信用してはならない映画評の書き手の見分け方

以下のセンテンスまたは類似の言葉を使っている映画評は信用できないorつまらない、というワードを淡々と列挙するよ。

  • ストーリーが読めてしまうからよくない
  • エンターティメント(娯楽映画)としてはすばらしい
  • 芸術としてはすばらしい
  • 人物描写が浅い(薄い)からよくない
  • 人物描写が深い(しっかりしている)からいい
  • テーマが深いのでいい
  • テーマが浅いのでよくない
  • テーマが見えてこないのでよくない
  • テーマが描けていないのでよくない
  • ある社会との関連が薄いのでよくない
  • ある社会をよくとらえているのですばらしい
  • ある思想なり社会批評なりが描けていないからつまらない
  • ある思想なり社会批評なりが描けているからよい
  • 登場人物に感情移入できないからつまらない

と書いている人。基本的に、「自分が読めていないだけなのじゃないだろか」ということに疑いを差し挟まない系の言葉ばかりです。例を挙げると、「人物描写が浅い」というのは、実は台詞で語っていないだけで、「映画ならではのやりかた」つまり、繰り返しとか、癖とか、さりげない仕草とか、喋っている内容ではなくしゃべり方そのもの、とかでばっちり説明されている場合が多々あります。

当然ですが、同じ映画を見ていても、見えているものはひとりひとり違います。上記の「映画ならではの人物描写」を含めて「自分には見えたもの」の感動を伝えるのが、面白い映画評とそうでないものを分かつ境界線と言えるでしょう。

要注意ワードは「深い/浅い」です。あと「薄い」。
これは、責任とか自分とか言ったものからものすごく遠い単語です。深い/浅いは具体的にどうだったのかを全く述べないときに使われる、印象批評では下の下の下下々の下ぐらいの単語でしょう。テーマが深い。よござんす。しかし、「どう」テーマが深いのかを書くのが文章というものの機能なのであって、それをきちんと書けている人はわざわざ「深い/浅い」とは書きません。つまり「深い」と書くのは馬鹿です。要するに何も考えてないということのぶっちゃけというか告白なので、その文章の知性を駄目な方向に数ランク引き下げたいのだったらがんがん使うべきです。

あと「感情移入」できない。これはてブのコメントで教えてくれた人がいましたが、確かに映画評としては使ってはならない単語ベストワンぐらいに位置する最悪バカワードではあります。「感情移入できないのでだめ」確かにこれはまずい。非常にまずい。言ってしまったらあしたから白眼視されるのを恐れたほうがよいでしょう。なぜなら、映画の機能として、観客を登場人物に感情移入させることは、まったく重要ではないからです。現にわたしは感情移入しないで大抵の映画を見ています。

ちなみに、たとえ見方が個人的主観に凝り固まっていても、「おれはこいつが好きなんだ!」というほとばしる熱い想いを、ある程度はみなにわかるようにきちんと説明できている文章は、大体上の単語を使っていません。つまり主観性とか客観性とかはあまり映画評のおもしろさに関係ないようです。「これぐらいわからねー奴は駄目な奴に決まってる」ぐらいのゴーマンさを備えているくらいのほうが面白いのですが、それももちろん上記のセンテンス群に「逃げていない」ものに限るでしょう。

上記のセンテンスを使っていても、その理由をちゃんと書いているものはこのかぎりではありませんが、大体書いてないor説明になってない場合がほとんです。

意地悪いですが、意地悪いなりの面白さがあるので追加していく予定。
かなり独断ではあるけれど、これも、という人がいたらコメント欄までどうぞ。

  • unkoeater

    どのセンテンスもとどのつまり「俺(私)はつまらなかった/おもしろかった」ということが言いたいだけで、それが
    「評」などとは書いてる本人もつゆ思っていない可能性というのがあって、もし単なる感想であれば
    そもそもこんなふうに批判する意味もないんじゃないかという気もするんですが。

    伊藤さんの言いたいことというのは要するに「ただの”浅い”感想を平気で書くやつはバカだ」ってことなんでしょうね。

    でも映画レビューとかではある程度そういうのも参考にしてますよ、自分は。内容がただの「つまらない」であれ、
    その数が圧倒的に多ければ「つまんねぇんだろうな」とは思いますものね。実際見てみたらやっぱりつまんなかったりして。
    「感情移入できない」とか「テーマが浅い」だって、要はキャラに萌えられなかったり、そんなわかりきったことわざわざ
    言われなくてもわかってるよとか、言外にはもっと原始的な感動を求めるニュアンスもあったりして、
    とにかく「グッとは来ませんでした」ってことが言いたいだけなんだから、それはそれでいいんじゃないですか。

    具体的な記述でいかに説得力のある映画評を読まされても、人によってつまらない映画はやっぱりつまらないわけで、
    その意味で伊藤さんの挙げた「バカセンテンス」と同じ程度に、やはり伊藤さん自身が書く映画レビューも信用はできないわけですよ。
    「感情移入できない」みたいなレビューがあまりに多い映画は、少なくともそういう陳腐なセリフを平気で使ってしまう
    人たちをも楽しませるような魅力的なキャラクターは出てこないだろうことは想像できるし、
    その程度にはこの手の「バカセンテンスレビュー」も役には立つんじゃないか、と自分は考えます。

    つまるところ、映画がつまらなかったことへの腹いせに「つまんねーんだよ」と不満を吐き出す捌け口にネットを利用している人たちを、
    「評」を書く&読むことを楽しみにしている人がそういうつまらない感想への腹いせにブログを捌け口にしている、という構図なんですよね。

    ナイス・シットスローイングと。

  • Projectitoh

    上の文章に何か「言いたいこと」があるとすれば、それは
    「あるブログをささ〜と眺めて上の単語を見つけた時点で読むのを止めれば、時間を無駄に押せずに済むよ」程度です。大体、わたしは映画を見に行くときの基準としてブログを参考にしたりはしない(文樹みたいなのは上映場所とかがネットでしかわからないのでそうしますが)ので、見終わったアトにみながどんなことを書いてるんだろうな、というのがブログにのっている映画感想の読み方なわけです。そう言う場合、面白い文章とつまらない文章という点でしかその文章の価値を計ることは出来ない。繰り返しますが、「信用できる」というのは「映画を見に行くのに信用できる」のではなくて、「これからもきっと面白い文章を書いてくれるだろう」と信用できる、という意味です。

    「浅い」文章を書くなとは申しませんが、「浅い」文章を書く人っていうのは本当にちゃんと映画を見ていたのか、って疑念も勿論出てくるわけです。「深い/浅い」っていうのは褒め言葉にしてもけなし言葉にしても映画の側に責任を渡す言葉なので、それよりは「おれはこう思った」のほうがよっぽど責任の所在が明確なわけです。「浅い」文章が駄目なのは、自分が何事かを書いて公衆に晒す、という点から全力で逃げているからなのですね。実は映画とは関係ないところでダメダメなのです。

  • ibayac

    >繰り返しますが、「信用できる」というのは「映画を見に行くのに信用できる」のではなくて、「これからもきっと面白い文章を書いてくれるだろう」と信用できる、という意味です。

    ここ論理に無理がある気がします。
    映画批評って、鑑賞するかを決めるために見る人がほとんどじゃないですか?だからネタバレには気を遣うわけで。

    最初の記事を読んでも、「信用する」というのは、面白いかどうかを判断する基準として信用できる、という意味にしか僕はとれません。

  • もっと読む
コメントを書く