「失敗した!」と思っても引き返せない…「元NPBの名審判」が語る“古田・岡田元監督退場劇”の裏側
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「阪神の岡田元監督」を退場させた訳
私は岡田彰布元監督(阪神)も退場させています。’07年8月16日、阪神― 中日戦(京セラドーム)。阪神1対3で迎えた8回裏無死満塁の攻撃でした。
1番・鳥谷敬選手(阪神)のゴロを荒木雅博二塁手(中日)が処理して、井端弘和遊撃手(中日)が入った二塁に送球。私は「ヒズアウト!(He is out!)」のコールの瞬間、「ああ、失敗した……」と後悔しました。正直に言ってしまえば、明らかなミスの自覚があったのです。
9番投手の代打で四球出塁した藤原通選手(阪神)の足が思いのほか速かったのは、私の危機管理不足でした。とはいえ、いったんコールした以上、「判定を変更します」とは言えません。
ものすごい勢いでダグアウトを飛び出してきた岡田監督が、二塁塁審の私の体を突いたので、私は退場を宣告しました。これはアウト、セーフの真偽の問題ではなく、「審判員への暴行」を理由とした退場です。
このあとの落合博満監督(中日)は極めて冷静でした。ダグアウトからゆっくりと出て来て、髙橋聡文投手(中日)に「落ち着けよ」。それだけ言って戻って行きました。試合は問題のプレーのとき1点が入り2対3、そのまま阪神は敗れました。
この試合の一塁塁審は╳╳審判員でした。私がミスを犯した試合のことで不謹慎ではありますが、鮮明に記憶に残っているのは、こんなエピソードがあるからです。その試合、一塁でいろいろなクロスプレーがあって、╳╳審判員も阪神応援団にけっこうヤジられていました。
「お~い╳╳、今のはセーフやろ!」
いちいち反応していたらキリがないので╳╳審判員は聞こえないふりを装っていました。
「╳╳、チャック、社会の窓があいてるぞ!」
╳╳審判員は思わず下を向いて確認してしまったのです。
「さっきから知らんぷりしやがって。しっかり聞こえてるじゃねえか!」
その試合の2か月前、’07年6月8日の阪神―オリックス戦(甲子園=セ・パ交流戦)の岡田監督の「審判員への暴行」退場は、現役時代も通じて初めてでした。この「日本人監督の同一シーズンに複数回の退場処分」は、セ・リーグ初の出来事でした。
当時は「竜虎の時代」と呼ばれ、’03年から阪神と中日が交互に覇権を握っていました。それだけ緊迫した試合が続いていたということなのでしょう(’07年は巨人が優勝)。
さかのぼること、’05年9月7日の中日―阪神戦(ナゴヤドーム)、阪神3対1で迎えた9回裏の守り、本塁クロスプレーの微妙なタイミング。抗議した岡田監督を止めるために間に入った平田勝男ヘッドコーチ(阪神)が「審判員への暴行」を理由に退場処分になり、岡田監督は選手をダグアウトに引き揚げさせました。
18分の中断後、試合再開。阪神は同点に追いつかれ、一死満塁。そこで岡田監督が久保田智之投手(阪神)に叱咤激励した言葉は、’05年阪神優勝のターニングポイントとして有名です。
「メチャクチャやったれ! 負けてもオレが(責任)取ったる」
久保田投手は連続奪三振。延長11回表に中村豊選手が勝ち越し本塁打。試合後の落合監督は「監督で負けた。以上」と語りました。
阪神はここから一気に6連勝し、87勝54敗5分(勝率・617)、2位・中日に10ゲーム差をつけ、2年ぶりの優勝を果たしたのです。それにしても「静の落合、動の岡田」と、セ・リーグを代表する対照的な2人の監督でした。
通算2902試合をジャッジし、NPB初代審判長なども務めた元プロ野球審判員の井野 修氏が現役時代のことを赤裸々に語った最新書籍『プロ野球は、審判が9割 マスク越しに見た伝説の攻防』(幻冬舎)が発売中だ。
- 取材・文:井野 修
- PHOTO:共同通信社