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『海賊戦隊ゴーカイジャー』(2011)で生じた歴史の歪みと後世に招いている誤解

スーパー戦隊シリーズの歴史について今改めて勉強・研究をしているわけだが、やはり何度見ても拭えない違和感が『海賊戦隊ゴーカイジャー』(2011)である
近年は「帰ってきた」「10YEARS」のような周年別のお祭り企画があったり、なんか元戦隊ヒーローのOBOGがSNSで作品の枠を超えた横のつながりを持ち、作品愛をアピールするようになった。
そのせいか知らないが、特に『海賊戦隊ゴーカイジャー』(2011)以降は公式自ら「スーパー戦隊シリーズは壮大で奥深い歴史があるシリーズなんです!」とシリーズの歴史を擦り倒して安売りしている。
思えばある時期以降、スーパー戦隊シリーズの質が目に見えて劣化していっているのはこの辺りのことも少なからず悪影響を及ぼしてしまっているのでは?と思えてならない。

何が気持ち悪いといって、今のスーパー戦隊シリーズは「作品」としての外に目を向けると、まるで大学の部活・サークルの同窓会みたいな空気をSNSでこれ見よがしにアピールしていることだ。
はっきりいって見苦しいことこの上ないのだが、私が「10YEARS」「帰ってきた」「VSシリーズ」などを映像作品として感想・批評をなるべく書かないようにしている最大の理由はそこにある。
別に役者同士が作品の枠を超えて繋がりがあるのは構わないのだが、そういうのはファンの目につかないところでプライベートにこっそりやっていればいい話なのだ。
それを東映側の版権の許諾も得ているかわからない状態で(おそらくいただいているとは思うが)、いつまでも「〇〇役を演じました」アピールをされても鬱陶しいだけである。

今だからこそ改めて言わせてもらうが、私ははっきり言って「ゴーカイジャー」を未だに歴代スーパー戦隊の輪に加えられない理由は戦隊OBOGのビジュアルと演技力の劣化にあった。
現役で役者を続けている人はともかくそうでない人はもはや現役で戦隊に出ていた時の輝きなど皆無であり、「10YEARS」を見ないのも「ゴーカイジャー」のトラウマがあるからである。
しかも脚本の上では原作となる作品の設定や話の上辺だけを理解した上でのファン向けに適当にお茶を濁したような安い後日談であり、いくら「公式が同人」とはいえ違和感は付きまとう。
ただ、これはあくまでも「タイムレンジャー」までの戦隊を原体験として持っている古参ファンの意見であり、リアルタイムで見た子供達にとってはこれが全てなのだから、そこは多少なり我慢しよう。

しかし、「ゴーカイジャー」という作品並びにそれを媒介として作られた戦隊OBOGの行動が確実にスーパー戦隊シリーズの歴史を歪めてしまったことは厳然たる事実としてある。
どう歪んだかというと、まるでスーパー戦隊シリーズが「縦社会」のような繋がりを持って作られてきたかのように「ゴーカイジャー」で捏造されていることだ。
歴代の先輩方がゴーカイジャーのメンバーに対して威張り散らして「試練」だのを与えている様を見ていると「体育会系の部活か!」という風に思えてならない。
平山亨P時代の昭和ライダーシリーズじゃあるまいし、そもそも歴代のスーパー戦隊シリーズの歴史は決してそのような縦の歴史で発展してきたものではないのだ。

どういうことかというと、今でこそスーパー戦隊シリーズの第1作目は『秘密戦隊ゴレンジャー』(1975)と定められているが、これは「タイムレンジャー」最終回後のスペシャルによる後付けだ
少なくとも私が子供の頃はスーパー戦隊シリーズの第1作というと『バトルフィーバーJ』があったし、現に「ターボレンジャー」1話で歴代戦隊が勢揃いした時は「ゴレンジャー」「ジャッカー」はいなかった。
また、コアなファンなら誰もがご存知だが、スーパー戦隊は一度『ジャッカー電撃隊』(1977)の打ち切りがあったことと『バトルフィーバーJ』(1979)の放送開始とに直接の関連性がないという断絶がある。
これが歴代戦隊を語る上でのややこしさにも繋がっていて、「バトルフィーバーJ」は正式には東映版『スパイダーマン』の文脈が根強くあり、巨大ロボが実験的要素として加えられたのもレオパルドンが人気だったからだ。

そしてその後『電子戦隊デンジマン』(1980)で「ゴレンジャー」に準じたフォーマットに戻し、以後手を替え品を替え何となく時代の推移と共にここに至っただけで、そこには偶然や運の要素もとても強い
しかも1つ1つの作品において戦士がどういう動機で戦うのか、チームワークや関係性の表現はどうするのかというのも一作ごとに違っているために、継承される要素とそうでない要素も作品毎で大きく違う。
少なくそも『ウルトラマン』(1965)の「地球は人類の手で守ることが大事」とか『仮面ライダー』(1971)のような「孤独を抱えた異形の怪人」という絶対的なコンセプトはない
とりあえず3人以上はいる「集団ヒーロー」「一人一人が主役」ということさえ守れればある程度は何をやっても自由とされているシリーズであり、縦のつながりがこれといってあるわけじゃないのだ。

以前「キングオージャー」の記事を書いた時に「今のスーパー戦隊は過去の戦隊の歴史すらまともに知らない奴が作っている」と述べたが、思えばそれは「ゴーカイジャー」が大きな転換点かもしれない。
間違いなくあそこからヒーローの共演を安売りして擦り倒したり、OBOGがオンオフ問わず同窓会じみたことをしょっちゅうやるようになったことで、大学の部活・サークルみたいな空気を出し始めた。
それに加えてスタッフもきちんと過去の作品を勉強・研究もせずに直近の作品だけを見てわかったつもりになり、真正面から「戦隊」という枠に対する格闘を放棄して思考停止状態で作品を作っている
それが是正されるどころか年々暴走して酷くなってしまっているし、一見革新的なことをやっているようでいて実際は既成のレールからはみ出ない縮小再生産のエピゴーネンしか造られなくなるわけだ。

以前「ゴーカイジャー」最終回の感想で「今後特撮は衰退する」といったことを当時述べていた人を見かけたが、今思えば慧眼であったとしか言いようがない。
時間をかけてじっくりと、しかし確実に年単位でスーパー戦隊シリーズは衰退していっている、もはやかつての旨味はなく下がっていく一方であろう。

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『海賊戦隊ゴーカイジャー』(2011)で生じた歴史の歪みと後世に招いている誤解|ヒュウガ・クロサキ
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