「……こほん。あんなののことは無視して、邸を案内しますよ!」
少しの間そんなマイペースな天使を見送っていたが、やがて佳子は気を取り直して歩を進め、案内を再開した。
あんなのて。私の目から見たら、危なっかしい妹分をフォローしてくれた優しい姉貴分のようにしか見えなかったが……まぁいいか。
庇を歩き、左手に庭を眺めながら、佳子は続ける。
「この邸には色んな術師が住んでいますけど、基本的に日が出ている内はみんな任務で外に出ていることが多いです。夜になるとみんな帰って来て広間でご飯を食べたり、自室で読書したり、寝たり……好きに過ごしています」
「そのあたりは以前の私と大して変わりませんね」
日中は大概任務。たまの休みは本を読んだり郊外で術式の試運転か、呪霊相手に試し斬り。この一年ほど、私もよくやった。
ただ、呪術関連の設備はあるかな……? 私の場合は一般的な令嬢同様父の邸で生活していたが、父は呪術嫌いを拗らせていたから、そのあたりの設備が一切なかったんだよな。いちいち野山まで歩いていかないと術式の試し斬りができないのは面倒なのだが。
そのあたりの私の懸念を知ってか知らずか、佳子は能天気に言う。
「ふっふっふ。そして気になる尊の部屋は──こちらです!! どうです? 尊だけの部屋! 心躍るでしょう?」
「え、ああ……」
別にそこはどうでもいいんだが……どうせ寝るだけの部屋なんだし、あってもなくても……。私は最悪雑魚寝でも問題ないといえば問題ないしな。
ちなみに、私の部屋と言って紹介されたのは六畳くらいの板間であった。
入って右手には畳が敷いてあり、その上に背の低い
左手の方はまだ何もない。広々とした空間だ。その奥に押し入れがあるので、おそらくその中にでも布団が入っているのだろう。まぁ寝るだけの空間なのでどうでもいい。
「なんですか! 反応薄くないですか? 自分の部屋ですよ? 嬉しくないんです?」
「あ、はい。嬉しいですね……?」
そんな嬉しいもんか? 自分の部屋。現代だとある程度裕福な家庭の子どもは大きくなったら自分の部屋を与えられるものだと聞くが……。
まぁ、パーソナルスペースを重視する性格なら欲しがるか?
「おかしいですねえ……?」
佳子は首を傾げて不思議そうにしている。私の方が不思議だよ。
そんなことより──
「修練場はありますか? 母屋にはないでしょうけど、離れの方にあったりは……」
そこまで言って佳子の表情を伺うと、非常に渋い感じに眉を顰めているのが分かった。
あれ? 私今変なこと言ったか……?
「もう鍛錬の話ですかぁー……? ほんとに言ってます? もっとこう、遊び場とかを気にしないです?」
ああ、そういうこと……。子どもだもんな、遊び盛りだ。鍛錬なんかよりもそっちの方を気にするのが自然か……。
……いや、知らんが。
「修練場はありますよ? 母屋の東に体術を学ぶ為の道場がありますし。郊外にも邸があって、そっちだと邸の地下に封印した低級の呪霊相手に術式の試し打ちとかできますけど……。……でも、邸に来てすぐ気にするのがそこですかぁー……?」
「……天才の佳子さんと違って、私は凡人ですので」
そう何度も私の方がおかしいみたいに言われると、それはそれで心外である。
というかコイツ、六眼にあぐらをかいていてちょっと不勉強なのではないか? いや、六眼がある以上、泥臭い鍛錬が不要なのは分かってはいるが。それでも少しは私のことを見習った方がいいんじゃなかろうか。
そんな苛立ちをちょっとだけ込めてチクリと言ってやると、佳子の方はきょとんとした調子で、
「は? 凡人? どこがです??」
そう、心から「何を言ってるの?」って感じで首を傾げた。
「呪力量、呪力出力はまぁ……ですけど、全然伸びしろはありそうですし。呪力操作の精度とか普通に高くないです? 大人でもこんな綺麗な人少ないですよ。尊、術師始めてからまだ一年くらいなんですよね? それでこれは、流石に熱意じゃ説明つかないですよ」
「どう見ても"こっち側"でしょう」と、佳子は語る。
いや、六眼持ちに才能を褒められてもイヤミにしかならないが……というのはともかく。
自尊心に傷がつくよりも、興味の方が先行した。
「呪力操作の精度が分かるんですか?」
気になるのは、そっちだ。六眼が呪力を高精度で目視できるのは知っていたが、呪力操作の精度を評価できる"眼"が育っているとなれば、これはなかなか面白い。すぐ近くに呪力操作に関しての非常に参考になる有識者がいる訳だからな。……呪力出力や総量についても分かるのだろうし、一人で試行錯誤するよりも佳子からのフィードバックを交えた方が圧倒的に効率的だ。
ダイエットをするのに体重計があるというのは、現代では当たり前の感覚だ。むしろ、体重計から出力された結果がダイエットの動機になるくらいには。同じように、現代の価値観では積み重ねに対して数値化された結果の出力というのは「あって当然」のものである。だが──この時代ではそれは一般的ではない。
こと呪術において、呪力を客観的に把握する方法は本当に乏しい。呪力量しかり呪力出力しかり呪力操作しかり。だからこそ、「縛り」は
これは、非常に大きいアドバンテージになる。下手をしたら、修練場だの試し斬りだのなんて霞むレベルで。
果たして、一気にそんな重要人物に躍り出た佳子は、私の考えていることなど及びもつかなそうな顔をして、
「ああ、そうですね……。はい、呪力操作の精度くらいバッチリ分かりますよ。っていうか、呪力全般については多分この世の誰よりも詳しく把握できますね」
するり、と。
言いながら、佳子は目に巻いた白い包帯を解いた。包帯の下にあった白い肌が、白日の下に晒される。
そしてその眼は──蒼く輝いていた。
六眼。
この国の根幹に関わる運命を背負った者にのみ宿る、天賦の才。
やはり……この娘の眼に宿っていたか。
「…………綺麗だ」
思わず、私はそんなことを呟いていた。
傲慢への反感も、目的に対する利益も、その瞬間は消し飛んでいた。ただひたすらな──機能美。そこに在るだけで見惚れるような美しさに、私はそれ以外の言葉を失っていた。
「……え、ちょっと。照れますよそんな……。確かに私は天才で美人ですけど……」
「いや、眼がな」
「わたしの顏が美人じゃないってことですかぁ!? わざわざ断りを入れる必要なくないです!?」
「んぐ、ごほっ。い、いや。すみません。ちゃんと鼻から上も可愛かったですよ……」
あっやべ。
ギャーギャー騒いで文句をつけてくる佳子に詫びを入れて落ち着かせながら、私は己を省みる。
……落ち着け、今普通に素が出ていたぞ。
「……この眼、六眼って言ってですね。呪力を非常に精密に視認することができるのです。なので、えー……本当に細かい細かい領域まで観察できるんですよ。お陰でわたしの呪力操作の精度はピカイチです。相手の術式のこととかも分かりますね」
「細かい領域……って、火気や水気みたいなものを見ることができるということですか?」
原子レベル……ということだろうが、この時代にはその観念がないので、私は当世風に言い換えて質問してみた。
この時代は大陸から伝来した
陰陽五行思想では、万物は
万物はこれで構成されていると考えられていたから、暦であったり季節であったり方角であったりにこの考え方を当てはめて、都の年中行事を計画していったりしていた訳である。
閑話休題。
ともかく、この時代では──というより私も常識として、この世は陰陽と五行で説明がつくと教えられている。では、実際に原子レベルでの観察を可能としている佳子にそれがどう見えているか、だが──。
「あ、あー……。なんというか、その理屈、あんまり合ってないというか……。この眼で見えるのはそういうものではないというか……」
気になって問いかけてみると、佳子は言いづらそうに言い淀んだ。ほう、本当に原子レベルで確認ができているらしい。
「……どういうことです? 見えないはずのものが見えているということ? 呪いとはまた別の何かが存在するということですか?」
「あ、あー……いや、その、えーと、こ、この話は終わりにしません? その、あんまりこの話しちゃいけないと師匠にも言われていて……」
あえて深掘りしようとぐいぐい質問攻めにしてみたところ、佳子はたじたじといった調子で両手を挙げてしまった。
じゃあなんで私に話したんだよ……というところは今は置いておくか。
おそらく、晴明翁に言い含められているというのは嘘ではないだろう。この時代、陰陽五行思想は現代で言うところの原子論に等しい「世界の法則」だ。天動説と地動説の話を例に挙げるまでもなく、「世界の法則」に対して異を唱えることは、社会基盤に異議を申し立てることに等しい。無用な迫害から弟子を守る為に、晴明翁が忠告していたのだろう。
それで私にこうやって話してしまっては片手落ちだが……。此処は、大人しく呑み込んでおいてやろう。
「分かりました。言いづらいことなら、強いて聞き出したりはしませんよ」
何せ、同じ屋根の下で暮らすのである。この口の軽さなら、話を聞く機会などいくらでもあるだろう。ここで無理に話を聞きだす必要はない。それより、理解ある風を装っておいた方が好印象なはず。
そう考え、私は自室の扉を閉めて次の場所への案内を促そうとする。そこで、
「あの……すみません」
声に反応して佳子の方を振り返ると、佳子はちょうど包帯を両手に持ってこちらに差し出しているところだった。
「ちょっとこの包帯、巻いてもらえませんか? 自分だとまだ巻けなくて……」
じゃあ何でわざわざ説明の為に解いたんだよ……。
仕方がないので、包帯を巻いてやることに。
自室の畳に佳子を座らせ、後ろで中腰になって包帯を巻きながら、
「そういえば、包帯をしていても目が見えるのは六眼の特性なんですか?」
「そうですね……。こう、呪力を見ているので透過して見えるのです。他の人も目を凝らせば残穢が見えるでしょう? あれと似たような感覚ですよ」
「なるほど」
確かに、残穢は術師でも目を凝らさないと見られないな。アレの延長線ということは、六眼は「常人には存在しない特殊能力」というよりは「常人の持つ能力が超強化されたもの」なのかもしれないな。
…………能力の強化と言うと、生まれつきの特質という側面もあって天与呪縛との関連性が気になるが、冷静に考えるとこれだけの能力を縛りなしでどうやって成立させているんだろうな。明らかに足し引きが足りていないが……。
「でも、苦労もあってですね。あんまりにも見え
「それは大変ですね……。……反転術式で疲労を癒したりはしないんですか?」
原作では五条が常時術式発動の疲労を反転術式で癒していたが、同じことは六眼の眼精疲労でも可能なのではないだろうか?
そう思って問いかけてみたのだが……。
「!! ……、…………………………」
佳子は、一瞬「その手があったか」と顔に書いてある勢いで目を見開いたあと、分かりやすくぶすっとしてしまった。
あっ、これ反転術式使えないのか。いやまぁでも五条だって高二まで反転術式が使えなかったみたいだし、そんなに不機嫌になるほどのことでもない気がするが……。
「まぁ? 今はちょっと……そこまで精密性の高い反転術式の運用は難しいですけど? 言われなくても調整中というか? そんなの私だって分かってますし? 流石私の好敵手だけあって着眼点は褒めてあげますけど?」
「ど、どうも……」
なんか好敵手にされてしまった。まぁいいか。
その後も、一応佳子による案内は続けられたが──その模様は、割愛させてもらう。
理由? この後も、だいたいこんな感じだったからだよ。
◆ ◆ ◆
「あ゛ークソ
「今年の夏は本当に暑すぎる……。なんか不徳があるんじゃねえのか?」
「おいコラ、滅多なこと言うんじゃねえよ」
下着一枚きりの男達が、額に汗しながら木材を組み上げている。
作成しているのは、水車だ。川を流れる水を組み上げる機構を、水車を使って作っているのである。
ここは二条通りにほど近い神泉苑。
古い湖を庭園の形に整備したのが始まりとされ、庭園として整備されたあとはたびたび時の帝も利用する宴遊地となっていた。
とはいえ災害が頻発するこの時代、帝が利用するとはいえ水源は水源であった。神泉苑はその名の通り、旱魃の折には湖の水を汲み、周辺の田畑に流す神の泉ともなっていたのだ。
男達は、その水を流す為の灌漑工事の真っ最中である。
「貴族様は俺達が仕事を終わらせた後に来るんだとよ。ったく、俺達の苦労も少しは知れってんだ」
「まったくだ。カタタガだかモノイミだか知らねえが、家で涼んでる連中には俺達の苦労なんて分からねえよ」
「おいおい……」
不平不満を言いながらも、男達は作業を進めていく。
男達の本職は、近郊の農民である。日銭を稼げるということでやってきているが、この旱魃によって不作となる瀬戸際。不平も不満も溜まり通しであった。
とはいえ──不平や不満だけで済んでいるのならば、それは平和の証
──異常な光景だった。
空は雲一つない、憎らしいほどの晴天。
にも拘らず、地面は嵐が過ぎ去ったあとかのように水に侵され、泥濘と化している。
組み立て途中だったと思しき水車はバラバラに散らされ、神泉苑の庭園すら半ば壊れかかっていた。
まるで、嵐が意志を持って暴れ、そして過ぎ去っていったかのような有様だった。
びちゃり、と。
晴天には似合わない足音が、二人分。
佳子の言動で一部違和感をおぼえた方がいるかもしれませんが、ほどほどに流していただければ。