きついことや辛いことから逃げ出したら、それは結局しっぺ返しとなる
何だか最近意識が変わったからか、こういう動画にも出会えるようになった辺り、YouTubeも捨てたものではないなと思った。
賛否両論だが私は「まだ今の世の中にちゃんとこれからの日本を憂いて行動できてる人いるんだ」と思えたし、こういう忖度なしに本音を言ってくれる人がいる限り、日本はまだ可能性がある。
逆に言えば、この動画を見てもピンと来なかったり、逆に反発したりするようではこの先生き残ることはできないという風に思った方がいいだろう。
少なくとも「自分は関係ないから」とか「こんな古臭い根性論・精神論を言ってる老害」とかそんなことを言ってるようではダメだということだ。
私は「老害」という言葉が大嫌いだし違和感しかない、そもそもそれを使っている若者にろくな奴はいなかった。
いつから「老害」なんて言葉が使われるようになったか知らんが、私がその言葉を最初に目にしたのはインターネットに触れるようになってからである。
いわゆる「KY(空気が読めない)」という言葉が一時期やたら流行っていた(私は一回も使ったことがない)時代の「厨二病」「アンチ」とかって言葉と同列のものではなかろうか。
要するに今でいう「草」「バズる」と同じで、ネット文化に毒された若者が意味をよく分かってもいないのに「周りが使ってるから」という理由で使っているのと同じだろう。
disという言葉にしたって、元々は英語のdisrespect(軽蔑する)というrespect(尊敬する)の反対語であるということを、その語源とともに理解して正しく使っている人がどれだけいるのか。
最近もソフトバンクの障害があったことについて私がポロッと「ソフトバンクは電波障害が多いイメージ」と語ったら、それだけで脊髄反射みたく「アンチっすか?」というアホな返しをしてきたソフトバンクユーザーがいた。
内心呆れた、ちょっと否定的なニュアンスの言葉を言われただけで勝手に否定していると捉えて噛み付くなんて、やってることが野生の動物とかと同レベルではないか。
でもまあこれもしょうがあるまい、デジタルネイティブなゆとり後期〜Z世代以降はそれを基準として育っているのだから、無自覚のうちにそういう感覚に染まってる気持ち悪さを自覚できないのも仕方あるまい。
まあ私は罷り間違ってもそんな気色悪いネットミームなるものに染まるつもりは1ミリもないのだが、とにかくネット文化に甘やかされSNSで放し飼いにされて育った自覚もないZ世代・α世代の輪に混じることなどない。
だから、結果としてこの動画でもまたZ世代〜α世代と呼ばれる若者たちは読解力がそもそもないから、こんな意見が飛び出す。
あるいは、年上のおじさん・おばさん世代ですらこういう言葉が飛び出す。
そう、結局根っこのところでは親の脛齧り精神丸出しの甘えが具現化したような意見ばかりで、私からすれば今までの日本はこんな救いようのない弱者に合わせていただけでしかないのだと思い至る。
そんなものは「優しさ」でも「思いやり」でも何でもない、ただの「甘やかし」「放任」「無寛容」の現れであって、だから私は耳障りのいい言葉になど惑わされずにここまでやってきた。
この動画でも語られている通り、戦後日本の中で本当に日本にトドメを刺したのは「ゆとり教育」であると今でも強く思う、あれは結局のところ何も生み出さなかった。
規制緩和と同じで、本来であれば緩めてはならないものを緩めてしまったがために、甘くしてしまったがために今の日本の体たらくがあるのだと、割とマジで思っている。
「思いやり」だの「多様性」だの「若者を労るべき」だの「学校には行かなくていい」だの「褒めて伸ばす」だの、会社で言い訳して上に媚びまくる腐った管理職と大差ないことばかりを言う。
口ではいくらでも綺麗事を言うくせに、じゃあ実態としてどうなのかというと、ただ高みの見物を決め込んで傷つかない場所にいて、世の中に対してああだこうだと不平不満を並べ立てる。
要するに会社によくいる給料高取りしているだけの使えない管理職と一緒で(こういうのを本当の老害と言う)、保守派を守り先進派を駆逐し椅子の上でふんぞりかえるのが彼らの仕事なのだ。
だからSNSで人をオジサン扱いして「働きたくない」と言って年上を「老害」扱いする放し飼いのZ世代の屑どもの本質は結局のところ「甘やかされて覇気も実力もない」という点において奇妙なまでにその老害とやらと一致するのだ。
つまり何が言いたいかというと、結果を残して最前線で頑張り続けている人を後ろ指さして笑っている奴らは自身が批判している「こんな大人にはなりたくない」のその「ダメな大人たち」と本質的に同一あるいは類似の存在だということ。
勉強でも仕事でも遊びでも何でもそうだが、一番人を動かしたいときに効果的なのは自分がお手本としてやってみせることであり、結局は「背中で示す」ことが昔も今も変わらない最も人を動かす最適な方法なのである。
しかし、SNSでくだらない馴れ合いをしてしょうもない他責思考で悪口・誹謗中傷をし続けるだけの若者たちはその事実に全く気付かない、あるいは気づいても見て見ぬふりをしているか。
なぜそんな振る舞いを続けているかというと、実際に結果の出る仕事をしたら自分が想像以上に仕事をできないことが露呈してしまうことを心のどこかで分かっているからだ。
以前に「憧れは理解から最も遠い感情である」と書いたが、理想とする人に憧れを抱くことは誰にもあることだが、大事なのはそれを「憧れ」で終わらせず「目標」にすることだ。
「目標」になるとそれがいつしか「当たり前」「普通」になってくるし、そうしていくうちにいつの間にか自分の視座=レイヤーが自然と上がる。
私がここ最近繰り返している「意識を上げる」「レイヤーを上げる」「上位6%の考え方=脳のOS」とは要するにそういうことだ。
大学受験でもそうだろう、「東大に入りだい」「早稲田慶應に行きたい」という「憧れ」で終わったり、あるいは「無理だ」と決めつけたりしているうちは全く近づけない。
しかし「ああ俺なら東大でも行ける」と思い、それを目的→目標→戦略→戦術を逆算して考え実行できる人は(合格するしないは別として)十分に東大合格の可能性はある。
東大合格を目指すなら実際に東大にはどんな人が入っていて、そこに到達するにはどれだけの合格点が必要で、その合格点に到達するにはどんな戦略と戦術が必要かを逆算して考え、それに沿って勉強する。
ところが、それが「憧れ」で終わる奴らは口では「東大合格したい」とか言ってるくせに、実際の意識や勉強の仕方はFラン〜地方駅弁大学クラスに留まっているのだから、そんなので東大合格できるわけがない。
確かに昭和時代とは違って今は根性論・精神論の時代ではなくなったかもしれないし過度のストレスは必要ないが、「成果の出る頑張り方」を意識して頑張ることは必要である。
要はその「頑張り方」さえ間違えずに結果を出せばいいだけの話だし、結局は筋トレやスポーツの基礎トレーニングと同じで、きついことを頑張らないと成長・進化はできない。
大事なことだからこの先何度でも言うが、きついことや辛いことから向き合わず逃げ出していたら、それは結局しっぺ返しとなって己に跳ね返ってくるだけで闇は増大する。
勉強も仕事も遊びも全てにおいて同じ、今自分に必要な向き合うべきことから逃げ続けていたら、底辺を這いつくばるだけの人生が待ち受けているわけだ。
まあ別にそれもそれでその人の人生だから知ったこっちゃないが、年上のやり方に文句があるのだったら、その年上を黙らせるだけの結果を自分で出せばいい。
それすらもできないくせに、義務すら果たせないくせに権利だけは一人前に出張し、含蓄の全くない綺麗事だけはいけしゃあしゃあと吐き続ける。
少なくとも、件の動画を単なる「老害の戯言」としか思えないようであれば、それは自身が他ならぬ老害と同じ穴の狢であることを白日の元に晒すだけであろう。
コメント
2記事の仰る通りで
記事には書いてはいないですがNHKのニュースで103万円の壁が崩れ来年度から123万円(19歳から23歳の大学生労働者は150万円)と報道されていて大学生の若い優秀な労働者層とも競争しなければいけないので会社が求める結果を出して上司から指摘されたり叱られたら素直に聞いて改善をして試行錯誤をして上司を黙らせる結果を出せるようにならないと本当にダメな大人になると感じています。
>伊藤さん
まあ別に、無理して嫌なことをやれというわけじゃないです。
大事なのは「成長するために必要な」嫌なこと・辛いことから逃げ出すなというだけのことで、明らかに自分に向いてないこと、適性のないことをいくら頑張ったって無駄じゃないですか。
だから、本当に自分の成長につながるしんどいこと、嫌なことを積極的に選択してやった方がいいし、そういう奴が結局は一番早く成長するんです。