夜になると青渡さんが一緒にバーベキューの準備をしてくれて、魚介類と野菜、レモンをホイールで包んで焼いたアクアパッツァや、フライパンに鰺ときのこを詰めたアヒージョを作って、一緒にすこしつまんだあと「夕飯は家で用意してもらってるから」と帰って行った。

「青渡さん、やっぱり火の扱いを心配してくれてたね」

 バーベキューコンロだから使用方法も簡単ではあるものの、子どもだけで扱うっていうのがどうしても心配だったっぽい。
 朱理に「片づけもきちんとするんだよ」「毎日連絡して」「一週間後また迎えに来るからね」と過保護な親みたいにしつこく言って、去って行った。

「あそこまで甘やかされると、逆にだらけそうになるよ」

 朱理も苦笑いしながら、さっきスーパーで選んできたA5ランクの牛肉と、野菜とご飯を炒めた牛肉メシを作ってくれている。

 空には星も浮かび始めているのに、ひろい庭は別荘の外壁にあるライトや、庭先の外灯とガーデンライトのおかげでとても明るい。

 グランピングとかコテージみたいな施設に泊まりに来た気分だけど、この別荘が朱理の家の持ちものだっていうんだからすごい。すごすぎて、もう理解とか実感をしようとするのは諦めた。

 朱理がこういう場所に連れて来てくれる人、っていうのだけわかっていればいいんだ。

「さっきもごめんね。兄ちゃんのせいで嫌な思いさせてたら謝るよ。けど俺は紺が格好よくて惚れなおしたな」

 朱理が完成したご飯をよそって、俺にくれながら笑った。

 俺も口のなかに入っていた金目鯛をもくもく咀嚼しつつ受けとって、笑ってしまう。

「ううん、嫌な思いなんてしてないよ。想像どおりの面接を受けたなあって感じだった」

「想像してたのか」

「しないほうがおかしいでしょ。でも友だちの家族に会うより気楽だったよ。朱理のことはなんで好きになって一緒にいるのか理由もあるけど、友だちと友だちになる理由なんて漠然としてるもん。フィーリングがあうから? とか、話があうから? みたいな」

 朱理も自分のご飯をよそって、火を弱めてから「なるほどなあ」と隣の椅子に腰かける。

「たしかに友だちと恋人って違うかも」

「うん。千堂のお母さんに『なんで友だちになってくれたの』って訊かれたときは、しどろもどろだったな。『えーっと、うーんと……いい奴なんで』みたいな。愛想笑いも引きつってた」

 四角いサイコロステーキになっている牛肉とご飯を口に入れる。

 A5ランクってなにがどう違うのかわからなかったけど、やわらかさも歯ごたえもにじみでる脂も、旨味も、なにもかも違って「美味しいっ」と驚いた。味つけもバターと塩胡椒のシンプルなものだったのに……これはすごい。

「紺って千堂の家族にまで会ったことあるの? それちょっと嫉妬だな」

 朱理は横で高級牛に感動するでもなくご飯を口に放り、むすっとする。

「俺も会うつもりなかったよ。中間テストの勉強しようって誘われて家に行ったらお母さんがお茶持って部屋に来てくれて、それですこししゃべったの。千堂とは今年おなじクラスになってから、ほんとになんとな~くふらふら~と友だちになったから、あわあわだった」

「理由のある〝好き〟も大事だけど、理由のない〝好き〟も特別だと思う」

 朱理がご機嫌斜めだ。

「そうかも。でも朱理は特別なうえに〝唯一〟だから。千堂も唯一の相手がいるしね」

 笑いかけたら、朱理のへの字の唇もゆるんで、ふふー……、と笑顔をとり戻してくれた。

「だね。俺も紺が唯一の恋人だ。かわりもいないし、離れられもしない」

「うん、俺も」

「魚もすごく美味しいね」と熱海の味をふたりで堪能しつつ、にまにま笑いあう。

 鰺とトマトとマッシュルームを、綺麗に箸で包んで口に入れる朱理のしぐさと横顔を見つめる。

 朱理は料理の食べかたもいつも綺麗で見入ってしまう。育ちのよさもあるんだろうけれど、朱理自身が好む食事の仕方でもあるんだと思う。

 料理をしていても調味料を整列させて使ったり、炒めているときにちょっとでもこぼれたらさっと拭いたりする。潔癖っていうほどではないにしろ、たぶんもとから綺麗好きなんだ。

 こういう細かなところも含めて〝好き〟なんだよな……。

「朱理も、今朝俺の母さんに挨拶してくれてありがとうね。俺もいずれ朱理のご両親に会いたいし、縁矢お兄さんにもご挨拶したいよ」

「うん、ありがとう」

「縁矢さんとは頻繁に電話で話したりしないの?」

 朱理がまたご飯を頬張ってから、苦笑いを浮かべて「んー……」と考えた。

「……しないね。仲が悪いわけじゃないんだよ。でも縁矢兄ちゃんはほんと仕事第一の人だから。普段は素っ気ないけど、正月に家族で会うとお年玉の金額が誰より多い、みたいなタイプ。『青渡ほどかまってやれなくてごめんな。かわりにこれで遊べ』って」

 朱理がきりっとかたい表情で縁矢さんらしき人を真似ながら教えてくれて、危うく高級牛を吹きだすところだった。

「いまのでなんかわかった気がする……ふふは、」

 朱理も笑顔を取り戻してお肉を食べ、麦茶を飲む。

「縁矢兄ちゃんは青渡兄ちゃんと歳も近くて、まわりに比較されながら育ったんだよ。充分有能なのに、青渡兄ちゃんと同等か、それ以上でいなくちゃいけない、っていう危機感とか、恐怖心とか……そういうの抱えて大人になったせいで、自分に厳しくする癖が抜けないんだ」

 さらさら、と夏の夜の心地いい風が流れてきた。

「朱理は、そういう怯えってないの?」

 細い前髪を風に弄ばれて、おでこをだして可愛らしく笑う朱理が俺を見返す。

「相変わらずすぐ俺のこと想いやってくれる。紺のそういうところなんだよなー……」

 あ。朱理も、俺の〝好き〟のところまた見つけてくれた。

「俺は生まれたときから兄ちゃんたちを追いかけるポジションだったから誰も比較なんてしないし、怯えた記憶もないよ。兄ちゃんたちの足をひっぱらないようにしたいなあ、ぐらいの意識。縁矢兄ちゃんも、自分から俺と青渡兄ちゃんに〝比較されて嫌だった〟って教えてくれたんだよ。話せるってことはとっくに乗り越えてる証拠でしょ」

「ああ……そうだね」

 それもそうか。若いころ怯えて焦って四苦八苦した時期があったとしても、みんなすでに会社を動かしているトップの立場だ。兄弟間の勝ち負けより、協力と調和の域にいる。

 会社の上の人が〝お兄ちゃんに勝ちたい〟って躍起になっていたら従業員もドン引きだしね。

「てか朱理、青渡さんと俺が会ってから〝兄貴〟じゃなくて〝兄ちゃん〟って呼ぶようになったね。いままで格好つけてた……?」

 俺も大きなマッシュルームを食べながら細目でからかったら、朱理がちょっと赤くなった。

「兄弟の関係も知ってもらったし、もう気取る必要ないでしょ」

 拗ねつつも正直に羞恥心を見せてくれる朱理が愛しくて、こういう人だから、唐突に強く抱きしめたくなる。

「……うん。〝兄貴〟って呼んでた朱理も〝兄ちゃん〟って甘える朱理も大好きだよ」

 朱理も金目鯛を口に入れて微笑んだ。

「……食事中なのに、紺を抱きしめたくなって困るよ」

 ふたりして抱きしめたいって想ってる。
 それならこれはもう、抱きあってるのとおなじだね。



「〝三階のプール〟って屋上なんだ。だったらここは〝屋上プール〟じゃない?」

「はは。祖父ちゃんが〝三階〟って呼んでて、なぜか家族のあいだで定着しちゃったんだよ」

「そういえば誰も〝屋上〟って言わないなあ」と朱理が笑いながらビーチチェアにバスタオルを置いてプールサイドに立った。くいくい、と腰をまわしたり、腕をのばしたりして準備運動をする。

 食事を終えてコンロをしまい、食器類もふたりで全部綺麗に洗って片づけると、青渡さんから無事に帰宅したとメッセージがきたので、俺たちもそれぞれ家族に一日の報告電話をした。

 それから夜のプールを楽しむことにして水着に着替え、支度をして移動してきた。

 学校の二十五メートルプールほど大きくはないものの、充分ひろくて圧倒される。

 真正面にはぼやけた月の浮かぶ海と、煌々と明るく輝く街並みの夜景がひろがっている。

 塾のあと通っていた公園から眺める景色も綺麗だったけど、山の上の絶景って最高だな……、と感動しつつ、俺も腕をまわしたり手首と足首をふったりして身体を整えた。

 プールのライトは夜景が楽しめるように朱理が淡く設定してくれた。でももちろん足もとやおたがいの姿はきちんと確認できるぐらい明るい。

「水は少なめに張ってるから飛びこんだりはしないでね」

「うん、わかった」

 朱理が先にはしごからゆっくりおりていってプールに入り、俺も身体に水をかけて慣らしてから続いておりた。

 暑さの残る夜の外気と、一日中太陽に熱せられてぬくもりの余韻を吸ったプールの水は、暑くも寒くもないちょうどいい温度で肌になじむ。

「気持ちいい~」

 俺の身長で、胸の下あたりまでの水量だ。

 プールのなかにもライトがあって、下からぼうっと照らしてくれているのがなんだか幻想的で、美しい水槽で泳ぐ熱帯魚になった気分。……学校のカメたち、元気かな。

 すべてがあまりに綺麗で、美しくて、澄んだ気持ちで真んなかまで歩いていくと、平泳ぎで端まて泳いでいった朱理も戻ってきた。

「プールってつい端から端まで泳ぎたくならない?」

「それ、学校の授業で端まで泳がされるからでしょう」

「あ、そうかも」

 海側の縁に手をかけて夜の街を見おろした。目を凝らすと、公園で見ていた景色みたいに信号が変わる。青から赤へ。赤からまた青へ。

「紺」

 朱理がうしろから俺の腰に腕をまわしてくっついてきた。左頬に顔を寄せてキスをくれる。

「綺麗だね……朱理は子どものころからこんな素敵な景色を見て育ったんだ」

「うん……祖父ちゃんたちと両親と、兄ちゃんたちのおかげ」

 ふふ、と笑って、俺も朱理のほうに身体をまわし、むきあった。

「……青渡さんがテストみたいなこと言ってたけど、朱理は自分が誰のおかげでここにいるかわかってるんだよね。俺はお金持ちだぞー、って勘違いしてひけらかしたりしない。変に自慢したり、自分が偉いって威張ったりしてる坊ちゃんだったら、俺、好きになってないよなってつくづく思うよ」

「ははは。でも実際に、俺まだなんにもしてないから」

 嘘のない、朗らかな笑顔を浮かべて笑う朱理の腰に、俺も腕をまわして身を寄せる。

「……朱理はきっと社員想いの、立派で素敵なトップになるんだろうね。その姿がいま、もう見えるよ」

 ここに連れて来てもらってよかったな。
 朱理は祖父母と両親と兄弟ではなく〝親〟が何人もいて愛されて育った人なんだって知ることができた。

 朱理の性格ももちろんある。
 俺が最初から近づきがたいお金持ちの息子だ、と嫌悪しなかったのは、朱理本人が〝上〟じゃなくて〝ここ〟にいてくれる人だからだ。

「……紺、兄ちゃんに見惚れなかったね」

「え?」

 ぎゅ、と背中を引き寄せられて、朱理の表情が見えなくなってしまった。

「……青渡兄ちゃんと会ったら俺より好きになるかもって、……ちょっと不安だった」

 いきなりすごく苦しげな、辛そうな声で吐露してもらって、朱理の正直さは恋しく感じつつも、ぶふっ、と吹いてしまった。

「うん……ふふっ。……格好いいとは思ったよ。けど朱理が大人になったら青渡さんに似るのかなって想像しただけだった」

「ン……ぽうっとなりもしないで、兄ちゃんの容姿をするっと受け容れてる人、初めて見た」

「ぽうってなに? 俺も母さんみたいに目をハートにさせると思ったの? ふふふ」

「思ったよ。やっぱり大人の魅力ってあるし……それ、俺は敵わないし」

 朱理こそいったいどこまで可愛くなっちゃうんだろう、勘弁してほしいよ。

「俺は朱理を知れば知るほど恋しくなって愛しくなってくらくらするよ……」

 朱理の素肌に右掌を優しく押しあてて、腰から背中までゆっくりと撫であげた。背骨をたどって、羽のかたちの肩甲骨をさする。心臓が、とくとく鼓動し始める。

「……いまも朱理の裸に緊張してる。うちはプールの授業がないから、朱理の身体をこんなに見たことなかったでしょ。直接触ったことはもっとないもん」

 朱理も俺の背中をおなじように撫でて、感触を掌になじませていくように丁寧に上下した。

「うん……俺も紺の裸に慣れたくて、プールに誘ったよ。今夜は疲れたし、まだ昂奮しすぎて暴走しそうだから……セックスは明日しよう」

 大人びているけど〝ここ〟にいてくれる朱理は、俺と一緒に、セックスにも緊張してくれる。

 αだからきっと上手に、器用にこなせるんだろうに、こういうときも慢心に酔ったりしないで、俺とふたりで幸せになれるかどうか、不安と期待を持て余してくれている。

「うん、明日しよう。……でも、寝るのは朱理とおなじベッドがいい」

 薄いようでいて、抱きしめあうと逞しさがわかる朱理の胸板が、自分の胸にぴったりとあわさり、きつく抱き竦められた。

「……うん」

 俺も朱理の鎖骨に目をつけて、強くしがみつく。

「……あのね紺、」

「ン」

「縁矢兄ちゃんが俺とあまり会わないのは、もうひとつ理由があるんだ」

「え……?」

 目をひらいて、朱理の背中の真んなかで手を止めた。

「……俺っていうか、家族にもあまり会わない」

「どうして」

 プールの水が揺れて、俺たちの胸もとでたぷんと鳴る。濡れた朱理の肌がすこし冷たい。

「……。縁矢兄ちゃんは、結婚して子どもができたあと、運命の相手に会っちゃったんだ。それで、当然結婚はできないんだけど……うなじを噛んで、愛人としてつきあってる」

 ……愛人として。つきあう。

「運命の相手とは三ヶ月おきじゃなくて毎月発情期がくるから……普段はおたがい薬で抑えて会わないようにしてるんだけど、たまに会って、本能を慰めあってるんだよ」

「本能……」

「心は奥さんと子どものもとにあるのに、運命の相手に出会うと身体が変化して、その人に対する強烈な本能に抗いきれなくなるんだって。そういう兄ちゃんを家族も愛して受け容れてるんだけど本人はうしろめたいみたいで……あわせる顔がないって言うんだ。それがまたみんな辛くて」

 ――『αはその才能で社会を支えろ』

 ――『Ωに性的暴行をするαは死刑でいい』

 ――『αは隔離するべき』

 ――『αってなんで性欲コントロールできないの? ばかなの?』

 ――『子どもを産めるΩと違って、αは犯罪者しか生まないじゃん』

 そんな関係、不倫とも性暴力とも言えないはずだ。

 運命の相手とのあいだに発生する繁殖本能は、誰にも、なににもどうすることもできないのに、縁矢さんも、運命の相手も、縁矢さんの家族も、朱理たちも――みんなの心が苛まれている。

「縁矢兄ちゃんのことも、俺大好きだから……紺にも、それは知っていてほしい」

 両腕で朱理の背中の肌が引きつるぐらい強く、きつく抱きしめ返した。

 大丈夫だよ、という想いをこめて抱擁し、抱き包む。

 朱理の想いも、ご家族の苦しみも、辛さも、嫌というほど伝わってきて胸が締めつけられた。

 αのくせに、なんて残酷な言葉、俺は絶対に言わない。

 バース性がある限り、どうしても抱えていく心と本能の問題をαだけに抱えさせるのは間違っているし、縁矢さんたちの苦しみは、他人が口をだせることでもないから。

 世間は責めるのかもしれない。
 縁矢さん自身、自分を責めているらしい。

 だけど、それでも縁矢さんを愛する朱理の心も、俺は安易に否定したくない。しない。

 ただ愛して受けとめて、守るだけだ。

「……朱理も辛いね」

 抱きながら、また羽に似た朱理の骨を撫でた。

 バース性から逃げずに家族全員でむきあって、縁矢さんを、みんなが愛している。


 朱理がなぜ俺の愛おしい命としてここに生きていてくれているのか、わかる――。



















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