もっぱら若タカの鍛錬の場だった中モズ球場。公式戦が行われることは少なかった
今も大阪のオールド野球ファンが懐かしむ南海ホークスは、どんな場所で歴史と伝統を築き上げたのか。「心に残るホークス遺産」と題して、ゆかりの地を紹介する第3回は「中百舌鳥(中モズ)球場」。戦前から半世紀に渡って若鷹を育てた、主に2軍の本拠地跡を、1976年に11勝を挙げて新人王に輝いた藤田学さん(65)と訪ねた。 (取材構成・宮本圭一郎)
変わらないものは南海電車が走る線路。振り返ると球場があった場所は跡形もなく、15階建て3棟の巨大マンションと化していた。「懐かしいけど変わっていてびっくりしました」。32年ぶりに中モズを訪れた藤田さんは感慨に浸っていた。
入り口脇に「中百舌鳥総合運動場跡」とのプレートを見つけた(注1)。在りし日の写真を添えた幅1メートル弱の銘板。「ここはレフト後方の広場だったんですよ」とはマンション管理事務所の渡辺和弘さん(68)。ホームベースがあった北西へ歩くと、そこは駐車場に。その奥の中百舌鳥公園団地だけがあの頃のままだ。当時コーチだった南海が身売りしてプロ野球施設としての役目を終えた1988年以来のブラマナブ。藤田さんの頭の中にはあの頃の光景が蘇った。
「内野グラウンドを穴吹さん(義雄2軍監督)が一番に来てトラックに乗って整備していた。外野は雑草もあったが、内野はよかったですね」