ふたりで一緒に夕暮れの公園へ行くようになったら、夏期講習ももっと楽しくなった。 最初は〝せっかく夏休みに入ったのに勉強辛いな〟とか〝来年はさらに勉強漬けの毎日なんだ〟とか〝朱理につきあわせて申し訳ないな〟とか、そんな陰鬱な気分に支配されていたけど、朱理と一緒だと勉強をするのも嫌じゃなくなったし、講習後の公園でのひとときは特別な時間になった。 「うちの兄弟はみんな名前に色が入ってるんだよ」 ブランコに並んで座って、朱理がラムネを食べながら教えてくれる。 「長男が〝青を渡る〟でせいと。次男が〝縁の矢〟でえんや。そして俺が朱理」 「えー……すごい、素敵な名前だね。他人との繋がりみたいなのを全員から感じる」 「わかったの?」 朱理が瞠目して、左横から俺を凝視してきた。 俺はさっき街の焼き鳥屋さんで買ってきたねぎま串の、鶏肉のところを口で抜きとって囓る。 「わかったっていうか……上のお兄さんはなんとなく、世界中を飛びまわっているイメージだし、下のお兄さんは縁を自らつくっていく、っていう野性的な感じだし、朱理は、」 「俺は?」 「朱理は、朱色って血液かなって想像すると、血の理って家族や先祖、子孫の壮大な画が見える」 朱理が口までぱかんとひらいて、初めて見る惚けた顔をした。 「すっごい……うちの兄弟の名前の意味に気づいたの、紺が初めてだよっ」 興奮気味に地面を蹴って、ブランコごと身を乗りだしてくるからこっちまでびっくりする。 「そ、うなの……? じゃあちょっと自慢かな、へへ」 「うん、自慢できると思う。だいたい〝キラキラネームの兄弟だね〟って嗤われて終わりだから。説明するとぼんやり納得してくれるけど」 「んー……人の名前を安易に〝キラキラ〟って嗤うのは失礼だよね。ご両親の想いだってあるのに。そんな人は放っておけばいいんじゃないかな」 「紺だけ放っておけない人になったよ」 ブランコを斜めにひっぱって真横に来た朱理の真剣な目が、一瞬だけ羨ましげに俺のねぎま串を見た。「食べる?」と訊くと、「うん」とうなずく。 「ねぎの番になっちゃったからお肉のところまで食べるよ、待って」 「ねぎ好きだからいいよ」 「いいの?」 あ、と可愛く口をひらいた朱理の舌のあたりにねぎま串を傾けてあげると、真ん中あたりの先頭にあったねぎを歯で挟んでひっぱり、わんこみたいな素直さで食べた。 頬の半分が橙色の夕日に染まって、瞳は今日も透明に光っている。 焦げた白い小さなねぎを食べている姿さえ素敵に見えるのはどういう魔法なんだろう。 「……朱理ってなにしてても格好いいね」 透けた瞳が上目づかいで俺を捉えた。口がもくもくとねぎを咀嚼している。 「紺の好みの顔……?」 ふふ、とちょっと得意げに、にやける表情まで色っぽい。 「うん、好み。朱理は世界一格好いいと思う」 「兄貴たちも格好いいよ」 「あ、そうか。朱理の兄弟ってやばいね。名前どころか外見がきらきらじゃん」 「ははは」 子どもみたいに陽気に笑う顔も可愛い。 「地味な俺が、朱理の恋人にしてもらってよかったのかな……って、見惚れちゃうよ」 「つりあうかどうかっていうばかばかしい話ならしないよ」 子どもみたいな笑顔のままでも、叱るときはきっぱりしていて怖い。 「もとからつりあってないから考えないようにしてるよ」 「こら、」 「そこはもう諦めてて、なんていうのかな……こんなモデルやアイドルみたいな人の前で裸になって、見窄らしい身体でエッチなことして、変な顔見せて……嫌われそうで怖くなる」 朱理が微笑んで、右手で俺の頬をつねるみたいにつまむ。 「紺は自分の可愛さに気づいてないんだね」 綺麗な長い睫毛を揺らして、格好いい人が、格好いい声でなにか言っている。 「そんなこと言われたの初めてだよ」 「みんな照れてたんじゃない?」 とぼけて笑って、「だけど、」と朱理が自分の右目を指さす。 「――だけど俺は言うし、この目で見てる。紺の笑顔が可愛くて格好よくて、弱い面も教えて安心させてくれる尊敬すべき人で、甘えたくなるぐらい凜々しいところ」 ……薄茶色の美しい瞳がきらめいていて、意識が吸いこまれる。 劣等感や脆弱さを抱えている俺を、こうやって言葉で支えてくれて……。 「ありがとう……朱理は心も格好いいから敵わないね」 「紺の心も格好いいんだよ」 朱理がブランコを限界まで寄せて俺の背中と腰に手をまわし、ぐらぐらしながらひっぱってくる。「なにしてるの」と訊くと、「キスしたいから協力してよ」と怒られて、笑ってしまった。 朱理にひっぱられて、おたがいのブランコが小舟みたいに揺れている。 「わかったから」 俺も足を突っぱってブランコを引き、朱理のほうに寄った。 「……ちゃんと好き?」 朱理が瞳のなかの光を朱色に輝かせて訊いてくる。 「確認する必要ある……?」 俺も喉の奥で笑いながら唇を寄せて、朱理のやわらかい下唇を甘く噛む。 夏期講習が終わると、二日間の休みのあいだに熱海旅行の用意をして当日を迎えた。 朱理のお兄さんの青渡さんが車で家まで来てくれるとのことで、到着の連絡をもらうと母さんとふたりで外へ出て挨拶をした。 「初めまして、朱理の兄の青渡です」 青渡さんは名刺までだして、母さんに笑顔で挨拶をしてくれた。 「一週間、紺君を責任持っておあずかりしますので。ご安心ください」 俺も改めて父さんと母さんに朱理との関係や、朱理の家のことを正直に伝えておいたんだけど、母さんは朱理たちを前にしたら「どうもすみません、お世話になります」と頭をさげて恐縮しつつ、目をぱちぱちまたたいて眩しげにしていた。 「これ両親と選んだお菓子です。お口にあうかわかりませんが召しあがってください」 俺も青渡さんに菓子折を渡して頭をさげた。 「あら、気をつかわせたね、ありがとう。初めて会うお菓子だよ、家族でいただきます」 たぶん高級だったり有名だったりするお菓子は充分食べ尽くしているだろうから、地元の商店街でしか買えないおまんじゅうと、チョコミルフィールを選んだ。 爽やかに受けとって微笑んでくれた青渡さんは、太陽を胸に秘めているかのような穏和な人だ。おまけに朱理を大人にしたみたいな容姿で、なるほど兄弟……、と感心してしまう。 「一週間、紺と楽しんできます。心配かけないようにちゃんと毎晩連絡しますし、悪い遊びもしないので、信じてください」 朱理もぴっしり九十度に頭をさげて、母さんに挨拶してくれた。 恋人だよ、と母さんたちに告げたことは、朱理にも伝えている。 母さんはαを毛嫌いしているから、どんな反応をするんだろう、と警戒していたけれど、表情をうかがうに……まだ瞳がハートに輝いている。 「信じますっ。なんにも知らない子だから迷惑かけたらごめんね、よろしくお願いします」 声まできゃっきゃはしゃいでいるぞ。 「じゃあ……行ってくるね。外は暑いから、母さんももう家に戻っていいから」 荷物を車に積ませてもらって出発する。母さんは結局、アイドルを応援するファンみたいに車が曲がるまで手をふり続けて見送ってくれていた。イケメンって強いな……。 青渡さんが運転してくれる大きな車の後部座席で、朱理と寄り添って熱海へ向かう。 途中「買い物していこうね」と青渡さんと朱理にうながされて一週間分の食料や生活用品を揃え、熱海の街でも新鮮な海鮮や名物のお菓子を調達した。 その支払いは全部青渡さんがしてくれた。 「いいんだよ。紺君が来てくれてとっても嬉しいから、これぐらいさせてね」 青渡さんから朱理に対する愛情も感じられる。でも食べものだけでもものすごい量だ。 「こんなに買いこむものなの?」と朱理に訊くと、「そうだね」と笑顔でうなずく。 「別荘って辺鄙な場所にあって、ひきこもるのが普通なんだよ。だいたい周辺にも美術館とか洒落たレストランしかない。だから細かなものは持って行かないとね」 管理を委託していて、一応清掃や草刈りは常にしてもらっているからいつでも遊びに行けるけど、数日過ごすとなれば必要なものはすべて持ちこむべしってことらしい。 「そうなんだね……」 朱理がラムネも箱買いして楽しげに笑うから、俺もちょっと贅沢にお菓子や飲みものを選ばせてもらった。 「朱理、花火もできるかな」 「いいね! 庭がひろいから噴水花火もいけるよ」 青渡さんにも相談して「好きなだけ買っていいよ」と許可をもらい、手持ちのススキ花火のセットと、噴水花火も単品でいくつか選んでふたりでにやける。 そして最後にドラッグストアに寄ってもらって、朱理とふたりでセックスするために必要なものも一通り揃えると、車で山をのぼって木々に囲まれた別荘へ入っていった。 別荘は二階建てで、なんていうか……いわゆる三角屋根のおうちではない、黒くて長四角のおしゃれな造りだった。 青渡さんにも荷物を一緒に運んでもらって、食材を冷蔵庫にしまったり日用品を片づけたりして諸々準備が済むと、一階と二階の部屋案内をしてもらったあと三人でだだっぴろい二階のリビングへ移動して休憩した。 山の上に建っているから景色もよくて、ガラス壁越しに熱海の海と空が一望できる。三階にはプールもあって、そこから眺める夜景も素敵なのだそうだ。緊張も飛んで、もうわくわくしかない。 「朱理、花火するときは庭の水場にバケツがあるから水張って、終わったのそこに捨てなね」 「うん」 「雑草も整えてもらってるけど、火がついて火事にならないように気をつけて」 「わかる」 「もし火事になったら消防呼んで、自分たちの命をいちばんに守ること。いいね?」 「はい」 キッチンでなにやら用意してくれている朱理に、ソファでくつろぐ青渡さんが注意をする。 〝うるさいな〟とか〝わかってるよ〟とか、恥ずかしがって煙たがらない朱理は、やっぱり大人だなあと、こっそり観察する。 青渡さんも、朱理のお兄さんというより親みたいだ。歳が離れているせいもあるのかな。 「紺君、朱理はたまに抜けたところあるからお願いね」 正面に座っている青渡さんが、朱理とおなじ薄茶色の瞳をにじませて微笑みかけてくる。 「はい。でも……朱理が間抜け? って、想像できないです」 朱理がからからと涼しげな音を鳴らして、氷の入った飲みものをお盆にのせ、こちらへ来る。 ソファの横にしゃがんで、青渡さんの前に「アイスコーヒーとミルクね」と置き、俺のところに「アイスティとミルクだよ」とくれて、隣におなじアイスティをレモン付きで並べた。 「いまお菓子も用意するから」 「俺もするよ」 「ううん、紺は座ってて。お客さまなんだからさ」 朱理はさっさとキッチンへ戻ってしまう。 俺たちのことを眺めていた青渡さんが、カフェオレをつくりながら、くすと笑った。 「……紺君って、いやらしい空気がないね。朱理から聞いてたとおりだ」 「え、いやらしい……ですか」 セックスのことならふたりして頭いっぱいなんだけど……。 「うちは家柄もあって、お金目的で近づいてくる人もいるからね」 あ、そっちの〝いやらしい〟か。 「朱理のこと……俺、最初はよく知らなかったんです。噂にも疎いし、五十嵐って名前でもしかしたらストームiの関係者なのかもとは思ってたけど、深く考えていませんでした。恋人になって、つきあうようになってから、いろいろ教えてもらってるような感じなんです」 「あらあ。じゃあ朱理のどこがよかったの?」 「ふふ」と笑ってしまった。アイスティにミルクを入れて、ストローで混ぜて飲みながら返事を考える。 「俺が誰にも言えずに苦しんでたこととか毎日抱えていたもやもやを、朱理は消してくれたんです。朱理といると嫌なことが小さくなるから、離れているのがもう怖いっていうか……」 「俺もおなじ」と朱理も声をかけてくれる。キッチンとソファで顔を見あわせて、にやにやとふたりして笑顔を交わしあう。 「好きなところは、見つけたら朱理にも言ってるけど、いま想い出して全部言うのはちょっと大変かもです。んー……なに言ったっけな。たとえば、あ、食事のときに『いただきます』って両手をあわせるところとか」 「それ?」と朱理も笑いながら、お菓子を袋からぱりぱりだしている。 「もっと格好いいの言ってよ」 「格好いいの? 〝好き〟のなかに格好いいことってあったっけ」 「たぶんあったよ、想い出してよ」 「たぶんって、朱理も忘れてるじゃん」 朱理とつっこみあって笑っていたら、青渡さんもまた小さく、ふ、と笑った。 「ふたりの仲がいいのは伝わってくるなあ……」 カフェオレを飲みながら青渡さんが長い足を組む。 「青渡さん、俺のことテストしてますか?」 「ん……?」 「俺だって庶民の目で、朱理のことテストしてるんですよ。たぶん青渡さんも朱理も、トイレの紙ってシングル使ったことないですよね」 「え」 「さっき買い物してたとき歯ブラシもふたりしてあたりまえに電動の換えを選んでた。うちは家族みんな百円前後の安いので、電動は使ったことないです。夕飯も両親が仕事で疲れていたらスーパーのお惣菜セットになったりする。でも俺は不便だとも不味いとも思いません」 青渡さんが口を結んで、神妙な面持ちで相づちをくれる。 「朱理のおうちのことを知ってから、価値観の違いはあるだろうなって覚悟しました。でも朱理は、俺と一緒にねぎま串を食べてくれるんです。しかもお肉のところじゃなくて〝ねぎも好きだよ〟ってねぎ食べてくれる。俺が朝食はご飯派だって教えたら、毎日おにぎりも食べてくれるし、即席のお味噌汁も楽しんでくれます。昼にはカップラーメンまで。……俺が知ってるささやかな幸せを、朱理は一緒に幸せだって感じて、分かちあってくれる。だから俺も朱理がダブルのトイレットペーパーや電動歯ブラシじゃなきゃ嫌だって言うならついていこうって想ってます。どんなに価値観が違っても、幸せを感じる部分がおなじならいいやって」 自分のたとえ話がおかしくて「ふふ」と笑ったら、キッチンで朱理も「はは」と一緒に笑った。 「αだから、ってわけでもないんだ」 青渡さんがもうひとつ追及してくる。 「ンン……俺は朱理が好きです。頭の回転がよくて察しもよくて、学校で姿勢よく勉強したり体育で活躍したりする格好いい姿も好き。だから、朱理のαとしての個性も否定はしません。別人だったら俺は好きにならなかったから。αだからじゃなくて、全部を含めて〝朱理だから〟好きなんだと思います」 「……なるほどな」 「兄ちゃん、紺にテストしても無駄だよ」 朱理がまたお盆を持って戻ってきた。テーブルの真んなかにさっきみんなで買ってきたバターサンドとプリンを置き、俺の左隣に腰かける。 「紺には俺も敵わないから」 「そうだねえ……紺君がお金や容姿じゃなくて、朱理の人柄を好いてくれているのは充分伝わってきたな」 「ずっとそう教えてたでしょ」 レモンティを飲んで、朱理のほうが青渡さんをちょっと睨んだ。 「青渡さんと朱理って、一緒に暮らしてるわけじゃないんですよね?」 「そうだよ、俺は結婚して実家を出てる」 「なのに、青渡さんは朱理のことよく知ってるし、夏休みもお世話してくださるんですね」 「十以上も歳の離れた末っ子だから、可愛くてつい甘やかしちゃうんだよ」 「はは」と青渡さんが朱理と揃って笑っている。 こうして素直に愛情を示してくれるお兄さんがいるから、朱理も愛情深い人に育ったんだろうと感じ入った。 本人も〝愛して育ててもらってるよ〟って口にできるぐらい理解していたし、この愛情が朱理の心にきちんと、あたりまえのものとして浸透している証拠だ。 家族関係が悪いなんて、どうしてあんな噂が流れているんだろう。 ふたりの幸せそうなようすを眺めていると、ただの妬みが生んだ、α家族に対するくだらない攻撃のひとつだったのでは、という暗い疑念が濃くなってくる。 「兄ちゃん、一週間に三回は電話してくるんだよ」と朱理がバターサンドを頬張って笑う。 「そうなんだね」と俺もプリンを食べて笑顔を返す。 青渡さんといると、より子どもっぽく幼げになる朱理も新鮮で、俺はとても好きだ、と想った。 末っ子の姿まで可愛い。 「高校生の青春の恋、羨ましいなー……」 青渡さんが憧憬に暮れるような表情で俺たちを眺めて、朱理は「兄ちゃんが帰ったらプールに入ろう」と俺に笑いかけてくる。 「兄ちゃんのこと追いだそうとするなよ」 青渡さんまで可愛らしく抗議してきて、その瞬間、兄弟の輪に入れてもらえたのを感じた。 そして三人で笑いあって、日が暮れるまでお茶をしつつ楽しく過ごしたのだった。 ←BACK//TOP//NEXT→ |