「安全地帯・零ZERO -旭川の奇跡-」を制作して【取材後記】
- 2024年12月23日
この番組の制作を担当したディレクターの門脇陸です。既に番組をご覧になった方もそうでない方も、この文章をお読みいただきありがとうございます。11月の初回・北海道ローカルでの放送で大きな反響をいただきまして、弱冠27歳の私が、50年以上続く安全地帯というバンドの取材を進める中で、番組に収めきれなかった情報や、何を考えて作っていたのか。全国放送になったこのタイミングで、改めて振り返りたいと思います。
(※一部、ネタバレを含みますので、ご了承下さい。)
番組の骨を支えたピース
取材初期、既出の情報以外見つからず、苦しい時期が続きました。今の旭川には、彼らが良く通った店も、最初の練習場も、見ていた景色も、様変わりしているか無くなってしまっていました。そんな中出会ったのが、安全地帯界隈では“ファン1号”“ファン2号”の愛称で知られる本山美幸さんと石丸靖之さんです。「初めて安全地帯を見た中学時代から、今もずっとファン」と語る彼らが、50年近く大切にしていた当時のライブのチラシを見て、初めてアマチュア時代の安全地帯の輪郭に触れられた気がしました。中でも印象的だったのが、番組でも使用した、このイラストです。書いたのは玉置さんだそう(笑)
まだ誰にもインタビューをしていない頃に見たこのチラシは、不思議と当時にタイムスリップできるような力を持っていて、これをただの“資料”としてではなく「全く違う見せ方で生かそう」と、この時に決めました。
そしてもう一つ。このメッセージ。
何なんだこの言葉の強さは・・・!なぜデビューもしていない(そして今の私よりも若い)20代の若者が、こんなことを書けるんだろう? 当時の安全地帯の「熱」を知ると共に、彼らが「同じメンバーでやること」、「地元の仲間とやること」へのこだわりを垣間見た瞬間でした。この時点で、私は何となく「これ」を番組のテーマにできないかと考えていました。この“本物のミュージシャンとは!”に納得できるか、がこの番組が面白くなるかどうかの一番の勝負になったのです。
またこの時に、チラシの文章を書いているのがメンバー武沢侑昂(豊)さんの兄・俊也さんであることが判明。「必ず話を聞かなくては!!」と思ったのですが、紆余曲折あり、会うまでに、数か月かかるのです…(笑)
元メンバーとの出会い
番組にご出演いただいた元メンバーの方で、特に印象深かったお2人について、書いておきたいと思います。
まずは宮下隆宏さん(元ベース)。安全地帯の合宿所を改装し、いま同じ場所で結婚式場を運営しています。
現在音楽から離れている宮下さんですが、しきりに「安全地帯にいて本当によかった」と話していました。普段は、メディアの取材を断っているそうなのですが、あの時代の話なら、と特別に受けて下さったのです。
何でも、1985年から狩猟した食材をメインとしたフレンチ料理を始めるわけですが、当時、ジビエは全くメジャーではなく全て独学。辛い時期もありながら、辞めずに続けて来られたのは「安全地帯を辞めてものすごく後悔した。辞めずに続ければ、いつか日の目を見られると学んだから」ということでした。彼の話を聞いて、「大きな夢をあきらめた後、人はどう生きていけばよいのか」を番組のサブテーマにできるのではないか?と思うようになりました。
そして武沢俊也さん(元キーボード・作詞担当/現メンバー武沢侑昂さんの兄)。驚いたのは当時の事をあまりにも鮮明に覚えていらっしゃることでした。
季節や時代背景、出来事の順番など、まるでそれが昨日のことのように出てくるのです。それも言葉の引き出しがとにかく多いし…素敵でした。「年を取って忘れることも増えたけど、あの頃のことは妙に覚えている」と言う俊也さんに、ストーリーテラーになってもらえばノーナレーションで番組ができるのではないか?と思い立ちました。
そして後日「こういう番組を作りたい!」と精密な設計をお話ししたところ、快諾していただき、結果、最小限の字幕テロップだけで、71分30秒の番組を成り立たせることができました。「インタビューはものすごく長くなりますが、いいでしょうか?」と依頼したのですが、やはりかかった時間は約6時間・・・!本当にお世話になりました。お2人とも、番組の「根っこ」となる部分の設計にかかわった大切な人たちです。
今撮れないものをどう撮るか
ロケが始まっても、今撮れるものはインタビュー以外ない状態。集めた過去の資料と並べても違和感のない、当時を感じるカットをどれだけ撮れるかが勝負でした。助かったのは、元・合宿所とその前に広がる田園です。見える光景に多少の差はあれど、永山のあの場所は間違いなく当時と今を繋ぐだけの力が残っていました。
もう一つこだわったのは、資料の見せ方です。資料として見せるのではなく、当時見ていた人の感覚により近づける撮り方をできないか、模索しました。細かい部分ではありますが、ラジオ音源を当時の年代製のラジカセに乗せて流したり、チラシは合宿所の壁に貼ってみたり。そんな中、「ワインレッドの心」が映るテレビは、当時あの曲を聴いた皆様の心に引っかかったのではないか?と思っています。番組ではあの直後、玉置さんの口から衝撃の告白がなされます。直前の引き付けとしてとても効果的になったと思っています。
一番悩んだのは、当時のエピソードの映像化です。玉置さんが骨折したり、メンバーが入院したり…、話は興味深いものの、映像をどうしよう・・・と。再現ドラマという手もあったのですが、取材開始当初からずっと感じていた皆さんの言葉の強さに、全くの作り物では敵わないな、という不安がよぎっていました。最終的に、初めから何かに使おうと決めていた、チラシのイラストを用いてCGアニメーションを作ることにしました。あのイラストは、作り物ではなく「本物」だからです。より今の映像と、過去の資料をシームレスにするため、ただの二次元アニメではなく、今も残っている場所に関しては、現地の映像の中でイラストを動かそう、とロケをしていました。撮影クルーと、「川の向こうにこんな動きをするアニメーションが入るよ」等、何度もイメージを共有していました。結果、番組のタイトルあけ、壁に貼られたイラストが動き出す映像は、うまくタイムスリップ感を出せたのではないかと考えています。
アマチュア時代を支えた大人たち(未公開インタビューとともに)
メンバーたちの運命が大きく動くことになる「中盤以降に尺を割こう」と、特に合宿生活に至るまでの前半戦は、テンポをかなり上げなくてはならなかったこの番組。どうしても、尺の都合で紹介できなかったエピソード・人物が。そんな方々を未公開インタビューと共にご紹介します。
まずは安全地帯が頻繁に通っていた楽器店、マチイ楽器の店長さんです。8人になる前の5人時代、練習場所も無料で貸してくれていた、と番組で紹介しました。
武沢侑昂:マチイ楽器は、プロを目指す、真剣に音楽やる感じですね。マチイ楽器一派だったんですよ、僕らは。
武沢俊也:買物公園のど真ん中ぐらいにあったし。そこがいわゆるベースだったよね。よく行く場所。
ただ単に楽器店ではなく、彼らの居場所となっていた楽器店。元々ギターだった俊也さんは、音楽人生を変えるようなアドバイスもされていたそう。
武沢俊也:店長さんから、「俊也、ギターじゃなくて、おまえキーボード、ピアノやったら」って言われて、高3の夏ぐらい。夏までピアノも何も弾けなくてさ。練習しました。
さらに、ポプコンへの挑戦を終え、コンテストではない方向で進む決断をした時も・・・
武沢侑昂:店長さんがすごく考えてくれて。それで六土開正グループを紹介してくれたりとかしたんだと思います。
武沢俊也:その辺を整理してくれたのが店長さんで。その(バンド同士が)くっつくっていう話もそうだし。
武沢侑昂:だから、導いてくれたと思ってます。店長さんいなかったら、僕らそこまで絶対行けなかったと思いますね。
さらにこんな方も。合宿所を建てる時の資金面で大変お世話になったそうです。
武沢侑昂:旭川の優佳良織(ユーカラおり)の木内さんという方。僕たちが小さいスタジオでやってたころから見に来てくれていて。そういうこと(スタジオ作り)はやった方がいいと言ってくださって、お金も何とかするよって、貸していただいたりとか、大きかったと思いますね。
武沢俊也:自分たちの名前で(銀行から)借りれるわけなくて、木内さんが、お金借りてくれたんだよね。銀行の契約のときに俺も一緒に行きました。200万円、僕のバッグに入れて持ってきた。で、メンバーのみんなに見せたと思うな。
木内さんの大きな協力でスタートできた合宿生活。お金を返していくためのアルバイトについて、こんな話も。
武沢侑昂:アルバイトで僕が旭東工業っていうガレージ製作工場で、結構バイト代が高額だったので、みんなに紹介したら、そこにみんな、玉置も来てくれて。
武沢侑昂:バイトが終わってから、工場でジンギスカンとか、社長がごちそうしてくれたりとか、すごくいい思い出になってますよね。
僕たちがデビューして成功して、カキ君(ギター矢萩渉さん)も手伝ってくれたけど、社長が「うちのテーマソングを作ってくれないか、ちゃんとお金払うからちゃんとしたの作ってくれよ」って。本当、社長さんすばらしいなと。ありがたい人です。
武沢俊也:自分たちだけでは、やっぱり(無理だった)。大人の力が必要だったってことだよね。相当応援してもらったわ。
あの時代ならではの、旭川の町の温かさ、それに応え続けてきた安全地帯を、より深く知ることができ、改めて尊敬した取材の日々でした。
番組を終えて
皆様、ここまでお読みいただき、ありがとうございました。他にも、元ドラム・大平市治さんのご遺族との出会いや、番組のラストとなった、玉置さんの旭川ライブの話など、たくさんの忘れられないエピソードがありますが、取材後記はここまでとさせていただきます。この番組の制作に携わることができ、心から幸せです。取材させていただいた全ての方々、御覧いただいた全ての方々に感謝を込めて。
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