12月30日に大宮競輪場の昇竜ステージで先日引退した神山雄一郎氏のトークショーが行われた。簡単ではあるが、トークショーの模様をお伝えしたいと思う。(MC:工藤わこ)
まずはじめに、どうして事前に引退をする旨を言わなかったのかについてと最後のレースとなった取手開催について
「プロなのに、甘んじてではないけど。やっぱり、神山さんが引退するんじゃ勝たせてやらないとって思われるのが、何だかちょっと嫌だったんです。何となく察する人もいたと思うんですけど、結局取手の3日間は初日は後ろの鰐淵(圭佑)君に抜かれて…。抜くんかよって(苦笑)。まぁ、2日目は中村(昌弘)君に競り込まれて…。競るなよ(苦笑)って。でも、ちょっと前の高知記念で僕が競りに行ったので、やっぱりかと。そういう風なレースがこの年までできて。最終日は最終日で紫原(政文)さんが捲ってきて…。捲ってくんのかよって(苦笑)。でも、3日間いいレースができた。そういう感じで最後なのに、助けられての1着じゃなくて、力を出し切っていいレースができたので、今となっては(引退する旨を)公表しなくてよかったなと思います」。
ライバルとしている吉岡稔真がグランプリを引退の舞台に選んだが、『涙で前が見えなかった』と言っていたが、神山さんは? との問いに
「俺も吉岡君のコメントがよぎって、俺もそうなるのかなって考えていたんだけど、全然それどころじゃなくて、こんなに目を見開きながらモニターは見るし、後ろの紫原さんを見るしね(苦笑)。さすがに(目標の)真船も最終日のレースは察していただろうし、大変だったと思います(笑)」。
引退後に自転車は乗ったのかの問いには
「2回ほど乗りました。いつもと同じ練習をしたけど、すげーキツかった。モチベーションがちょっと下がったんじゃないですかね。いつもだったら2センターから4コーナーのことを思い出して、踏み込むんですけどそれがなかなかよぎらなくて、ただただ苦しかった(苦笑)。強度を落としてこれからもやろうと思います」。
「選手になって36年間。あっという間だったし、相当楽しかったんだと思う」。
この日がグランプリ当日とのことで、神山のグランプリで4年連続2着のことを問われると
「そうですね。結局(グランプリで)優勝できなかったので、獲りたかったタイトルのひとつ。でもしょうがないね。多分、一番ギリギリ負けたので(写真のように手を使って表しながら)このくらい」。
「(ベストレースはと聞かれ)何とも言えないんですけど、印象に残っているのは最初に獲った宇都宮のオールスターの決勝ですね。それがベストかとは言えないけど、それが強くなったキッカケ」。
「デビューしたときもまあまあ強かったので、すぐに特別競輪のダービーだったかな。そこで決勝に乗ったんですけど、そこで本命の印が付いちゃったんですよ。でも、その頃は(本命が付いていることは)知らないけど、俺勝てるんかななんて思っていたけど、坂本勉さんにカマされて、結局4着だった。そこから低迷というか…。低迷ではないけど、それなりに頑張っていたけど、そこからタイトルを獲るまで5年かかってしまった。その間に吉岡君が出てきて、海田(和裕)君、高木隆弘が出てきたけど、先を越されてタイトルを獲られてしまったけど、そこからもうひと頑張りした感じですね」。
最後には集まったお客さんに向けて
「丁度、ちょっと前に大宮に追加が来て、3日間何とか頑張って走ったんですけど、大していいところを見せられなかったと思うんですけど、本当にすみませんでした。でも、大宮は記念も獲ったし、好きなバンクのひとつでした。36年間あっという間に経ってしまって、プロの競輪選手としては引退してしまったんですけど、何かの形では競輪界に携わっていきたいと思っているので、これからもよろしくお願いします」。
とメッセージを残し、大勢集まったファンから大声援が上がった。