第7話 奇貨
羂索の存在は、速やかに藤原家の術師に報告された。
呪霊を意図的に生み出しているくだりについては説明を省いたが、呪霊と契約を結び使役している呪詛師がいるという事実は、藤原家のみならず平安京にいる術師全体に衝撃を齎した。
……羂索は簡単そうに言っていたが、呪霊を従えて都を襲うというのはそれくらい凄まじいことなのである。とりあえず額にツギハギがある女は要注意とだけ説明はしておいたが……実のところ、私が家に報告してもしなくても、結果は変わらなかったようだ。
というのも、羂索は私の他にも有望そうな術師には接触しており、そして案の定藤原家に報告されていたのである。まぁ、そりゃそうか。私だけ特別なんて話があるはずもない。私は羂索にとっては数多ある死滅回游の起爆剤の一つ、調味料の一種というところなのだろう。
ちなみに、呪霊を意図的に生み出しているくだりについて省略したのには理由がある。
風聞を操作して──などと羂索は言っていたが、噂なんてものは効果のあるなしに関わらず誰でもしているものだ。下手にそういうことを羂索がしていると説明してしまったら、今度は"魔女狩り"が勃発しかねないと考えた。
「あの噂を流したのはお前だろ、そういう呪霊を生み出すつもりだな」──なんて言いがかりによる政争、現代人の感覚からしたら馬鹿らしいかもしれないが、平安のこの世においてはそういう言いがかりが
ただ、そういった報告をしたこともあり、あと術式持ちの呪霊を無傷で祓った力量を認められ、術師としての私の覚えは大分めでたくなりつつある。厄介払いのつもりだった父は歯噛みし、廃品回収のつもりが思わぬ拾い物だった叔父は嬉しそうだ。どいつもしょうもない。
そういうわけで、早くも一人前の術師として認められつつある私は────
「…………不思議なものだ」
──
◆ ◆ ◆
◆ ◆ ◆
この年は、記録的な
──この時代、天変地異というのは意外と人間の生活に身近だった。
雨が降らなければ川は干上がり旱魃になるし、逆に台風が来れば東河は容易に氾濫し都が水浸しになる。飢饉が起きれば都には餓死者の屍骸が野晒しになるし、ちょっとした拍子に家は火事になるのだ。そしてもちろん、地震も相応に発生する。
これらの天変地異は私が生まれてからの七年では経験がないことも多いが、淑女教育時代、家に蔵書されていた史書に色々と記載があった。藤原は無駄に歴史の長い家なので、平安時代初期からの天変地異の情報はあるのである。……ざっと読んだ程度なので、詳しい時期など知る由もないが。
科学技術が発展していないこの時代、天変地異の被害を軽減することはなかなか難しかった。家にあった史書によると、東河の治水は一〇〇年以上前から行われていたが、それでも氾濫を抑えることはできなかったとかなんとか。まぁ、だからこそ世界への畏れが呪力の漏出となり、呪霊が生まれやすい環境が生まれているんだろうけれども。
この頃もそう。本来であれば五月雨が降る季節にも、雨が降らなかった。人々は渇き、都の外では死人すら出ていると聞く。……こういう情報が都にまで流れてくるのはよくない。それほど人々の感情が、呪力が漏出し、呪霊の力になるからだ。
これほどの旱魃は、私が数えで四歳の時以来だろうか。案の定、人々の感情が集まり、呪霊が生まれ──そして、この有様だ。
ごう、ごう、と。
私の眼前では、
もちろん、今日になって急に雨が降ったという訳ではない。
土を削って茶色く濁った濁流とは裏腹に空は雲一つない快晴だし、気温だって巫女服を今すぐ脱ぎたくなるくらいに暑い。前世では「地球温暖化」という言葉が存在していたが、一〇〇〇年前にあたる平安時代も十分暑くないか? と思うほどだ。まぁ、私は前世の現代日本を生きた「記憶」がないから、どちらが暑いかなんて比較のしようがないが。
ともあれ、絶好の行楽日和、普段であれば東河の河原にも芸人が集まるような陽気でこれほど川が荒れている理由といえば──当然、呪術関係以外にあり得ない。
既に呪霊討伐に藤原の術師が一人出向いていたのだが、どうもこの氾濫を引き起こそうとしている呪霊に負けたらしく、下流の方で死体になって発見されてしまった。……私としては初めての、"術師に勝った呪霊"だ。身も引き締まるというものである。
「…………どうしますか。「隠世」は……」
私の傍に控えていた下男が、心配そうに呼びかけてくる。私がピリピリしているのを何となく悟っているのだろう。
……「隠世」、か……。
「手筈通りにお願いします。では、展開の際にはこれを」
そう言って、私は呪力を籠めた呪符を下男に渡す。
これを展開の際に使えば、私の呪力を使って「隠世の結界」を展開することができる。本来はこんなもの不要なのだが、今回は場所が場所だけにこうした対応が必要になった。
「はっ、はい。……"漆の天蓋" "彼岸と此岸" "裏み" "遮り" "門を閉じよ" "夜の帳を都に下ろせ"……「隠世の結界」!」
「よろしい。では向かいます」
暴れ狂う川──およそ数百メートルにかけて、川の流域に沿うような形に、領域が区切られる。
そこに、夜の帳が下りた。
今回の呪霊は十中八九あの川の付近に潜んでいるが、その全体を結界で区切るのは、現在の技術力では難しい。そこで、呪力を供与しての連名式の「結界」を張り、結界の内側と外側でそれぞれが結界を維持する「縛り」で長距離に渡る結界を実現した訳だ。
ちなみに、こういう技術が藤原にあった訳ではない。これはシンプルに、私が結界の中で有利に戦闘を進めたいから勝手に準備したものである。無事に成功したようでよかった。
「……ご武運を」
下男の言葉を背にしながら、私は「隠世」の中へと足を踏み入れる。
……さて、いよいよ修羅場だぞ。
◆ ◆ ◆
報告を聞いた時点で、私は警戒していた。
呪霊との戦いにおいて、術師の死因で一番多いのは失血性のショック死だ。四肢が削れたり身体に穴が空いて、血を流しすぎて死ぬ。次点が敵の術式による怪死。溺死なんていうのは、それこそ相手が水を操る場合の話だ。
今回の呪霊は川を氾濫させているのだから、水を操っているんじゃないか──と思うかもしれないが、だとすると腑に落ちない点が一つある。
いくら呪霊といえど、絶賛旱魃中の東河を氾濫寸前にするほどの水量増加を、かれこれ数時間も続けていれば流石に呪力が切れるんじゃないか? 羂索が裏にいるとしても、そんな不合理な──殆ど呪霊を無駄遣いするような「縛り」を課すとも考えづらい。
とすると。
この川の呪霊の術式は、水量操作ではない
たとえば──
ドッ!!!! と。
「
「……随分手荒なご挨拶だな」
『キヒヒ……場を……整えられたら、そりゃあな……』
そこに立っていたのは、人型の呪霊だ。ただし、その容貌は人間離れしている。
のっぺりとした顔面に、剥き出しの歯。衣服とも肌とも知れない奇妙な体表には東洋の龍のような装飾が巻き付いており、呪霊の動きに応じて不気味に蠢いている。
……人語を介する、か。言葉遣いも流暢だし……消耗もなさそうだ。ということは、現代で言うところの特級? 羂索のやつ、特級呪霊まで作れるのか……? いや、だとしたら羂索の動きが悠長すぎるだろ。特級呪霊を思いのままに作り出せるなら、わざわざ顔を出さずに潜伏してせこせこ特級呪霊を作り出し続ければいいだけだ。
「お前も羂索製か?」
『キヒ、お前、馬鹿にしてるのか?』
ゴッ!! と、ツッコミよりも軽い調子で大気がぶつけられる。
「
『羂索とは対等……キヒヒ……誕生すら人にお膳立てされた雑魚共と、この
「それは失礼したな」
……流石に羂索が特級呪霊を生み出せる訳じゃない、か。
加えて、この特級呪霊はそれなりに自分の存在級位に対して誇りを持っているらしい。まったく、呪霊というのは下手な人間よりも自意識が強固で困る。もっと自分探しをしていてほしいものだ。
そして、名前は跡切というのか。川の氾濫……旱魃の時期にあえて行動したことを考えると、明らかな異常気象で都に被害を与えることで「川」に畏怖の感情を集めることが目的か? だとすると、コイツは川の呪霊……といったところだろうか。
……自分のもとになった事物への感情が強化されたところで、それで呪霊が強化されるかどうか私には判断がつかないが。
ともかく、水量増加に加えて先程の暴風……全てが同じ術式を根底にした現象という前提で考えたら、おそらく……。
「素晴らしい灌漑事業だが、生憎やりすぎだ。どういう原理でやったか吐いたら、さっさと祓われてくれないか?」
『キヒ、キヒッ。お前も、
さあ。
私の術式が特級に通用するか。
検証と、いこうじゃないか。
東河というのは、現在の鴨川のことです。当時はこう呼ばれていたらしいですね。