「チマチョゴリは着てません」
大晦日に放送された紅白歌合戦の映像を見たネトウヨが、新年早々やらかしたようです。
#ネトウヨやらかし大賞2025
— テキサスおっ母さん (@jCjmmlgiyjxYQ1C) January 1, 2025
「ドルチェ&ガッバーナはチマチョゴリ」 https://t.co/g9pXyXdCPy pic.twitter.com/zAwc1nxNGD
伊藤沙莉さんのきているドルチェ&ガッバーナのドレスを見てチマチョゴリだと勝手に思い込んで「朝鮮歌合戦」などと煽っているのが確認できます。
ネトウヨをこじらせるとなんでもかんでも韓国を応援しているよう見える病にかかるというのがよく分かるツイートですね。
新年のお笑いネタとしては満点の出来でしょう。
当然のことながら、本人のアカウントからチマチョゴリじゃないよという指摘がされているのですが
大晦日は
— 伊藤沙莉 (@SaiRi_iTo) January 2, 2025
ありがとうございました!
鬼のように噛みましたが
なんとか精一杯
努めさせていただきました!
チマチョゴリは着てません!
結婚発表はしてません!
今年から大殺界なので
なんとなく色々覚悟しつつ
本年も一生懸命楽しく生きます!
宜しくお願いいたします!
チマチョゴリは着てませんというただの事実の指摘に対してなにやら不満がある人達がいるようです。
チマチョゴリ云々と言う者は、それを着る韓国人への差別意識を持っているが故に言ったのだろう。
— まーちゃん (@SakuraMarsGinga) January 2, 2025
「チマチョゴリは着てません!」と、相手の土俵に乗ってどうする?
相手の差別意識を容認していると捉えられても仕方ないし「自分にも差別意識があるからそう反論したのでは?」とさえ思われかねない。 https://t.co/dzLZBE8bi5 pic.twitter.com/tXFj8rTLQU
たかが12/31の歌番組でチマチョゴリ着てることの何が問題なのか。
— 家登みろく@森の座(旧・萬緑) (@miroku_cat) January 2, 2025
「チマチョゴリ着てたとして何が問題ですか?」って言って欲しかった。
チマチョゴリは着てません!
— YOKO (@granamoryoko18) January 3, 2025
という返しは
ゲイじゃない!とかと同じく
差別する側の意図に乗っててもちろんダメ
でも私も若かりし頃
スペインを一人旅してて、子どもに
China!China!(チナ!中国女!)と
言われてとっさにSoy Japonesa!と
返したことを思い出した。
差別をやめろ、と言うべきだった。
え?これ本人?
— きっかけはSEALDs☮️ (@SEALDs7) January 2, 2025
「あれはチマチョゴリ」って騒いだ連中がどういう意図で言ってたか知らないはずないよね。
いじめっ子が「お前、〇〇(いじめられてる側)と同じ服じゃん」と言ったのに対し「絶対違う!」と言いながら、いじめっ子と笑う醜悪さを感じるのだが…
ああ、虐殺加担マックのCMもしてたっけ https://t.co/2ethF0V7EX pic.twitter.com/V6V84z6tvp
伊藤さんは「チマチョゴリではないとわかっているのに韓国差別を煽りたいが為にわざわざ投稿した」人への反論のつもりでツイートされたのだとしても、「チマチョゴリではありません」と書いただけでは更に差別者を煽る可能性があると理解していただきたく思います。@SaiRi_iTo https://t.co/ITpk9Yv7nu
— 𝓡𝓨𝓞𝓚𝓞 𓅪 (@ecrindesimone) January 2, 2025
チマチョゴリを着ていないという主張によってネトウヨがアホであることがよくわかったというのに、「チマチョゴリを着ているのは問題がある」といっているネトウヨではなくて、チマチョゴリは着ていないと言った本人を糾弾しようというのはネトウヨと同レベルじゃないかと私は思いました。
たとえば「チマチョゴリなんていうへんなものは着てません!」とかいう投稿だったら「ちょっとまてそれは差別に乗っかってる」と指摘するのは正当でしょう。
しかし、「チマチョゴリは着てません」からそのような悪意を読み取るのは不可能ではないでしょうか。
チマチョゴリではないかという疑いを否定されたことによって傷つく人が仮ににいたとして、その傷つきを「着てません」といっただけの人に責任を負わせるのはいくらなんでも厳しすぎではないでしょうか。総理大臣クラスの権力者ならまだしも、ただの芸能人の一人なわけですよ。私はむしろそのようなことを主張している人のほうが暴力的に感じます。
せいぜい、「自分だったらチマチョゴリでも問題ないと表明するのになあ」くらいの感想に留めるべきではないでしょうか。
ここまでだだと「渡辺直弼が差別主義者を擁護している」とか言いたがる人がいるかも知れませんが、たとえば次の指摘はどうでしょうか。
「チマチョゴリは着てない」とかいた伊藤沙莉さん自身が韓国ルーツのハーフだという噂です。
裏を取ろうとしてネットであれこれ調べたんですが、結局わたしには裏は取れませんでした。
同様の噂をしているサイトは複数確認しましたが、根拠は本人のアカウントで昔それっぽいことを投稿していた、ということだそうです。投稿は残っているので見ることはできるのですが、リプを入れている相手の文脈がわからないので何について語っているのかが不明なので判断は保留しています。
で、伊藤沙莉自身が韓国ルーツかどうかは真偽不明だったわけですが、重要なことは、「チマチョゴリは着てない」というだけの投稿が差別に加担しているという主張には、「伊藤沙莉が韓国ルーツではない」という決めつけが入ってはいないか?という点です。
ちょうど私のnoteでも最近、トランスジェンダーの当事者である李琴峰さんがトランス差別をしていると、自称「反差別」の人々から糾弾された事件を書きましたが
伊藤沙莉さんについても、李琴峰さんと同様の決めつけが発生しているのではないでしょうか?
たしかに「チマチョゴリは着ていない」と投稿することが差別に加担していると批判することが正当な場合が存在しないわけではないです。
ただ、それが差別に加担しているかどうかについては、本人の属性や文脈など、もっと様々な条件が考慮されるべきではないでしょうか。なぜ、いまの段階で、そこまで強い批判ができるのか、私には全く理解できません。
SNS上の自称反差別の人々が、「差別だ」と他人を糾弾することにたいして、あまりにも軽率になっているのではないでしょうか。そのような「反差別ごっこ」は、マイノリティですら不幸にする可能性があるのではないでしょうか。
この点について、軽率に差別を糾弾している皆様には一旦立ち止まって考えていただきたいです。
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