中学生という人生で最も地獄を味わったほろ苦い時代
今年最後の記事が暗いテーマで終わってしまうのもどうかとは思うが、だからと言ってわざとらしいポジティブ信仰を押し付けるつもりは全くない。
まさかのタイミングで元国民的アイドルのスキャンダルがしくじり先生として語られる日が来るとは思わなかったが、私は加護亜依のスキャンダルを見ると今でも思い出したくない悲惨な中学時代を思い出す。
信じられないかもしれないが、私も実は中学3年生の頃、悪友に唆されたのもあってか1度だけタバコを蒸したことがあり、両親から説教されたことを覚えている。
それこそ、学校では俺の1つ上の学年の先輩がとんでもないワルの学年だったこともあり、その影響をダイレクトに受けたのが私の学年だった。
そのせいか、私の学年は異様なまでにまとまりが悪く、なおかつ私は今でも思い出したくない憎きイニシャルT・U、N・Y、T・Nの3人に執拗ないじめを受けていたことが脳裏に過ぎる。
今となっては本当にくだらないことなのだが、本当にしょうもないことで私の足を引っ張ってこようとする彼らの存在が私は今でも全く許せない。
これはもう癒えることのない痛み・傷であり、それこそ今大人になって彼らと再会するような可能性が万に1つでもあれば、それこそ法律を犯さない程度には彼らが再起不能なほどの報復をするだろう。
それくらい、私の彼らに対する憎悪は心の奥底にこびりついているし、もっといえばあんな地獄みたいな環境でよく3年間も腐らずに頑張れた方だと自分で自分を褒めたくなる。
もちろん苦悩しなかったわけじゃないが、私の場合は彼らから受けたフラストレーションを全て勉強や好きなゲームなどにぶつけて消化していたし、肉体では負けても口では結構言い返していた。
揚げ足取りはもちろんだが、自分が負けていると分かっていても必死に相手にくらいつき、言葉の刃を研ぎ澄まして「性根が芯まで腐ってるお前らの方が救いようがねえよ」とまで言い返し、激昂させたほどだ。
まあ何せ私は実の両親にさえ「くたばれ」なんて言ったことがあるくらい、相手が誰であろうがムカついたら容赦ない言葉のナイフをぶつけて心を抉るというとんでもないことをしていた。
「口は災いの元」という言葉の意味を熟知した上で、私は自分に害を成す、あるいは成そうとする者に対しては無視を決め込み、それでもしつこく来る場合には徹底的に言い返せなくなるまで詰める癖がある。
大人になった今ではそんなことを(少なくとも公私の双方において)することはないが、私のようにその尖をうまく発散する方法が加護亜依には見つからなかったのだろう。
これは決して「国民的アイドルだったから」という免罪符で逃げられるものではない、なぜならばモー娘。の他の女の子だって年齢も環境も似たところにいたのだから。
彼女の場合はその辺りの複雑な思春期の心情の揺れ動きに対して冷静沈着に客観視した上で対処する術を知らず、それが2度の喫煙による懲戒解雇をはじめとする数々の奇行となって現れたのではないか。
まして女の子だから、激情をうまく理性でコントロールして強さへと昇華しする器用さもなく、間違った悪への憧れや奇行へと走ってしまう方向へ行ったのだろう。
私がなぜ加護亜依と違って「大人への憧れ」とか「ワルってかっこいい」とか思わなかったかというと、そもそもワルはどこまで行こうとワルだし周りの大人は全然カッコよく見えなかったから。
大人なんて嘘ばっかり、子供には「早く寝なさい」なんて言いながら自分らは酒とおつまみやってるし、私の父に至っては真夜中に映画見たりドクターマリオを馬鹿みたいに繰り返したりしていた。
大人だというのに子供よりも節制しない生活ばかりしていたし、自分は勉強まともに教えられないくせに子供に対してうるさく「勉強しなさい」というお説教をかましたりしていた、すなわち「言ってること」と「やってること」が全く一致していない。
しかし、ではなぜ芸能人に憧れを持たなかったかというと、テレビの向こうの芸能人は現実に存在しようが所詮は「虚像」であって、テレビで見せているのは綺麗な面だけでしかないことを知っていたからである。
思春期にしてそんな可愛げのないことを思っていた人間だったから、誰かを神聖視や神格化することをしなかったし、大人だけではなく誰に対しても何に対しても「憧れ」を抱かない人だった。
周りからは「そんなにひねくれてて楽しい?」「変わり者だね」と言われていたが、私は別にそれが自分にとっての普通だったし、この妙に自分のことも周囲のことも客観視してしまう部分は昔からあったのかもしれない。
だからか加護亜依を見た時も、根拠らしい根拠もないのに「こいつ、いずれどこかで落ちるな」と思っていたら見事に落ちて、後藤真希も本人は問題なかったが、彼女の場合は弟をはじめとする家庭環境が悲惨だった。
私は昔からその人の第一印象からある程度「あ、この人はこうなるな」というのが占い師やエスパーでもないのにどことなく見えてしまう直感力のようなものがあって、それが妙に冴え渡るところがある。
実際、小学校時代神童と言われた子が中学校以降で落ちぶれていった時も「やっぱり」としか思わなかったし、私を中学時代にいじめていた奴らは全員その後見事に底辺を這いつくばる人生になった。
中学時代の同窓会の誘いが一回だけ来たことがあったし、成人式の招待も来たが私は全く顔を出さなかったのはそういう足を引っ張っていたクズどもの末路なんぞ見たくも知りたくもなかったからである。
所詮は学校という名の託児所に集められただけのどうでもいい存在であって、そんな豚箱みたいなところにいた犬畜生未満の存在と同じ空間にいると思うだけで反吐が出るくらい胸糞悪い。
幸い、そんな私にもかけがえのない親友と呼べる人はいたから救いはあった方だったが、でもその親友と話しているのは「最悪の中学時代だったな」ということだ。
まあもっとも、そんな時代を経験したからこそ、自分の力を無闇矢鱈と無辜の者に向けて誇示するようなダサい真似はしないと決めて、それをずっと貫いてきた。
だから反感を買うような記事を書くことはあっても一線はギリギリ守っているし、それがあればこそこんなめんどくさい性格でも生きてこられたのだろう。
そんな過去はもうどうでもいいのだが、今では本当に少しずつ自分の人生がどんどんいい方向に好転していってるし、そのためには自分の悲惨な「こうなりたくない」の時代も味わう必要がある。
絶望や悲しみを経験することも人生には必要、痛みのわからない人間にだけはなってはならないと戒め、今年の締めくくりの記事としよう。
みなさま、本年誠にありがとうございました。
良いお年を。
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