一日中しゃべっているのにわざわざメッセージで会話することなんてあるのかな、と疑問だったけど、朱理が熱海の別荘の外観や、そこから見える景色、広大な庭でするバーベキューのようすなど、地図と写真つきで教えてくれたのはとてもよかった。

 父さんと母さんにもそれを見せて、「夏休み、友だちのこの別荘に行ってきていい?」と詳細に、きちんと伝えることもできたからだ。

「別荘っ⁉ あんたそんな友だちできたのっ?」

 母さんは当然びっくり仰天していた。

「うん。お金持ちの家の友だちでして……」

 父さんが「スネちゃまだな」と笑う。

「いいよ、行っておいで。友だちと旅行なんていい経験になるでしょ。夏休みのお小遣いもあげるから楽しんでくるんだよ」

「ほんと? ありがとう、やった!」

 父さんが優しく許可をくれて、母さんだけ「本当に大丈夫? お酒呑んだり変なことしたりしない?」と顔をしかめている。

「紺ももう大人だよ。うちは家族旅行もあまりしたことないからね。こんなにちゃんとしたメッセージをくれる友だちに連れて行ってもらえるならいいでしょ、ありがたい話だよ」

 こういうとき父さんは強い。一家の大黒柱って感じに、母さんを説得してくれる。

 俺も父さんが信頼してくれるからこそ余計に、心配をかけないように楽しもう、と思える。

「ありがとう、ちゃんと毎日連絡もするね」

 うちの高校はそこそこのレベルの進学校で、家柄のいい生徒も多い。

 親の金をつかい、自宅で呑み会をひらいたりして問題を起こすばかな坊ちゃんもたまにいるけど、一方でそういう愚かしい奴を軽蔑している、本当に賢い御曹司もそこそこいた。

 本当に賢いと、ばかには関わらないし、いじめとかもしない。

 朱理が言っていたように、頭のよさにも種類と、人柄と、原因があるんだろうな。

 父さんたちは当然、うちの学校のそんな事情も知っているから、朱理の存在にも納得して信じてくれたんだと思う。

『旅行オッケーもらえたよ。朱理のメッセージ見て、父さんは朱理の人柄に好感を持ってくれたっぽい』

 朱理にそう伝えたら、すぐに返事が届いた。

『よかった。はからずもお父さんへの第一印象もよかったとなれば大成功だね』

 だいせいこう……。

『なんの成功ですか』

『決まってるでしょ』

 ん、ンー……。

 それから、俺も夏期講習を受ける塾の場所と期間を伝えた。前期と後期があって、親には好きなように選んでいいと委ねられていたから、朱理の都合もあわせて相談してみる。

『じゃあ前期だけ受けて、八月の初旬に旅行、そのあとは一緒に学校に通いながらふたりで勉強するっていうのはどう?』

 うん、朱理と勉強するなら夏期講習に通うのと同等の成果を期待できるだろうな。夏休みの宿題もすこし出るから、片づけられるだろうし。

『わかった、そうしよう。学校って勉強していいのかな。駄目なら近くの図書館でもいいね』

『だね、決まり』

 ベッドに転がって、スマホから手を放す。

 毎日見ている天井の景色が明るく感じる。……胸が、そわそわしている。

 俺いま恋愛してるんだな。
 本当に、今年がこんな夏休みになるなんて想像してなかったな……。



「――ありがとうな、広瀬! やっぱり先生の目に狂いはなかっただろ? おまえと五十嵐は絶対相性がいいって思ったんだよなあ~っ」

 翌日の昼休み和田先生に呼びだされて、朱理が授業復帰した礼……のような言葉を聞かされた。

「いや、俺も、園芸部に頼んで花とカメの世話は五十嵐にやらせてみたわけ。あいつ動物とか好きそうだからさ? それも大当たりで、俺もちゃんと支えてやってたんだよ。でも授業には結局でてくれなかったもんで、うん、いや~っ、よかった! ありがとうなほんと!」

 そうか、和田先生が〝俺は俺で五十嵐を支えてやってる〟って自信満々に言ってたのって、花壇の花とカメのことだったのか。

 朱理がカメたちを大事に想っているのは事実で、間違っちゃいないんだけど……なんだろうな、この和田先生のどや顔を見ていると素直に受けとめられない。

あなたのおかげじゃなくて、朱理は朱理の心で花とカメたちを育てているんじゃないの、と言い返してやりたくてむずむずする。

 俺もべつに和田先生のために朱理のもとへ通ったわけじゃないぞ。

「……で、五十嵐の悩みってなんだったんだ?」

 和田先生が急に声をひそめて、興味深げな表情になる。

 朱理の悩み。

「……さあ、わからないです」

「なんでだよ。訊かなかったのか?」

「もし教えてもらっていたとしても言いませんよ。どうしても知りたいなら本人から直接聞かせてもらうべきじゃないですか」

 厳しく言い返したら、和田先生が苦々しい表情になった。

 〝厄介なガキ〟みたいな目。

「……なんだよ、キツいこと言うなよ」

 勉強を教えられる優秀な教師だとしても、和田先生はあまり関わりたくない種類の大人だ。

「話がそれだけなら失礼します」

 頭をさげて、呼び止められる前に足早に職員室をでた。

 朱理も俺がいないなら裏庭から教室に戻る、と言っていたから、階段をあがって向かう。

 くだらない話で呼びだされたもんだ。でもそうだよな。朱理ってなにか理由があって裏庭に居場所を求めていたんだよな。

 気にならないと言ったら嘘になるけれど、いま楽しそうにしてくれているからいいや、とも思う。
 話したくなったら朱理からうち明けてくれそうだし。

 もしくは、俺が気づいていないだけでとっくに教えてもらっているのかもしれない。
 ふたりでおしゃべりしているあいだに、解決していたのかも。

 俺も朱理といて、毎日もやもやしていた気持ちが薄れていったから、案外この説も濃厚だ。

 だったらいいな。
 ふたりで一緒にいて、自然と呼吸しやすくなっていけたのなら。

「――あー、そうか、マジで頭いいな五十嵐」

 教室に入ろうとしたら、思いがけず朱理の周囲に人だかりができていた。

「え、じゃあこの問三は?」

「ああ、これはさっきのじゃなくて、こっちの公式にあてはめて――」

 男子も、女子もいて、みんなで勉強しているっぽい。昼休み前の、数学の授業でわからなかったところをみんなで解いている、みたいな……?

「えー、すごい。てか、五十嵐君のほうが三栖先生より教えかたうまいんだけど」

「だよね、めっちゃわかりやすい。先生駄目じゃない?」

 きゃははは、と笑い声もあがって、朱理も苦笑いしつつ、輪が盛りあがっている。

 みんな朱理への接しかたに悩んでいたのに先日の山田と下倉さんの件があってからだんだん打ち解け始めていた。それがいま、期末テスト前でさらに親しくなるきっかけを得て、こんな和やかな仲に進展しているってところだろうか。

 面白いのは、その山田と下倉さんも輪に加わっていることだ。山田なんて俺の席に座っている。
 結局、山田も賢いんだよな。あの一件をいじめに発展させたりしなかったクラスのみんなも大人なんだ。

 そしてもちろん、クラスメイトとの距離を柔軟に縮めていって、みんなを笑顔にさせられる朱理も大人。

 ――紺ももう大人だよ。

 頭ごなしに〝子ども、子ども〟ってねじ伏せられたり保護されたりするより、〝大人だよ〟って信じて放ってもらったほうが、自分を律せる気がする。

 俺も朱理の隣にいて恥ずかしくない人に成長していきたいよ。

 しかしどうしよう。俺も勉強の輪に入っていくべきかな? うーん……。

「あ、千堂」

 悩んでいたら、ちょうど廊下の向こうから千堂がやってきた。最近あまり話していなかったな、と手をふって近づくと、千堂も、おや、という表情で立ち止まる。

「どうした広瀬」

「やー、なんかクラスで勉強会してるから、千堂に相手してもらおって思って」

「勉強会か、じゃあ逃げるか」

「ははは」

 昼休みはまだ十分ほどある。いつも昼ご飯を食べていた階段へ千堂と移動して、腰をおろした。

「なんで勉強なんてしてるんだよ」

 千堂が手に持っていたいちごジュースのパックを振って、ずず、と残りを飲む。

「テスト前だからだと思う。さっきの四時間目の数学でわからなかったところ、みんなで朱理に教わってるみたいだった」

「あー……たしかに三栖より五十嵐のほうがいいかも」

 ふたりして、はは、と苦笑いになる。

「千堂は? どこ行ってたの」

 訊ねたら軽く肘で突かれた。

「おまえが昼メシ来なくなってから、俺はたまに美羽と食べてるんだよ」

「あー……」

 千堂の彼女の石山さんだ。

「そっか。てかそういえば千堂、俺と朱理のこと下倉さんに言ったろ」

「言った。どうせみんな知ってるだろ」

「そうかもしれないけど、俺は千堂にしか教えてなかったし、あのときは朱理の許可もとってなかったから嫌だったよ。……まあ、もういいんだけどさ」

 千堂がまたストローをパックの奥に力まかせに押しこんだ。

「山田がぎゃーぎゃー騒いだあと、みんなが五十嵐に注目してるなかでふたりして飴玉食ってにやけてたじゃないか。気づかないほうがばかだって」

 千堂は唇を尖らせて、微妙に不機嫌そうな横顔をしている。

「それより五十嵐はどう思ってるんだよ、おまえがΩだってこと」

 千堂の鋭い視線が刺さってきて、うつむいて、逸らしてしまった。

「……まだ、Ωって確定したわけじゃないよ」

 いままでのバース性検査で、二回だけ結果がΩだったことがある。ほかはずっとβ。

 俺は体質が不安定で、身体がきちんと大人に成長しなければたしかなバース性はわからない、と医者に診断されている。

「前も言ったけど、五十嵐の家はαしか認めないんだよ。五十嵐って、そこらへんどう考えて広瀬とつきあってるんだ」

 千堂の声が怒気と苛立ちをはらんで、階段に響く。

「俺らまだつきあい始めたばっかりだし、そういう将来の話するのは俺のバース性がわかってからでも……、」

「駄目だろ」

 叱りつけるように言葉を打ち消された。

 千堂の目がつりあがっている。

「バース性って一生の問題なんだよ。あいつが相手ならつきあい始めたのと同時に向きあっていかなくちゃいけないことだろ。そこ曖昧にする程度の仲なら、さっさと別れたほうがいいんじゃね」

 ――カメって、昔は祭りで売られてたらしいよ。それで気まぐれに買って飽きて、川に捨てる奴が大勢いたらしい。命を玩具や飾りだと思ってるんだろうな、そういう奴らは。

 ――別れる気もトラブる気もないからいいんじゃない?

 ――雨の日も雪の日も嵐の日も、どんな日も必ず紺を呼ぶよ。

 ――……繋がろうって誘ってもらったときもすごく嬉しかった。永遠に忘れない。

 ――よかった。はからずもお父さんへの第一印象もよかったとなれば大成功だね。

 曖昧なのは俺たちの関係じゃなくて、俺の心と身体だ。

 朱理がバース性で他人を差別したり区別したりしない人間なのは知っている。

 朱理の心変わりを疑っているわけでもない。

 朱理に隠しごとをしたり、ごまかしたりしたいわけでもない。

 朱理は関係なくて、俺自身が、ただ……もしΩだったとき、その事実を受けとめて生きていけるのか……わからなくて、怖くて、逃げているだけだ。

「……飴じゃない」

 胸の奥を掻き乱す不安と恐怖と朱理への想いを言葉にできなくて、声になったはそれだけだった。それと、反抗心みたいに小さく引っかかっている不満があった。

 千堂は、俺と朱理の関係を勝手に触れまわったこと……ごめんって、言ってくれなかった。























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