「…………!!」
一面に広がる雲の大地と、遮るもののない大空。
呪霊の展開した領域とは思えない景色に目を奪われる間もなく、私は
……領域の押し合いに負けたとしても、それで敗北が確定する訳じゃない。
領域の展開と術式の発動は、本来異なる工程となる。黒閃を撃ってノっている状態の真人か、あるいは宿儺や五条悟のような上位者でもなければ、一瞬ではあるがラグは発生するのだ。その間に、対領域用の手は撃てる……!
そうしながら、横目で佳子の方を確認する。
もしも佳子が領域対策を何も持っていなければ、非常に厄介なことになるが……、
「尊! いけますか!?」
……その心配は要らなかったか!
掌印を組んで彌虚葛籠を発動している佳子を見て、私はひと安心した。……助かる! これで大分動きやすくなった!
「ええ、大丈夫! ……彌虚葛籠ですか、流石ですね!」
「ふふん、天才ですから!!」
言いながら、私は飛び退いて佳子の前に立つように陣取る。
今佳子は彌虚葛籠で手が塞がっている。戦闘は私がメインでやるしかないだろう。
『俺は、滂沱』
クラゲじみた人型の呪霊──滂沱は、短く名乗った。
直後。
滂沱が放つ
『名乗りは手向けだ──死ね、人間』
しかし。
『何…………?』
術式を付与しても、何も起こらない。
彌虚葛籠を発動して必中命令を相殺している佳子はともかく、彌虚葛籠を発動していない私も含めて、である。
滂沱は違和感を覚えたのか、怪訝そうな気配を表に出して、
『……おい、何で掌印なしに俺の領域で死なずにいられる』
「答えても構わないが、いいのか? 術式の開示は私の有利に働くぞ」
私がおちょくってやると、滂沱は舌打ちした。
……領域展延は、単なる術式効果だけでなく、領域に付与された必中効果もある程度は中和できる。跡切が展延を知らなかったのと同様に、どうやら滂沱も領域展延は知らないらしい。
だが……跡切がそうであったように、原理には簡単に辿り着けるだろう。この時代の呪霊は、結界術への造詣も深いらしい。……背後に羂索が噛んでいるのかもしれないが。
『ナメるなよ。そいつが領域展開の亜種だってことは分かる。……察するに、術式を付与しない領域ってところか。だから術式が焼き切れた状態でも使えるのか』
そう言って、滂沱は右手に白い靄を集めた。
『だがァ!』
一声叫び、滂沱が腕を振る。すると直後、白い靄から鉄砲水のような勢いの局地的豪雨が放たれ、私の身体に突き刺さる──直前に散らされる。領域展延の効果だ。
散った水は、そのまま白い雲の大地に落ちてぴちゃりと軽い音を立てる。
……ふむ。
『……術式を中和しているな。テメェの身体に纏っている領域は、術式を付与していない空の領域だ。だからその分空いた容量に術式を流し込める。領域の必中効果や、術式そのものを相殺できるのもそれが理由だろ。とはいえ……』
滂沱はそこで言葉を切り、
『
そう。
それが、領域展延の弱点である。
彌虚葛籠や簡易領域でも、領域展開に対しては時間稼ぎにしかならない。もしも領域展延が徒手のまま必中効果を無効化できる性質のものであるなら、作中上位の実力者が使用しない訳がない。
特に、渋谷で無量空処をモロに受けた漏瑚と、新宿で真贋相愛を彌虚葛籠で受けた宿儺。コイツらはどちらも展延を使うことができたにも拘らず、そうしなかった。このことからも、展延が領域の必中効果対策には不十分だということが分かる。
ならば、何故私の展延は領域の必中効果や術式効果を中和できているのか?
答えは単純。
「確かにお前の言う通りだ。
『な……』
領域結界の内部は、外側から見た容量と一緒とは限らない。
多くの領域は、外郭よりも内部の空間容量の方が多いものだ。蟲毒呪法の「壺」は例外的に外郭と結界内部の空間容量が等しくなる「縛り」を設けているが、逆に言えばそれが縛りとして機能するくらい、結界内部の空間が拡張されているというのは当たり前の仕様なのだ。
領域展延にも、その仕様を応用すれば?
通常の領域展延は、技術的には結界術というより呪力操作の方が近い。どちらかというと、呪力に領域の性質を与えているような感覚だ。そこからさらに一歩、結界術に寄せる。
「纏うように展開した領域に、奥行きを与える。この展延は見た目以上の容量を持っているんだよ。これは私の考案した技術だ。差し詰め──「領域展延・深」といったところか。
ちなみに安心してくれていいが、外部から「展延」の中に入ると、私の体表から一寸(三センチ)のところに出てくるようになっているから実質的な射程の差は存在しない。そういう「縛り」を設定してある」
私は、術式の都合上極小の領域を展開することに慣れている。
「壺」の場合は外郭と内部の容積は等しくなる「縛り」があるが、逆に言えばその縛りさえなければ容積を広くすることだって可能なのである。あとは、その乖離を広げられるだけ広げればいい。
参考までに、現在私は展延内部の領域を数メートル程度まで広げることに成功していた。
「縛り」を設けることで消耗を少しでも低減するようにしているが、そうでなければ今までの私の呪力量ではとてもではないが実現性には乏しかっただろう。ただでさえ、もう一つの「縛り」で実現性には乏しい技術だったからな……。
術式の開示をしたことで、さらに消耗は抑えられたが……それでも、チンタラしていられる呪力消費量じゃない。とっとと片をつけるに限るな。
『……嘘だな。そんな狭い領域に奥行きを与えるなんてできるはずがない。それにそこまで結界術に寄れば、領域の外郭を呪力で形成しなければ成り立つまい。そんな流動的な動きを取るのは不可能だ』
お、少しは考えるじゃないか。技術論議ができる相手は歓迎だぞ、私は。
「それは問いか? 偽ったつもりはないが……真偽のほどは、戦って試してみるといい!!」
私はそう言いながら、呪符を握り潰して滂沱の元へと直進する。
滂沱は両手に白い靄を発現し、重ねて私に向ける。──派生技だな!!
「雲外蒼天」──
「尊!! 眼を覆って!!」
──「霹靂」!!
直後。
滂沱の両手から、稲光が迸った。
……直前に佳子から指示が出ていなかったら、危ないところだった。仮に展延で術式を中和できたとしても、雷光で目を潰されていた……!!
「助かりました!!」
「天才!!」
……最早受け答えが成り立っていないが、まぁいい!!
術式を防がれた硬直の隙を突いて、私はそのまま滂沱の懐にフックを叩き込む。滂沱は呪力で防御しているようだが──関係ない! このままぶち抜く!!
ゴッ!! とそのまま滂沱が吹っ飛ぶが──その先に白い靄が形成されると、勢いが弱まってそのまま空中で静止した。
……威力は十分。このまま畳みかけるか。
「先ほど外郭なしに奥行きの変動をしていることを指摘したが、あれは的を射た指摘だ。確かに、いくら私でも外郭の設定なしに結界の内的要件と外的要件を食い違わせることは難しい。
だが、そこら中に外郭にできるものが漂っているならば話は別だろう?」
『…………気付いていやがったか』
私が指摘すると、滂沱は忌々し気に舌打ちをしながら、地面に降り立った。
「これでも、私は結界術には自信があってな。その私があれだけの速度で領域の押し合いに敗北したということは、単なる技量以外の「タネ」が存在しているということだ」
結界術というのは、条件の足し引きが基本である。
何かの強みが足されているということは、その分弱みが付与されているということ。押し合いに強いということは、結界の押し合いに関係する要素──外郭に関して何らかの弱みが付与されていることに他ならない。
「察するに、あの白い靄だろう? お前の領域の外郭は」
思い返せば、ヤツは領域展開の直前にわざわざ白い靄を私達の方まで広げていた。
アレは、領域展開の前準備だったのだ。
「
おそらくコイツの領域は、白い靄が広がった範囲に等しい。さらに、おそらく他にも幾つか「縛り」が設定されているはずだ。
それだけの致命的な「縛り」に対し、私は通常の領域展開で臨んでしまった。だから設定を変更する間もなく押し合いに負けたのだ。
「そもそも、お前は無から水を生み出すことはできない。おそらく既に周辺にある水を用いてしか白い靄を形成できない。領域で術式精度が上がったとしても、そこは動かせないはずだ。
にも拘らず虚空から白い靄を作り出しているのは……領域の仕様上視覚効果がないだけで、此処は今も靄が充満しているからか」
そして当然、白い靄の操作は不可能となっているはずだ。もしも可能ならば、そこら中に存在している白い靄を起点にさっきの雷を撃てば必中抜きに相手を殺せるからな。少なくとも、佳子はそれで殺せる。
それをやらないということは、領域の展開に必要な白い靄はそのままでは操作できず、一部を切り取って手元に発現してからでないと術式には使えない、といったところか。
ルールをまとめると──おそらくこうなる。
縛り①:領域の範囲は「白い靄」の範囲と等しくなる。
縛り②:展開に使用した「白い靄」は領域展開後操作できなくなる。
縛り③:展開に使用した「白い靄」は存在はしているが、能動的な干渉は不可能。
縛り④:(おそらく)靄を大きく払えば領域は解除できる。
つまり、領域内部で高い破壊力を持った術式を使えばそれだけで領域は解除できるし、そうでなくとも救援がくればあっさり領域は解除できるという訳だ。
そして、領域内部を「白い靄」が満たしているという条件。
「見えずとも在るというのであれば、それは私にとっても外郭として使用できる素地になる。私の体表を覆うように存在している「白い靄」と私の体表の間にある空間を塗り潰す様に領域展延を発動したというわけだ」
私の呪力や戦闘による動きによって、私と白い靄の間には常に拳一個分ほどの空間が保たれている。この感覚は、私にとって最も領域を展開しやすい間合いだ。あえて言ったりはしないが、そういう部分も私に有利に働いた。
……まぁ強気に言っているが、要は未完成の技術なのだ、これは。
私の技術力ではまだ負担の軽い形で流動的な外郭を構成するイメージが作れない。なので先の跡切戦でも(呪力消費が大きすぎるという理由もあるが)使用できなかった。
今回はたまたまロケーション的に噛み合ったから使っているが、だいぶ行き当たりばったりな運用である。
『自分が何を言ってるか分かってんのか? そいつは水で仏像を彫りましたって言ってるのと同じだぜ』
「なんだ、意外だな。呪霊は水で仏像を彫ることもできないのか?」
『抜かせ、クソガキ!!』
滂沱は術式による攻撃が意味を成さないと理解したのか、接近戦を挑んで来たようだ。両拳に白い靄を纏わせて、一瞬にして肉薄する。
私もそれに対応して、まずは拳を弾くように蹴りを叩き込んだ。
ゴッ!! と回し蹴りによって拳が地面に引っ張られるが、それでも滂沱の態勢は崩れない。そのまま強引に身体を引き戻して、蹴りを入れた直後の私を狙って来る──が。
「天才の私を忘れてましたねぇ!!」
意識から完全に外していた佳子のドロップキックが、滂沱の側頭部に炸裂する。
……彌虚葛籠は両手で掌印を結ぶ必要がある関係上、発動中は両手が封じられている。必然的に肉弾戦の格闘能力も大きく減じてしまうのだが、蹴り技に関しては使用可能である。
安倍氏では呪霊が領域を使って来ることはかなり考慮に入れられており、領域展開中に自身が領域を使用できない場合、彌虚葛籠を維持しながら格闘する戦闘法も確立している。佳子がやっているのは、その一環だ。
『…………ッ!! だが、軽いなァ──』
とはいえ、子どもの一撃。以前の私の軽く倍くらいはありそうな呪力量とはいえ、呪霊相手には心許ない。少しふらつきながらも、滂沱は佳子の足を掴もうと右手を伸ばし──
「今度は私が意識から漏れたな。──「
「縛り」の関係で外部からの攻撃に対して奥行きは全く意味を成さないが、それはそれとして領域の中に奥行きが
その領域の中に式神を忍ばせておけば、こういう風に不意打ちに使用もできる。
「尊!! 眼!!」
佳子の呼びかけに答えて咄嗟に目を手で覆うと、
バヂヂヂヂヂヂィ!!!! と領域から飛び出した直後の「
術式!? そんな余裕は──いや、領域に付与された必中術式か! さっきの雷を必中設定にして……クソ、味気ない選択だなオイ!
だがこの程度ならまだ持つ! このまま──
「食え!!」
命令を声に出すことで相手に意図を伝える「縛り」で「
そして。
シュキキキキン!! と、電撃に灼かれながらも「
ファンブックでは展延は必中効果を中和できるという記述があるのですが、作中に「じゃあ使えよ!」という場面がまぁまぁある+簡易領域の立場がないので、当作品では「中和するけど彌虚葛籠の方がまだ時間を稼げるよ」というバランスでいきます。
まぁ、尊は違法改造しちゃうんですけど。