17歳の少年はなぜ犯行に及んだのか 西鉄バスジャックの真実
2000年に起こった、人質を22人とり、日本中に生中継されながら約320kmも移動し続け、警察の特殊部隊SATも出動した西鉄バスジャック事件。それは17歳の少年による犯行だった。
少年はなぜ犯行に及んだのか、報道資料・関係者の取材をもとに再現ドラマで紹介。大怪我をしたものの命は助かった乗客の山口由美子さんが、事件の真実を当番組に語ってくれた。
2000年5月3日、福岡市の繁華街・天神行きの長距離バス。乗客のうちの一人、山口さんは友人の塚本さんとクラシックコンサートを鑑賞するためこのバスに乗っていた。
人気アーティストのコンサートに向かう18歳の少年や祖母の家まで初めての一人旅をする6歳の少女など、乗客がそれぞれの目的で乗車していた。
バスは、佐賀から天神まで長崎自動車道を経て九州自動車道を北上する約70分の道のり。
出発から40分、バスが九州自動車道を降りる太宰府インターチェンジに近づいた時1人の男が突如席を立った。 この事件の犯人である男は運転手に詰め寄り「太宰府インターで降りずにこのまま東に走ってください」と告げ、その手には刃渡り30cmの牛刀を手にしていた。
そして「今からこのバスを乗っ取ります。皆さんは荷物を置いて後ろに移動してください」などと脅した。眠っていて事態に気付いていなかった女性に対しては「俺の言うことを聞いてない」と犯人はためらいなく切りつけた。
乗客には「携帯電話など、荷物は全部出してください。あとカーテンも閉めてください。では女性は前、男性は全員後ろの席に移動してください。私語は禁止です。言うことを聞いてください」と指示。
さらに「補助席を倒してください」と指示し、乗客は簡単には犯人に近づけなくなった。
バスは太宰府インターを通過。出発から1時間、運転手は「そろそろトイレ休憩を」と提案。犯人は「誰かトイレに行きたい人はいますか?逃げ出すかもしれないので、1人ずつ行ってもらいます。もし誰かが逃げ出したら…残った方を、殺します」と脅した。そしてバスは門司インター付近の高速道路上で停車した。トイレではなく、ここで用を足さなければならなかったという。
犯人はまず犬を持ち込んでいた女性に「では、あなたから」と指示し、初めにバスを降ろした。しかしその女性は帰ってこず、犯人は「あいつは裏切った」「見せしめです」と山口さんが切りつけられた。そして他の女性を「次に何かあったら、あなたを殺します」と脅し、車内はいつ殺されるかわからない恐怖に包まれた。
一方、バスの目的地だった天神バスセンターでは30分を過ぎても来ないバスに何かあったと思い始め、バス会社は運転手に何度も連絡を取ったが応答は一切なかった。バスは山口県を東に走行していた。
そのとき、次に殺すと言われた女性が走行中のバスの窓から飛び降りて脱出していた。犯人は「見せしめです」と今度は塚本さんを切りつけ、さらに6歳の少女を人質に。
バスは山陽自動車道に入り広島方面へ。バスは警察車両が包囲。実はトイレで降りた女性が警察に通報していたのだ。山口県警はジャックされたバスを確認。 高速道路を封鎖し、下松SAへの誘導を始めた。その状況に犯人は、「封鎖をするな」「霞が関に行く。拳銃を持ってこい」と要求。
午後4時20分。バスはスピードを緩めながらも封鎖を突破。この時、スピードが緩んだすきに男性が窓から脱出。それを知り犯人はまた塚本さんを襲い、塚本さんはそれが致命傷となった。切りつけられた女性3人はすぐにでも病院に行かなければならない状態だった。
バスが広島県へ入り、車内の男性客はなにかしらの突破口を探していた。一方、犯人は広島インターの手前、武田山トンネル内でバスを停車させ少女を人質に「男は全員降りろ」と指示を出した。
犯人は少女を盾に、脅威になる可能性のある男性客を全員バスから降ろしたのだ。現場には広島県警も出動しており、犯人との交渉を行うためバスを止める必要があった。
午後5時50分、バスは警察に誘導され広島県の奥屋PAに停車。警察との交渉が始まった。犯人は「拳銃と防弾チョッキをください」と要求。この時、警察では、犯人からかかってきた携帯電話の情報などから、17歳の少年であることが分かった。
犯人は中学時代、学年でもトップクラスの成績だったという。反面人付き合いは苦手。さらに中学3年の冬、高校受験を控えた日、同級生の階段から飛び降りるという度胸試しに煽られ着地に失敗。背中を強く打ち付け第一腰椎を圧迫骨折、全治2か月の大けがをした。
このケガで、病室で受験することになり卒業式にも出席できなかった。その後、犯人は県内でもトップクラスの高校に進学したが上手く馴染めず、9日ほどで不登校になり、その後自主退学。鬱屈した怒りは家族に向けられるようになり、常に部屋に閉じこもりネット掲示板に罵詈雑言を書き込む毎日を送っていた。そして、中学校を襲撃したいと言う思いに囚われていった。
そしてインターネットで包丁やスタンガン、催涙スプレーなどの武器を購入し中学校を襲撃するつもりだったという。その決行は3月6日と決めた。
その4日前の3月2日、犯人は父親とドライブに出かけていた。少年が唯一、心穏やかに過ごせる時間だったという。一方そのころ息子の行動が気になっていた母は部屋を捜索すると複数の凶器が出てきた。襲撃予定の前日、息子を何とかしたいと考えた両親は、強制的に療養所(病院)に入院させることに。
こうして直前で襲撃計画は阻止された。 療養所では、少年の態度が一変して良くなったという。それは外泊許可を待っていたためだった。
療養所に入ってから2か月後、一泊二日の外泊を許可される。外泊許可が下りたのはゴールデンウィーク中で、中学校は休みだった。計画変更を余儀なくされた彼はバスジャックを実行することにしたのだ。
そして愛知県豊川市で17歳の少年が65歳の女性を殺害した事件が起きた。この時、少年は 「先を越された」と思ったという。そして「僕が長い長い年月をかけて練った大切な計画を貴様らは台無しにした。決して許すことはできない。これ以上計画の遅延は許されない。許せない」と当時のメモに書き残されている。
犯行当日、犯人は「サイクリングでも行ってくるよ」と一人自転車で外出。途中、凶器となる包丁を買いバスに乗り込んだのだ。
バスジャック事件は発生から5時間半となった。警察が防弾チョッキなどを差し入れると、少年は車内で切り付けた3人を解放した。すぐに病院に運ばれたものの2度傷つけられた塚本さんは失血により帰らぬ人となった。
バス停車後、膠着状態は4時間にも及んだ。一方この頃、警察ではSATの精鋭部隊が動きだしていた。ジャックされたバスと同じ型のバスを用意し訓練の上、強行突破の準備をしていた。
そして犯人が給油を要求したため、奥屋PAからガソリンスタンドがある小谷SAへ移動。ここで要求通り給油を行うと1人を解放した。その後、警察は食料などを差し入れると犯人はさらに1人を解放し、バスには9人の乗客が残った。
警察が取り囲んでいると思ったか犯人は6歳の少女のそばを離れなかった。犯人だけでなく乗客の疲労やストレスもピークになり、空が白み始めた午前5時、警察が動き出した。バスに静かに警察の車両が近づき、SATを含んだ精鋭部隊が到着。
突入は、犯人が少女のもとを離れた瞬間と決め、その瞬間は交渉役が手袋を投げるのが合図だった。そして犯人が少女のそばを離れた瞬間にバスへ一気に突入。
犯人をすぐに確保。事件発生から15時間半での解決となった。犯人は後の供述で「社会に恨みがあった」「親を困らせたかった」などと語る一方、「目立ちたかった」「注目されたかった」などと語り、はっきりとした動機は不明。その後、精神的な問題もわかり彼は医療少年院へ送られた。
事件から5年後、友人の塚本さんを失い自らも重傷を負った山口さんが犯人のもとを訪れた。犯人が学校になじめず不登校になっていたと知り、山口さんの娘も不登校を経験していたことから、どうしても面会したいと思ったという。
謝罪を受けた山口さんは「これまで誰にも理解されずつらかったんだね。だけどあなたの罪を許したわけではない。許すのはこれからです」と告げたと言う。山口さんは当時のことを「自分がこの事件を起こしたことを考えてほしい。考えることで次どう生きるかってことが見えてくるだろうから、再犯してほしくない。やった私たちの傷が無駄になる。だから自分なりの一歩をちゃんと歩んでほしい」と語る。
山口さんはこの事件を機に、不登校の子供や悩みを抱えている子供のための居場所づくりや、講演活動、さらに少年院で立ち直りの支援も始めているという。
なおこのバスジャック事件を受け、バス会社も統一対応マニュアルを作成するなど対策を進め、西鉄バスをはじめとするバス会社もバスジャックを想定した訓練を開始。さらに万が一の場合に車内から危険を知らせるための新たな表示機能を設置。 実際に、この機能により事件から4年後に起きたバスジャックは30分で解決している。