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「いじめがなくならなくても子どもを救う方法はある」 北澤毅・立教大学名誉教授 <いじめ問題の解決法【1】>
立教大学名誉教授の北澤毅さん(北澤さん提供)

「いじめがなくならなくても子どもを救う方法はある」 北澤毅・立教大学名誉教授 <いじめ問題の解決法【1】>

「いじめ」が社会問題化してからおよそ40年が経過したのにもかかわらず、なぜ「いじめ問題」はなくならないのか。

学校のいじめ問題が専門の立教大学名誉教授の北澤毅さんは「<いじめ>がなくならなくても<いじめ問題>をなくす方法はある」と指摘する。その意味するところは——。

以下、北澤さんの寄稿をお届けする(全3回の1回目)。

<はじめに>

「いじめ」が社会問題化してからおよそ40年が経過します。これまで、「いじめ自殺」に象徴される様々な悲劇が繰り返されるたびに、「いじめ防止対策推進法」の制定など様々な対策が講じられてきました。

しかし、そうした努力にもかかわらず、「いじめ問題」は解決に向かうどころか、ますます混迷の度合いを深めているように思えてなりません。

なぜこのような状況が続いているのでしょうか。

こうした問いに正解はないのかもしれません。もし正解があるなら、とっくの昔に「いじめ問題」は解決していたはずですから。

では、正解がないなら諦めるしかないのかと言えば、もちろんそういうことではありません。まだまだ試みるべき方法はいろいろあるように思います。

そこで本稿では、これまでの「いじめ対策」のなかでほとんど語られてこなかった解決策について考えてみたいと思います。

その1つは、「いじめをなくすために学級制度を変えてみる」という対策です。

その理由については後述しますが、とはいえ本稿では、学級制度改革問題について正面から論じることはしません。その理由は、学級制度を変革しようとすれば長い時間がかかるでしょうから、今現在いじめで苦しんでいる子ども達の助けにはなりそうにないからです。

そしてもう1つは、これから述べる本稿の考え方に納得できるならすぐにでも実行可能な対応策になります。

それを簡潔に言えば、「<いじめ>がなくならなくても<いじめ問題>をなくす方法はある」ということになります。それはどういう方法なのか、その具体像を丁寧に論じることが本稿の目的になりますが、そのためにもまずは、私からみなさんへの質問です。

なぜ、いじめられている子は「恥ずかしい、苦しい、孤独だ」と思うのでしょうか。

このような素朴な質問をすると、「いじめられるからに決まっているではないか。だからいじめをなくさなければならないのだ」とお叱りを受けそうです。

確かにそれが正論ですし、いじめをなくす努力は必要です。しかし、だからといってすぐにいじめがなくなるとは思えません。これもまた多くの人が思っていることではないでしょうか。

なにより、いじめの渦中にいる子ども達がそう思っているに違いありません。「いじめなんてなくなるわけがない」と。しかし、そのことをはっきりと口にする人はあまりいません。

なぜでしょうか。いろいろ理由は考えられますが、なにより「いじめがなくならないといじめ問題は解決しない」と思っているからではないでしょうか。

しかし、「いじめはなくならないかも知れないが、いじめの苦しみから子どもを救い出す方法はある」ということになれば、状況は劇的に変わるかもしれません。

<【1章】「いじめ」がなくならなくても「いじめ問題」は解決できる>

「いじめ問題」の最大の悲劇が「いじめ自殺」であることは誰もが認めると思います。ただ、それほど頻繁に起きているわけではないという報告もあります。

文部科学省が公表している統計「児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査」によると、「いじめ」に関連した自殺件数は、▽2020年は小学生1名、中学生5名、高校生6名▽2021年は小学生0名、中学生4名、高校生2名▽2022年は小学生1名、中学生4名、高校生0名ーーとなっています。

こうしてみると、思ったより少ないと思う人もいるかも知れません。あるいは、公式統計に反映されていない「いじめ自殺」が他にもあるのではないかと考える人もいるでしょう。

実際、この調査の数値は、「保護者から自殺した児童生徒に対していじめがあったのではないかとの訴えがあった」場合や「自殺した児童生徒に対するいじめがあったと他の児童生徒が証言していた」場合などの事例を数え上げたものですので、暫定的な数値とも言えます。

とはいえ、何を持って確定的な数値とするかはそれ自体解釈の余地が大きく難しい問題です。そればかりか、毎年、自殺した事情が「不明」となっている割合が50%~60%に達していることも注目です。

これらのなかにも「いじめ苦」を動機とした自殺が含まれている可能性は否定できませんので、いずれにせよ正確な実態は分からないということになります。

ただいずれにせよ、「いじめ自殺」が「いじめ問題」の深刻さを象徴する悲劇であることに変わりはないと思います。

そもそも、「いじめ問題」が社会的に注目され始めたのは、1985年1月に発生した水戸市中学生自殺事件が、「死を呼ぶいじめ」という見出しのもと朝日新聞で大きく報道されたことがきっかけです(この事例については(5)で詳しく論じますが、「いじめ問題」成立の歴史については、私の著書『「いじめ自殺」の社会学』(世界思想社、2015年)が参考になると思います)。

それから40年近くが経過しますが、「いじめ問題」解決の方向性はまったく見えてこないように思えてなりません。こうした状況を打開するために求められるのは、なによりもまずいじめで苦しんでいる子ども達を希死念慮や孤独感から救い出すことです。

そのためには、「いじめがなくならなくても子ども達を救う方法はある」という考え方に基づいた具体策を早急に示す必要があります。

ただ、このような考え方には馴染みのない人も多いでしょうから、なぜそう言えるかを丁寧に論じたいと思います。

<【2章】いじめがなくならない理由>

2(1)いじめられる側にも原因がある?

いじめがなくならない理由とは何でしょうか?

「いじめ自殺」とはいじめが原因で自殺をすることですから、いじめがなくなれば「いじめ自殺」がなくなり「いじめ問題」は解決するはずです。そうなれば一番良いのですが、はたして学校からいじめをなくすことはできるでしょうか。

日本の小中高等学校の多くは、同年齢の子ども達30人前後で学級集団を形成しています。私を含めた大人達が自分の子ども時代を振り返れば、「みんな仲良くしていたわけではない」ことを認めざるを得ませんし、今の子ども達の多くも「みんなと仲良くなんて無理」と心のなかでは思っているかもしれません。

実際、このような子ども達の心情は、近年の調査結果からも見て取ることができます。

例えば、大津市が2016年に実施した小中学生を対象としたいじめ調査では、市内の小中学生の94%が「どんな理由があっても、いじめは絶対にいけない」と答えています。

これだけを見ると素晴らしい結果と言えそうですが、同時に、およそ6割の児童生徒が「いじめられる人にも原因がある」と答えています。

つまり、大津市内の半数をこえる小中学生が「どんな理由があっても、いじめは絶対にいけない」けど「いじめられる人にも原因がある」と考えているということになります。

みなさんはこの調査結果をどう思うでしょうか。

一見すると矛盾する気持ちを同時に抱くのは子どもだからではないか、あるいはたまたまの調査結果に過ぎないのではないかと思う人もいるかも知れません。

しかし実は、似たような調査結果は他にもあり、子ども達ばかりか大人達もまた同じような考え方をしていることが報告されています。

そうだとすれば、いじめがこれほど深刻な問題になり様々な取り組みがなされているにもかかわらず、それでも「いじめられる人にも原因がある」と考える人がかなりの割合で存在し続けているということになります。

この問題をどう考えたら良いでしょうか。

2(2)人間と集団の関係について

「人間は社会的動物である」と言われるように集団を作ってしか生きていけない存在です。そして、集団内部の人間同士のトラブル(いじめ、犯罪、権力闘争など)や、内部の人間と外部の人間とのトラブル(侵略、戦争など)を通してしか、人間はお互いの集団を維持していくことができないという悲しい側面を持っています。

つまり、「いじめられる人にも原因がある」という考え方は、自分達とは異なる他者をいじめることで排除し、「異質でない私達」だけでまとまろうとする動きと深く関連しているのです。

ほとんどの人は、いじめや犯罪や差別などなくなれば良いと願っているはずです。

しかし歴史上、これらがなくなることはありませんでしたし、残念ながらこれからもなくならないと思います。

むしろ、犯罪や差別は、社会の存立にとって不可欠の要素になっているというのが、集団や社会の成り立ちを学問的に研究する時の基本的な考え方です。

ただし、誤解のないように急いで補足しておきますが、だからといって犯罪や差別があっても良いと言いたいわけではありません。

そうではなく、なぜ社会の存立にとって犯罪や差別が不可欠の条件であり続けてきたのかを理解することなしに、これらの重い問題に立ち向かうことなどできないということです。

つまり、「いじめをなくせ」と叫ぶのは簡単ですが、それだけでいじめをなくすことなどできないということです。

ところで、「学級集団がいじめ(や発達障害)を生み出す」という仮説はそれほど目新しいものではありません。

実際、このような仮説にもとづいて斬新な建築様式を取り入れた学校や異学年学級集団を試みる学校が、一部の私立や公立の小中学校で登場し始めています。

しかし、すべての学校で学級制度を変革できるかどうかは分かりませんから、「いじめられるくらいなら学校に行かない」というのも有力な自己防衛策の一つになると思います。

とはいえ、不登校という選択が認められつつある現代においても、大人ばかりか子ども達の多くも「学校に行くべきだ」と考えているように思います。

実際、いじめられて苦しいと思いつつ学校に通い続けることで深く傷つくばかりか不登校することでも傷つき、最悪の場合、自死してしまう生徒がいるという状況がずっと続いています。

そしてだからこそ、「いじめはなくならないかもしれないがいじめ問題は解決できる」という考え方が重要になってくると思っています。

もちろん、いじめをなくそうとする努力を否定しているわけではありません。

しかし、いじめはいつなくなるか分かりませんから、いじめをなくす努力と同時に、あるいはそれ以上に、「いじめられて苦しい」「いじめられて孤独だ」という思いを生み出すメカニズムを解明し、その苦しみから子ども達を救い出す方法を考え実践する必要があるのではないかということです。

その時重要となるのは、「いじめ苦や孤独感とは意味の苦しみである」という考え方なのですが、だからといって「苦しいと思うかどうかはあなたの気持ち次第」などと言いたいわけではありません。

このような誤解を防ぐためにも、「意味の苦しみ」とはどういうことかを丁寧に説明したいと思います。

【著者】 北澤毅(きたざわたけし) 1953年 茨城県つくば市生まれ。茨城県立土浦第一高等学校卒業。東京大学教育学部学校教育学科卒業。筑波大学大学院博士課程終了。日本女子体育短期大学専任講師、立教大学文学部教授を経て、2019年4月から立教大学名誉教授。 専門は、教育社会学、逸脱行動論。主な著書:『少年犯罪の社会的構築』東洋館出版社、『文化としての涙』勁草書房、『いじめ自殺の社会学』世界思想社、『教師のメソドロジー』北樹出版、『囚われのいじめ問題』岩波書店など。

この記事は、公開日時点の情報や法律に基づいています。

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