更新が遅れ、すみませんでした。
実は、11月22日に「キックじじぃ」ことカミさんの父親が亡くなりました。
87歳の大往生でした。
この日は稲尾さんの「お別れの会」があった日で
残念な事に、大島はその時に間に合いませんでした。
3年前に自分の母親を亡くした時もそうでした。
その時も、野球関係の方の葬儀に出席している時に
母の死を知らされ…死に目には会えなかったのです。
だから、福岡へ行くこの日「予感」はしていたのですが…
残念です。
寂しいです。
早くに父親を亡くしていた大島にとって
「キックじじぃ」は本当の親父のように思っていましたから。
野球が大好きだった「キックじじぃ」
中日の大ファンだった「キックじじぃ」
念願の中日日本一を見届けて、逝きました。
「大島が中日の監督になるのが、俺の最後の夢だ。それまでは死なない!」
とおばあちゃんに言っていたそうです。
ごめんんね、おじいちゃん。夢を叶えてあげられなかった。
11月27日・28日に通夜・告別式を終え
休んでいたブログを、今日から再開しました。
今日はカミさんのこと、ちょっと書かせて下さい。
いやぁ~あらためて思いますが、女は強いですね。
病院から連絡を受けて、息子二人と駆けつけるも
カミさんもその時には間に合わなかったそうです。
でも息子たち曰く「気丈だったよ。泣き崩れる事も無く先生や看護婦さんに
お礼を言って、おばあちゃんに代わってすべき手続きをテキパキこなして」
福岡にいる大島を気遣って、息子たちにも口止め。
「帰ってきたくてもできない人に知らせても心配かけるだけだから」と。
だから大島は、帰京した夜におじいちゃんの死を知ったのでした。
たまたま息子たちは二人とも学校が休みに当たったので
おじいちゃんが亡くなり、霊安室へ移され、家まで連れて帰り、
湯かんを手伝い、家から送り出し、通夜、告別式と
その全てに立ち会うことができました。
核家族化のすすむ現代で、おじいちゃんの死にしっかり立ち会えたことは
彼らにとって、財産になったことと思います。
間違いなく、彼らの中で何かが変わったはずです。
「命の重さ」をしっかり感じ取ってくれたと信じます。
おじいちゃん、ありがとう。
今年に入って入退院を繰り返していたおじいちゃん。
でも、幼い頃からとっくみあいのケンカを繰り返してきたカミさんは
弱くなってしまったおじいちゃんを前にしても、優しい言葉ひとつかけられない。
お見舞いから帰った息子たちに「おじいちゃん生きてた~?」なんて
聞いたりするものだから、「親不孝者!」と全員につっこまれたりしたもんです。
でも、亡くなる前前日にお見舞いに行ったとき
あまりにも弱々しくなったおじいちゃんの姿に、家族全員が悟りました
おじいちゃんの死が近いことを。
無言で歩く帰り道、怒ったような顔でどんどん歩くカミさんに気付き
大島がそっと肩に手をかけると、とたんに号泣し始めた。
まったく!夫婦は似てくるもので…カミさんも、照れ屋の強がりさんなのでした。
その後は告別式が終わるまでは、やはり気丈に振る舞い
最後に号泣したのは、火葬の炉のドアが閉まった瞬間でした。
その翌日は、一日中メシもろくに食べずにトロトロ・トロトロ寝てばかりいました。
あれ、なんなんですかね?人間って、ストレスから身を守る手段として
「寝る」という行動をとることがあるらしいですが、それだったんですかね?
今日から普通の生活に戻って、バタバタ忙しく動き始めました。
ね、やっぱり女って強いですよね。
そうそう、カミさんの友達が教えてくれたんだけど
「こんなメールもらったよ」って。
「きっと、旦那さんとかには恥ずかしくて言えなかったんだと思うんだ」
その内容はというと…
『年取ると子供に戻って行く、ってホントだね。
言葉は片言だし、歯は無くなるし。
それって赤ちゃんに戻ってるってことだもんね。
赤ちゃんって、どうして歯が無くても可愛いんだろう?オトナだったら
ひいちゃうのにって思ったものだけど、これお年寄りにも言えることなのね。
子供に戻って、赤ちゃんに戻って、そして神様の元へ戻って行く。
人間ってそういうものなのかな?って、父を見てるとそう思う。
歯無しじじぃ~
どんどん子供に~
戻ってく~
時折見せる~
笑顔は赤子~ 』 と、あったそうです。
ちょっとウルッときたけれど…
「でも、すごいよね~彼女。亡くなった当日、また句を詠んできたわよ
父死んだ~
・
・
・
こんな人、初めてよ。」と言われました。
ホンマ!どんなやっちゃ!
長くなってしまいました。すみません。
明日から「星野JAPAN」も予選が始まりますね。
大島も気持ちを切り替えて、野球スイッチONでいきますので
よろしく!
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浩
ハルカ
大島さんが日ハムに移籍した年のこと、名古屋の地下街の本屋で、ベースボールマガジンの大島さんの記事を立ち読み(ごめんなさい)していたところ、横から「この本どこにありましたか?」と声をかけてこられた方がいました。たまたまそこには私が持っていた1冊しかなく、その旨を答えると「これ、うちの息子なんです。記事だけ見せてもらってもいいですか?」と大島さんの写真を指差されました。
まさかこんなところで大ファンの大島さんのお母様のお会いできるとは思わず、私も大島さんのファンであることを言って少々よれよれになってしまった本をお渡ししたのですが、記事を見て本当に嬉しそうに「ぶっきらぼうだけど優しい子で、東京でもがんばっているようでよかった」と立ち話ながらしばらく大島さんのお話を嬉しそうにしていただきました。
もうずいぶん前の思い出です。
cheezu
今日五輪予選の試合、稲葉選手がHRを打ってくれました。明日はダルビッシュでしょうか?日ハム選手ががんばってくれていうれしいです。他の選手の顔ぶれもすごいですね。負ける気がしません。
こんなチームがシーズン中もあったら監督は楽ですね。
ひろっぷ
大切な方を亡くされることは、分かっている事とは言え簡単には受け入れられないものですよね。
私も10年以上前に母を亡くしました。
1年弱の看病でしたが、一言も愚痴を言わず平常通りに家族と過ごす気丈な母に、私達の出来ることは穏やかな入院生活を送れるようにすることだけでした。
哀しいけれど、この時間の中で皆が自分の「覚悟」を決めて行くのですね。
泣けたのは随分と時間が過ぎてからでした。未練が残ると高いところに昇れないとも聞きますので、それで良かったのかもしれません。
家族がいつも心に留めていることが一番の供養だそうですが、大島家なら心配ありませんね。
お元気に振舞われているようでも、奥様にお疲れが出ませんようにどうぞ大切になさってあげてください。
星野JAPAN、☆☆☆で北京へ!
ライオンズファン
けん
私も、大島監督が見たいですよ。
しばらく入院していましたので遊びにこれませんでしたが手術の日に好きなドラゴンズが日本一になったのです、翌日、家族が中日勝ったよと耳元で教えてくれました、嬉ったです。
退院もでき我が家に帰れて本当に家族、友人、先生達に感謝しています、どんどん免疫をつけるため自分でリハビリを頑張らないと、それと野球観戦マスターズリーグなんか行きたいですね。
ヤッパリ四番大島選手が見たいです。
ビーバー
tome
中日本ハム子
私も早くに父親を亡くしたので、義父にはつい甘えてしまいます。
それでも他の兄弟に遠慮もあってあまり良い嫁をしているとは思えませんでした。
けれど親孝行は今しかできないんだ…と大島さんに教えられました。
気付かせていただいて有難うございました。
それからハルカさんのお話素敵ですね。大島さんのお母様の優しいお人柄が感じられて胸が熱くなりましたよ。
ひみつ
私は昨年父を亡くしました。
二度目の脳梗塞に倒れて半身不随になって以降徐々に衰えていったため、亡くなったとき、自分は非常に冷静でした。
次の日に観た夢の中で、亡くなったときの顔の父が楽しそうにしゃべっていたんです。
その夢の中で私は号泣しました。
火葬の日、叔父に夢の話をしたら「それは次の命に魂が移った知らせだ」と言われました。
大島さんの夢には出てきましたか? キックじじぃ
Buranko
心よりお悔やみ申し上げます。
合掌
大島さん始め皆さんのご両親との別れの時のお話を読ませて頂きながら、
高齢で小さくなって病を抱えながらの両親ですが、この世にいる幸せを噛み締めています。
87歳・・・十分生きられたからと慰めの言葉も有るかも知れませんが、まだまだ・・・奥様との喧嘩も楽しんで欲しかったですね。
お父様はドラファンだったのですか~
日本一を見られて良かったですね!
もう一つの夢・・・ドラゴンズの監督
お話があったら是非!名古屋へ戻って来て下さいね!
お父様のためにも・・・
ファンも待っています。
今は未だお忙しいと思いますが、どうぞお体を大切に御自愛して下さい。