約束どおり、もらったお肉で別荘休暇初日に朱理が食べさせてくれた牛肉メシを俺が作って家族にふるまい、改めて一週間の報告をした。

 朱理との関係については追々話していけばいいかと思っていたけど、母さんに「どうなのよ」とつっこまれたので、「将来、一緒に生きていけたらいいねって話はしてるよ」と伝えた。

「自分がΩだってことは確信したから、秋のバース性検査でちゃんと結果がでで、発情期の周期や自分にあう抑制剤もわかって、この身体とのつきあいかたが定まってきたら、父さんと母さんと、朱理のご家族にも、きちんと相談できたらと思ってる」

「結婚するの……?」

 母さんも、隣にいる父さんも、神妙な面持ちで俺の反応をうかがっている。

「結婚が朱理と自分の幸せだと思えたらしたいって、ふたりで考えてます」

 ふたりの目をまっすぐ見返してこたえると、顔を見あわせた母さんと父さんも目でなにやら会話を交わし、うなずきあった。

「……わかった。とりあえず紺も朱理君も来年は受験生でもあるんだから大変だろう。父さんたちも一緒に考えていくから、なにかあれば気軽に相談してきなさい」

 俺が朱理と別荘へ行っているあいだに、ふたりも俺たちの関係について話しあってくれていたのかもしれない、と察した。

「ン、ありがとう。よろしくお願いします」

 部屋に戻ると、朱理からの連絡を待ちつつ荷物整理をした。
 洗濯物と生活用品を洗面所に運んで、勉強道具は机に。

 朱理が抱きしめてくれたときに着ていた青いTシャツや、朱理の手で脱がしてもらった下着……服にまで朱理との愛おしい記憶が沁みついている。

 βだと思いこんで生きてきたし、検査結果にブレがあっても最終的にはβになるだろう、と自分に言い聞かせて恐怖心をごまかしながらバース性から距離をおいてきた。

 まさか自分がΩで、こんなにはやいうちから結婚を考えて親にまで告げるようになるとは思わなかったな……父さんと母さんだってきっと困惑しただろうに、どうやら俺と朱理が絆を深めていたのとおなじころ、ふたりも覚悟を結んでくれていたようすだった。

 とはいえ、βとして生きるより、親にも心労の絶えない毎日を過ごさせるのは明白だ。

 自立するまで極力迷惑や負担をかけないよう朱理ときちんと話しあいを重ねて、自分たちの周囲の人たちのことも考えつつ生きていきたい。

 机に置いたテキストと筆記用具を整理し終えて、今日はさすがに勉強はいいかな、と思ったときだった。スマホが鳴って、朱理だ、とはっとした。

 パンツの尻ポケットに入れていたスマホを取って液晶画面を見ると、朱理がまたビデオ電話でコールしてくれている。自分も朱理に姿が届く設定で受けとって、「はい」とでた。

『紺、いま大丈夫だった?』

「うん、朱理の連絡待ってたよ」

『夕飯は食べた? 荷物整理は?』

「どっちも済ませた。朱理が食べさせてくれた牛肉メシを作って父さんと母さんにふるまったら、喜んでくれたよ。荷物もいま全部片づけたところ」

 朱理の画面の背景は白い壁だった。角度がすこしズレると、枕もとやタオルケットのようなものがうつりこむから、ベッドの上に座って壁に寄りかかっているんだ、とわかる。

 俺もスマホを持ってベッドの上に座った。
 俺のベッドの横はガラス窓になっているから、背後にも半分、ガラス窓と水色のカーテンがうつっている。

「……朱理は? 病院から何時に帰宅したの? 夕飯食べた? 先生なんて言ってた……?」

 スマホ画面のなかの小さな朱理が、『ははは、ふたりして質問攻めだ』と口をひらいて白い歯を覗かせながら朗らかに笑う。

『病院から帰ったのは夕方。青渡兄ちゃんも家に送ってくれたついでにうちで夕飯食べて行ったよ。熱海で肉も魚も食べたって報告してたからか、さっぱり系のメニューだったな。ナスと豚肉のみぞれ煮とか、たことトマトとブロッコリーのサラダとか』

「え、美味しそう。今度作りかた教えて、俺も朱理と食べたい」

 みぞれ煮ってたしか大根おろしで作るんだよな。
 サラダもたこが入っていたりして健康を考えてある。夏でも食べやすそう。

『ふふぅ~……』と朱理が嬉しそうに笑っている。

『ナスは一度素揚げしてあって、出汁がよく染みるようになってるんだよ。いつかふたりで作って食べようね』

「素揚げ。なるほど……丁寧に手間暇かけて作る料理なんだね。うん、一緒に食べよう」

 別荘で新婚夫夫みたいに生活していたせいか、ふたりで料理をして食べるっていうのが身近な感覚になっている。朱理の言う〝いつか〟が、どれくらい遠いか近いかわからないのに。

『それで身体のほうはね、薬を飲みすぎたのも伝えて先生に診てもらったけど一応大丈夫だった。αなおかげで体力も免疫力もあるから、どこか悪くしても回復もはやいんだよ、よかった』

「本当に? ちゃんと隅々まで診てもらった……?」

『うん、人間ドックも短時間で結果がでるでしょ。あんなふうにさくっとばっちり診てもらったから安心して。……ただ、紺とのつきあいかたは考えないといけないかもしれない』

 朱理はやわらかい表情を崩さずに、声だけ深刻に、低く言った。

『説明が難しいんだけど……バース性って要は子孫を残すために必要な繁殖本能が軸になっているでしょう? だからαとΩの俺たちが感情でも求めあっているって脳みそが理解すると、本能にも変化が現れるらしいんだよね。つまり愛しあうほどに、俺の本能は紺を求めちゃうんだ』

「そんなっ、好きって想うだけで毎日繁殖本能に支配されて生きなきゃいけないってこと……?」

 離れて過ごす期間も必要なのかもしれない、と予想をしていたとはいえ、想いあうのが枷になるなんて酷すぎるだろう。

「セックスしたくなったときだけ朱理と会えっていうの? 冗談じゃないよ、こんなふりまわされかたするαとΩの話も聞いたことない、なんで俺たちだけ?」

 残酷な宿命に抗うように思わず声を荒げてしまったら、朱理が苦笑いになって『落ちついて紺』となだめてくれた。

『これはいまだけの話だよ。まだ紺がΩとして覚醒していないからこそ、不安定になってしまう。……俺はα家系なのもあって検査結果がブレたこともないし、自分のバース性は確定してる。でも紺はβの血も混ざってて身体も〝βじゃないの? Ωになるの?〟って悩み中なんだよね。なのにαの俺は紺のなかのΩの血に反応してひとり猛然と〝紺が好き、欲しい、欲しい〟って昂奮してしまう。おたがいのバース性が安定して紺も抑制剤を飲むようになったら、また状況は変わると思う。――……ごめんね、Ωだのαだの、不安定だの言って』

 俺の身体のせいなのに思いがけず朱理の謝罪が続いて、胸が痛んだ。

「……ううん。わかりやすく教えてくれてありがとう。中途半端なせいで朱理に迷惑かけてるのは俺だよ。……本当にごめん」

『紺が謝ることでもないよ』

 液晶画面に左手を近づけて、また数ミリだけ浮かせながら朱理の笑顔をなぞった。

 ……寂しい。
 やっぱり、毎日触れあって抱きあって、笑顔を交わしながら過ごせた夏休みの別荘休暇は、特別でかけがえのない一週間になってしまった。帰ってきた当日だというのに、昨日までの幸福な日々にもう戻りたい。

『紺、いつも言ってるけど、自分のせいだと思わないでね。自分を責めないで』

「わかってるよ、でも……」

 こんな手も足もでないバース性の理不尽に翻弄されて、悔しくて、朱理を苦しめる自分が嫌で、腹が立ってやるせなくてしかたない。

「なにか策はないのかな。学校のバース性検査より先に俺も病院で検査して、Ωだ、って診断してもらって、自分用の抑制剤をつくってもらえば朱理も多少は楽にならない?」

 微笑んでくれた朱理も、右手の指先を画面のほうへあわせる。

『バース性検査は検査料金がかなりかかるから、学校の無料定期検査を利用するほうが現実的だね。しかも紺のいまの状態では急いだところで正確な結果がでるかどうかもわからないから、焦らずに十月初旬の学校の検査を待つべきだよ。お医者さんも親も、そう言うと思う』

「だけど学校で隣の席なんだよ? なにか対策しなくちゃ勉強もできない」

『……うん』と朱理が目をとじて深くうなずく。

『わかってる。だから俺は傍にいるのが無理そうなら保健室で自習するよ』

 自習……保健室で。

「嫌だよ、教室から出て行くなら俺でしょう? 俺が元凶なんだからっ」

 どうしてこんなにも朱理にばかり負担をかけなくちゃいけないんだ。

 せっかく教室でみんなと授業を受けられるようになったのに、そんな朱理をまた追いだせっていうのか。自分のせいで……?

 冗談じゃない、受け容れられるわけがないだろ。

『ううん、そうしてほしい。紺が授業を受けられなくなるのは、俺が嫌だから。でもこうしよう。紺が自分の身体に発情期が起きそうだって予感したら、俺と交代して保健室で自習して。もし発症しても保健室にいれば先生がすぐ対応してくれるから安心できるよ』

 どんな痛みも苦しみも半分こ――朱理が〝保健室は生け贄を捧げるような悪い場所ではなくて、おたがいを守るために大事な避難場所でしかないよ、だから必要なときは紺も行って〟と俺の意識の修正をしようとしてくれているのがわかる。

 生け贄でも犠牲でもない。
 健康に賢く生きるための場所なんだ、と。

 辛いはずの朱理が俺を説得し続けてくれている姿をスマホ越しに見つめていると、反論できなくなってしまう。

「……このこと、親と学校にも言わなきゃいけないよね」

『うん。それと、紺のご両親にはもうひとつ伝えてほしい』

「ぇ、なに……?」

 朱理がまた目をとじて、鼻から息をすうと長く吐いて深呼吸したあと、俺を見つめた。

『充分注意するけど、結婚する前に紺を噛んでしまう可能性もゼロではないって伝えてください。近いうちに時間を空けていただいて、ビデオ電話で俺からも説明させて。可能性のひとつとして、無いとは言い切れない状況になってしまったから一応ね』

 優しい口調で言ったあと、朱理は薄茶色の瞳をやわく輝かせて微笑んだ。

 ――『αは隔離するべき』

 ――『αってなんで性欲コントロールできないの? ばかなの?』

 ――『子どもを産めるΩと違って、αは犯罪者しか生まないじゃん』

 結婚もしていないのにΩを噛むαは、世間的には人非人の悪だ。法で裁かれることではないにしろ、バレれば周囲に非難される。

 堪え性のないαだ、下劣なαだ、αのくせに繁殖本能すらコントロールできない無能な外道だ、とたちまち蔑まれて嘲られる。

 そんなふうにはさせない、と言いたいのに、喉に言葉が詰まって酷く痛んだ。

 いままさに朱理の学生生活やαとしての本能に悪影響を与えて、不自由な生きかたをさせようとしている俺自身が、無責任な正義感をふりかざして偉そうに断言できることじゃない。

「……わかった。両親はふたりともお盆休みに入るから、明日から十日間ぐらいゆっくりしてるよ。朱理のタイミングがいいときを教えて。そうしたらふたりを呼ぶから」

『ン、じゃあ日時はまた考えよう。お願いします』

 自分が無意識にフェロモンを発しているせいで朱理を翻弄して困らせているのに、いまの俺にはなにもできない。

 Ωかもしれない、と自覚し始めてからずっと手足を見えない紐で括られているみたいだ。

 抗いたいのに、戦いたいのに、暴れてしまいたいのに、拘束されている間に朱理だけが殴られ、痛めつけられ、傷つけられていくのをただ眺めている、そんな無力感に苛まれる。

「……。朱理に、噛まれても……俺は、嫌じゃないよ」

 自分の朱理に対する想いだけはちゃんと言葉にしておこう、と思って小さく伝えた。でもいまは好きだと言うのすらおこがましいような申し訳ないような気がして、胸が苦しかった。

 スマホ画面のむこうの朱理にまっすぐ見つめられているのも息苦しくて、すこしうつむいて顔を隠してしまったら、『――あっ』と、朱理が突然明るい声をだした。

『そうか。やばいな俺。紺が俺に噛まれて嫌がるかもって、まったく考えてなかったよ』

 そして『ふふふ』と頬を赤らめて微笑む。

『恋人になってから毎日一緒にいていっぱい話をして、写真でも好きって言いあってきたからだね。紺が俺のことを〝結婚前に噛むとかサイテー〟って、責めたりしないってあたりまえに信じてた。結婚自体、拒否されるってもう考えてないや』

 おどけたように言って笑ってくれている。

 俺を落ちこませないための笑顔なのは明らかで、朱理が恋しくて、スマホの奥に手を突っこんで触れて掴んで引き寄せて強く抱きしめたいのに、叶わなくてただただ辛い。

『……ねえ紺。生きていれば、俺たちにも何度も、困難とか問題が降りかかってくると思う。けどそれは〝ふたりで絆を深めるためのありがたい壁〟って考えない?』

「ありがたい……?」

『誰のせいとかバース性が悪いとか責めても解決しないし、犯人捜しにも意味がない。必要なのは〝俺たちがどう幸せを掴むか〟だよ。だから障壁にも感謝して、前進に心血注いでほしい』

 無駄なまわり道をせず、頭をつかって山も谷も乗り越えながら幸福だけを得ようとする、有能な朱理らしい発想に心が震えた。朱理の言葉のとおりだ、と納得できるから余計に胸が熱くなる。

『あとね、いまからわざと紺に酷いことを言うよ、聞いててね。――なにかが起きるたびに、紺が自分のせい、自分が嫌い、自分が悪い、って哀しむのが、俺は苛々する』

 瞼をぐっととじて、朱理の厳しい言葉を受けとめた。苛々する――と、朱理の声で、優しいまま伝えてくれた声音で、頭のなかでくり返す。奥歯を噛みしめて息苦しく涙を押し殺す。

『傷ついてくれた……?』

「ン……すごく辛いよ、朱理のこと……苛々させたのかもって……心臓痛い、」

『うん、俺も辛い。この痛みをふたりで一緒に憶えておこう。二度と自分のことを責めないでね。全部の逆境が、俺たちの幸せに繋がっていくんだよ。愛してる、紺』

 荒療治……ってことかな。
 朱理の言葉も理解できるし幸せだけど、いまのはすごく効いた。

「わかった、もう自虐しないよ。朱理を苛々させてる暇があったら、幸せにするために、……一緒に幸せになるために、行動する」

『ン』

 朱理のスマホ画面がぶれて、枕もとの棚にあったペットボトルのスポーツドリンクをとって飲んでいるのが見えた。

『ああ……もう嫌だ。紺に酷いこと言った自分が泣きそうだ。でも後悔しない。しないから』

 声を震わせて、自分に言い聞かせるようにしつつ、やけ酒みたいにごくごくスポドリを飲む。

 朱理のほうが俺より傷ついてくれているじゃないか、と知ったら、いつでもどんなときでも自分を痛めつけて俺に愛情を与え続けてくれる朱理の想いの強さをまた想い知って、俺の目にも我慢していたはずの涙が溢れた。

「俺も朱理が大好きで……好きすぎて辛いよ。またはやくいやらしいことしたいな……」

『画面越しならフェロモンが飛び越えてこないからって、大胆なこと言わないでよね。言葉で勝手に昂奮するよ、俺は』

「じゃあ、画面越しでできるいやらしいこと教えて。今日じゃなくてもいいから」

『……もう昂奮してきたんだけど』

 腕を伸ばしてペットボトルを棚に戻した朱理が『うぅ』と呻きながらそのままベッドへ倒れこむ。寝転がった朱理も色っぽい。

「三年生になればクラス替えもあるから別々にしてもらって、すこし離れることはできるよ。でも卒業するまで……結婚するまで、もう朱理と会えないのかな。俺がΩに覚醒して抑制剤を飲むようになればまた一緒にいられる?」

 俺もベッドに転がって、一緒に寝ている体勢をつくって朱理を見つめた。

『うーん……』と考える朱理と、自分の前髪が、おたがい横に流れている。

『抑制剤の効力はまだわからない。もちろん紺は正常に生活できると思うよ。でもおそらく俺は、紺から洩れるわずかな匂いにも反応するだろうな。受験生になるからね……時期的にもセックスに溺れてばかりいるのは厳しいよね』

 本当に厄介だ。
〝子どもをつくりたい〟っていう本能と、進路っていう重大な転機が重なるなんて、最悪の一年としか言いようがない。しかしこれも結局、俺のバース性が確定しないと解決に進まないんだ。

「明後日からのカメと花のお世話は……?」

 会えない毎日が始まるかもしれない、と覚悟して訊ねたら、朱理は『うん』とうなずいた。

『それなんだけど、できれば一緒に検証してほしい』

「検証?」

『どれくらいの距離なら近づけるのか、おたがいがどういう感情を抱いたら俺の本能に響くのか、隣にいた場合何十分、何時間ぐらい平気なのか、とか』

 ふぷっ、とつい笑ってしまった。

「朱理に会えるの嬉しい。けど理系っぽい考えかたで、さすが朱理だなってなっちゃった」

 医者に言われるがまま悲観に暮れて諦めるのではなく、なにがどう平気で駄目なのかを真っ向から探ろうとしていくスタイル。すごく格好いいし、朱理らしい。

『面白かった?』

「面白いっていうか、惚れなおした」

 朱理も『ふふ』と機嫌よさげに笑う。

「じゃあ、もし朱理が体調を崩したら、俺はどこの誰に連絡すればいい?」

 もちろんそこも対策済みなんだろう。

『うん、俺が自分で解決できなさそうなら、救急車呼んで主治医がいる病院と先生の名前を伝えて。学校にいるときだったら保健の先生を呼んでくれれば大丈夫』

「わかった」

 夏休みも俺たちのように学校へ出向く生徒がいるから、保健の先生は常駐している。

 これはずっと昔、夏休み中にαの教師がΩの生徒の突然の発情期に抗えず、襲ってしまった事件が起きたせいだった。ふたりは水泳部の顧問と生徒だったから、よりセンセーショナルな事件として世間を賑わせた結果、〝夏休みも保健室には養護教論を必ず常駐させること〟と、規定ができる大問題に発展したらしい。

 俺の父さんと母さんより、さらに上の世代で起きた歴史的大事件だ。

 朱理がビデオ電話を繋げたまま、チャット画面から都内の有名な大学病院と、砂賀という先生の名前を教えてくれる。俺もそれをすぐに連絡先に登録する。

『今日も砂賀先生がαの抑制剤と、体調を整える薬をくれたから、簡単には倒れたりしないと思うけど、紺に会えて嬉しすぎて、駅で顔をあわせたとたん狂う可能性もあるから。俺がおかしくなったらお願いね』

「わかった。危険な検証だってことは理解したうえで、一緒にいられる時間を大事にする」

『ン、俺もだよ』

 朱理が瞳を細めてハンサムにはにかむから、俺もつられて微笑んだ。

 自分たちに突きつけられた困難の数々に息が詰まって辛いけど、こうやって心が繋がっていれば、孤独にはならない。

「……朱理。検証した結果、あまり一緒にいられないんだってわかったら、こうやってビデオ電話でおしゃべりしよう」

 会っていてもいなくても、朱理の存在を感じれば俺は幸せになれる。

 朱理っていうこの人間が、この魂が好きだ。

 ものの見つめかた、思考のしかた、苦境へのむきあいかた、他人の愛しかた、愛されかた、学びかた、生きかた、しゃべりかた、瞳の色、声の色、掌の大きさ、身体の熱さ、背骨の感触、唇の味、本能に襲われて抗う姿……全部愛してる。一ミリのブレもズレもなく、愛おしい。

『うん、もちろんそのつもりでいたよ。家ではパソコン、それ以外ではスマホで話せたらいいね。……四六時中傍にいるよ。紺に寂しい想いはさせないから』

 朱理がまた指先を伸ばして、画面に近づけてくれる。

 俺も左手を寄せて、指先に朱理の体温を想い出した。

「……俺も、朱理を寂しくさせたりしない。絶対に」

 朱理をこの愛情で守り抜くためには、俺ももっと現実と現状にむきあわなければいけない。

 ――あとね、いまからわざと紺に酷いことを言うよ、聞いててね。――なにかが起きるたびに、紺が自分のせい、自分が嫌い、自分が悪い、って哀しむのが、俺は苛々する。

 こんなふうに傷つけてくれる朱理を、心から愛してる。失いたくないし、失わせない――。



 翌日は父さんから中古のノートパソコンをゆずってもらい、一通りの設定を済ませて朱理とパソコンでも繋がれるようにした。

「これ結構いいかも」

『だね、一緒にいるって感じがする』

 机の左側にパソコンを設置して、ビデオ通話画面を表示しておく。

 綺麗な映像として朱理がスマホより大画面に常にいてくれるのがすごく嬉しい。もし調べものがしたければビデオ通話画面の窓を小さくして隅によけ、パソコンも自在に使えるから便利だった。

 朱理も部屋の机にパソコンを置いているらしく、背後に本棚やクローゼットがうつっている。

 白い清潔感のある壁紙と、朱理の人柄を感じさせる整理された棚、それに確実に俺の部屋の倍はあるんだろうなあとわかるひろさが新鮮で、どきどきする。

「朱理の部屋は、朱理のイメージにぴったりだね」

『そう? 紺は生活感があっていいな。うしろにベッドがあるのがどきどきする』

 机と向かいあうかたちでベッドを設置しているから、たしかに俺の背後には青いタオルケットがくしゃりと乱れたままのベッドがうつっている。……俺とべつのどきどきを味わっているぞ。

「朱理……検証その一なんだけど、こういうパソコンとかスマホの画面越しでも俺の朱理への想いが伝わって、αの本能がふくらんだりするの?」

『いや、いまのは俺がスケベだっただけだよ。画面越しで距離があれば影響は全然ない』

 にっこり言ってるんですけど。

「ベッド見ただけでもんもんしないでよ」

『紺がここで毎日寝てるんだな、と想ったらそりゃいろいろ想像するよ』

「いやだ、朱理の想像力って人より千倍優れてそうだから恥ずかしすぎる」

『それ、俺が千倍スケベって意味だよ紺君?』

「どスケベだ」

『いやなの?』

 机に頬杖をついて、瞼を細めてじとっと俺の心を探ってくる拗ね顔の朱理が綺麗で可愛い。

「……嫌じゃない。朱理がスケベなこと想像してると俺も止まらなくなるから辛いって意味だよ」

 桃色の健康的な色をした唇を、きゅとへの字にまげて目もぎゅと瞑り、もっと可愛い顔になった朱理が『やられた……』と唸った。

『……さっきの撤回。画面越しでも紺に誘惑されたら狂いそうになるっ……』

「ふはは」と笑ってしまう。

「それはバース性関係ないね。俺たちが純粋におたがいを欲しがってるだけだよ。はは」

 朱理が机に突っ伏して『うぅ』と身を縮めた。

『紺ってそういうことしれっと言うよね……官能と愛の営みをちゃんと別ものとして捉えてる大人さっていうか……俺が紺を欲しがっても〝エロい、キモい〟とか言わないで受けとめてくれるの、愛情感じてすっごくクるよ……ああ、紺抱きしめたいっ……』

 右手で拳まで握りしめて悶えてくれているから、嬉しくてまた笑ってしまった。

「会えない期間が続いたらここでセックスしようね。画面越しって、これはこれでとってもエッチそうでどきどきする」

 朱理が右腕の上に顎をのせて、恨めしげに俺を睨んできた。

『……ほんと紺には敵わない』



 夏休み後半に入り、いよいよ学校のカメと花壇のお世話をしに行く日になった。

 朱理と会うのは一日ぶり。

 昨日はパソコンで一日中繋がっていたから心の距離感はそんなにひらいていないけど、やっぱり実際に会えるのは嬉しい。

「――母さん、じゃあ行ってくるね」

 昨夜の夕飯時、父さんと母さんに、朱理の話を聞いてほしい、と頼んだ。

 俺のことを結婚前に噛んでしまう可能性があるから、自分の口から説明と謝罪をさせてほしい、って言ってくれているんだ、と。

 それで、ビデオ通話越しになってしまうけど今夜帰宅したら朱理と家族とで話すことも決まっている。

「いってらっしゃい。あ、ちゃんとお水持ってる? 外暑いから水分ちゃんととって」

「あ、うん、じゃあ持って行く」

 キッチンに入って冷蔵庫をひらき、自分と朱理のふたつのペットボトルを取ってリュックに入れた。うちは夏になると水をいくつも保存しておく習慣があるから助かった。

 右隣に寄り添って眺めていた母さんが「はあ……」と肩を竦めて、苦笑いになる。

「……紺がふたつ飲むわけじゃないよね。もうひとつって朱理君の?」

「あ、うん……ごめん、駄目だった?」

「まさか。いいよ、持って行きな」

 母さんの諦念に似た笑みが、含みありげに深くなる。

「なんか紺見てると懐かしいな」

「え、なにが?」

「……Ω性の子って、高校二年生の夏休みが終わると急に大人びて、別人みたいになるんだよね。母さんの親友もそうだったよ。母さんの親友で、父さんが好きだった子」

「え……」

 驚いて息を呑んでしまった。……これってまさか。

「もしかして、俺って……」

 俺がΩだったのって――。

「ばか。ンなわけないでしょ。紺はちゃんと父さんと母さんの子どもだよ、間違いない」

 ぱん、と右肩を叩かれて、安堵したとたん一気に呼吸が戻ってきた。遅れて心臓がどくどく鼓動し始める。はあー……なんだ、びっくりした……。

「急に出生の秘密を暴露されるのかと思ってひやひやしたじゃん……」

「ははは、そんなドラマチックなことがあるわけないでしょ。単なる父さんの片想いでおしまい。母さんは父さんのことがずっと好きで片想いしててね……まあ三角関係だったわけよ。でもわたしの友だちのΩの子は、転入してきたαの子と一瞬で結ばれて、高校卒業と同時に結婚しちゃったの。ふたりが出会ってまたたく間に恋に落ちてつきあい始めたのも、ちょうどいまの紺とおなじ歳のころだよ。高校二年の、ほんとに、まったくそのままいまごろ。……告白もできなかった父さんを、わたしはずっと好きでね……父さんが折れて、結婚してくれたんだ」

 両親の馴れ初めってそれだけでも結構驚くのに、母さんが意外と一途だったことにも驚愕してしまった。

「か……母さんに、乙女なイメージなかった……」

 また肩を叩かれた。いたぁ。

「でも……そうなんだ。じゃあ父さんは、俺のこと見てるの複雑だったりするのかな」

 βだと信じていた自分の息子がΩで、昔片想いしていた相手と似たような人生をたどろうとしている。なにも思わないはずがない。

「さすがにいまは高校生のころの恋愛で云々言ったりしないよ。だけど想い出してはいるだろうね……わたしも父さんと結婚したあとはそのΩの子と疎遠になっていたのに想い出すから。紺を見守っているととくにね。あー……あの子も夏休みのあいだこんなふうにαの彼と将来を考えるようになっていったのかな、なんて」

「そっか……」

 うなずきながら、まだ中途半端にひろげていたリュックのチャックをしめた。

 俺も朱理と単なるクラスメイトのままだったら、絶対にこんな目眩く夏を過ごしていなかった。勉強嫌だなー、とぐずぐずしながら、夏の暑さにやられてだらけて、怠惰に生きていたと思う。

 朱理とふたりでバース性と自分たちの人生にむきあい続けているせいで、善くも悪くも、急速に成長している自覚がある。

 ……あ。そうか。

「母さんがαに冷たく当たるのって……父さんを哀しませた存在だったからなんだ?」

 今度は後頭部を軽くぺんっと叩かれた。

「いった、なんでっ」

「もう行きなさい。ちゃんと朱理君のこと注意して見ててあげるんだよ。なにかあったらすぐ連絡して守ってあげて。水ばっかり飲んでないで、ご飯もふたりで食べておいでねっ」

 追いだすように背中を押されて玄関まで誘導された。

 ちらっと見えた母さんの頬が赤かったように感じたのは……きっと、気のせいじゃない。





















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