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ニュービーに観光案内は不可欠であるが、地上から地下へのルートは安定していても、旧外殻放水路からヨミハラへの道は非常に不安定かつ流動的であるため、半ばカンで覚えるしかないのが辛いところであった。
「うあー……ヌトヌトする……」
「よもや、あんなモンゴリアンデスワームめいた代物が巣くっていたとは」
故に通い慣れた者でも油断できないのがヨミハラに向かう道なのだが、それもカラテのワザマエが身についていれば障壁にはならない。
要は立ちはだかる物を全て殺せば良いのだから。
何処ぞの製薬企業が作ったバイオ生物めいた異形を撃破した結果、達郎は粘液塗れで酷い有様になっていた。
シンプルに彼との相性が、非常に巨大なミミズかヌタウナギ、あるいはその中間といった様相の異形と組み合わせが悪かったが故だ。
「大丈夫か達郎。ほら、お姉ちゃんが拭いてやるから」
「いいよ……うぇ、喋ると口に入る」
「タツロウ=サン! 適当に振り回さないで! こっちに撥ねてきた!!」
凛子はカタナ使いである故に、ゆきかぜはデン・ジツによる中距離攻撃が可能だからこそ粘液を体に直接浴びることはなかったが、達郎は◉タツジン:カポエイラの使い手であることもあって、衝撃で撥ね散る粘液を間近で浴びることを避けられなかった。
これが強酸性や強塩基性、ないしは媚毒などを含んでいれば大変なことになっていたが、今日はブッダの機嫌が良かったのか、その手の成分は含まれていないようで気持ち悪いだけで済んで何よりであった。
「というか、センセイはナンデ粘液ついてないんですか……」
「そんなものがまとわりつけない速度で手刀を振っただけだ」
「またしれっと簡単そうに言う……」
一方でマゾクスレイヤーが全く汚れていないのは、単純に卓越したワザマエによって手刀が颶風を帯び、粘液を弾き飛ばしているからに他ならない。
彼のカラテは殴打ではなく斬撃の領域に至っているが故にこそ可能な物であり、そこに至るには達郎は今しばしの鍛錬が必要となるであろう。
「まぁ、ともかく難所は抜けた。ようこそ、ヨミハラへ」
配管に蓋をしていた円形の格子を腕力だけで外した藤木戸は、一歩横に退いて向こうの光景が見えるようにしてやった。
すると、広がるのは退廃と悪徳を華美に着飾る、エンシェント・オイランの厚化粧めいたケバケバしいネオンの光が溢れる街。四方5kmに向かって建物が所狭しと犇めくヨミハラは、今日も過剰消費と薬物による狂乱に満ち満ちていた。
「これがヨミハラ……」
「授業で映像は見たけど……」
達郎とゆきかぜは始めて訪れた、しかし恐れと侮蔑を以て講義で解説されている都市を見下ろして唾を飲んだ。
魔が蠢き、それに匹敵する邪悪な人間も蠢動するマッポーが形になったような虚飾の歓楽街で、今宵も一体どれだけの哀れな男女が消費されているのか。それを考えるだけで身震いするような光景。
ニュービー二人は、必要とあればここに潜り込み、身分を隠して任務を達成せねばならぬのかと考えると、どこか空恐ろしい感覚に襲われて嫌な汗を掻いた。
「そう臆するな。しょせん蠢いているのはマゾクに過ぎん。魔も人も殺せば死ぬという一点においては同じだ」
「そうだぞ、藤木戸先生の言う通りだ。大体は首を刎ねれば死ぬ。そう怖がることはない。迷ったらチェストしておけばいいんだ」
二人は腕組みしてさも当然のように宣う狂人共を見やったあと、お互いに顔を見合わせて「こうなったら終わりだ」という一点において無言で同意し合った。
理屈は理解できるが、それが常識になった時、人間として何かが決定的にイカレてしまう気がしたから。
「さて、変装するぞ。ここからは対魔忍装束では目立ちすぎる」
言って藤木戸はハヤキガエ・ジツで赤黒いニンジャ装束からヨミハラでのデフォルトである草臥れたトレンチコートとハンチング帽姿に変わると、何処にしまっていたのか分からないが紙袋を二人に押しつけた。
ゆきかぜには袖も胴体もかなりダブついていて、鼠径部の下まで達する合成繊維製の防弾パーカーと目深に被れば顔を隠せるキャスケット帽を。達郎には所々が解れていて着潰した感がある紺色のダッフルコートに海外チームの野球帽が寄越される。
各々上に羽織って、後は靴だけ履き替えるだけで済むよう気を払った一式なのは、サスガ手慣れた物と言うべきか。
「それにヨミハラは換気の都合で寒いからな。しっかり着込んでおけ」
「センセイって、意外とこういうの選ぶセンスもあるんですよね」
ゆきかぜは渡された変装衣装を着込んでから、携帯UNIXのインカメラで自分の姿を確認すると、師と親しくなければ知ることのできない一面に溜息を溢す。
大きなパーカーとキャスケット帽の組み合わせは、ゆきかぜの趣味によく合っていた。太股を曝け出した姿は――目立つためブーツは脱いで紙袋にしまってあった――普段の私服をよく見て選んだのか健康的ながら活発そうな雰囲気が出ていて、これならば普段使いにしてもいいかもとさえ思える。
「って、タツロウ=サン、襟、襟。ちょっとはみ出てる」
「やべ、アリガト、ユキカゼ=サン」
達郎のそれも同じく本人とマッチしており違和感がない。ただ、着込み方が甘くて襟高の対魔忍装束が襟から覗いていたので、仕方ないなぁとゆきかぜは不用心な弟弟子の首元を隠してやった。
「よく覚えておけ、場所に似合った服装で溶け込むのが変装だが、それだけではなく、当人に似合う物を選ぶのも重要だ。下手な服装で潜り込めばチグハグさや、着慣れていなさでバレることもある。こういった小技も大事故、きちんと心得ておくように」
「「ハイ、センセイ」」
デオチ・ジツ、もとい不意を突くためのアンブッシュにも不可欠な知識であるため藤木戸は厳しく弟子達に言い含めた。彼のネタめいた行動も相手に「ナンデ!?」という一瞬の隙を作り出すためにやっているのであって、単なる趣味やお遊びではない合理的な理由がある奇行であることを知る者は少ない。
ジッサイ、トンチキな所から現れて意表を突かれた相手は、何が起こったかも分からず死んでいるのだから当然なのだが。
端から見ていると素っ頓狂過ぎる故に、イマイチ理解を得られない不意討ちの極意は、しかして弟子達に正しく受け継がれるのであろうか。
「藤木戸先生、こちらも終わりました」
一年生二人が変装を終えるのと同じく、凛子も変装を終えていたが……。
「ね、姉ちゃん……」
「凛子センパイ……!?」
こちらは、何と言うかかなり際どい格好であった。手甲と脚甲を外した上で、パープルの対魔忍装束がインナーに見えるような黒いエナメルと革を組み合わせたボンデージ風の衣装を纏っており、腰からカタナを提げた姿はヨミハラでは有り触れた傭兵そのものであるのだが、青少年二人には些か過激すぎた。
「……その、似合っていないか?」
「いや、何と言うか……」
「似合いすぎてるというか……」
とはいえ、この悪徳の街にジーンズとシャツや迷彩服姿の傭兵などいないので、当人に似合っていて、周囲から浮かない物となるとこういったチョイスになるので仕方がない。特に凛子自身が臨戦態勢を崩したがらないこともあって、愛剣たる〝石切兼光〟をぶら下げていてもおかしくない格好を好んだので、藤木戸もヨメイリ前の娘にこの姿は……と思いつつも、仕方なく用意したのであった。
「まぁ、驚くのはその辺にしておけ。いくぞ」
「アッハイ」
四人の対魔忍は変装を終えると、無音で手近なビルの屋上に飛び降りて、そこから配管や室外機を足場にして暗い路地に誰に知られることもなく降り立った。
そして、ヨミハラ独得の空気を嗅いで――硝煙、クスリ、その他諸々が混じったケオスな臭いだ――鼻が不愉快そうなニュービー二人を連れ、藤木戸は森田興信所……ではなく、すっかり行きつけになってしまったバーを訪れた。
「バリキを」
「あいよ」
すっかり馴染みとなった客のいない店で、高給栄養ドリンクをエナジードリンクで割るという、高濃度のカフェインやらで体に悪そうなバリキ・カクテルを二杯頼む符丁を示すと、店の奥から静流がやって来た。
しかし、今日は任務であると分かっているからか、いつものハレンチメイド服ではなく、深紅の対魔忍装束に着替えが済んでいた。
「えっ、高坂センセイ!?」
「あら、いらっしゃい。また尖った編成にしたのね、藤木戸くん」
「動かせる限りの人員で秘匿性を重視したらこうなった」
よもや英語教師がヨミハラで潜入諜報員もやっているとは想像もしていなかったのか、二人は教鞭を執っている時とは雰囲気が随分と違う静流の様子に驚いていた。
しかし、六カ国語を操る才媛の本文はこちらにあるのだ。彼女はやんわりと教師然とした笑顔を作りながら、バーの卓上に一枚の青写真を広げた。
「サスガだ、シズル=サン。オヌシ以外にここまで素早くアンダーエデンの平面図を持って来られるニンジャはいるまい」
「骨が折れたわよ。こんな短時間で調達しろなんて」
「逃げられては適わんのでな。無理を言ったのは自覚している。ツケにしておいてくれ」
「お客さん、そろそろパンクしますわよ」
貸しが幾つもある藤木戸はヌゥーと唸ったが、まぁ時折思い出したように取りづらい球を放られるだけなので致し方なしと受け容れた。
「ただこれ、前の見取り図だからあまり過信しないでちょうだい。アンダーエデンは居抜きで入った娼館で、何度も改装が施されているわ」
「そこは俺も把握している。だから多少無理を言ってリンコ=サンを連れてきたのだ」
「ああ、なるほどね」
やれるな? と問われ、テッポダマは自分が薬室に装填されたことを認めると、静かに頷いて〝クウトン・ジツ〟で視界を飛ばした…………。
オハヨ!
さぁ理不尽の時間だ。