こんにちは。藤本です。
最近、中高生の個別指導で【英文の暗唱】に力を入れています。単語の語義の暗記ではありません。英語をまるまる1文、あるいはまとまったパセージをそのまま音読しながら暗記させます。
理由は単純で、英語ができない中高生はみな共通して「英語の具体的な経験にもとづく記憶のストックが少なすぎる」と思われるからです。そういう生徒に対して、やれ文法だの構文だのと板書で説明してあげても、著しく定着が悪いように感じます。正しい英語の記憶を補助してあげない限り、こうした枠組み的な知識は右から左に抜けるだけで、頭に入りっこないことに気づきました。
文法のような抽象的で掴みどころのないフレームを頭に残すためにも、土台づくりをしないといけない。土台とは記憶です。具体的な英文の記憶量が多ければ多いほど、その分だけ参照点が多いということですから、新たな関連知や抽象知を受け入れる態勢も整っているということになります。(このあたりの所見については以前別の箇所で書いたので、今度ここでも再掲しようと思います。)
ということで、ここ半年くらい「具体的な英文を記憶をさせる」という指導について真剣に考えていました。4月ごろからいろいろな現場で手法を試しており、最近ようやっと雛形になる方法論が自分の中で完成しました。
ノウハウは秘密にしておきたいのであまり言えないのですが、音読やディクテーションなどの古典的な手法を組み入れています。すべての工程が目的ドリブンで、順序や回数もかなりきっちりと決めています。大体標準的な中高生が、彼らのレベルに則した英文(80〜100words程度)を45分〜1時間くらいでざっくりと記憶に残せるイメージです。あとは家庭での繰り返しで完全暗唱までもっていけます。
文字数のあるパラグラフでなくとも、1文であっても暗唱は効果があります。ただし、どんな英文でも良いわけではなく、適度に負荷があり、本人にとって学習効果が高い英文を選定せねばならないのは言うまでもありません。個別指導の生徒については、授業内でかならず1〜3文程度、特にストレスポイントが発見された英文を暗記させます。
注意しなければならないのは、即効性はないという点です。その英文が完全に実感を伴い、身体にインストールされるまでに「醸す」必要があります。ですから、数ヶ月後に受験を控えた高校3年生に悠長に暗記をしましょう、というのは(もちろん当人のレベル感に左右されますが)なかなかできないように思います。一方で、中学3年生から高校1年生くらいの生徒さんは時間もありますし、暗唱を習慣化して取り組ませれば2年とか3年でかなりの英語力になるのではないかなと思っています。
最近特に心がけているのですが、授業という空間はあくまで家庭学習の補助という位置付けでないといけません。たった60分や90分程度ですべてを理解させるのは無理、というのは指導にあたる人間はよく聞かされる文言ですが、では一体何を目的とすべきで、どのように理解のためのトリガーを植え付けたり、お膳立てをするべきかについてはあまり語られない気がします。周りを見回しても、従来と同じような(あるいは解像度の低い)英文法の授業をやってみたり、方法論も提示しないまま「単語を暗記しなさい」とだけ言ってみたり、「たまたまできる素地を持った人間」にしか効かないようなことをいまだ続けているような気がしてなりません。
AIも進化して我々のような職業講師だっていつ馘を切られるか分からないような時代に、前時代的なものを相も変わらず前時代的なやり方で——いや、それならばまだしも、怠惰に任せて退化させてしまっているものも散見されますが——縋り続けるのはどうなのかと思う次第です。
幸い(と言えるべきかは時が経るのを待つ必要がありそうですが)、英語教育は「具体化」の方にむく潮流がいまあるような気がします。職業柄、学習書や参考書などもたまに覗いたりするのですが、近刊には従来とはまったく違ったフォーカスの向け方が見られるように見受けられます。「大学に受かる」ではなく、「英語ができる」ことを真の目標に据えた骨太な参考書がたくさん出ているなか、僕みたいなまだまだキャリア駆け出しで先がある講師としては、その風を感じながら、うまく乗っていきたい。そうすると、学校教育や大学受験の枠組みのなかにあっても、真っ当に「英語ができる」ようになる方法論を真剣に考え、自分の受け持つ範囲の中で実践していく必要があります。
暗記の手法を真剣に考えて実践させているというのは、そういう意味でかなり気持ちがこもっています。指導者がやった気になるような、指導者だけが疲れて生徒は呑気に頬杖をついているような授業は、もう一切したくない。英語の運用が声高に叫ばれる昨今ですが、これは何もコンテンツを変えることだけが重要なのではないと思います。それよりも重要なのは、やり方です。ここを変えなければ運用なんて何年やっても実現できない。時代に合わせて指導をアジャストさせられる人間が生き残れるという思いがあり、日々模索しています。
駄文に付き合っていただきありがとうございました。それでは。