~憲法と労働法制を蹂躙する反動に抗して~
私たちの日本国憲法は、戦後民主主義の光輝く結晶として、個人の尊厳と基本的人権の尊重を基調とする崇高な理念を掲げています。この憲法は、単なる法規範の集合体ではありません。それは、人類の叡智が紡ぎだした普遍的価値を体現し、平和と民主主義への不屈の意志を表明した、まさに文明の薫り高き人間賛歌なのです。
しかし今日、この崇高な理念を蹂躙し、立法の趣旨を破壊しようとする動きが、私たちの社会に蔓延しつつあることを、われわれは深い憂慮をもって注視せざるを得ません。
法令無視という暴挙
まず、最も露骨な形での立法趣旨の破壊として、法令の完全な無視という事態が散見されます。これは単なる法令違反という次元を超えた、憲法体制そのものへの挑戦です。労働基準法の諸規定を「面倒な規制」と切り捨て、残業代未払いや違法な労働時間管理を平然と行う。これらの行為は、憲法第27条が定める勤労者の権利を直接的に侵害するものです。
法令を無視する者は、往々にして「効率」や「競争力」という美名のもとに自らの行為を正当化しようとします。しかし、これこそが本末転倒というものでしょう。古代アテナイの偉大な指導者ペリクレスは、「アテナイの住民は私的な利益を尊重するが、それは公的利益への関心を高めるためでもある。なぜなら私益追求を目的として培われた能力であっても、公的な活動に応用可能であるからだ」と喝破しました。
この洞察は、今日においても深い示唆を与えます。企業の利益追求は否定されるべきものではありません。しかし、それは社会全体の利益と調和するものでなければならず、労働者の基本的権利を踏みにじることで達成される「効率」など、真の意味での企業価値とはなり得ないのです。
法令の曲解という陰湿な破壊
次に、より巧妙な形での立法趣旨の破壊として、法令の恣意的な解釈と曲解という問題があります。これは、形式的には法令を遵守しているように装いながら、その本質的な意義を骨抜きにする危険な手法です。
例えば、労働組合法が定める団体交渉権について、形式的には団体交渉に応じながら、実質的な協議を回避し、または形骸化させようとする行為。あるいは、36協定の締結過程において、従業員代表の選出を会社側が実質的にコントロールするような事例。これらは、法令の文言は守りながら、その精神を完全に否定するという点で、むしろ露骨な法令無視以上に危険な性質を持っています。
脱法行為という立法趣旨への挑戦
第三に、脱法行為という形での立法趣旨の破壊があります。これは、法令の規制を意図的に回避するために、形式的には適法な別の法形式を濫用する行為です。
典型的には、労働者派遣法の規制を回避するための偽装請負や、労働基準法上の使用者責任を免れるための偽装個人事業主化などが挙げられます。これらの行為は、法技術的な巧妙さを持って行われるがゆえに、その違法性の立証は困難を極めます。
しかし、このような脱法行為は、単なる個別法令への違反を超えて、憲法第28条が保障する労働基本権の本質的価値を否定するものです。なぜなら、これらの行為は、労働者の団結権、団体交渉権、団体行動権を実質的に行使不可能にし、労働者を個別化・分断化することで、その交渉力を著しく減殺するからです。
憲法的価値の再確認
ここで、私たちは改めて憲法の基本的価値を想起する必要があります。憲法第27条は、すべて国民は勤労の権利を有し、賃金、就業時間、休息その他の勤労条件について、法律で基準を定めると規定します。そして第28条は、勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利を保障します。
これらの規定は、単なる抽象的な権利宣言ではありません。それは、具体的な請求権として、労働者の尊厳ある生活を実現するための不可欠の法的装置なのです。そして、この憲法的価値を実現するために、労働基準法、労働組合法、労働関係調整法という労働三法をはじめとする諸規定が整備されているのです。
闘争継続の決意
私たちは、このような立法趣旨ひいては本邦における立憲主義の破壊に対して、断固として闘わなければなりません。それは単なる法令遵守の問題ではなく、戦後民主主義の根幹を守る闘いであり、勤労者の権利を固守する闘いであり、人間の尊厳を守る闘いなのです。ペリクレスが説いたように、私的利益の追求は決して否定されるべきではありません。しかし、それは公共の利益と調和するものでなければならず、また、そうであってこそ、真の企業価値も実現されるのです。労働法制の遵守は、決して企業の発展を阻害するものではなく、むしろ持続可能な発展の基盤となるものです。
我々労働組合を担っていく組合員ひとりひとりは、このような反憲法的な思考を断固として拒絶し徹底して闘争貫徹することを此処に宣言します。