恐山菩提寺の院代が語る「不確かな」現代 生きるためにすべきことは

聞き手・宮崎陽介

 青森・下北半島にある霊場・恐山。そこで深い苦悩や悲しみを抱えた人々に向き合うのが、恐山菩提(ぼだい)寺院代(住職代理)の南直哉さんだ。著書で、今までの倫理や道徳とは違う行いをする人が出てくる時代、仏教はやり過ごすわけにはいかない、と書いている。鋭い語りで知られる破格の禅僧に、この世界と個人の不確かさについて、当地へ赴いて聞いてきた。

百の失敗があるから

 ――不確かさ。それは現代のどのような断面に現れているでしょうか。

 「見知らぬ女性から、会いたいと電話がありました。ここ恐山まで来るからには切実な悩みがあるはず。会ってみると、きゃしゃな若い人で金髪、耳にピアスをしていました」

 「『きょうは、どういった悩みで来たの?』と問うと『どうなんでしょうね』。『でも、何かないとここまで来ないでしょ』と言っても『別に……』。やがてふと、2度自殺未遂をしたと打ち明けました。『こんなふうに生きているんだったら死んでもいいかなと思って』と」

 「先が見通せない不確かな時代の中で、特に若い人たちは進むべき方向を見失っています。私が若かった頃は豊かになろうという方向性が社会にありました。『今の一当は昔の百不当の力なり』という曹洞宗の祖・道元禅師の言葉があります。百の失敗があるから、この成功がある。でも、今は失敗も許されない」

 「現代は自己決定と自己責任が問われます。それは商売の原理であって、人間社会を覆うものではないのに、世の中の規範として強いられるから、人はおびえるのです」

 「自己決定力は経験の質と量に依存し、持つ者と持たざる者の格差をあらわにする。持つ者は自己決定に充実を感じ、持たざる者は自信を失い『生の強度』が落ちる。『こんなふうに生きているんだったら』と」

 ――どうしたらよいですか。

 「言葉を取り戻すことです。自分がなぜ、苦しいのか分からないのは言葉を持っていないから。今はマイナスの感情を持ち出すと、人間関係がおかしくなると思って口をつぐむ。それで語る力が落ちていく。もし、若い人たちが自分の言葉で語れるようになったら、現代社会の決定的な問題が現れてくるはずです」

 「感情というのは液体だと思います。器に入れないと、その重さも色も味もよく分からない。自らの感情に意味を与えるためには、器すなわち言葉が必要なのです」

 ――それは「自己とは何か」を問うことにつながってきそうです。

 「仏教の縁起という考え方では、すべてのものは関係性の中において存在している。それなのに、私たちは実体として存在するかのように錯覚してしまう。それ自体は何物でもない四角い箱は腰掛ければいす、その上で書きものをすれば机、乗っかって物を取れば踏み台。それが何であるかは、関係性によって決まる」

 「人は自分の意思で生まれてきたわけでなく、勝手に名前を付けられて世界に放り込まれます。つまり、初めから構造的に他者が食い込んでいて、関係性にとらわれた存在なのです。この根源的な矛盾を引き受けて、決意して生きることに賭ける。他者と自分の裂け目に言葉が生まれ、そこに自己が立ち上がる。それでこそ、世の善悪の不確かな根拠を問い直し、自らの倫理観を打ち立てることができるのです」

相手を許す、許す自分を許す

 ――一方、世界も不確かな力関係に翻弄(ほんろう)されているように映ります。

 「国家や共同体も、関係性の中に存在しています。それを自覚させるのは、境界を越える問題が起き、関係性が揺さぶられた時でしょう。かつては世界大戦がありました。今、気候変動や経済格差、核の脅威など様々な問題もあります。ロシアとウクライナ、イスラエルとガザはともに初めから物理的・地政学的に食い込んでいる者同士です。自国ファーストへと暴走する権力者も『他者』との関係性を引き受けたうえでの倫理を構築すべきです」

 ――自己と世界が相似形のように感じます。

 「以前、介護する父親を殺してしまいそうだ、という手紙がその息子さんから来ました。その構図においては息子が強者で、父親が弱者に見えますが、息子は父親から『親の面倒を見て当然だ』という圧力にさらされる。強者、言葉を換えれば権力はどちらにあるか。世界でも足元の日常でも、権力のありようは閉じた空間でひずみ、時に反転します。その閉じた力学的空間を開き、対話の回路を広げることが大切です」

 「権力関係は愛憎を帯びます。相手を思い通りにしたい、独占したい、支配したい、従わないなら憎悪する……。ブレーキをかけるには、相手が何を思っているかより、自分は相手に対して本当は何を思っているのかが分からなくてはならない」

 「仏教に自未得度先度他(じみとくどせんどた)という教えがあります。自分が救われなくても、他者を救う。与える/与えられるという互酬の関係でなく、一方的に与える、責任を果たす覚悟です。それが膠着(こうちゃく)した世界の構造を変える可能性を秘めていると感じます」

 「それは損得をてんびんにかけるような『取引』ではありません。相手を許すこと、許す自分を許すこと。その葛藤を超克するための思考の言葉は、手間をかけないと出てこない。情報や知識がいくら積み上がっても智慧(ちえ)は生まれません」

縁が世界と結ばれると信じる

 ――AI時代に、自己は世界とどうかかわっていくのでしょうか。

 「不確かさに耐えられず、もっと楽になりたいと思う。その究極は衰えゆく肉体を手放すことでしょう。将来、意識をICチップの中に移して『生きる』ことを選ぶ人が出てくるかもしれません。そのチップを宇宙に持っていき、クラウド上で他者と融合すれば自意識はなくなり、宇宙と生命が一体化するといった、ある種の宗教の理想に近似していく。だが、それはもう自己ではない」

 「世界の様々な悲劇を前に、力不足で何もできないと、もどかしさを感じる人もいるでしょうが、まずは身近でできることをする。その縁がいつか、どこかで世界と結ばれると信じる。それが祈りというものです。知らないふりをして生きていくなら、それが抑圧となって自己や社会をむしばんでいきます」

 「言葉を取り戻し、倫理を再立ち上げする。自己と世界がリアルに生き延びる方法として、この不確かな時代になすべきことだと思います」

南直哉さん

 みなみ・じきさい 1958年生まれ。禅僧。曹洞宗大本山の永平寺(福井県)で約20年修行し、2005年に恐山菩提(ぼだい)寺(青森県むつ市)へ。現在は院代(住職代理)。霊泉寺(福井県)住職も務める。著書は小林秀雄賞の「超越と実存」や「語る禅僧」「正法眼蔵 全新講」など。

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