走行中の新幹線 ひかり109号博多行が 時速80㎞以下になると爆発する 爆弾を仕掛けたと電話があり、時間制約の中で 身代金受取を計る犯人と 事態解決を願う国鉄・犯人逮捕を目指す警察との攻防を描いた アクション映画です。
冒頭 過激派学生崩れの 古賀勝(山本圭)は 深夜夕張駅構内へ忍び込み、
翌日 追分行の貨物列車に 電磁式速度計と 電気信管起爆式爆弾を仕掛けます。
翌朝 リーダーの沖田哲男(高倉健)に 報告電話をすると、爆弾入手相手の 藤尾(郷鍈治)が 逮捕されたことを知らされます。
続いて 東京駅新幹線ホームが映り
ここで清掃員のバイトをしている 大城浩(織田あきら)は、ホームへの階段途中にある ドアへゴミ籠を入れる時
博多へ護送される藤尾と目が合い、うらめしそうに藤尾は大城を階段の上までにらんでいます。
そして 新幹線ひかり109号運転室では 青木運転士(千葉真一)が 列車種別設定を超特急に合わせ
列車番号設定を109にして、新幹線総合指令所に 電話報告して 定時発車指令を受け 発車しました。
ひかり109号が 新横浜駅を通過した頃 沖田は国鉄本社へ電話し、鉄道公安本部長の 宮下義典(渡辺文雄)は 沖田の話を聞いて 幹部職員と対処方針を協議します。
そして 青木運転士に状況を伝え 沖田が同じ爆弾を仕掛けた 夕張発貨物5720レ追分行は 夕張~紅葉山が ノンストップなので、途中駅での タブレット交換時に 伝文で退避指令を伝えました。
タブレットキャリアに添えられていた「速度が 15㎞/hまで下がると 爆弾が爆発する」との伝文を読んだ 機関助士(宮地謙吾)は、直ぐに機関士(畑中猛重)に渡すと「この先の上り坂が危ない 飛び降りろ」と言われました。
キャブの左右から 二人が飛び降りると 15㎞/hまで下がった列車の 最前部無蓋車の 台車に仕掛けられた 爆弾が爆発し、
脱線した機関車は 暴走の上に 沿線の小屋に激突し 更に大爆発してしまいました。
北海道からの報告を聞いた 運転指令長の倉持(宇津井健)は 速度を120㎞/hまで落とす様指令しますが、
前を行くひかり157号が 故障で停車したので 浜松駅で上り線へ迂回する作戦を伝えます。
ところがすれ違う筈の 上りひかり20号も 接近しているので、
回送に種別変換し 速度を90㎞/hまで落とし 手前で一旦120㎞/hまで上げて 浜松駅手前でATCを切って 惰性で分岐点を通過 上り線に入ったら 非常ブレーキが解除されるので 速度を戻す作戦とします。
浜松駅手前の 分岐点には職員が待機し 上りひかり20号が通過直後に
手動でポイントを切り替え、下りひかり109号は スレスレで 上り線へと転線し
ひかり157号を回避して 無事 豊橋で元に戻れました。
その後 500万弗の 身代金受け渡しは、警察の失態で 大城が死亡して不成功。続いて身元の割れた 古賀は自宅捜査に続いて
路上で見つかり 都営三田線車庫で 接近する列車の直前を 走り抜けたので 逃げ切ったと思った時
刑事に撃たれ、足を引きずりながら ホームへ上がり 電車で逃げることができました。
二度目の受け渡しは成功して 沖田は爆弾の位置と 撤去方法の図面を 預けた喫茶店を知らせますが、刑事が駆け付けると 火事で燃えてしまっていました。
国鉄も台車が怪しいので 橋梁下部から 投光器とハイスピードカメラで 撮影検討の結果、爆弾の位置が判明したので ドア外から除去を試みますが失敗。
デッキ下の ゴミ箱横の鉄板を 切り取れば手が届くので、救援車を並走させて 酸素溶接機を送り渡して 焼き切る作戦を試みます。救援列車が追い付き
渡り板とロープで、アセチレンボンベと 酸素ボンベを送り成功しました。
そして ゼロ地点と決めた 山口県小月に無事停車し、待ち構えた消防隊や国鉄職員が 喜び駆け寄る姿があります。
PS.
1枚目の画像は 秩父鉄道広瀬川原車両基地で 照明車を持ち込み、社紋等にテープを貼って 撮影したそうです。なので 夕張の設定なのに、セキ等の運炭車がありません。
3枚目の画像では 当時の東京駅新幹線ホームが 映っていますが、16~19番線の4本しかなく 既に増線工事が始まっています。4枚目の画像は 懐かしの、パタパタ案内板ですね。
5枚目の画像では ホームまでの階段途中にある ゴミ置き場への通路への 扉を開けた場面で、丁度レールと 同じ高さなのが 分かるシーンです。6枚目の画像の後 レール脇の通路に出て、映像はありませんが この後通路から台車に 爆弾を仕掛けたのでしょう。
12~15枚目の画像のロケは 北海道炭礦汽船 真谷地炭鉱専用線で行われ、12枚目の画像は 旅客営業時代の 清真台駅跡で 行われた様です。
16・17枚目の画像のロケは 佐藤監督の拘りで 3か月前に廃線となった 旧夕張鉄道鹿ノ谷~若菜(当時は化成工業所専用線)で 1975年6月8日に行われ、地元新聞夕刊に 爆破シーンの写真と共に 記事が掲載されています。
爆破された 9600形蒸機は 12~15とは別の 旧夕張鉄道の廃車となっていた 無火の21号機で、+無蓋車3輌+有蓋車をDLで押しての 推進運転で行われました。こちらはスノープロウがあり、テンダーも違いますね。
専門業者に依頼して 爆薬を使ったロケでしたが 重い96はビクともせず、脱線して 線路わきに立つ枕木をバタバタ倒し 火薬庫に突っ込んで 大爆発した設定に変更し、火薬庫に見立てた 小屋をレールの上に建てての 撮影だったそうです。
4・9・10枚目の画像は 東京駅での盗み撮りですが、11・19・20枚目の画像は 沿線から撮影した映像です。22枚目の画像は スレスレの すれ違いシーンですが、レンタル代が 一日100万円の シュノーケルカメラを 映画では国内で初めて使って 撮影されました。
8・18枚目に映るCTC指令所のセットは 国鉄の協力が絶望となったので 無名の外国人役者を ドイツの鉄道当局技師として 見学申請したらOKとなり、美術監督が通訳として同行し 隠しカメラで撮った写真から作ったそうです。しかし公開後に 巨大なパネルが 左右逆になっていると 指摘されています。(分かり易い様に、あえて実在の東京→博多の向きに合わせて右→左としたそうです)
24枚目の画像は 都営地下鉄三田線志村車両検修場での 6000形ですが、続いての 去り行く電車シーンは 西台駅での撮影です。
タイトルは 新幹線大爆破で 実際には爆破されませんでしたが、心配する倉持の想像場面で 爆破シーンがごく短時間あります。
後に 鉄道ジャーナル誌で、「ポイントの接近鎖錠と 保留鎖錠が無視されている」「新幹線の東京~博多の営業キロは 1176.5㎞だが 実際の距離は 1069㎞なので、営業キロを基に計算していると 1時間以上前に博多に着いてしまう」等々・・・色々指摘されています。
公開して 営業的には不振でしたが フランス他 海外では好成績で 黒字作品となり、1975年キネ旬7位でしたが キネ旬読者選出では1位となっています。
参考 : キネマ旬報1975年7月上旬号 映画撮影№58 鉄道ジャーナル1975年10月号 週刊現代・・・・・
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