「同じ世界」を生きるとはなにか
とりあえず三次元空間は疑わないものとする。そういう前提で考えても、自分と隣の家の人間が同じ世界を生きているのは何故であろうか?おそらく近似性が強いのであろうし、新宿が夏で渋谷が冬ということはない。地理的に同じ地域なら同じ環境である。あるいは、10秒前と10億年前では違う。過去であっても時間が近ければ、条件は近い。「この時代のこの国ではこれは普通である(もしくは絶対に有り得ない)」という説明が成り立つのである。時間と空間が近ければだいたい同じ、というのは事実である。「地理的に近い」とか「時間的に近い」で、何らかの類似性が生じるのは、たまたま地球上がそうなっている気もするが、遠隔で働きかけることができないという三次元空間の仕組みからすると、距離や時間が近いと類似性があるのは、それなりに理はある。眼の前のものを動かすことはできても、遠くのものを超能力で動かすことはできない。「遠い宇宙」という言い回しがあるが、これはつまり、われわれが物理的に関与できない圏外を指す。われわれは肉体を持っていて、頭部に目鼻口があり、周囲を認識し、足で歩き、手で何かを操作する。この肉体の認識範囲は道具によって拡張可能だし、光回線で光速通信することもできるが、あくまで光の速さが限界である。10億光年あったら10億年掛かってしまう。われわれの肉体は基本的に、自分の肉体周辺しか触れないから、その圏内と圏外では話が違う。隣の家は物理的に近いわけだし、他の星の家を放火するのに比べたら、かなり容易い。その火がこちらの家にも延焼するかもしれない。そういう同居関係にはある。係累を断ち切って、人間を完全遮断すれば、隣人は別世界と考えることも可能だが、いくら人間関係を遮断しても、やはり物理的な攻撃の圏内であるし、本当の別世界ではない。自分の家と隣の家は、いくら絶縁しても、つながりがある。