もっと自分を出してみろ。
東京在住の女性M様から「一緒にごはんを食べて欲しい」とご連絡をいただいた。私の正しい使い方である。人と関わりたいのだけれど、人との関わり方がわからない。それなりの給料をもらっているのだけれど、数日後には全部使ってしまう。何に使ったのかを覚えていない。自己啓発や占いのセミナーに大金を出したこともあるが、何も身についていない。表面的な好奇心は多岐に渡るのだが、そのどれもが中途半端で、選別をしないと身を滅ぼす。M様は、そのようなことを言った。
好奇心があると言った割には、M様は疲れて見えた。湧き上がる好奇心が抑えられないと言うよりは、自分を見ないで済ませるために、消費に中毒しているように見えた。刺激に対する好奇心はあるが、人間に対する興味はない。その「人間」の中には、自分も含まれている。自分なんかどうなってもいい、とか、自分のことなんかどうせ誰にもわかってもらえない、など、諦めを感じた。モノやカネは与えるのだけれど、一緒にはいてくれない親みたいだなと思った。ああしなさいとか、こうしなさいとか、口は出す。口は出すのだが、一緒にはいてくれない。自分を見てはくれない。
モノやカネは与えるが、一緒にはいてくれない。肝心なものは与えてくれない。年を取り、やがて「親は親なりに愛してくれていたのだ」と、自分なりに折り合いをつける。自分は愛されていたのだと思い込もうとするが、それは、愛ではない。愛を諦めただけだ。本当に欲しいものは手に入らないと言う、マイナスの信念を強化しただけだ。人間に対する諦めは、体に穴を開ける。どれだけ「いい」とされるものを体の中に詰め込んでも、その穴から、なにもかも漏れ出してしまう。だから、活力が湧かない。前向きな意思が続かない。
外側のことはいろいろやってくれるのだが、内側は無視をしたまま、見向きもしない。モノは与えるのだが、モノしか与えない。肝心なものは与えない。それで、なにかをやったつもりになっている。そんな態度を、自分が自分に取っているように見えると言ったら、M様は「心当たりがある」と言って泣いた。本当の思いを伝えることは、怖い。本当に欲しいものを手に入れることは怖いと言って泣いた。坂爪さんは怖くないのかと聞かれた。怖いとか、怖くないかより、楽しいか、楽しくないかだと思った。本音を隠して、表面的な付き合いを続けることは、私にとって楽しくない。
うまくやろうとするより、どんどん玉砕しよう。スマートにやるよりも、抱き合い心中をするくらいの生々しさ。生々しい方が、楽しい。俺もお前もめちゃくちゃになろう。助かろうとしない。死に支度は終わってます。ここで終わってもいい。そっちの方が、楽しい。相撲は、勝った方も、負けた方も、元気になる。M様は「誰も自分のことなんて見ていないのだから、もっと自分を出したいと思います」と言った。違う。見まくってる。世界はお前を待っている。お前がお前を出した瞬間に「いよ、待ってました」と盛り上がる神々がいる。全力でやって、一人になるなら仕方ない。世界に言葉も心も尽くしてないなら、死ぬ前に、心残りを終わらせる。痛いとか、怖いとか、自信がないとか、それはやらない理由にはならない。やりたいなら、やろうよ。痛いまま、怖いまま、自信なんかないまま、やりはじめてもいいのだ。
坂爪圭吾様
拝啓 初春にふさわしく、のどかな天気が続いています。
昨年、ホタテ忘年会でお世話になりました⚪︎⚪︎です。当日は体調が優れないなか、快く場所を提供し開催していただき、本当にありがとうございました。
その後体調はいかがでしょうか?割れたガラスがいつ直るのか気がかりでなりません。
あれからも坂爪さんのnoteを読ませていただき、当日あの場所に居合わせたことの意味や自身のあり方を内省しておりました。主催者の方がホタテを買うお金がなくなっていたことも知りませんでした。当日、集い騒いで、遅れてきた方の分のホタテを取っておくことなく全部食べ、ガラスを破損し、部屋を汚し、ゴミを残していった自分たちの行い。
坂爪さんに一度お会いしてみたいという気持ちで深く何も考えず、浮かれてのこのこ出かけて行った自分を今はただ恥ずかしく感じています。
吉本ばななさんからガラス代のカンパの申し出があったというのを知り、いてもたってもいられず、私も少額ですが送らせていただきます。もしかしたら参加者の皆さんで何かお話が既に出ているかもしれませんが、私はFacebookなどやっておらず、皆さんと連絡先を交換しませんでした。参加者のどなたとも連絡が取れないので、個人的に送らせていただきます。
あの日は皆様と初対面なのに無礼かと思いましたが、甘えさせていただき、横になりたいときになれる環境のおかげで体調は悪化することなく、むしろ温泉のおかげか体調が良くなって年末年始を過ごすことができました。
以前の私なら決して参加しようと思わなかったのですが、坂爪さんがお知らせのなかで「ドタキャンしてもいい」と書いてくださって、勇気を出して申し込みできました。
2022年の5月に息子がコロナに罹患して私もうつり後遺症になり、仕事も家も失い、体調が思うように快復しないなか、残りの人生をいかに生きるかずっと考えていました。
昨年の夏に三年ぶりに実家に帰省し、90歳と89歳の両親を不衛生で物が異様に多い劣悪な環境ながら、近くに住む統合失調症の兄が世話をしている姿を見たことが転機になりました。自分の中で問いかけました。ネグレクト状態で私を育てた親をこれからも恨み憎んで、これからも一生うまくいかないことに出くわすたび人のせいにして生きるか、変えられない過去は仕方がないと、生きたいように生きることを許すのか。私はほんとうはどう生きたかったのか・・・等。
それで決めました。もう親を恨むのではなく、自分自身を大切にしよう、自分と仲良くなろう、やりたいことを一つずつやっていこうと。
そんな時、坂爪さんの文章を読み「君も人生を棒に振ってみないか」「正しく生きるとつまらなくなる」などの言葉に出会い、背中を押されたような励まされているような気持ちになりました。
また、読者の方々のお手紙を読ませていただき、特にばななさんの本を送ってほしいと言えた方の文章は印象的でした。私はわりと欲しいものは欲しいと言えるほうで言えない方の気持ちはわからなかったのですが、見ず知らずのあの方が欲しいものを欲しいと素直に表現できたとき何か自分の一部が救われたような感覚があり、繰り返し読みました。
17年程前に、当時まだ小さかった息子を連れて森のイスキアを訪れた経験があります。坂爪さんは初女さんに佇まいがとても似ていました。逢初庵も森のイスキアのような場所でした。余計なことを言わず聞かず、ただ坂爪さんご自身であられてその場にいる。そのことがどれだけ静かで心強いのだろうと思いました。その間合いに触れるだけで皆さん自分自身を思い出すのだと思います。
特に会話はしませんでしたが、横になっている時に聴いた坂爪さんのギターの音色は子守唄のようで、どんな言葉や態度よりも心に響きました。一生忘れないと思います。
乱筆乱文の長文をお許しください。せめて何かお礼をと思い、お花を贈らせていただきます。最後になりましたが、一日も早く体調が快復されますことをお祈りしております。
おおまかな予定
1月7日(火)静岡県熱海市界隈
以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)
連絡先・坂爪圭吾
LINE ID ibaya
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE https://tinyurl.com/2y6ch66z
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