プールで夜景を楽しんだあと、それぞれ風呂も済ませて寝る準備をした。

「……紺の格好、刺激的で辛いんだけど」

 パジャマがわりの部屋着はノースリーブとハーフパンツにした。クーラーが効きすぎて寒かったらカーディガンを羽織るつもりでいるんだけど、先に風呂を済ませてソファに座っていた朱理が、頬を赤らめて睨んでくる。

「どこが刺激? 生地も厚めでどこもエロくないよ」

「いや……胸のあたりがちょっと」

 なにかもごもご言ってる。
 乳首は勃っていなくても、俺は胸が微妙にふっくりしているから指摘されると恥ずかしい。

 ふん、と無視をして自分のリュックを取り、俺もソファに腰かけた。

「それより、これ。一週間お世話になる生活費の足しにしてください。今日一日、青渡さんによくしていただいた分にも満たないかもしれないけど、受けとって」

 両親にもらった熱海旅行の、追加のお小遣いを全部封筒に入れて包んできたんだ。朱理に頭をさげて、それをさしだす。

 朱理は微笑んで封筒を眺めて、うなずいて受けとってくれた。

「……ン、わかった。ありがとう。ふたりで大事につかおうね」

 あー……こういうとき朱理が変に遠慮せずに受けとってくれるところも好きだな。

 朱理はお金の大事さとつかいかたをわかっている人なんだ、と知る。裕福なお坊ちゃん然とした傲慢さが、朱理からは本当に、面白いぐらいまったく感じられないや。

「朱理は存在が刺激的だよ」

「えっ、なんで?」

 朱理が笑いながら自分の荷物のところへ行き、鞄に封筒をしまってくれた。

 ちなみに朱理はタオル生地の半袖にズボン姿だ。気持ちよさそうではやくも抱きしめたい。

「じゃあ眠ろっか」

「うん」

 ベッドもダブルベッドみたいでとてもひろい。掛け布団を持ちあげて入り、枕に背を向ける格好で座ると、正面は全面ガラス壁で海が一望できる。いまは薄暗くて、ぼやけているけど。

 朱理は寝室のライトを弱めたあと、隅にある冷蔵庫からペットボトルのスポーツドリンクを持ってきてベッドサイドのナイトテーブルに置いた。

「加湿器もつけてるけど、空調がしっかりしてるから喉が渇くかもしれない。そしたら飲んで潤してね」

「うん、わかったありがとう。そういえば中学の修学旅行のとき、ホテルで辛かった記憶がある。喉がかさかさになって」

「ああ、ホテルって空調きついよね。辛かったら止めるから言ってね」

 朱理も右側に入ってきて、笑顔で横になった。俺も一緒に布団のなかに身体を滑り入れて、枕に頭をあずける。

「……俺、薄着だったかな」

 朱理はいつも俺の身体のことも気づかってくれるのに、よくない服装かも、と心配になった。

 転がってむかいあって朱理を見つめると、朱理が照れくさそうな、幸せそうな笑顔をひろげた。

「俺が一緒にいるから平気だよ。あっためてあげる」

 朱理の右手が俺の左腕を撫でつつ指先までたどってきて、手を握りしめてくれた。そして身体を寄せて、額がつきそうなほど間近にくる。近すぎて、ふたりでくすくす笑ってしまう。

 目の前で、朱理の薄茶色の綺麗な眼球を覆う潤みが、揺らいできらめいた。

「……青渡さんも朱理とおなじ目の色してたね。兄弟みんな薄茶色なの?」

 朱理は、あ、といま気づいたような表情をした。

「そうだよ、三人一緒。父さんもなんだよね。αの血が濃いとたまにこうなるらしい」

「ふうん……すごく綺麗で、瞳も好きだよ」

「なじみすぎて忘れてたよ」

 青渡さんも朱理も、おそらく縁矢さんもみんなハンサムなんだろうけど、この整いすぎた顔面を見慣れているって、よく考えるとすごいことだ。

「俺もいつか朱理の顔に慣れるかな……」

「え、もうとっくに慣れたんじゃないの?」

 意地悪く顔を近づけてきて朱理がおかしそうに笑っている。それからそうっと唇を寄せて、上唇を掬うようにくちづけてくれた。

 俺も朱理の唇と舌にこたえて口をひらきながら、手を握り返す。俺が握ると、朱理の指先も返事をするようにまたさらに強く握りしめてくれる。

「ンっ、……」

 朱理に求めてもらえることが嬉しくて、自分がいま、朱理と唇を吸いあっていることが幸せで、朱理とここにふたりでいられている事実が……現実が、ありがたくて苦しくなってくる。

「……紺、」

 朱理が唇をあわせたままゆっくり半分起きあがり、足を搦めながら俺の上へ身体を重ねてきた。

 いままでおたがいを抱きしめて与えあってきた抱擁と違って、仰向けに寝た状態で朱理の重みを感じつつキスをするのは、腕や脚が、ぎこちなく強張るぐらいどきどきした。

 朱理の胸とお腹が、自分の胸とお腹にのしかかって、擦れあっている。股のあいだに朱理の左足も入っていて、自分の足をどうすればいいのかわからなくなる。でもキスは続いている。

「……ん、」

 緊張して呼吸が乱れるせいで、鼻で懸命に息を吸うと喉から声が洩れた。

 朱理が俺の喉の声に応えるように、握っていた手を放して左手で俺の肩のうしろを抱いて、右手で頭を撫でて、唇の角度を変えて切羽詰まったようすで舌を奥へさし入れてくる。

 朱理が昂奮してくれている、とわかってしまうと、俺の心臓も呼応してどきどき鼓動した。

 どうするんだろう……朱理、するのかな。……けどなにも用意してない、と困ったときだった。

「……はぁ、」

 朱理が唇を放して俺の右肩に突っ伏し、ぐったりと脱力した。

「やっぱり……刺激、強すぎる。止まれなくなるよ」

 ゆるゆると身体をずらして右側にこぼれ落ち、再び俺の隣に戻っていく朱理は、眉をゆがませて辛そうに苦笑いしている。

「……しないの?」

 訊ねたら苦笑いしながら睨まれた。

「誘惑しないでよ。今日はしないって約束したでしょ。準備もしてないんだから」

 俺もいま一度朱理のほうへ身体を傾けて、性欲を我慢してくれる朱理を見つめた。

「……うん。そうだよね」

 左手で朱理の右頬を包んだ。俺より体温の高い朱理だけど、頬も、いまは若干赤く熱く感じる。

 朱理も俺の腰に右手をまわしてまた身体を寄せてきた。目をとじて、呼吸を整えながら俺の掌の感触を受けとめてくれている。

「……今日楽しかった。でも長距離移動したし、店も何軒も寄って買い物したし、バーベキューもしてプールにも入った……さすがに紺も疲れたでしょう」

「ン……本当だね、暑いのによく動いて食べた」

「ふふふ」とふたりでちょっと気怠げに笑う空気に、幸福の色がついている。

「……明日はなにする?」

 朱理の声色も穏やかで、幸せそう。

「……花火はしたいね」

「そうだね、たくさん買ったから毎晩すこしずつしよう」

「ふふ。あと……朱理と海にも行きたいな」

「……泳ぐの?」

「ん……? 嫌そうだね。朱理は海嫌い?」

「嫌いじゃないよ。でも泳ぐのはあまり好きじゃない。砂だらけになるしベタつくし、海の家のシャワーも身体が綺麗になった感じがしないから」

「ふふはっ……なんか朱理らしいかも」

 でもちょっとわかるな。日本の海って汚いところは汚いから。

 海の家も選び間違えるとシャワーの勢いがいまいちで身体のベタつきがとれない。綺麗好きな朱理は苦手そうだ。

「泳がなくていいよ。泳ぐのはプールで充分幸せ。早朝とか人がいない時間に散歩に行かない? それはここにいないとできないことだから」

 俺にとって海は遊びに行くところだ。だから日中の海にはなじみがあるものの、早朝や深夜の景色は拝めない。別荘からの景色ももちろん堪能するけど、朱理と海岸を歩いて眺めてみたかった。

「うん、わかった。海辺の散歩と、花火。……あと、いやらしいことだね」

 瞼をひらいてまた俺を見つめ返してくれる朱理が、いたずらっぽく微笑んでいる。

「……俺、こうやって朱理と寝てるだけで、どきどきするよ」

「うん、俺もだよ」

「ほっぺたとか、掌とか、背中とか……触ることに慣れてきた箇所もあるけど、朱理の身体にまだ危険地帯もたくさんある」

「危険地帯かー……ふふ、それもわかる。俺も紺の身体に、迂闊に触れないところあるから」

 胸とか、お尻とか……前のところ。そこはもう聖域だ。

 自分も朱理に身体を寄せて、唇に小さなキスをした。

「……けど朱理に触られたくないところはないよ。自分のこと、全部朱理にもらってほしい」

 朱理の額に自分の額をつけて、前髪越しに、ざりざり擦りつける。

「……俺のほっぺたも手も、背中も……胸もお尻も、そこも……自分の身体の一部とおなじ感覚で、自分のものって思いながら、触ってほしい。……そういうふうにひとつになりたい」

 朱理も俺の声と下唇を食んでくれた。

「うん……ふたりでそうなろう。一週間毎日、ゆっくり時間をかけてひとつになっていこう」

 ふたりで目をとじて、吐息を絡めながら安心感を分かちあい、そうっと眠りに落ちていった。

 安心と愛情って似ている。
 身も心も許して、疲労と眠気に意識を委ねて、朱理の傍らで無防備に思考を溶かした。

 他人と眠るのなんて、それこそ中学の修学旅行ぶりじゃないだろうか。物心ついてからこんなに近くで家族以外の誰かと眠った経験はない。

 朱理だから眠れた。

 朱理だから、なにも怖くなかった。……なにも。



「――……紺、……紺、起きて」

 意識が朱理の声に引き寄せられて、ゆるく現実へ戻ってきた。

 朱理、とこたえようとした喉に、湿ったやわらかい……唇の感触と、顎と唇に、さわさわと、細い髪の毛の感触が……。

「……しゅり、」

「紺、ちょっと……無理かもしれない、」

 かぶ、と右側の鎖骨を噛まれた。朱理の声が妙に苦しげで、なにが、どうしたんだろう……、とまだ重たい瞼をひらいて、鈍い朝の光に満ちる天井と……胸もとにいる朱理を見おろすと、自分も一気に覚醒した。

「わ、ぁ……ごめ、」

 暑かったのかなんなのか、自分の左腕がタンクトップをたくしあげて胸をまるだしにする格好で肩を押さえている。

「ごめん、朱理、」

 性欲かαの本能か……判然としないけれど、とにかく朱理を自ら刺激して困らせてしまっていることだけは理解できた。

「……すこし、触ってもいい?」

 体育の授業でも見たことのない、息も絶え絶えな赤い顔をした朱理が、それでも優しく俺の頭を撫でて、噛みつくのを我慢しているみたいに下唇を強く吸ってくる。

「……うん、もちろん」

 俺も朱理の頭を右手でひき寄せたら、俺の腿にまたがって朱理が上に重なり、右側の胸に吸いついてきた。

「ンっ、……ぁ、」

 舌で下から撫であげられて乳首を唇で覆われ、強く吸われる。

 本当は噛みしめたいぐらい激しく昂奮してくれているんだとわかった。なのに朱理は、はあっ、と息を吐きながら懸命に欲望を抑えこんで、愛情を織りこむことも忘れずに、丁寧に舐めて吸って、愛撫してくれる。

 乱れていたタンクトップの全体をたくしあげて、左側の胸も吸いつつ、右胸を擦り撫でてくれるしぐさも優しかった。

「や、ぅっ……しゅり、」

 だから俺も、快感だけに酔って、支配されて、意識が蕩けていく。

「……紺、」

 俺のほうが昂奮しているんじゃないかと思うほど、薄っぺらい腹が、はあ、はあ、と息を継ぐたびに大きく上下していた。

 朱理は心配そうにその腹も撫でながら、胸から腹へ唇をさげて、細くて薄い俺の身体にくちづけの痕を残していってくれる。

 胸も腹も脇腹も、腋の下も、首筋も、唇も……朱理の手と唇の感触と、痕で、染まっていく。

 なにも用意できていない。けどこのまま終われるわけもない。

「……朱理、……手で、しよう、」

 俺だけ気持ちよくしてもらって、朱理の欲望を放置するのも耐えられなかった。

 快感に震えて、痺れている左手の指先で、朱理のズボンに手をかけてすこしずらす。

 朱理は薄茶色の綺麗な瞳をまるめて、美しくまたたいた。

「手って……これ以上して、紺は大丈夫なの。恥ずかしかったり、嫌だったりしない……?」

 朱理の両頬を両掌で包んで、小さく笑ってしまった。

「……朱理だって、いつもいちばんに俺のこと、気づかってくれるよね」

「紺……」

「嫌じゃ、ないよ……それより、お尻の準備、してないから……手でしか、できなくてごめんね。ふたりで、気持ちよくなれるところまで……しよう、」

 言い終えてすぐ、唇を朱理の唇に塞がれた。今度はちょっと唇を噛まれて痛かった。でもそれも全然嫌じゃない。……嬉しい。

 朱理が俺のハーフパンツと下着をさげてくれて、俺も朱理のズボンを半分ずらした。薄い掛け布団のなかで、昨夜まで触れられなかったところを一緒にあらわにして、朱理が先に触れてくれる。

「ふ、ぅっ、……わ、」

「……ここで、一緒に気持ちよくなろう」

 え……、と疑問に思ったら、朱理が腰を寄せてきておたがいのそこを束ねあわせ、掌にひとつに包んで擦り始めた。

「わ、ぁ、あぁっ……」

「いや……?」

「ちが、……きもち、いぃっ……」

 よかった、と耳もとでこぼれた朱理の優しい囁き声は、強すぎる快感のせいで耳鳴りがして遠く聞こえた。

 頭が……脳みそが、沸騰しているみたいに、顔まで熱い。

 昂奮と快感に思考を襲われて支配されて、朦朧とする。

 朱理のと、自分のが、朱理の器用で大きな、細長い指先に搦めとられて、重なって擦れあって、破裂する。腹の奥からじんわりと熱と本能がにじみだしてくる。

「っ……紺、」

「朱理、……」

 朱理が手を動かしながら、唇で胸への愛撫もやめずに続けて、快感を与えてくれて、俺も必死に、縋りつくように朱理の頭を両腕で抱きかかえた。

 舟に乗って海の波に翻弄されているみたいに、朱理とふたりで欲望と快感に揺れている。

 公園のブランコでもこんなふうに揺られながら一緒にキスをしたな……、と意識が過去に飛んで、朱理の夕日色の笑顔が心のなかにぶわりと大きくひろがった瞬間……同時に、達していた。

「紺……っ、」

 朱理も達すると、腹の上に温かい余韻がひろがった。

 俺の胸の上に顔を伏せたまま朱理が一生懸命呼吸をしているから、朱理の吐息で心臓が熱い。

「……いま、温かいタオルとってくるね」

 落ちついてくると、朱理が俺に微笑みかけて唇にキスをくれてから、ゆるゆると身体を起こしてベッドをおり、寝室をでていった。

 寝起きの無気力な頭と身体にいきなり巨大な快感を食らって、自分の手足が、言うことを聞いてくれない。とりあえず半分起きあがって、昨夜朱理がくれたスポーツドリンクを手に取り、ごくごく飲んで喉と気持ちを潤した。

 目の前に、橙色と朱色のグラデーションを描く朝焼けと、海がひろがっている。

 ……朱理。

 毎朝撮っている朱色の朝を、今日は朱理の傍で眺めている。海の水面も朱理の色に彩られて、目覚めたばかりの太陽の光をきらきら弾いている。

 感情もしんと凪いだ。
 でも心は冴えていた。

 朝がくる。毎日、刻一刻と時間は進んでいる。自分の身体も体内で変化している。

 いま朱理と抱きあったとき、腹の……お尻の奥が濡れた。
 αの朱理の愛撫と本能に応じるように、自分の繁殖本能も目覚めていくのがわかった。

 ……やっぱり俺はΩなんだろうか。
 子どもを産めるΩになりつつあるんだろうか。

 αとΩなら、朱理と結婚してうなじを噛んでもらうことができる。生涯朱理とふたりだけで本能を慰めあいながら、いつか心も成長したら家族を増やす未来も築きあげていけるんだろう。

 幸せだ。とても幸せだと思う。
 でもそれは本当に、幸せだと思い続けられる未来なんだろうか。

 三ヶ月に一度、一週間から十日の長期間、発情期のたび朱理にも休暇をとらせることになるんじゃないか……?

 俺が薬で発情を抑えられても、朱理はフェロモンを感じて発情してしまう。傍にいたら朱理ひとりが苦しむことになる。その期間だけ、おたがい離れて過ごせばいいんだろうか。

 もし……もし、朱理が運命の相手に出会ってしまったら、そのときはどうすればいい。

 俺が先にうなじを噛んでもらって夫夫になっていれば、べつのΩは運命だろうとつがいにはなれない。でも結局、運命の相手のフェロモンは強烈で、傍にいれば嗅ぎとって発情してしまう。

 ――縁矢兄ちゃんは、結婚して子どもができたあと、運命の相手に会っちゃったんだよ。それで当然結婚はできないんだけど……うなじを噛んで、愛人としてつきあってるんだ。

 ――運命の相手とは三ヶ月おきじゃなくて毎月発情期がくるから……普段はおたがい薬で抑えて会わないようにしてるんだけど、たまに会って、本能を慰めあってる。

 ――心は奥さんと子どものもとにあるのに、運命の相手に出会うと身体が変化して、その人に対する強烈な本能に抗いきれなくなるんだって。そういう兄ちゃんを家族も愛して受け容れてるんだけど本人はうしろめたいみたいで……あわせる顔がないって言うんだ。それがまたみんな辛くて。

 海の波が揺れているのはわかるのに、波音は聞こえてこない。
 朝焼けが、どんどん明るく、桃色一色の空に変わっていく。

 ……俺は本能で運命の相手を求めてしまう朱理を、愛せるかな。

 心と繁殖本能は本当に別ものなのかな。
 本能に翻弄されて苦しむ朱理を放置して我慢させて、愛を楯に自分に縛りつけて……それを俺は、俺たちは、幸せだ、と言い張って生きるのかな。

 心で愛しあって、愛情だけで求めあって、家族になっていく――それは、どれくらい難しいことなのかな。


















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