ぱしゃっ、と。
気が付けば、私は東河の只中に降り立っていた。
水流は依然強い(一般人なら足を取られるレベル)が……呪力で身体強化をしている私なら、ギリギリ踏ん張れる程度だ。
それに、その水勢も徐々に弱まっている。……おそらく、下流に流れていった水を領域内に取り込んで上流に運んでいたりもしたのだろう。流石にこの旱魃でこれだけ長時間川の水量を増やすのは物理的に厳しいだろうからな。あの領域ならば、そのくらいはできそうだ。
果たして跡切は、川岸のすぐ近くに立っていた。
わなわなと小刻みに震えているのは、己の領域が強制終了させられた当惑か、あるいは……。
「さて」
私は川岸に上がると、震えている跡切に向かって人差し指を向ける。
私の予測が正しければ、そろそろ
⑦侵入者の生還の禁止
ナカスが提示した、あの領域の構成要件。その末尾には、こんなルールも存在していた。
領域に入れたからには、必ず殺さなくてはならない「縛り」。「縛り」を破れば、相応の「
とすると。
震えていたのは、精神的動揺などではなく──
「そろそろだろう? 「罰」は」
『ぅごッぼえァ!?!?』
──「
跡切の腹から胸元にかけての傷がさらに裂け──青黒い体液が勢いよく撒き散らされる。
「縛り」を破った罰、基本的には力を失う程度だと思っていたのだが、失う力がないとああなることもあるのか……。まぁ「縛り」の性質上再現性はないと思うが、私も気を付けておくに越したことはないな。
『この……野郎……』
ただし。
それでもなお、跡切の負傷は致命的ではなかった。いや、致命的ではあるのかもしれない。おそらく、ヤツはもう助からない。呪力の漏出は止まらず、最早呪力による治癒を行う余裕すらもない。
中からは呪霊の核……と思しき臓器のようなものがまろび出ているし、おそらく私程度の呪力でも、あと一撃入れることができれば完全に祓うことができるだろう。
それでも、彼が完全に消滅するまでには多少の時間が残っているようだった。……そう、にっくき誰かを道連れにする時間くらいは。
……硬すぎるだろ、特級。これ原作で登場した森の呪霊──花御とタメを張るレベルで硬いんじゃないか?
…………逃げるか?
私の脳裏に、一つの選択肢が浮上する。
さっきも言ったが、別に私はコイツを倒す必要はない。確かにあと一撃で祓えるだろうが、それでも相手は特級相当。逆に一撃で私が殺される可能性もある訳だ。
だから、余計なリスクを冒す必要はない。何なら、東河の河原を逃げ回って時間を稼げばそれだけでコイツは時間切れになるだろう。おそらく領域の強制解除に伴って、術式の制限も完全解放されているはずだが……このダメージだ。ろくに運用できまい。
『…………俺の、目的を…………ぶち壊し…………やがったなァ……!!』
跡切が、怨嗟の声を上げた。
……目的? ああ、川の氾濫のことか? それがどう呪霊・跡切の目的に繋がっていくのかは分からんが……。
『絶好の旱魃!! この機に!! 通常ではありえない……大氾濫が起これば!! 人間どもの畏怖は……川に……集中するはずだった!!!!』
跡切が、私に向かって飛び掛かってくる。……破れかぶれ、ではない。呪力の流れが綺麗すぎる。……「生々流転」を自分の呪力に使用したか。この呪力ロスのなさ、六眼並みなんじゃないか? 実物を見たことないから適当だけど。
「知ったことか。水が欲しいと思ったら濁流をぶち込まれる京の人間の身にもなれ。いい迷惑にも程があるぞ」
『だが、それによって……俺はさらに高みへ……到達するはずだったァ!!』
拳を空振りした跡切は、その場でよろめいたあとで両手を広げる。
逃げればいい。
逃げればいい……そのはずだが、私は何故か、戦場から遠ざかる意志を失っていた。
この一個の生命体の、迸る最期の意志。そこから、目を背けられなくなっていた。
『お前ら人間の……
……呪霊には……それがない……! 呪霊は……社会を持たない……! 呪いとして……個で完結している……!
だから個の外にある価値が、存在しない……! どこまでも、個の中にある価値を……突き詰めるしかない……!!』
……漏瑚と似たようなタイプだが、少し違うな。
人間にあって呪霊にないものを羨み、そしてその何かを獲得しようと藻掻いている。
『だから……強くなるのだ……! 人間どもを薪にして……己を燃やし……限界まで……! そうして俺は……ここまで来た……!!』
言いながら、跡切は地面を両腕で殴りつける。
衰えているとはいえ特級の膂力で、まるで水しぶきのように土や小石が巻き上げられる。──「向き」を、与えられる。
……チィ! 面倒な手を打ってくれやがって……! 展延で受けても目潰しになるじゃないか!!
「
私は防御に使った「
『お前はどうだ!? 最初から……何者かであった……
渾身の一撃が、土飛沫を防御していた「
……だが、ただでは壊させない。千切れて崩れ落ちる途中で、「
シュキキン、と。
「壺」を展開させ、左腕を根元から切り落とした。
ズン、と重い音を立てて、「
……まぁ、ヒビも入っていたし限界だったというのもある。よく頑張ってくれた。
「……なるべき何かを外側に用意してもらえた、ね」
私は、跡切に言われた言葉を舌の上で転がす。
確かに、私の道は最初から用意されていたものばかりだ。生まれた当初は誰かの妻になることを期待され、その道が断たれてからは叔父の導きで呪術師に。私が無から掴み取った道は、何一つ存在していない。
跡切の言はヤケッパチの八つ当たりみたいなものだが、しかしある面では的を射ている。私は、自分の未来について何ら自己決定権を持っていないのだ。少なくとも、今のところは。
その上で。
「それが歓迎すべきものであれば、それでもよかったんだがな」
まるで最初から決まっていたみたいに、私の口からすらすらと言葉が出た。
「藤原の為の孕み腹となるのも、叔父上の手駒として生涯を終えるのも、どちらも私は望んでいない。……私は、何者でなくてもよかったのに……!」
………………。
そう。そうだ。
思えば環境については、これまで散々苦労させられてきた。しょうもない男A(父)に冷遇され、しょうもない男B(叔父)に利用される日々。
それでもなんとか、私自身の利益に還元できるように状況を利用してきたのだ。これでも頑張っているのだ。それを何も知らない呪霊から何も苦労していないみたいに見下されたら、そりゃあカチンともくる。
「手前勝手な理屈をだらだらと並べ立てているが、結局は薪と見下していた人間に歯向かわれた苛立ちだろ。
身体もガタガタなら理論武装もガタガタだぞ。……あー、なんだったっけ? 何者でもないやつ」
『俺、ハ……跡切、ダッ……!!』
激昂した跡切が飛び掛かろうとする、直前。
ドッ、と跡切の足が、何かによって払われる。
──「
『…………ッ』
突然の衝撃に思わずつんのめる跡切を迎えるように、私は前進し──
気付けば、私と跡切は向かい合っていた。
何処でもない空間、薄く張られた水の原、どこまでも続く水平線で。
「人間も、案外望んだ何者かになれるヤツなんて中々はいない。……そう羨むなよ、
『別に、羨んだ……訳じゃない。ただ……欲しかったんだ。この世に生まれ落ちた……証明が。俺が生きた……事実を肯定できる……金字塔が』
「……そんなもの、人間でも持っている方が少数派だよ」
『…………キヒッ。なんだ。存外……苦労しているな、人間』
跡切はそう言って、
まるで別れの挨拶のように、清々しい嘲りだった。
──右拳に渾身の呪力を籠めて、その心の臓に叩きつけた。
呆気ない音を立てて、跡切の身体は消失反応と共に欠片も残さず消え失せる。代償として拳の骨は完璧に折れたようだが……まぁいい。負傷は重いほうが、反転術式を覚えるモチベーションになる。アレは、一刻も早く修得しないと私の命に係わる問題だ。
私は呪霊の消失反応が完全に終わるのを見届けて、
「…………あー、死ぬかと思った」
その場に仰向けに倒れ込んだ。
マジで、特級硬すぎるだろ……。呪力量をどうにかする方法を考えないと、これ本当に早晩死ぬぞ、私……。
呆然としていると、「隠世の結界」が消えていくのを感じる。……あ、気を抜いたから結界が解除されたか。
下男がぱたぱたと近づいていく音が……いや、数が多い? 誰が…………?
「いやー、すっごいすっごい。お前、ちょっと天才すぎんか?」
…………いや、マジで誰?
◆ ◆ ◆
「おや、跡切が祓われたみたいだね」
額に横一文字の縫い痕のある巫女が、平然とそんなことを言った。彼女の手の中には、黒く焼け焦げた符がある。
そこには、彼女以外の影は一つもない。にも拘らず、巫女は──羂索は誰かに語り掛けるように続ける。
「残穢は……ふむ、あの子か。一人で祓ったのか? 随分無茶をする……。どうやって切り抜けたのやら。また会って話を聞くのが楽しみだ」
巫女は楽しそうに呟いてから、
「……やっぱりあの領域は無理があったかな。実力半減だったものね」
『ケッ、あんな無理矢理な構成の結界じゃ当然だろ』
否、そこには既に誰かがいる。影を持たない存在──呪力によって構成された存在。呪霊が。
『万全な状態で挑めばよかったのによォ、アイツは難しく考えすぎだぜ』
それは、クラゲを模した亜人だった。
頭部から肩にかけて、まるでクラゲが人を食ったようなシルエットの傘があり、そこから触手が寄り集まって人の身体の形を作っている。
人間の頭部に当たる部分には、黄色い紋様がまるで四ツ目のように浮かび上がっていた。
呪霊は、クラゲの緩やかなイメージとはかけ離れた苛烈な口調で続ける。
『テメェがもう少しマシな結界構成を授けていれば、勝てたんじゃねェのか? 羂索』
跡切が展開していた領域は、彼自身が構成したものではなかった。
いかに跡切が特級相当の呪霊であったとしても、あれほど捻じ曲がった「縛り」で構成された領域を後天的に調整するのは、あまりにも無理がある。本能的に作り出したならともかく──なまじ跡切が
そしてその術式を用意した張本人こそが、この巫女──羂索であった。
尊もところどころで感づいてはいたが──結界に付随する説明用の式神、術師を結界の外に出すことによる結界の強化、いずれも原作において羂索が用いた技術と「同系統」の構成である。
つまり、あの領域には最初から羂索の「色」があった。──もしも彼女の手口を知る者があの領域に踏み込んでいたなら、そのことに気付けたかもしれない。
「いやいや。この旱魃の真っ只中で川の氾濫を引き起こしたいっていう注文をしたのは跡切だったから。私は注文通りの品を提示したまでだよ。まぁ、色々と意欲作ではあったけどね」
『チッ…………』
『そのあたりにしておけ、滂沱』
悪態を吐くクラゲの呪霊──滂沱を制止したのは、もう一体の呪霊。
女性的な響きの声色を持つ「そいつ」は──有体に言って、「球」だった。直径二メートル、表面に幾つかの凹凸を持った赤黒い岩石の「球」。まるで煮えたぎった溶岩が意志と形を持ったかのような風貌だ。
『万全な状態なら、すぐに晴明が出向いて祓っていたはず。どのみちあやつの道はあそこで途絶えていたのじゃ』
『蘇芳、テメェ……』
「まーまー滂沱、落ち着いて。昔からの仲間が祓われて気が立つのは分かるけどさ」
羂索が二体の呪霊の間に入って制止すると、滂沱は渋々矛を収める。
それを見て、蘇芳と呼ばれた球の呪霊は総括するようにこう返した。
『妾達は同胞ではない。それぞれ目的があって羂索と協力し、羂索を通して集った烏合の衆よ。仇討ちなど考えるなよ。
「どうでもいいけど、暴れたいなら少し待ってくれないかな? 都の方も結構面白いことになってきているんだよ。私達とは別の呪詛師組織が水面下で動いているらしい。今、協力できないか接触しているんだ」
『……くっだらねェ。群れるつもりはねェぞ、俺は』
そう言って、滂沱は廃寺を出る。
羂索はそんな呪霊の背中を物足りなさそうに見送り、
「んー、私と行動を共にしている時点で群れてるんじゃないかな」
『矜持はそれぞれじゃ。言葉尻を取るような真似は無粋じゃぞ』
嗤う羂索を諫める蘇芳。
思わず、羂索はバツが悪そうに頬をかく。そして、懐から手のひらに収まる程度の何かを取り出した。
己の手の中のものに視線を落としながら、羂索は憂いを湛えてため息を吐く。妙に堂に入った仕草だった。
「せっかくだし色々とまとめてやりたいんだが……あの分では、駄目かね。勿体ないが仕方がない。せっかく「翁の髑髏」を手に入れたんだが」
『なんじゃ? それは』
蘇芳の問いに、羂索は俄かに表情を明るくする。
まるで、お気に入りの玩具を見せびらかす幼子か何かのように。
「呪物だよ。かつての術師の死体が時を経て呪物と化した逸品。……史書にも遺されていないほど遥か昔、この国を席巻した大乱を平定した「翁」の魂が封印されている、ね」
──都を取り巻く暗雲は、徐々に収束を始めていた。
オリキャラ祭ですが、今回羂索以外に原作キャラがちょろっと出ています。……さて、誰でしょう。