》活動の内容だけではなく、どういった意図や狙いがあって活動をしているのかも語られているので、実は現在Colaboに殺到しているデマや誹謗中傷の多くが的外れであることは本書を読むだけでわかったりします。
》本書の内容で印象的な内容の1つは、児童相談所のような公的な支援が当事者である少女から頼りにされていない、当てにされていない、ありていに言えば選ばれていないという現状です。
》逆に言えば、Colaboはある意味では、少女たちに選ばれる魅力を持とうと努力してきたとも言えます。
》仁藤氏が前著『女子高生の裏社会』で指摘していたように、路上には少女をあの手この手で引っ掛けよう、買おうとする人々があふれています。そうした「魅力」に対抗して対象にリーチする必要性があるのです。
》本書には、メインを占めるわけではないかもしれませんが、少女たちが参加した「政治活動」についての言及もありました。辺野古での座り込みに参加したり、韓国でのいわゆる従軍慰安婦の問題で活動している団体とかかわったり、「私たちは『買われた』展」を開催したりと、その活動は多岐に渡ります。
》本書を読むと、こうした「政治活動」も支援の文脈でむしろ必要なことだったのではないか、とも思えてきます。
女性差別問題にせよ、それ以外の政治的な問題にせよ、少女たちが実際に問題にかかわること、ほかの活動と交流すること、抗議活動を実際に経験することを通じて、彼女たちは抵抗するための言葉や方法を学んでいるのではないかと思えます。本書のサブタイトルにある通り、現在の日本は性搾取が常態化しており、女性、とりわけ孤立した若い女性はそうした搾取に日々晒されることとなります。そうした社会で彼女たちが生きていくためには、搾取を否定して跳ねのけるための言葉がどうしても必要になってきます。差別や搾取は社会構造に巧妙に組み込まれるものなので、それらの問題を言葉によって可視化する手段がないと対抗するのも難しく、なんだかよくわからないままに搾取されるということになってしまいます。
そして、こうした側面を考えると、Colaboを毛嫌いする男たちが特に政治活動にいきり立って非難を行う理由もわかります。要するに、彼らは少女たちが抵抗力を身に着けるのを恐れているのです。