ぼとり、と。
胴のあたりで両断された犬の式神の下半身だけが、地面に落ちる。
「
太さ一メートル、長さ五メートルの細長い体躯に、頭部にはヤツメウナギのような口。だが、牙はない。口の中は空洞になっており、尾まで細長い空間がある。視覚はなく、操作は私の完全マニュアル。
それだけの簡単な構成の式神だ。式神術の基礎を学んだ時点で構築できた。だが、これでも私にとっては十分だ。
そしてもちろん、私の術式とのシナジーについても考えられている。
『ヴァシュゥゥ……?』
己の式神がやられたのが不可解だったのだろう。呪霊は訝し気に首を傾げていた。──緊張感がないな。私のことをナメているか、実戦経験がないかのいずれか。であれば引き締まる前に始末をつけてしまいたい。
私はその場で地面を蹴り、呪霊に肉薄していく。
初手で式神。まず間違いなく接近戦タイプではないだろう。おそらくは式神を介して術式を発動するタイプ。もしくは、あの式神を発現すること自体が術式で、それ以上特殊な能力はないか。
……いずれにしても、式神のおかわりが出てくる可能性は高い。だが、先ほどのように剥離して発現する「縛り」があるのなら、発現させる隙を与えないように立ち回ればいい!!
「二対一だ。悪いな、だが卑怯とは言うなよ」
懐に潜り込むようにして接近した私は、ズッ!! と地面を思い切り踏みしめて力を籠める。そして両拳を使って呪霊の両腕を抉じ開けるように弾いた。ガードが開いた呪霊の頭部に、思い切りフルスイングした「
ビリビリ……と、呪霊の体がやや傾ぐ。ダメージはあるようだが、まだ致命傷ではない。……私自身の呪力量もたかが知れているからな。式神の「
さらに「縛り」をかければ威力も向上するのだろうが……呪力出力については、まだ「縛り」を設けるほど切羽詰まっていない。現時点での「縛り」は早計だろう。それに、私の術式が上手く回れば究極的に呪力は必要ない。
「「
『────────~~ッ!!』
「
巨体をしならせて、「
何故ならその一撃でぶれた呪霊の頭部から、犬の式神が剥離するように現れたからだ。
ぬかった……! ダメージを負いながらでも剥離できるのか。おそらく、頭部周辺に式神を発現させられるだけの空間の余裕があることが「縛り」。あそこはフルスイングで叩くのではなく、地面に圧し潰すように尾を叩きつけるべきだった……! 仕留め損ねるのを警戒して、私とのコンビネーションを重視しすぎたか。
「チッ」
犬の式神は都合よく「
『ヴァオウ、ルア?』
そう考え、呪霊に向かって拳を振りかぶった瞬間。
「
「なッ!?」
未知の現象。
それを至近にいた式神の消失という形で認識した私は、即座に状況に対する理解を変更する。先程までの二対一ではない──呪霊と犬の式神、そして私。数の有利は失われた。
よって私は、攻撃を一旦停止し、ズ!! と地面を思い切り踏みしめて、呪霊から距離をとる。──ズズ、と、呪霊から剥離するようにまた犬の式神が生み出された。
やはりか。発現に「縛り」を設けている分、おそらくあの式神の発現最大数はかなり膨大なはずだ。最低でも、一〇は超えるだろう。
……理論値を出されたら、流石に今の私の呪力量では厳しいな。一気に複数体出さないところを見ると、発現は一度に一体ずつ、新たな式神の発現には数秒のインターバルが必要、といったところか……? あまりチンタラしてもいられないな。
ドチャッ、と。
そこまで分析したところで、数メートル離れたところで落下音が鳴った。
見なくても分かる。「
「……「犬島」だな」
犬島とは、犬の流刑地。……といっても実在している訳ではなく、精々目の届かないところに追い立てることを「犬を流刑に処す」と言ったことから、何となく「流刑にされた犬が行き着く地」と認知された場所だが……。
犬、そして強制移動とくれば、まず間違いなく「犬島」だ。本来追放される存在である犬を式神で表現し、因果を逆転させて「犬の式神の攻撃を受けたものを"追放"する」術式にしている訳だ。
「落下死のカラクリはそう繋がるのか……。となると、やや厳しいな」
"追放"の移動距離がどれほどかは分からないが、最低でも一〇メートルはくだらないだろう。下手をしたら五〇メートルは行くかもしれない。
私はまだ、呪力強化については発展途上だ。その状況で地上五〇メートルからの落下となると、着地にかなりの隙を作ってしまう。そこを叩かれるとけっこうマズイ。「
「「
私の呼びかけに答えて、「
溶けるようにして消えていく式神を最後まで見ることなく、私は跳躍して呪霊へ頭上から強襲する。
──視界の端。犬の式神は背後から私のカウンター。大丈夫、見えているので対応できる。
私の頭上からの踏みつけを危なげなく躱した呪霊は、犬の式神を追加で一体発現させながら、ラリアットでこちらに反撃をする構えだ。おそらく背後の式神と挟み撃ちにするつもりなのだろう。
ゴッ!! と呪力強化された足が、地面に大きめの窪みを生み出す。
私の背後に迫った式神が、地面を踏みしめ──
その右前足が、突如足先の部分で九〇度回転する形で切断された。
突然右前足が切り落とされた式神のバランスが、明確に崩れる。そこへ、私は一気に飛び退いて肘鉄砲を式神の脳天に食らわせる。流石に脳天へのクリーンヒットは致命的だったのか、式神はその一撃で頭部を破壊された。
しかし、呪霊の方へのダメージはない。式神の方への対応で忙しい私に、計画通りラリアットで追撃を仕掛け──
またしても、今度は呪霊の足首がその第一歩目で切り落とされる。
『ヴォオアアゥ!?!?』
突然のダメージ。激痛で足元に意識を集中させる呪霊だが──そこには何もない。
それはそうだろう。そこにあるのは、あって精々先程の攻撃で私が作った小さめの穴くらいだ。
もっとも、それこそが私の仕掛けた罠なんだがな。
「まだまだ行くぞ」
呪霊がその場で動きを止めたので、私はもう一度
すると先ほど私の攻撃で空いた地面の窪みの口に黒い結界が展開され、呪霊の足が、失った足先分さらに窪みの中へと呑み込まれた。そして、黒い結界は解除。同時に、呪霊の足が窪みに入った分切断される。さらにまた、黒い結界が展開──。
今発現している黒い結界とは、当然ながら私の「蟲毒呪法」によって発現された領域結界「壺」である。
「壺」は通常の領域展開とは違い、実在する容器を媒体にしないと発現できない。しかしその材質は自由。そして
戦闘中に、地面に空いた窪み。これは、「壺」の展開要件を満たした環境だ。
そして、たとえ異質で小規模とはいえ、「壺」は立派な領域結界。
通常の領域展開同様の小技も、使用することができる。たとえば──
これは、原作で実際に秤金次が使っていた手でもある。あの局面では座標をズラすことで戦場を海に移していたが、これはもっと小規模だ。
領域内の座標をズラすことで、その時の「壺」の境界を切断面として、「壺」に入りかけていた物体を問答無用で切断する。結界術を使えるものなら究極的には誰でも使える裏技だが──私は幾つかの「縛り」を設けることで、その取り回しと精度を向上させていた。
「ふむ……性能的には大分マシになったな」
解除と発現を繰り返してだるま落としのように呪霊の足を削ると、膝下に差し掛かったところで流石に慌てて転がり回避された。……が、これは呪霊が呑気にしていた訳ではない。瞬時にそこまで足を削れるほど、私の解除と再発現のスピードが速かっただけだ。
媒体とできる容器の最大サイズの「縛り」。
最大発現数の「縛り」。
強制解除条件の「縛り」。
都合三つの「縛り」を設けることで、私は「壺」の発現に必要な掌印の省略と、瞬時に五回の解除と再発現を可能にするほどの展開スピードを手に入れた。
……物質の硬度や呪力の多さを無視した切断罠の設置の方が、「毒液」なんぞよりもよほど取り回しやすい。術式の考察を始めてしばらくした頃から、私は気付いていた。「蟲毒呪法」は、
「
『ヴジュジュジュ…………』
呪霊が、脚を抑えて蹲りながらこちらに警戒を向ける。
何をされたか分からない、といったところだろうか。だが、私の蹴りで生まれた窪みを起点に攻撃が発生したことは悟ったはずだ。そこで私は──
「ほうら、どうした。もうおしまいかッ!?」
思い切り、地面を踏みしめる。
ゴッ!! と呪力で強化された足によって、地面が思い切り窪む。そこに呪霊が最大限の注意を向けたところで──
「……なんてな」
ぱくっ、と。
上方から、「
瞬時に「
一拍遅れて、ザフッ──という呪霊の消失反応が発生して、犬の式神もろとも三条御所に現れた呪霊は祓われた。
犬の式神を大量に発現する術式については脅威だったが、式神操作がマニュアルだったのはお粗末だったな。せっかく発現した最後の一匹は駒として浮いていたし、式神操作に意識がいきすぎて本体による戦闘が乏しかった。お陰で大分やりやすかった。
さて、此処は片付いた。他に呪霊の反応も……ないな。外では下男が待っているし、完了報告をするか……。
私がそう考えて「
「いや、面白いものを見せてもらったよ」
女の声が、私の背後からしたのは。
──死…………!?
咄嗟に掌印を組もうとした私は、寸でのところで思いとどまる。目の前の相手に、私を害する意思がないことを悟ったからだ。……無駄にこちらの手札を晒すのも面白くない。
「アレを祓う為に遣わされたのが八歳の子どもだというから、気になって観に来たが……なかなかの結界術の才だ。比較対象に天元が出てくる程度には才能あるよ、君」
そこにいたのは、私よりも一〇ほど上の女。
長髪を自然に流した姿はいかにもこの時代の女性然としているが、雰囲気は常軌を逸している。この異常事態にあって完璧に寛いでいるその態度は、それくらい彼女の立つ頂と私の立ち位置の距離を示しているように思えた。
私と同じように巫女服姿をしているが、藤原の家の者ではないだろう。とすると、どこぞの神社に属する巫女か──いや、そんなことはいい。それよりも、一目見て警戒すべき異常があった。
それは、女の額。
私は、この女を知っている。
この女の額に刻まれた傷跡を、その奥に潜む極大の邪悪な好奇心の持ち主を知っている。
いるとは、思っていた。
だが、このタイミングで遭遇するとは。
現代において天元も凌ぐ技巧を見せつけた、智慧においては最高の呪術師。
この先一〇〇〇年に渡って世を掻き乱し続けることになる、最悪の呪詛師。
全ての元凶。