迎えたのが、そのあとのことだから」


 スバルの確認にエミリアが頷くと、一通りの説明を終えて長く息を吐く。

 あまり長く時間をかけないつもりが、結局は小一時間も話を続けることになった。その間、仲間たちがほとんど口を挟まず、聞くに徹してくれたのはありがたかった。

 どうしてもスバルの主観で語ることを避けられない中、できるだけ俯瞰的に物事を語るように注意したつもりだ。

 その上で――、


「話した通り、俺といる間にルイが怪しい行動をしたことはなかった。レムからも、同じ話が聞けると思う」


「それは別に疑っていませんよ。本気で疑わしいと思ったなら、ラムさんが彼女をレムさんの傍にいさせるわけありませんから」


 身内の、それもレムのこととなればラムの目の厳しさは言うまでもない。

 実際、彼女がプレアデス監視塔で、『暴食』のライ・バテンカイトスを圧倒したのも、一番はレムと自分との関係に干渉されたことが大きかっただろう。

 覚えていない妹のためにそこまでできるラムだ。

 ルイに大なり小なりの危険性を感じたなら、彼女がようやく目覚めたレムの傍にルイを置いておくなんてありえないことだった。


「……おおよそ、ナツキくんがどんなに大変だったかはウチらもわかったわ」


 と、それまで黙って聞いていたアナスタシアが、説明を終えたスバルの旅の過酷さに指で眉間を揉んでいる。

 彼女ほど賢い女性でも、消化し切るには手間暇のかかる情報量だった経緯。それを何とか飲み下し、アナスタシアは眉間から指を離すと、


「そのあと、魔都で意識の飛んでしもたナツキくんがどうなったのかも気になるけど、それは今は主題やないから置いとくとして」


「ああ、今重要なのはルイのことだ。話した通り、ここまでのルイは自分の危ない側面は見せてこなかった。それに、ウビルクって『星詠み』の予言……それもある。だからこの先の戦いにも、ルイには協力してもらうのが――」


「――その話、落とし所はどこに持ってくんかが疑問やわ」


 ピタリと、その静かな一言がスバルの続けようとした言葉を止めた。

 言い放ったアナスタシアは、眉間を揉んでいた指で自分の唇をそっとなぞり、理知的な浅葱色の瞳でスバルの心を搦め捕ると、続けた。


「ナツキくんの、その何でもかんでも利用してこぉて考えは嫌いやないよ。アウグリア砂丘を越えるためのメィリィさんかて、元は敵だったって話やし、そういう区分の話をするんなら、その子のこともおんなじ括りや」


「それは、そう、おんなじだろ? メィリィとルイは、同じ立場のはずだ」


「ううん、違う。――それは、きっとナツキくん以外の全員がそう思うてるよ」


「――っ」


 重ねられる静かな声に、スバルはハッとした顔で周りを見る。

 アナスタシアが言った、スバル以外の全員の顔を見回した。その中の誰かが、アナスタシアにそんなことはないと言い返してくれることを期待して。

 しかし、誰一人として、スバルの期待には応えてくれなかった。


「みんな……っ」


「誰も言いたくないでしょうから言いますが」


 難しい顔で黙り込む一同の中、表情をほとんど変えずにオットーが手を上げる。

 ただし、表情の変化がないというのは、会議が始まってからの冷静な表情からの変化がないという意味だ。

 彼の視線も声も、決してスバルに無条件に寄り添ったものではない。


「僕はアナスタシア様と同意見です。彼女とメィリィちゃんとは事情が違う。同じ立場ではありません」


「オットー!」


「これも、誰も言いたくないでしょうから引き受けます。――大罪司教だからですよ」


 思わず声を高くしたスバルに、オットーが淡々とした声色で答える。

 どうしてと、そう問われるのに先回りした彼の回答は、その場の全員がスバルの味方をできなかった理由として、これ以上ないほど適切だった。


「スバル、ベティーはスバルに味方してあげたいのよ。あの娘……ルイが、今は悪意のない娘だって話も信じてあげられるかしら。でも……」


「事実として、『暴食』の被害は我々も被っている。ましてや、その被害が顕在化しにくいことを考えると、潜在的にはどれだけの被害者がいるのだろうねーぇ」


「確かめる術はないが……己を失い、他者から忘れられ、寄る辺をなくしたまま復帰の叶わなかったものの無念は、私には察して余りある」


 スバルを気遣ったベアトリス、彼女の言葉にロズワールとユリウスが続けたのは、『暴食』の権能の被害関係者と、被害の当事者からの偽らざる意見だった。


「――――」


 ロズワールとユリウスの言う通り、被害に遭ったとわかっているものはまだマシだ。

 真に絶望するしかないのは、『名前』や『記憶』を奪われ、帰る場所をなくしたまま救われなかった多くの被害者がいただろうということ。

 そして、そんな被害者を多数生んだ『暴食』の大罪司教のことを――、


「みんな、きっと信じられないんじゃないわ」


「エミリア……」


「そうじゃなくて……許して、あげられないんだと思う」


 スバルの説明不足や、気持ちが届かなかったわけじゃない。

 問題の焦点はそこではないのだと、眉尻を下げたエミリアの言葉がスバルの心を砕く。

 ルイがスバルといた間の話を知り、スバル不在となったあとのことを知るエミリアたちは、『今』のルイが自分たちに危害を加える存在ではないとちゃんとわかっている。

 わかった上で、問題になるのは『過去』のルイの行いなのだ。


「――やらかしたことは、絶対に消えてなくならんよ」


「――っ」


 ぽつりと、アナスタシアが呟いた言葉。

 それはかつて、ナツキ・スバルを凍てつかせ、粉々に打ち砕いた絶望的な忠告だ。

 あの言葉を投げかけられた事実は、すでにスバルの中にしかなくなっている。それがまた機会を変えて、再び彼女の口からスバルの耳に届けられた。


「ナツキくんが、どれだけその子が無害やって言い聞かせても、有害やったときのことがチャラになるわけやない。現に被害者は被害者のまま……お為ごかしで誤魔化せるほど、薄っぺらい問題やないから」


「――ぅ」


「まず、これまで食べた『名前』やら『記憶』やら、それを全部戻してからやないの? それなしで話進めよなんて言うても、ナツキくんも納得いかんのと違う?」


 強張ったスバルを、アナスタシアの言葉の刃が次々と切り刻む。

 いずれも正論と、その中で最も強く痛みを発したのは、一番最後の指摘――奪った『記憶』と『名前』を戻さなければ、ルイの処遇を決める土台にすら立てていないと。

 それこそがエミリアの言った、『許せない』に繋がる大前提だった。


「もっとも、スバルくんが聞いた予言とやらは皇帝閣下も知っているんだ。そのルイという少女を戦いに協力させない、というのは現実的ではないだーぁろうね」


「あァ? そりゃ何がッ言いてェんだ。シャキシャキ話せや」


「君の苛立ちをぶつけられては困るが……我々の話し合いがどう決着しようと、少女に協力させるという方針は変わらない。あとは、その待遇だけだ」


「待遇……?」


 シャキシャキ話せと言われ、なおも迂遠な物言いをするロズワールに心が焦れる。そのスバルの切実な眼差しに、ロズワールは肩をすくめて言った。

 それは――、


「彼女に何をどう言い聞かせ、協力させるかという話さーぁ。例えば、この帝国存亡の危機を乗り越えた暁には恩赦を与える――。と、約束しておいて、事が済んだら粛々と罪に見合った刑を執行する。これが一番、後腐れのない方法だろう」


「――ッ、ざッけんな!」


 ロズワールの語った悪辣な方針に、ガーフィールが牙を鳴らして噛みついた。彼は険しい目つきをロズワールに向け、


「相手ッが外道だろォと、こっちまで外道になるこたァねェだろォが! ありもしねェ餌ぶら下げて手伝わせるなんて、俺様ァ認めねェぞ!」


「おや、そうかい? オットーくんも同じことを考えていたと思うが……」


「オットー兄ィをてめェと一緒にすんなッ!」


「――。辺境伯の言いようは、大抵の人間の代弁でしょう。大罪司教に恩赦なんて与えるべきじゃない。それとも」


 そこで一度言葉を切り、オットーがスバルをじっと見据えた。

 その視線に息を呑むスバルに、彼は容赦なく続ける。


「ナツキさんは、大罪司教が許される前例を作ろうとでも?」


「――っ、そんなつもりはねぇ。世の中、許されちゃいけない悪党だっている。魔女教の、大罪司教だってそうだ」


 ペテルギウスやレグルス、ライとロイの兄弟に、シリウスとカペラと、スバルがこれまで出会った大罪司教たちはいずれも、度し難く外れたモノたちだった。

 自らの欲望を満たすために、他者を犠牲にすることを何ら躊躇わないモノたち。

 しかし――、


「――彼女は、ルイ・アルネブだけは別だと?」


「そ、れは……」


 オットーの問いかけ、それがスバルの心の奥を暴き立てようとしてくる。

 大罪司教は許されてはならない。オットーだけでなく、全員が譲れないラインとして引いたそれは、スバルにもちゃんと理解できる。

 それなのにルイを別枠に置きたがるのは、オットーの言う通り、おかしな話だ。


「――――」


 皆の視線を一身に浴びながら、改めてスバルは己の心に問いかける。

 スバルは、ルイをどうしたいのか。『記憶の回廊』であれほど憎み合い、スバルは『死に戻り』の後遺症に苦しむ彼女を救わないという選択をした。あれが間違っていたとは思わない。またあの場面に至っても、同じ決断を下すだろう。


 だがそれと同時に、ヴォラキア帝国で苦難を共にしたルイを知っている。

 スバルを助けるために命懸けになり、実際に命を落とした彼女の姿を幾度も目にした事実も、しかと魂に刻み付けられているのだ。

 そんなルイの懸命さに、いつしかスバルの警戒は溶かされて――、


「どうして?」


「――――」


 不意に、考えるスバルの横顔に、その静かな問いかけが投げかけられた。

 閉じた瞼を開けば、問いを発したエミリアの紫紺の瞳と正面からぶつかる。彼女は長い睫毛に縁取られた瞳を細め、今一度、同じ問いかけを繰り返す。

 それは――、


「どうして、スバルはそんな風に思えるようになったの?」


「どうしてって……」


「スバルも、『暴食』の大罪司教のことはすごーく嫌いだったでしょう? 許せないってそう思ってた。なのに、今はどうして?」


「それは、さっきも話したじゃないか。あいつが……ルイが、この帝国で俺たちと」


 たくさんの苦難を一緒に過ごし、ルイは健気にスバルやレムを守ろうとした。

『記憶の回廊』で許し難い敵と思わされたのと同じか、それ以上に痛烈に帝国での出来事はスバルに残った。だからだ。

 だから、ナツキ・スバルのルイへの感情は変わっていった。


「スバル、改めて君に残酷な事実を伝えよう」


 エミリアの問いにたどたどしく答えたスバルに、ユリウスが低い声で告げる。

 あえて残酷と、そう前置きした事実がスバルに身構えさせた。その身構えたスバルへ、ユリウスが左目の下の傷を指でなぞり、


「この世界の人間は決して、『暴食』の大罪司教を、ルイ・アルネブという少女を許しはしない。王国も帝国も関係なく、それが世界の総意と言えるだろう」


「――――」


「たとえ、世界のどこへ逃れようと、それが許される場所はない。罪を犯せば罰される。そして、命で以てしか償えない罪人が大罪司教だ」


 残酷な事実だと、その前置きに偽りはなかった。

 はっきりと強い口調で、捉え違えようのないほど断定的にユリウスは言い切った。

 この世界に、ルイ・アルネブが生きて許される場所はないのだと。

 その重い言葉に、スバルは何も言葉を返せなくなる。

 しかし――、


「私も、大罪司教には死しか望まない。我々が世界の敵だと、そう思う存在の『死』しか。それが、私の言える精一杯だ」


「……え?」


「ユリウス・ユークリウス!!」


 鋭い声を張り上げて、そうユリウスを睨みつけたのはオットーだった。

 付け加えられた言葉の意味が呑み込めず、目を丸くしたスバルを余所に、オットーとユリウスが互いを視線で射抜き合う。

 ユリウスは痛々しく、オットーは苦々しく、お互いを傷付け合う眼差しで。


「それを、部外者のあなたが言うのは横紙破りもいいところだ……!」


「すまないが、その認識は正そう。私も当事者の一人だ。意見を言える立場にいる、その権利を使わせてもらおう」


「――っ」


 歯軋りして、オットーがますます強くユリウスを睨みつけた。

 武力では遠く及ばないのがわかっているのに、眼力では一歩も引かない。ユリウスも、オットーのその意思の強さに片目をつむり、小さく吐息する。


「大罪司教の、『死』しか……」


 その二人の応酬の傍ら、スバルは脳の一部が痺れた感覚の中でそれを呟く。

 ユリウスが言おうとしたこと、それに察しのいいオットーがああも噛みついた。そこにはスバルの気付かない、言葉面以上の何かが隠されているのだ。

 大罪司教の『死』しか望まれない。ルイ・アルネブを、世界は許さない。

 大罪司教を、ルイ・アルネブを、世界は――。


「――ぁ」


「スバル、ベティーの話をするのよ」


 微かな風が、思考の迷路を吹き抜けたと感じた瞬間、ベアトリスが言った。

 彼女はその、特徴的な紋様の浮かんだ丸い瞳でスバルを見上げ、


「ベティーは、プリステラで大罪司教のルイと出くわしたかしら。そのあと、今度は帝国で出くわして、あの娘の様子をこう思ったのよ。――別人みたいかしらって」


「――――」


「あの娘は、ベティーの知ってる大罪司教と違っているのよ。スバルから見て、どうだったのかしら。大罪司教と、間近で言い合ったスバルから見て」


 ベアトリスの優しく、しかし逃げ道を許さない言葉に問い詰められる。

 彼女の言いようはわかる。スバルも、認めたくなくて認めてこなかったことだ。


 今の『ルイ』と、『記憶の回廊』で出会ったルイ・アルネブとは、別人のようだ。

 しかし、ユリウスの疑問に反論したように、『ルイ』は権能を使っている。『暴食』がそうしたように、喰らった相手の異能を自在に操っている。

『ルイ』は『暴食』の権能を持ちながら、その精神だけ生まれ変わったのだ。

 例えばそれは――、


「自分の記憶がなくなったときの、俺みたいに」


 もしそうなら、『ルイ』はずっと苦しんでいたんだろうか。

 あのとき、スバルが『ナツキ・スバル』の幻影を追いかけ、周りの誰も信じられなくて悩み苦しんだように、『ルイ』も助けを求めていたのだろうか。

 そんな状況でも、『ルイ』はスバルやレムを助けて、今日このときまでやってきた。

 そして――、


「――私、ずっと考えてたの。悪いことをしたら、もう取り返しがつかないのかなって」


「エミリア……」


「謝って、償って、それでもダメって言われるなら、謝るのも償うのも嫌になっちゃうことだってあるでしょ? だから、そうならないための方法を考えてて……でも、そんなすごい方法は簡単に見つからなくて。でも」


「でも?」


「一個だけ、もしかしたらって方法があるの。スバルが教えてくれた方法」


 エミリアが自分の胸に手を当てて、精一杯の気持ちを込めて言葉を選ぶ。

 彼女が言ってくれた言葉に、スバルは自分の胸の内を探る。だが、スバルがエミリアに教えたことなんて、今この瞬間に当てはまることなんて何も浮かばなかった。

 そんな、心当たりのないスバルに、エミリアは優しい目をして、


「その人が、許せないって思われる以上に、幸せになってほしいって思われること」


「――――」


「周りの、うんとたくさんの人に幸せになってほしいって、その人が思われること。私たちがあの子を許してあげるには、そう思わせてもらうのが必要なんだと思う」


 エミリアの言葉がゆっくりと、スバルの胸へと静かに染み入った。

 悪人を、許すための方法。悪事を、許すための方法。謝って償って、その先にあるかもしれない救済の方法、懸命に考えた答えがそれなのだとエミリアは語る。

 それが、スバルのいったい何から学んだことなのか、いつスバルが彼女に教えたことなのかちっともわからない。

 でも、すとんと、スバルの胸には言葉がしっかりと落ちたように思える。


 どうして、スバルが大罪司教のために、『ルイ』のためにこうも心を砕くのか。

 それは『ルイ』が、ルイにされた以上のことを、スバルにしてくれたから。

 だから――、


「もっかい、おんなじ話をさせてもらうわ」


 エミリアの話と、スバルの微かな吐息を聞いて、アナスタシアがそう言った。

 彼女は首元の襟ドナを撫でながら、スバルとエミリアを交互に見て、告げる。


「――その話、落とし所はどこに持ってくつもりなん?」と。



                △▼△▼△▼△



「あーう?」


 すぐ目の前、不思議そうに自分の顔を覗き込んでくるルイの頬を両手で挟んで、レムは長く深い吐息をこぼした。

 そのレムの反応に、頬を挟まれたままますますルイは不思議そうな顔をする。

 そんな少女の様子から、自分が心配をかけてしまっているなとレムは反省した。

 反省したが――、


「はぁ……」


「ずいぶんと物憂げなため息ね、レム。どうかしたの?」


「姉様……」


 大きくため息をついたところで、横合いから優しい声をかけられる。

 それは宛がわれた客室に、お茶の用意を整えて戻ってきたラムのものだった。彼女は後ろに鹿角の生えた少女――タンザという名前だったか、彼女を連れていた。

 そのレムの視線に気付くと、ラムは「ああ」と頷いて、


「ちょうど手持ち無沙汰にしていたようだったから連れてきたのよ」


「手持ち無沙汰というわけでは……」


「そう? 他のうるさい連中から遠ざけられて、不服が顔に滲んでいたわよ。帝国にも、女子供を守って戦いたいみたいな考えはあるのね。もっと馬鹿だと思っていたわ」


「ね、姉様、それは言いすぎでは……」


 かなり端的な姉の物言いに、レムはわずかに頬を引きつらせた。

 まだ、姉と自分の中ではっきりと消化し切るには時間がかかるが、それでも魂の根っこの部分の訴えは正直で、彼女の一挙手一投足に心が揺すぶられるのを感じる。

 それはそれとして、ラムの言いようにタンザは不満げだったが。


「戦団の皆様が、セシルス様を筆頭に物事を単純に考える方が多いのは事実ですが、中には総督様のように頭のキレる方もいらっしゃいます」


「そう。じゃあ、その頭のキレる総督とやらに言われてお留守番なのね」


「――。いえ、私に休むよう仰ったのはシュバルツ様ですが」


「う」


 ラムの切り返しに、わずかに口の端を硬くしたタンザがそう答える。途端、レムに頬を挟まれているルイが、その手の感触が強くなったことで呻いた。

 しまった、とレムは「ごめんなさい」とルイに謝る。


「うっかりしてしまいました。大丈夫ですか、ルイちゃん」


「あうー……うあう?」


「……いいえ、全然関係ありませんが」


「うー」


 頬を挟んだままのレムの答えに、ルイが疑わしげな目を向けてくる。

 そのルイから視線を逸らすと、ちょうどお茶の配膳をしてくれるラムと目が合った。彼女は温かい香りのお茶のカップをレムの前に置いて、


「帝国の秘密の竜車とはいえ、さすがに茶葉までは充実していないわね。あまり大した味ではないけれど、体を温めておくといいわ」


「あ、ありがとうございます。いただきます」


「それで? バルスに何か無礼なことをされたの?」


「ぶ」


 ようやくルイの頬を解放し、お茶に口を付けた途端の言葉にそれを噴く。慌ててカップを置くレムに、ルイが自分の袖で顔を拭おうとしてくれた。


「大丈夫です、大丈夫ですから、ルイちゃん。……あの、なんですか、姉様」


「なんですかも何もないわ。バルスの行動は大抵の場合、無礼で無遠慮だもの。当てずっぽうでも、レムの顔が曇った理由に当たる可能性は高いわ」


「それも、いくら何でも言いすぎでは……」


 つまりは山勘の当てずっぽうだったのかと、ルイに顔を拭われたレムは安堵の息。が、その反応で十分、察しのいいラムにはため息の原因を察せられたらしい。

 すぐ正面に足を組んで座り、ラムは自分のカップを傾けながらじっとレムを見る。

 その無言の圧力に、レムはすぐに耐えかねて白状した。


「あの、エミリアさんのことですが」


「エミリア様の? そう、エミリア様も無知で無遠慮なところがあるものね。それがレムの顔を曇らせた理由、というわけ」


「い、いえ、そうではなくて! その……あの人と、ナツキ・スバルという人と、エミリアさんはどういう関係なのかなと……」


 声の調子を落とし、できるだけ平静を保ちながら質問するのにレムは成功する。

 しかし、その話題の選択そのものがラムの薄紅の瞳を細めさせるには十分だったと、この時点のレムは気付かなかった。

 ただ、聡明そうな姉は「なるほど」と小さく呟くと、


「そうね、バルスは八つ裂きにすべきだわ。あとで一緒にやりましょう」


「姉様!?」


「ふふ、姉妹の共同作業ね。バルスもたまには役に立つものだわ」


 薄く微笑む姉は見惚れそうなほど綺麗だが、発言は物騒極まりない。と、そんなラムの発言を聞いて、文字通り角を立てたのはタンザだった。

 彼女は自分も淹れてもらったお茶に口を付け、「ふわ」と味に驚いていたが、


「少々、軽率な発言では? バルス……というのはシュバルツ様のこととお見受けしますが、シュバルツ様に手出しするのであれば私や戦団の皆様が容赦いたしません」


「健気な返事ね。……タンザ、あなたは何歳?」


「――? 今年で十二になりますが」


「そういうこと。納得したわ」


「勝手に納得されてもこちらは納得ゆかないのですが」


 不満げにしたタンザの意見にはレムも同意だった。

 何故、ラムはタンザの年齢を聞いて納得したのだろうか。そもそも、ラムはレムがした質問にも答えてくれていないではないか。

 あの、エミリアという女性がスバルとどんな関係なのか。


「……ものすごく、親しげでしたが」


 だから何なのか、と言われればレムにも「は?」としか言い返せないのだが、とにかくあの二人の距離感には色々と思うところがあった。

 ので、それが何なのかできるだけ早急に解決し、レムはレムの問題に注力したい。

 レムの問題、そうすなわちそれは――とにかく、レムの問題だ。


「そうです。もっと大きな問題に向き合うために、早く片付けておきたい些事なんです。それ以上でも以下でもありません」


「――レム、ちょっといいか?」


「は!?」


 ガタン、と大きな音を立てて、レムは思わずその場に立ち上がった。そのせいで、レムの膝の上にいたルイを思わず抱き上げてしまった。

 レムに持ち上げられ、「あうー!?」と驚くルイにまたしても謝りつつ、レムは声をかけられた客室の扉の方を見やり、


「ど、どなたですか?」


「どなたも何も、八つ裂きバルスでしょう。――話し合いが終わったのかしらね」


「あ……」


 優雅にお茶を味わうラムの言葉に、レムは小さく吐息し、ルイを抱きしめた。「あう?」と首をひねるルイ、その金色の髪に鼻先を埋めながら、レムは目をつむる。

 直前、連環竜車が攻撃されかけた件ではレムも同席したが、その後の、アベルが深刻な顔をしてスバルを連れていった先の話には加わらなかった。

 もちろん、重要な話に混ざっても役に立てないというのもあるし、さっき自分に確かめたささやかな些事が引っかかっていたというのもある。

 しかし、一番大きな理由は――、


「う?」


 この、腕の中にいるルイのことで、嫌な胸騒ぎがしたのが原因だった。

 何故だかわからないが、ルイの傍にいるべきだと、そうレムの心が直感した。それで、こうして客室に引っ込んでいたところに――、


「――シュバルツ様、どうぞ」


「ああ、ありがとう。……って、タンザもここにいたのか」


「はい。シュバルツ様が皆様と共謀して、私に留守居を押し付けましたので」


「なんか、罪悪感が込み上げてくる言い方だな……」


 そうレムがまごつく間に、代わりに来訪者をタンザが部屋に迎えてしまった。

 その来訪者にタンザが恨み節をぶつけると、入ってきた相手が困った風に頭を掻く。その背丈が縮んでも、困った横顔の雰囲気はあまり変わらない。

 きっと、多少背丈が大きくなっても、子どもっぽさが拭えない顔だからだろう。


「目つきは悪いのに、変な人です……」


「あれ!? 今、誰か俺の目つきの悪口言った? 聞こえたぞ?」


「大したものね。ルグニカ王国の国民の訴えが国境を越えて聞こえたなんて」


「王国みんなで俺の目つきの話なんかしてるわけねぇだろ! 今日の夕飯とか明日の予定とか幸せそうな話してくれてるよ、きっと!」


 ラムの茶々入れに大仰に反応して、のしのしと部屋に踏み入ってくるスバル。

 何となく、そのスバルの方に目を向けられず、レムは抱き上げているルイの後ろに顔を隠して、彼と正面から向き合わなかった。

 代わりにルイが、「うあう」とスバルの相手をしてくれる。


「よう、ルイ、お前にも用があったんだ。レムがどこにいるか知らないか?」


「あーうう」


「そうか、知らねぇのか。参ったな。大事な話があったんだけど……」


「――。大事な話があるなら、悪ふざけしないで本題に入ってください」


「わあ、レム! ルイの後ろにいたのか! 気付かなかった!」


 口を挟んだレムに、スバルが大げさにわざとらしくそんな反応をした。もっとも、ルイにはそんなわざとらしさも通用したらしく、レムを隠し切れなかったことを、ルイはとても残念そうに肩を落としてしまう。

 そのルイを床に下ろし、頭を撫でて慰めてやりながら、レムは目を細めた。


「……もしかして、無理していませんか」


「――――」


「前にも、言ったと思います。そうやって無理して、無茶を担ぐのはやめてください。あなたは、何でもできる英雄じゃないんですから」


 直前のスバルの態度、それが何だか虚勢を張っているように思えて、レムは前にも彼に伝えたのと同じ言葉を引用した。

 その言葉にスバルは目を丸くし、しかし、すぐに苦笑すると、


「いいや、意外と俺は客観的に見てスーパーマンだから、レムのその意見はありがたく、可愛い声だなってだけ受け取っておくよ」


「ふざけないでください」


「ふざけてない。――レム、ルイのことで大事な話がある」


 居住まいを正し、苦笑を消した表情でスバルが真っ直ぐにそう言ってくる。

 それを聞いてレムが息を呑むと、代わりに二人のやり取りの傍らでラムが嘆息し、


「バルス、ラムたちは席を外す?」


「うんにゃ、姉様もタンザもいてくれていい。姉様は姉部門代表、タンザはロリ部門代表で立ち会ってくれ」


「フレデリカよりも姉として上ということね。当然だわ」


「あの、『ろり』部門というのは……?」


 立ち会うことを要請され、ラムが胸を張り、タンザが首を傾げる。

 その上で、再びこちらを向くスバルの視線に、レムはそっとルイを引き寄せた。そのまま、ルイの後頭部を自分の胸に抱え、レムはスバルをじっと見る。

 そして――、


「――決着を付けよう。俺たちのこの、よくわかんない愛おしい関係に」



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