失踪した糸柳から遺書が届いて、それからしばらくして警察から連絡が来たらしい。死ぬ前の彼とは疎遠になっていたのでその時期のことは伝聞でしか知らなかったが、色々と(そして過去の彼の行動とはまた違った形で)顰蹙を買っていたとよく聞いていた。
死ぬ何年か前の彼は誰から見てもおかしくなっていると言えるような状態で、仕事も上手くいってなかったと話していた。ドワンゴ時代の成功体験と山の話とRubyコミッターの話をしていたが、何回も何回も同じ話をしていた。彼のコミュニケーションの方法は彼の得意な話題に変更し、そして彼の長いターンが始まり、その後こちらが一言入れるというものだが、それにしてもこちらの話を聞いているというポーズすら晩年は取らなくなっていた。彼のそのスタイルが通用するのは彼を知っている人間に対してであり、何も知らない若者からすると典型的な老害のように写っただろう。実際にそう言われている場面を何度か見たことがある。
とにかく生きているだけで迷惑な人間なのだが、能力と愛嬌だけで許されている彼が、能力と愛嬌を失った場合には、ただの迷惑な人間として排除される。社会の除け者みたいな人間が集まるところでも、彼は迷惑がられていた。
多くのことに手を出して、何もかもが中途半端になっていた。生まれつき気が散って仕方なかった彼は過集中という名目で手を動かすことに成功していたが、それも加齢と共に難しくなっているように見えた。教育からもコミュニティからも疎外されている彼が、真っ当にエンジニアリングの知識を手に入れる方法は手を動かしたり本を読むことだけだったが、そこが損なわれると急速に判断の精度は低下する。ここ10年はシステムに対する考え方が大きく変わった時代であり、彼の語るドワンゴ時代のマネジメント論は石器時代のものでしかなかった。古い知識は大体2年ほどで錆付き、5年ぐらいで正真正銘の時代遅れになる。彼はどれぐらい前線から離れていたのだろうか?
彼の昔の同僚がIT企業でマネジメントのレイヤーにいる(もしくはCXOをやっている)という話をしていた。彼は肩書や社会的地位について気にする性質があり、他人のことを紹介するときもプロフィールのように読み上げる傾向があった。まだIT業界が未成熟で、リーガルやコンプライアンスが緩く、ナードやギークしかいない時代とは現代は全く違うし、彼のような人間の居場所はどうしたってないだろうと思うが、仮にその内輪に入れたとしたらここまで道を大きく踏み外さなかったのかなと思うことはある。とはいえこれは仮定の話であり、彼がドワンゴから離れた当時にしきりにしていたコンプライアンスに問題がある人間との関わりの話はどう考えても排除される側の烙印を押されるには十分だったし、仮にそういう話をしてなくても彼の軽率さは現代の業界とは水が合わなかっただろう。
彼のコミュニケーションスタイルは嘘と誇張であった。知っている人間がいかに凄いか、そしてその人間がどのようなことをしたか(時として常軌を逸したか)という話をして、物事を大きく見せる。言語によるコミュニケーション(アジテーションに分類される技能)が得意だと分類していいかはわからないが、とにかく彼は時流に乗り、その能力を上手く活用して一定のプレゼンスを得た。象徴や虚像を操作し、そして実際の能力で辻褄を合わせる。実際にこの行為を繰り返せば影響力も大きくなるし、影響力が大きくなればレバレッジも大きく掛けられる。例の事件でドワンゴから離れ、SNSからも離れた彼はデレバレッジを上手く出来てないように見えた。信用というものは単に積み重ねればいいし、有言実行さえすれば増えていく。その地道な作業を怠って大きなことを言い、そして辻褄を合わせられずに残りの信用を失うところを見てきた。とはいえそれは彼の特性として受け入れられていたように見えるし、持ち前の愛嬌によってある時期までは許されていたように見える。
愛嬌とは消耗品である。普通に使っている分には減らないが、地雷を踏んだ瞬間にそれは消失する。彼はそれが無くなることは無いと思っていたのかもしれないが、残念ながら完全にそれは間違いだった。ある女(女と呼ばない人もいるらしい)の揉め事で彼はその能力を使い、そして大きく失敗した。愚かな自己愛による行動により、彼の特性は愛すべきものから、軽蔑されるもののようになったのを感じた。少なくとも自分はそうだった。他人やよくわからないもののためではなく自分の小手先の欲望のために使うのだったら、そんなデタラメは到底許容されるはずはない。とりあえず信じた粗の多い話を受け入れられなくなると、彼のあまり見たくない実像だけが見えるようになった。
ある時期のことだが、彼は女に別れを言って山に行き、そして数カ月後に帰ってきた。冬山の山荘はよく人が死ぬらしいし、彼も死ぬつもりで行くと言っていた。長くして白い髪と白い肌をしてた。彼は痩せて別人のようになっていて、それから山に真剣に取り組み始めた。帰ってきた彼が全ての話題を山でマウンティングするようになったのは、遠野物語的な神秘なのかもしれない。彼の人生の起点になったイベントだっただろうが、俺からすると状況は更にまた不味くなったように見えた。ここで知ってほしいのは様々な要因があって彼の感覚は壊れたという部分で、単一の何かが原因じゃないという話だ。
加齢による実行機能の低下、時代の変化、所属するコミュニティの変化、不味い選択肢を選び続ける不運、山にハマったこと。様々な要因はあるが、彼が目の前の人間がどこかのタイミングで見えなくなってしまい、自分の利益のためだけに周囲を消費するようになったのは確かであるし、周囲は順当に彼を爪弾き者といて扱った。一度得られた尊厳を人は保とうとする。時代と彼の特性がマッチしたときに得られた尊厳を彼はなんとか取り返そうとしたが、自分の話に突然割り込まれ、山やドワンゴの方が凄いという話を黙って聞く目の前の若者がそのような感情を彼に見せるだろうと期待するのはあまり合理的な判断とは言えないだろう。
とにかく何が言いたいかというと、長い時間をかけて糸柳という男の幻想の形成と完全な解体が起こり、そして最後に自殺という選択を取るに至ったのかを振り帰ったときに、明確にこれは不味いだろうなというポイントがあったので、彼の死からいくつかを学んでおくと良いだろう。
3. 山には行かない
んで韓日はいつ開戦するんです?
何としてでも生きてりゃ寿命が尽きる前にシンギュラリティが起きただろうにもったいない
3. 山には行かない ここだけは実践できているからこそ、多くのブクマカは生き延びてるんだろうな、という気づきがある 普段の生態から、彼ら彼女らが1.2.を実践できているとは思え...