◆◆◆◆◆◆◆◆
善は急げと世に言うが、良かろうが悪しかろうが何事も巧遅より拙速が尊ばれる。
こと荒事となれば尚更だ。
「ビフォアフライトチェックリスト、コンプリート」
「え、えーと……」
「レディ?」
問われて、座席に詰め込まれたゆきかぜは、英語あんまり分かんないと手元の資料を見て目をくるくるさせた。
思えばカラテ漬けの日々だ。基本的に学業は水城家の人間として最低限やって来て日常会話程度は熟せるが、専門用語をズラズラと並べられると困る。とても困る。
しかも、いきなり五車郊外の秘匿飛行場に連れて行かれたかと思ったら、急に小型のビジネスジェット機に詰め込まれて、あろうことか副操縦主席に乗せられたのだ。
一体何をすれば良いのかという話である。
いや、むしろ、何をしても良くないことが起こりそうなのが、ただただ怖ろしかった。
「れ、れでぃ……?」
Ready.用意ができた、整った、という進学にあたって覚えた必須英単語1,800の中から用法を思い出して反芻してみるが、師匠が何をしているかは全く分からなかった。
それも無理はない。様々な軍事兵器を扱う講座はあるにはあるが、それは選択科目であるし、基本的に兵員の輸送や支援などを志した裏方向きの仕事だ。ゆきかぜは選択するつもりはなかったし、後期から始まるそれの希望表にもチェックを振らなかった。
色々な計器を弄くってボタンをポチポチ押したかと思えば――この時代でも緊急時に備えて、計器板は故障に強いアナログ機材が多い――スライドするボタン付きの用紙を下にずらし続けるという手順を繰り返す藤木戸が何をしているかは良く分からない。
ただ、確実なのは、この夜間迷彩ビジネスジェットが飛び立とうとしていることであった。
「あ、あの、師匠? 私、何かここに座ってちゃ拙い気がするんですが」
「何を言う、俺の一番弟子なのだから、これも覚えて貰わないと困る」
「ど、どっちかというとタツロウ=サン向きだと思うんですけど!?」
「安心しろ、タツロウ=サンには後期の選択授業でしっかり取らせている」
おお、ブッダよ、寝ているのですか!? 対魔忍としての必須講義と課外授業だけでも忙しいのに、そこに矢鱈と多芸な師と同じことができるようになれと、米連製航空機や戦闘車両の習熟訓練を詰め込むなど、それこそ青春を血とオイルに漬けるような苦行ではありませんか!
「なに、飛ぶのは簡単だ。手順書どおりにボタンを押していくだけだからな。後は真っ直ぐ走って操縦桿を引くだけだ。子供でもできる」
「いや、その、何か飛行機さんスゴイ怒ってませんか? スゴくビービー言ってるんですけど!?」
「ヌゥー、東南からの風が強いな。まぁ何とかなるか」
「そんなフワッとした感覚で飛ばして良い物なんですか!?」
五車の里は山の谷間にあることもあって、かなり複雑な風が吹く。そのため時間帯によって風速と風勢が全く大人しくないので、操縦手泣かせなのだ。故にニュービーはもっと安定した、自衛軍基地に間借りした秘密施設で教練を行うことをゆきかぜは知らない。
ジッサイ、気象レーダーは真っ赤。コーションが電源を入れた瞬間から鳴り響くような、普通の操縦手なら「あ、今日はダメだコレ」と大人しく延期を申し出るような状況であるが、危急の際は天候がへったくれもなく飛ばなければならない業種には関係ない。
そう、即ち軍人や対魔忍には「天気が悪いから無理ッスね」と言い訳を並び立てる舌は用意されていないのであった。
『コントロールタワーよりマゾクスレイヤー、飛行許可を出す。ランウェイ1を使え。今日は天候が悪いから貸し切りだ。ズールー1を経由して直で入って良いぞ』
「了解した。ズールー1を経由しランウェイ1から離陸する」
常識的な人間なら、なんでこれで飛行許可が降りたんです? と言いたくなる風の強さだが、管制塔もそこら辺は慣れっこなのか動揺一つ見せない。藤木戸は許可が下りると同時に機体をタキシングさせ、そのまま滑走路に突入。
エンジンを吹かして一気に風の中を増速するのだが……。
「追い風だから加速がつくな」
「センセイ! センセイ! 何か機体が横滑りしてます!」
「それは斜めから風が吹いているからだな」
「当たり前のように言わないでください!!」
ゆきかぜはシートベルトを締めてそれへと必死に縋り付いているが、藤木戸は涼しい顔でガタガタ揺れる機体をコントロールし、強引に真っ直ぐ加速して速度V1へ到達。
「V1」
「ブイワンって何ですか!? ムギ=サンから見せられた特撮!?」
「ローテート」
「何が回転してるんです!?」
「V2、ポジティブクライム、ギアアップ」
「ぎ、ギブアップ!? 諦めないでくださいセンセイ!!」
訳の分からない専門用語に責められて、飛行機に乗ることは慣れていても――これでも良家の子女なので海外旅行は結構している――コパイ席にねじ込まれるのは初めてのゆきかぜは戦々恐々だ。
まかり間違って何かのボタンに触れたら墜落するかもと、両手は何があっても如何なる装置に触れてなるものかと体を掴んで握りしめられていた。
オートパイロットが起動されて、藤木戸が席を立とうとしたらパニクって座席に収めようとし始めるゆきかぜを宥めること五分。ようやっと自動操縦の安定性に得心が行ったらしい彼女を連れて、藤木戸は少々強引過ぎたかな? と首を傾げつつ後部に移った。
そこはビジネスジェットらしい快適な空間……などではなく、軍用機もかくやの風情に改装されていた。
内部にいる人員は二人。今回の緊急ミッションを実施するにあたって確保することができた、必要最低限の人員であり〝実習〟という名目で引っ張ってきた〝外れない鉄砲玉〟こと秋山・凛子と彼女の弟にして三番弟子たる秋山・達郎。
本当ならば熟練の対魔忍、零子や麦あたりも欲しかったところだが、零子は最近取った弟子の教育と教員業に忙しく、また麦は以前と同じく何処に放り込んでも良い仕事をするため人手不足の中隊を増強するのに引っ張り蛸。
そして紫はアサギの個人秘書的役割もあるため、サスガに多忙すぎる彼女の補佐役を引っ張ってこられることはできなかった。
故に現状、藤木戸が動かせる最大戦力がコレなのだ。
余談であるが、達郎はゆきかぜの一大事だと言えば同行を自ら願い出て、凛子は「誰を殺せば良いんです?」と二つ返事どころか、もっとおっかないことを言って付いてきたそうな。
「さて、東京上空まで、このジェットなら三十分といったところだ」
「スゲー、モーター技術の勝利ですね」
「た、タツロウ=サン、怖くないの? 今誰も操縦桿握ってないんだけど」
「ユキカゼ=サン、知らないの? 今時どころか二一世紀初頭でも巡航中はパイロットの仕事なんてなかったんだよ」
良家のお嬢様でメカオタクではないゆきかぜは、人間が機械を制御していないことが怖ろしいのだろうが、航空業界において人間より機械の方が信頼が置けるようになって随分と久しい。
それこそ、今では正常に器機が稼働している限り、オートパイロットで着陸させた方が安全なくらいなのだから。
「さて、簡易だがブリーフィングを行う。これより我々は東京キングダムに上空10,000mより降下し、密かに侵入する」
「え!? 飛び降りるんですか!?」
「東京キングダムには空港建設の予定もあったのだが、こんな物で乗り付けては目立って仕方ないだろう。機体は乗り捨て、AI操縦で最寄りの基地に帰投させる」
言って、藤木戸は壁に掛けられていたパラシュートキットを二人の前に放り出した。体を前後に挟み込む形状は救命胴衣めいているが、内部には正・副・予備の三系統がしっかり収納されており、対地レーダーが導入されているため自動で開傘する米連製の特殊部隊が使う最新式だ。
自動でGPSに従って隊長が持つメインシグナルに同調し降下する機能もついているため、ニュービーでも迷子になることのないアンシン設計は、安かろう悪かろうの大量消費が当たり前のネオサイタマに比べると、かなり人命が重要視されていることが分かる。
「一応、今回は実習という形を取ってあるので、これで降りるだけで出席点がつくぞ。よかったな。明日と明後日は授業も免除だ」
「わ、わーい……」
ゆきかぜ的には、これで課外活動が一回休めると言われても嬉しくも何ともなかった。むしろ、こんな頼りない物に命を預けて、空気さえ薄いような高さから放り出されるくらいなら、魔獣の二十や三十に囲まれてカラテする方が気楽である。
「最新ガジェット! テンション上がるなぁ!!」
一方で達郎は男の子の心を擽る要素てんこ盛りのパラシュートキットに喜んでいるようで――あと、ゆきかぜよりテクノロジーへの信頼が篤い――全く脅えていなかった。
嬉しそうに着込んでいる姿を眺める凛子の目は優しい。弟が楽しそうで何よりだと言わんばかりに朗らかである。それは、必要とあれば二桁単位で人間を殺すことを理解して、イクサに赴こうとしている人間には似つかわしくないブッダめいた微笑みであった。
「キャビンアテンダントが用意する物ほど気はきいていないが、チャでも立てるか。今晩は長丁場になる。濃いのを煎れてやろう」
藤木戸は到着までにチャを点てて三人を、というよりも主にゆきかぜを和ませようとしたが、彼女は高濃度のカフェインを摂取してもガチガチに固まったままであった。
そして、ブザーが鳴り、目的地上空まで到達したことが知らされる。
「行くか。リンコ=サン、オヌシは殿だ。ニュービー二人をしっかり監督してやれ」
「はい、藤木戸先生」
年長であること、そして藤木戸が〝便利だから〟と度々テッポダマとして任務に連れて行っていることもあって慣れている凛子は、何の気負いもなく頷いた。
「アレ? センセイ、パラシュートは」
「要らぬ」
「アイエッ!?」
しれっと宣う藤木戸に達郎は驚き、奇妙な声を上げたが、ハヤキガエ・ジツでジャージからマゾクスレイヤーの装束に着替えた彼は、さも当然のように機体後部に後付された降下用のハッチを開くボタンを拳で叩いた。
「見ておれ、熟達のニンジャなら、何もなくともこれくらいなら降下できることを」
「いやっ、ちょっ、ま、センセ……うわー! マジで飛んだ!?」
「センセーイ!?」
そして、夜の闇に身を投げるマゾクスレイヤー! 大空に身を投げ出すや否や、彼は地面に頭を向けて空気抵抗を受けづらくして加速! ルージュ競技めいて急加速した!!
そして、風圧に負けることなく目を開いて目測で高度を測ると、着地点をしっかり睨め付けた後に五体を開いて減速! しかし、それだけで加速が殺しきれるのであればパラシュートなどは発明されていない!
このまま行けば地面に激突しネギトロめいた死体になるのは必定! されど、マゾクスレイヤーに焦りはない!
着地する瞬間、再び逆立ち状態となり指先、掌、肘と順に接地した上、肩から背中、そして腰と順々に体を地面に押し当てることで衝撃を段階的に吸収! そして、転がることで威力を逃すのはグレーター・ウケミの応用!
「こんなものか」
最終的にマゾクスレイヤーは無傷で大地に降り立った!!
「……遅いな」
天を見上げ、ニンジャ視力で星のない空を見上げることしばし。中々弟子二人が飛び降りていないことに首を傾げた藤木戸であるが無理もない。
目の前で急に師が疲れ切ったサラリマンめいた投身自殺を行った挙げ句、二人は今回が初飛行なのだ。ついてこいと言われて中々飛べるわけがあるまい。
結局、業を煮やした凛子がゆきかぜの尻を張り飛ばして跳ばせ、その後を慌てて追った達郎も虚空に身を投げるまで、三分ほど掛かったという…………。
オハヨ!!
本来色んな手続きが必要だったりするのをアサギ権限で省いている上、藤木戸が無茶苦茶に動いているので敵側からすると対応が早すぎて何が何だか分からなくなるヤツ。