毎朝7時過ぎ、NHKの朝ドラをみています。昨年末までの月給取りのころは、朝の時間はあわただしく、前の「カーネーション」をみたのは年明けの後半だけでした。いまは時間に恵まれており、NHK-BSで7時15分から「ゲゲゲの女房」の再放送と、続いて開業医「梅ちゃん先生」を毎日楽しんでいます。時間は様変わりしました。
つい先日のこと、往診に行った梅ちゃんが病に臥す老人、早野の脈をとってこういいました。
「ご臨終です。みなさんに囲まれて、(早野さんは)幸せな最期だったと思います」
早野の最期が「幸せ」だったのは、梅子先生の力が大きい。早野がかつて勘当したひとり娘が実家に孫を連れて戻り、息を引き取る父親の最後にもそばに寄りそい母娘孫ともに父の手を握りしめた。梅ちゃんの尽力があったからこそ、親子和解の「幸せ」です。
さてこのシーンでは、「幸せな最後」であって、サチとかサイワイとか幸福とかの言葉は、この場面にはそぐわないのではないでしょうか。「シアワセ」がいちばん似合うように思えてなりません。
「シアワセ」「幸せ」「仕合わせ」「為合わせ」とは、どのような意味を本来持っているのでしょうか。
現代の日本語辞典をみてみます。
「しあわせ」為合・幸・仕合 「しあはす」の名詞形
①めぐりあわせ。運命。良い場合にも悪い場合にもいう。
②良いめぐりあわせ。幸運。
③事のなりゆき。事の次第。
④事のしよう。しかた。
⑤運が向く、幸運にめぐりあう。
梅ちゃんのいう「シアワセ」は、良いめぐり合わせ、結局は恵まれた運命、良いように結実したこれまでの成り行きなどとして用いた「仕合わせ」なのでしょう。
いまでもたまに「幸せがよい」とか「幸せが悪い」と聞くことがあります。もともと「仕合わせ」は良くても悪くても、運命なり成り行きとして使った言葉です。それが江戸時代にだんだんと、現代語の「幸福」の意味が強くなっていくようです。元禄時代の井原西鶴『日本永代蔵』(1688)や『世間胸算用』(1692)には、たびたび「仕合わせ」「幸い」が出てきます。どうもいまの幸福に近い用法です。西鶴のことはいつか書きたいと思っていますが。
関が原の合戦の直後、1603年にイエズス会の宣教師たちがつくった『日葡辞書』は貴重な史料です。「仕合わせ」も載っています。
「Xiauaxe」 シアワセ (為合せ)
好都合、よい折り。またはよい結果、あるいは悪い結果。
「Xiauaxe,suru,eta」 シアワセ,スル、セタ (為合せ,する,せた)
物と物を整え合わせる。あるいはぴたりと合わせる。
(裏と表を為合はする)
着物の表地を仮縫いする。裁ち合わせる。または、きちんと会うようにする。
西鶴作品の百年ほど前、安土桃山時代の日本人が用いていた語「仕合わせ」「為合せ」は、どうも着物の仮縫いから生まれたもののようで、物の表裏がうまく合うように願うことから来た言葉と考えられます。
ぴたっと合えば「仕合わせが良い」。そうでなければ「仕合わせが悪い」。本来の仕合わせは、現代でいう「幸福」では、どうもないのです。良い幸せが幸福なのでしょう。
平安時代後期から鎌倉時代の辞書『類聚名義抄』には「シアワセ」は載っていません。同書には「サイワイ」はたくさん記されています。またサチとサキは「幸魂」(サチ・サキ・タマ・ミタマ)に出る。「幸福」は名義抄にも日葡辞書にも西鶴にも見あたりません。
サイハヒ(さきはひ)サイワイとサチ・サキはかなり古い語で奈良朝以前から使われていた。そして「仕合わせ」はどうも室町時代にはじまり、語「幸福」は上田秋成『雨月物語』(1776年)からはじまるようだ。断定はまだまだできませんが、近ごろそのように思っています。
<2012年8月11日 南浦邦仁>
梅ちゃんは面白いんだけど、松岡くんが突然留学したり、世良さんの町医者が突然死んだり、唐突な展開ですなw
:ゲゲに出てくる「ゼタ」は「ガロ」なんですよね?
殺されたり(自動車事故)、国外追放になったり(彼女を捨て)、涙ながらに妾になったり(恋人を捨て)、焼け跡から少年は叔父伯母の田舎に去り(一度も帰って来ない)・・・
これまでに出演した俳優さんののべ人数(役名のある方)は、朝ドラ史上、新記録を更新しているのではないでしょうか?
集団就職で来た文学好少年には隣り合わせの両家の和合幸せのために、いつまでも留まってほしいですね。
それと「ガロ」でしょうね。あの才女には、なかを取り持って活躍してほしいです。ところで増築増築の水木家ですが、
梅ちゃんのシナリオもこんな風に追加修正の大構築なのでしょうか?
また現代のことば「仏女」、すごく良かったですね。仏像を見る目がかわりそうです。