全校生徒が体育館に集まって始業式が始まっても朱理の姿はなかった。 体調が安定していれば参加できたりするんじゃ、という期待は、当然のように夢に終わった。 朝の五時から起きて朱理の時間に朝焼けを撮り、投稿しているから、校長先生が話す平坦な声に、思わずあくびがでる。 かろうじて立ってうつらうつらしていたら、そのときいきなり、うしろのほうから「……っざけんなよ!」と怒声が響いて耳を劈き、どきりと目が覚めた。 「千堂、でかい声だすなよ」 「おまえのせいだろうが!」 「悪かった、落ちつけって」 教師も生徒もざわついて、校長先生の話まで中断した。 その中心にいたのが、またさらに驚いたことに千堂と山田だった。 「式の途中だぞ、おまえら出ろ‼」 言い争うふたりをもっと大声で怒鳴りつけて押さえつけたのはガタイのいい体育の教師だった。生徒を掻き分けてふたりのところまで行き、腕を掴んで強引に体育館のうしろの出入り口から外へ連行していく。 遅れて和田先生も追いかけて行った。 全員が唖然としてしずまり返るなか、校長先生が仕切りなおして始業式が再開した。 俺もゆるゆると前に向きなおると、真っ先に華ちゃんと目があった。〝なに、どうしたの?〟みたいに眉根を寄せて困惑している華ちゃんに、俺も〝わからない〟と顔をしかめて首をふり、無言で合図する。 千堂と山田が喧嘩……? なんで? 始業式が終わるとすぐに、華ちゃんが俺のところに駆けてきた。 「ねえ、さっきのなんだったの? 紺君、なにか聞こえた?」 背の順で並んでいるから、小さな華ちゃんは山田たちと遠く離れた前方に立っている。俺は真ん中あたりだから一応近くにはいたけれど……。 「ごめん、俺も全然わからない。でも千堂のほうがとり乱してる感じだったよね」 「うん、武史はなだめて……困ってた気がする。だけどわかんない、武史がなにか言ったのかも」 あいつ、前に華ちゃんを辱めた前科があるからなー……。 「千堂はあまり怒鳴ったりするタイプでもないしね。いや、でも早合点はよくないよ。いまのところ原因はふたりにしかわからないんだし」 「そうだね……千堂君も休みのあいだちょっと変だったもんね」 心配そうな表情で唇を噛む華ちゃんに、「え?」と疑問をこぼしていた。 「変ってなに? 俺知らないよ、千堂になにかあったの?」 教室へ向かって並んで歩きながら、華ちゃんが俺を見あげて目をまるめる。 「知らない……? わたしも本人から詳しく訊いたわけじゃないけど、SNSに写真投稿するの、いきなりやめちゃったんだよ。八月の……半ばだったかな。お盆休みのころ」 「ぇ、最近ほとんど見てないから気づいてなかったや」 千堂のSNSといえば石山さんとデートをした想い出の写真がメインだ。それが突然止まったとなったら、考えられることは。 「わからないからね? ただSNSをする気分じゃないっていうだけかもしれないし」 華ちゃんが焦ったようすでフォローを入れる。 「とりあえず、わたし捜してみる。どこに行ったんだろう、きっと職員室か生徒指導室だよね」 「あ、うん。たぶん」 「じゃあまたあとでね」 華ちゃんが手をふって、廊下を早足で歩き去っていく。俺も手をふり返して見送り、教室に戻ってからすぐさまバッグにしまっていたスマホをだしてSNSをひらいてみた。 フォローしている友だちの投稿が連なるそのなかに、たしかにどれだけスクロールしても千堂がいない。いつもなら毎日一枚は石山さんとの幸せを匂わせる写真があったのに。 かわりに増えていたのは山田と華ちゃんのカップル写真で、夏休み中にデートを重ねて過ごしていたのがうかがえる。……山田と千堂が、夏休み期間中に入れかわったみたいだ。 SNSのリアルに若干怖くなりながら山田と華ちゃんを眺めて、やっと千堂を見つけた。 そこには真っ暗な空の写真が一枚だけあった。朱理の笑顔が脳裏を過り、写真をタップして思いきり拡大し、じっくり確認してみたけれど……空は本当にただの漆黒で、一粒の星もない。 曇天の夜空。 千堂のページをひらいてそのひとつ前の投稿も見てみると、石山さんが夏の晴天の空を背景に、ひとりで幸せそうに微笑んでいる姿があったから絶句した。 これはカメラを向けている人……つまり千堂を見つめて咲かせた満面の笑顔に違いない。 日づけは八月二日。漆黒の夜空は八月十七日。 十五日……たった半月ほどのあいだに、千堂に――ふたりになにが起きたんだろう。 スマホを持ってかたまっていたら、ブブと震えて通知が上部から降りてきた。 『紺、始業式終わったみたいだね。俺も体調回復して保健室にいるよ。ホームルームが終わったら一緒に帰れるけどどう? 始まってる?』 朱理だ。……文字から温かい風に似た朱理の優しい想いが流れてくる。ああ……ほっとする。 とはいえ、教室内を見まわすと生徒は続々と戻ってきて好き好きに談笑したりスマホを見たりして遊んでいるのに、和田先生が来る気配はない。華ちゃんの席も空っぽ。 『ごめんね、ホームルームはまだだから終わったら連絡するね。朱理の体調が戻って嬉しいよ』 察しのいい朱理はこの返信内容だけで違和感を覚えるかな。でも俺も当事者ではないし、原因がなにもわかっていないから変な噂話はしたくない。文字で伝えることでもない気がする。 『わかった、のんびり待ってるよ。紺もまわりのαに気をつけてね』 こく、と唾を飲んで緊張した。……そうだよね。千堂たちのことも気になるけれど、集団生活がまた始まったんだから、自分の身体の安全と健康にも気をつけないと。 二学期からは、同級生のバース性がどんどん定まっていく。自分がフェロモンを発し続けている不安定なΩであることは、自覚して行動しないといけない。 和田先生が教室に入ってきてどことなく苛々したようすでホームルームを終えても、千堂と山田と華ちゃんは戻ってこなかった。 三人とも荷物も置きっぱなしだからさすがに心配になって、クラスのみんなか下校しても待っていたら、やがて山田と華ちゃんだけ帰ってきた。 「山田、華ちゃんっ」と呼んで安堵して迎えると、ふたりは疲れ果てた表情で重く息を吐いた。 「……悪いな、広瀬。待たせてたのか」 「いや、大丈夫? 千堂は?」 「あいつもそのうち戻ってくるよ。まだ職員室で絞られてる」 ……ホームルームにも戻してもらえないほどの叱責って、いったいなんなんだ。 「紺君、心配かけてごめんね。やっぱり千堂君なにかあったみたい。さっき教えたでしょ、SNSのこと。武史がそれを千堂君に追及したら、いきなりキレちゃったんだって」 「え……じゃあ、」 「追及じゃねえよ。〝どうしたんだ、彼女のことなら話聞こうか〟って優しく訊いただけだって」 ……こういうとき、おそらく相手にはそう聞こえていなかったであろう穏やかな口調で再現されるのがもどかしい。 それに嫌でもわかってしまう。SNSのなかで入れかわってしまったかのように、千堂がかつて投稿していたのに似た幸福な姿を積んでいく山田が、いまの千堂の目にどううつっているのか。 山田にも千堂にも悪気がないから、歯痒くて当惑してしまう。 「武史はデリカシーがないんだよ。ちゃんと言葉を選んで声かけてあげなよ」 華ちゃんが叱る。 「選んだってば。からかったりしてないだろ?」 「武史にとって善意でも、そう聞こえないときだってあるの」 山田も唇を尖らせて「なんだよ」と拗ねてしまう。 「……やめなって。ふたりが仲違いするのはもっと意味ないよ」 おそらくみんな共通の予想をしているし、たぶん当たっている。 千堂は石山さんと別れてしまったんだ。 「ふたりはこのまま帰って仲なおりしな。俺、千堂のこと待ってみるから」 じろ、と山田に睨まれた。 「おまえだって五十嵐とラブラブなんだから言葉選べよな。デリカシーない発言すんなよ」 すぱん、と華ちゃんが容赦なく山田の後頭部をひっぱたいた。 「自分と紺君を同列にするな。言っとくけど天と地以上の差があるからね、宇宙と深海だよっ」 「言いすぎだろっ」と山田が反論して、ふたりで言い争いながらおたがいに荷物を取りに行く。 あ、ふたりの力加減と関係性のバランスってこういう感じなんだな、とわかってきたところで、「じゃあ俺たちは頭冷やすよ」「紺君に頼っちゃって本当にごめんね、明日また千堂君とも話そう」とふたりが申し訳なさそうに教室をでていくのを、「気をつけて帰って」と笑顔で見送った。 ――バース性って一生の問題なんだよ。あいつが相手ならつきあい始めたのと同時に向きあっていかなくちゃいけないことだろ。そこ曖昧にする程度の仲なら、さっさと別れたほうがいいんじゃね。 山田の言うとおり、俺も朱理との関係を千堂によく思われているわけではない。それでも石山さんとつきあい始めたときから、いちばん傍で千堂を見守ってきたのが自分だという自負がある。 SNSにあげていた写真だって〝あのデートは楽しかったの?〟〝結局、どんな映画がふたりの好みなの〟などと訊ねて、嬉しそうで幸せそうなのろけ話をずっと聞いてきたんだ。 俺が朱理とのつきあいを最初にうち明けたのも千堂だった。少なくとも俺は、なんでも相談しあえる大事な友だちだと思っている。なのに夏休みのあいだ、朱理と自分の身体と感情の変化に気をとられて、SNSさえ確認せずに千堂の異変を放置してしまった。 ここで千堂を待っているのは山田の尻拭いとか、フォローとかではなくて……俺自身が、自分の罪悪感をなだめたいからだ。 友だちが辛かったとき孤独にさせて、自分と朱理の幸福だけ追い求めたのを反省して、いま一度友だちの……千堂の心に寄り添いたい。 「――……広瀬」 ふいに名前を呼ばれて、はたとふりむいたら教室のうしろの戸の前に千堂が立っていた。 「あ、千堂。待ってたんだよ、だいじょう、」 「来るな」 近づこうとして歩きだしたら、声を荒げて制された。びく、と反応した足が停止する。 厳しく目をつりあげて俺を睨み据えている千堂が、視線を下に逸らして距離を保ったまま自分の席へ行き、横にかけてあったリュックを掴んで身を翻す。 「待ってよ、なんでそんな、」 いまは恋人がいる奴がみんな憎いのか。幸せな奴らは全員鬱陶しい? でもそれ千堂の目にそう見えているだけでみんな抱えていることあるんだよ。そんなの千堂ならわかるだろ? 本当にそんな理由で苛ついて、体育館のど真ん中で大声を張りあげたって言うのか……? 「おまえのために言ってるんだよ」 「え……?」 目をあわせてくれないまま、千堂がまた出入り口の戸のところまで行ってしまう。 「千堂っ」 「黙れ」 立ち止まった千堂の背中が強張っていた。 「――おまえのレモンの匂い、きつすぎる」 ←BACK//TOP//NEXT→ |